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声かけの工夫の考え方

声かけの大切さを否定する人は誰もいないと思います。

でも
声かけのどこがどう大切なのか
どのように考えるのか
明確に言葉で説明できる人もまた少ないのではないでしょうか。

よくあるのは
敬意を示しましょう。ということで
認知症のある方への声かけに関しては
「必ず敬語を使う」
「丁寧に言葉で説明をする」
という接遇面からの対応を説かれることです。

もちろん
接遇は対人援助職として、とても大切なことではありますが
接遇に囚われてしまうのは、本末転倒なことでもあります。

なぜなら
認知症は脳の器質的生理的変化によって
言葉の理解も障害されることが多々あるからです。

「認知症は気持ちの問題ではなくて脳の病気」と喧伝する人が
対応に関して「気持ちが大事」と力説するのは
とても不思議な気がします。

接遇は対人援助職の入口として重要。
でも専門家を名乗るのならば
入口をくぐった後に
プラスアルファとしての観察・洞察・評価ができて然るべきだと考えています。

かつて
こういったことを明確に認識できていなかった時に
接遇の良さを追求するような対応を心がけていましたが
得られるものはありませんでした。
(そりゃ当たり前だと今は言えますが、当時はわかっていなかった。。。)
それどころか、苦しくなる一方で、自分がゴミ箱になったように感じ
先が見えないことにさすがに気づいて、他の方法論を模索し始めました。

もしかしたら
今でも接遇を極めるような方向に努力を重ねていても
虚しさを感じ、無力感を感じている人がいるかもしれない。。。
かつての私が抱えていた困難と苦しさを同じように抱えている人に伝えたい。

あなたの努力は間違ってはいない。
でも努力の方向性は間違っている。

認知症という状態像を引き起こす、どんな疾患であっても
脳の器質的生理的変化によって言葉の理解力が障害されるならば
どのような言葉、声かけ、対応であれば理解できて
どのような言葉、声かけ、対応だと理解しにくいのか
観察・洞察・評価することから始まります。

このコンテンツでは
他では書かれていない、言語化されていない
臨床場面において、役立つ対応の工夫、声かけの工夫と考え方について記載していきます。

 

 

 

 

認知症のある方の立場に立って
状況理解を促す声かけの工夫を考えてみます。

入力刺激としては
聴覚情報と視覚情報の2つに大きく分けられます。
聴覚情報・視覚情報それぞれの入力刺激としての段階づけを考えていきます。