「 OTジャーナル仕事論 Q&A 」補足

11月25日に発刊された
作業療法ジャーナル12月号

「 OTジャーナル仕事論 教えて先輩 Q&A 」
に寄稿しました。

詳細は紙面をご参照いただくとして
概要をご説明しますと
整形外科領域に勤務している臨床3年目のOTから
「対象者のニーズは機能訓練だけど
 自分は作業療法をしたい。
 どうしたら?」
という質問に対して先輩としてお答えするというコーナーです。

紙幅の関係で十分に説明できなかったところもあるので補足します。

OTは仕事だから
自分のやりたいことをやるのではなくて
求められていることをやるのが仕事です。

対象者は整形外科疾患を抱えているのだから
機能訓練を希望するのはよくわかります。
1日も早く良くなりたい
良くなるだけではなくて元通りになりたい
と願っているのではないでしょうか。
対象者の希望に沿って
求められていることを求められている以上に実践してみせましょうよ。

単に機能訓練をするだけではなくて
自主トレを組んだり
生活場面での注意事項を伝えたり
その方の特性に応じて声かけを工夫したり
困難に直面した時にどんな対処を選択する方なのか把握した上で対応したり
それらの何がどんな風に良くてどんな風にイマイチだったのか
抽象化一般化しておくことが大切です。

そもそも
作業療法の定義は、Activityをすることだけじゃないですし。

質問者がどうしてもActivityをやりたい!
と思うのなら、他の領域へ転職を考えるのも選択肢の一つだと思います。

でも、質問者が今いる領域を就職先に選んだからには
それなりの理由があったと思うんですが
そこは納得できているのでしょうか?

働いているうちに新たな発見があったり
興味関心が他に移ることもあるから
方向転換そのものは悪いことではないと思います。

ただ
今の自分の実践を広げ深めることをしていないと
そしてそれらの意義を自身で認識できていないと
Activityを主に扱う勤務先へ転職したとしても
今度は同じコトに違うカタチで直面するだけだと思います。
Activityを適切に扱える作業療法士ではなくて
単なるAct屋に終わる恐れだってありますから。
それも経験かもしれませんが。

「OTの専門性って何だろう?」
「OTとは何だろう?」
このように自他ともに問う人は多いけれど
考えたり、語り合って答えが出るわけがないんです。

続きは、「作業療法の説明が難しい理由」で。

ご参考までに、こちらもどうぞ。
「作業療法とは?よっしーver.」


のびのび靴下が便利!

 

徳武産業さんの
「あゆみ」シリーズから「のびのび靴下」が発売されています。

靴下が伸びるので
脱ぎ履きがラクラク。

むくみのある方でも履いていて快適そうです。

色は4色
サイズは男女共通のフリーサイズです。

リハビリシューズ:パーツオーダー

ふと思い出したので書いています。

徳武産業のケアシューズ「あゆみ」
むくみがあって普通の靴では窮屈な方に向けて
 足囲を17Eまで広くしたり、ベルトを延長したり
装具を履いているために靴のサイズが片方ずつ違う方のために
 片方のみ購入もできたり
その他、靴底変更や寒冷地仕様などパーツオーダーシステムがあります。

通いでも入所でも
初めて介護保険で施設を利用するときに
リハビリシューズを用意するように言われることが多いと思います。

以前は、リハビリシューズの種類も限られていましたが
最近は、機能だけでなく色や柄などデザインも豊富になりました。

窮屈な思いを我慢してまで
小学生が履くような上履きを履く必要はありません。

お値段はそれなりにしますが
一度購入すれば、ある程度の期間は履き続けることが可能ですし
履きもの次第で歩行が安定したり
転倒を防ぎやすくなるだけでなく
座って過ごす時間の快適性が変わってきます。

靴の相談を受けた時には
お値段も高いので何回も購入し直すことがないように
その方の状態と今後を予測した上で
最初から適切な靴を紹介できるようにしたいものです。


ナースコールに蓄光シール

認知症のある方で
ナースコールを使えそうで使えない方がいます。

なぜ、使えないのか
どうしたら、使えるようになるのかは
人それぞれですが
ナースコールを目立たせる工夫が有効な場合があります。

夜中にトイレに行きたくなった時に
ナースコールを探さなくても
目立つように気がつきやすいように
蓄光シールを貼ることもあります。

ナースコールにベタベタ汚れがつかないように
養生テープを貼った上に蓄光シールを貼るようにしています。

「帰りたい」と言われた職員は

私が認知症のある方から
「帰りたい」と言われた時には
「そうですよね。」
「帰りたいですよね。」
「ずっとここにいるわけじゃないけど
 帰るのは今日じゃないんですって。」
とまず、答えています。

その後のやりとりは
その方それぞれ。その時それぞれ。
その方の状態と表出された言葉とによります。

「帰宅要求のある方に対して(1)」
「帰宅要求のある方に対して(2)」

「帰りたい」と言われたご家族は

入院中の方にご家族が面会した時に「帰りたい」って言われると
たいていのご家族が「まだ帰れないの」と諭そうとされますが
「まだ帰れないんだって」
とおっしゃることをお勧めしています。

ご家族だから
病院に迷惑をかけたくない
と思ってのことだと思うのですが
「まだ帰れないの」と言われた認知症のある方は
その言葉をそのまま受け取って
「帰れないことを言い聞かせようとしている」
「どうして帰してくれないの」
と言いたくなってしまい
実際に言葉にされる方もいます。
そうすると、ご家族もよけいに辛くなってしまうと思います。

事実として
退院を決定するのは主治医ですから
「まだ帰れないんだって」
「帰るのはもう少し先だってお医者さんが言ってる」
って言っていただいて大丈夫です。

もっと大切なことは
「まだ帰れないの」という言葉は
認知症のある方の味方ではないように受け取られる可能性があるけど
「まだ帰れないんだって」という言葉だと
私も(ご家族も)帰ってきて欲しいと思ってるけど
今はまだ帰れないという判断をした人が他にいる
というニュアンスを明確に伝えることができます。

ご家族はいつでも味方なんだと
認知症のある方が実感できるように
ちょっとした言葉の違いですけど
受け取られるニュアンスは180度変わってくるので
「帰りたい」って言われたら
「まだ帰れないの」じゃなくて「まだ帰れないんだって」
と言っていただくことをお勧めしています。

 



OTジャーナル12号「仕事論 Q&A」

 

11月25日発刊予定の
「作業療法ジャーナル12月号 Vol.55 No.13」
若手OTからの質問に答える
「OTジャーナルの仕事論 教えて先輩 Q&A 」
というコーナーに寄稿しました。

紙幅の関係で書ききれなかったこともあるので
該当雑誌が発売されたら補足記事を書くつもりです。

お知らせまで。

 


歩き出そうとする方への対応:環境設定

 

歩くのは不安定だけど自分で立って歩いてしまう方の
お部屋での環境設定の工夫の考え方です。

今はセンサーマット・センサークリップ・センサーベッドなど
さまざまな商品が開発されてきているので
それらを活用していない施設はまずないのではないかと思います。

センサーが反応した→すぐ訪室→既に歩いていた、とか既にトイレに座っていた
というような話は多々ありますよね。。。

センサーを活用するにしても
さらに追加でお部屋の環境を工夫しておくと
安全対策が高まります。

環境設定の工夫としては
1)立ち上がり〜歩き出しに時間を稼ぐ
2)より安全に立ち上がり、歩けるようにする
という二つの方向があると思います。

1)の立ち上がり〜歩き出しに時間を稼ぐ
の場合、立ち上がりも歩行も動作的にはできるけど
かなり不安定で転倒リスクが高い方の場合に適応します。

 具体例としては
 (1) 低床ベッドもしくは布団の使用
 (2) 靴や靴下の設置あるいは変更

2)より安全に立ち上がり、歩けるようにする
の場合、立ち上がりも歩行も安定してはいないが
それほど不安定ではない場合やもしくは本人がどうしても歩いてしまう
といったケースが該当します。

 具体例としては
 (1) ベッドの居室内位置の変更
 (2) ベッド周辺につかまれる安定した椅子などの設置
 (3) 視覚的な明示化
 (4) 万が一に備えて外傷対策



さて、では具体的に。

1)の立ち上がり〜歩き出しに時間を稼ぐ

 (1) 低床ベッドもしくは布団の使用
  ・低床ベッドは立ち上がりにくいので
   そこでセンサーが反応してから職員が訪室するまで時間を稼げますし
   仮に転倒しても衝撃を和らげることにもつながります。
  ・布団から立ち上がるためにはかなりのバランスと協調性が要求されるので
   四つばいや膝立ちしている状態で間に合いやすくなります。

 (2) 靴や靴下の設置あるいは変更
  ・靴をきちんと履く習慣のある方には靴をベッドの足をつける位置に
   揃えて置いておきます。
  ・もっと時間を稼ぐためには靴下を靴の中に用意しておくのもテです。
  ・ただし靴や靴下を自分で履けない、もしくは誤って履いてしまう方の場合には
   チャルパー(徳武産業)のような踵があるスリッパに変えたり
   場合によっては裸足で歩いていただくことも選択肢となってきます。

 

2)より安全に立ち上がり、歩けるようにする

 (1) ベッドの居室内位置の変更→動線の安全性を高める
  ・基本的には壁などに手をついて支え歩きができるようにする
   そのためにベッドの位置を変更するということです。
    起き上がる方向と壁の間を狭くしたり
    (起き上がらない方向には柵を2本設置しておく)
    ベッドの頭方向の柵に捕まって移動できる位置にベッドを動かす

 (2) ベッド周辺につかまれる安定した椅子などの設置
  ・安全につかまり歩きができるようにつかまりポールや
   ガッチリ安定した椅子などを置いておく 

 (3) 蓄光シールを要所に貼付する
  ・夜間でもつかまれる場所がわかりやすいように
   あるいは注意喚起(壁の角があるとか)のために
   もしくは矢印を作ってトイレ表示をわかりやすくするために
   蓄光シールを貼付する

 (4) 壁の角などに緩衝材を設置する
  ・もしぶつかっても大きな怪我につながりにくいように

 

大切なことは
対象者の方の能力と障害と行動特性をよく把握し
安全のために最優先するのは何なのかを明確化し
実行することと、必ず実行した方法について検証をすることだと考えています。


   

歩き出そうとする方への対応:事前察知

 

 

つかまって立つことはできるけど
ひとりで転ばずに歩くことは難しい方が
歩き出そうとするケースはとても多いと思います。

歩き出してから
転ばないように対応しようとすると
どうしても後手に回ってしまって間に合わないことも起こり得ます。

歩く前に
立ち上がる前に
事前に察知できるように気をつけています。

私は今は精神科作業療法という
2時間の集団でのリハも行なっています。
私と交代制の看護介護スタッフ1名の2人体制で
15〜20人の重度の認知症のある方を対象にしています。
(今は、covid-19対策で少し人数を絞っています)
転倒リスクのある方は常時4〜5人はいます。
その他にいろいろなものを触ってしまったり
歩行は安定していても椅子の上に立ち上がったり机の上に椅子を乗せたり
という危険行為をしてしまう方もいますので
安全確保にはとても気をつけています。

立ち上がる時には
その方なりの行動パターンがあります。
フットプレートに足を乗せたまま立ち上がってしまう方もいれば
足を下ろしてフットプレートを両方とも横に上げ終わってから立つ方もいれば
膝掛けをきちんと畳んでから足を横にずらして立とうとする方もいれば
足をさすったり横に動かしたりしてから立とうとする方もいます。

その方固有の事前行動を観察したら
「どうしましたか?」
「もしかしてトイレに行きますか?」
「おしっこ?」
とその方の言語理解力を踏まえて尋ねます。

  排泄以外の訴えだった場合には、その訴えに応じて対応します。
  この記事の本意は歩行不安定な方が立ち上がって転倒しないように
  安全に対応するためにはどうしたら良いかというところにありますので
  記載は省きます。

  ここはとても大切なところです。
  何を聞かれたのか分からなくて「違う」「なんでもない」って
  言われてしまい、失禁してしまったり、即応できずに歩かれてしまったり
  ということは起こり得ます。

お年寄りは
尿便意を感じてから
言語化するまでに時間がかかる方もいますし
こちらも即応できるとは限らないので
対応が遅くなると誘導が間に合わずに
パンツを下げたら途端に排尿・衣類も周囲も尿汚染
ということもあるあるなので
事前察知することは安全対策だけでなく実際的に大切なことでもあります。

多分、看護介護のベテランさんや
日々のケアに真摯に向き合っている人は
言葉にしなくても自然にしていたり
昔から言われてもいることだと思います。

排泄行動のサインを把握する。

立ち上がりが排泄行動のサインであることも多いので
さらにその前、立ち上がる前の事前行動を観察し把握し対応する
ことが大切です。
 
場合によっては自分1人で精神科作業療法を実施することもよくあるので
転倒リスクを下げるために事前察知は切実に必要ですし
逆に、その方のパターンがわかっていれば
必ず膝掛けを貸し出すようにして時間が稼げるようにする対応をしたり
あるいは、フットプレートを踏んだまま立ち上がることがないように
敢えて、フットプレートはあげておく、あるいは外側に開いておき
立ち上がりの安全性は確保して、あとは座席配置に工夫して
仮に数本歩いてしまっても安全な環境設定をしておきます。

このような工夫は
1人で多数の対象者を見守る状況にある
見守りだけでなく他のことも同時並行的に行わなければならない場合には
必須の工夫だと考えています。

 



あなたの実践があなたの作業療法

なんでもっと早く気がつかなかったんだろう?って思いました。

「あなたの実践があなたの作業療法」

かつて
私が学生の頃に
高校の部活の友達に
「作業療法士ってどんな仕事?」と尋ねられて
うまく答えられずに作業療法の定義を答えたりして (^^;
言ってる私がそんなだから、聞いた友達も『?』な顔になっちゃって。
ってことがよくあったのを思い出しました。

学生だから
作業療法とは何ぞや?って答えられなくて当たり前なんです。
作業療法士として実践していないし、結果も出していないんだから。

ただ、臨床を何年もやってる作業療法士が
それじゃあマズイですけど (^^;

ごむてつさんが
「もっとはっきり言ったほうがいい」
とよく言いますが
「事実の子たれよ」
事実を明確に認識してもらうことから始めるのだ
という意味なのだと思います。

事実を認識することを回避している作業療法士は
無意識下も含めて、その人の選択でそうしているわけで
その人にとっての必然があるのだとは思うようにはなりました。

ただし、かつての私のように
そのような作業療法士の在りように疑問を感じつつも
どこがおかしいのかを具体的に指摘できないし
どうしたら良いのかを具体的に提案できないから
「作業療法は素晴らしい」
「作業療法の楽しさを語り合おう」
というような在り方に対して
違和感を感じつつも表明できずに困惑している作業療法士が
きっとたくさんいるはずなのだと思っています。
この記事は、そのような人たちへ向けて書いています。

「OTの不安への答え」
「作業療法は触媒」
という記事にも書きましたが
通常、語らないことを語る場合には
語ることによって何かを補償していると思っています。

  例えば
  飛行機のパイロットが内向きにパイロット同士で
  「パイロットは素晴らしい職業だ」
  なんて語り合っていると思いますか?

  (将来のパイロット確保のために外向きに言うことはあるでしょうけど)
  いつなんどき何が起こっても即応して
  安全に離着陸・飛行できるように訓練を重ねていると思います。

  本当に素晴らしかったとしたら
  毎回必ず素晴らしい実践ができているから
  自分には至極当然のこと、空気のようなものなので
  敢えて語る必要もないと思います。

  語りたいというニーズがあるということは
  当然の状態にはなっていない。
  ということを暗に表明していると思っています。

私はずっと
自分自身が大したことない、しがない作業療法士だという自覚があったので
まずは、自分が対象者にとって悪いことをしなくて済むように
できれば対象者にとって良いことができるように
と考えて実践を積み重ねてきました。

作業療法が一般的にどんなに素晴らしいものだとしても
私が「悪い作業療法」を提供してはいけない
私が未熟な故に作業療法全般を汚してはいけない
できれば私が「良い作業療法」を提供できるようにならないと
対象者の方に申し訳ないと思っていました。

抽象的な一般的な作業療法には興味関心がなく
常に自身の実践の正当性・適否を問題視してきました。
それは時には辛く、時には嬉しいこともありましたが。。。
そして良いにしても悪いにしても
常に実践した結果を分析し
任意の対象者に提供した実践の何がどう良かったのか何がどう悪かったのか、
分析し抽象化・一般化すべく言語化の努力を積み重ねてきました。
それは学会発表・論文執筆という機会があろうとなかろうと
そんなこととは無関係に臨床実践者としての責務として行ってきました。

その結果
作業療法とは何か
という抽象論を言語化できるようになり
認知症のある方・老年期の方に対しての実践を
かなり明確に言語化できるようになってきたと自負しています。

  「作業療法って何?」って考えて語り合ってる人が答えを出せず
  「作業療法」に焦点化せず自身の実践を検討してきた人が
  「作業療法とは」の答えをもってるって皮肉なものです。


   でも考えてみれば当たり前のことで
   料理とは何?って考えたり語り合うのも自由ですが
   肝心の料理を作ってみなければわからないし
   作った料理がまずかったら食べる気にもならないじゃん。

   その上で食べる人の好き嫌いという嗜好だってあるのに。
   (誰が食べるために作るかってこと)

「作業療法は理解してもらうのが難しい」
「作業療法は説明するのが難しい」
と言う人は大勢いますが
その人は本当は
「私は自身の実践を理解してもらっていない」
「私は自身が実践している作業療法を説明できない」
と言っているのと同じなんです。

結果を出していないから。

  聞いたことは忘れる
  見たことは思い出す
  体験したことは理解する


  という言葉があります。
  出典は諸説ありますが、世界各地に伝わっている言葉なんだそうです。
  体験したことは理解する
  のであれば、
  体験していないことは理解しにくいとも言えます。

対象者が良くなるという結果を出していない
少なくとも内心の実感としてはない
出た結果が良くても悪くても
自身の実践のどこがどう良くてどこがどう悪かったのか
確認していない

ならば、そこから始める。

具体的な事実一つひとつを対象化し分析し抽象化・一般化する努力をして初めて
総論的な抽象概念に落とし込むことが可能となるのではないでしょうか。
 
仕事をしていれば、いろいろな状況があるので、時には
今はこれだけやってもらおうということだってあるかもしれません。
それはそう自覚した上でやるならそういう時もありだと思うのです。

でも、そうではなくて
ただ単に漫然とした作業療法を続けてきた結果
初めは、こんな状態で良いのかと疑問を抱いたり自問していたはずなのに
いつの間にか、自問することもなくなり
漫然とした作業療法に対してもそれなりの言い訳ができるようになり
それ以外の道が見えなくなってしまった。。。
自覚すらできなくなってしまった。。。
そんな作業療法士の実践も説明も
受け手にはさっぱり理解できなくて当たり前だと思います。

表面的な実践を支えている
作業療法士としての努力の積み重ねの有無とその意図は
無言の説得力として滲み出ることもあれば
逆にどんなにキレイな言葉を使っていてもリアリティのなさが伝わってしまうことも
あるのではないでしょうか。
周囲の多職種や対象者にも。

あなたの実践があなたの作業療法

実践は、どちらの意味でもあなたを裏切ることはありません。