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援助の視点をゆるがせない

  

観察するにあたり
重要なことは「援助」の視点に繰り返し立ち返る
「援助」の視点をゆるがせないということだと考えています。

対象者の方を助けるのか
自分に従わせようとするのか

それは紙一重でありながら
コインの表裏のようで
表であれば、裏ではあり得ない
「援助」と「支配」は紙一重でありながら
「援助」であれば「支配」はあり得ない
「支配」となれば「援助」には、なり得ない というものです。

本当に適切な援助とは
「寄り添ったケア」をスローガンとして唱えるだけでは決して到達できるものではありません。
ましてや、ハウツーによる消費的思考回路は適切な援助の真逆にあるものです。

対人援助という生業は
相手がいてこそ成り立ちます。
相手との関係性において為される職業なので
「援助」と「支配」が容易にすり替わってしまう危険性が常に内在しています。

「食べることの援助」なのか「食べさせている」のか
「歩くことの援助」なのか「歩かせている」のか

見た目には同じように見えて
作用は真逆

視点のベクトルは真反対であり
視点のベクトルこそは鋭敏に対象者に伝わり
対象者は視点のベクトルに意識的にも無意識下でも反応しています。

ここに
対人援助職という職業の困難も厳しさも奥深さもあります。

日々の援助で繰り返し繰り返し、自身の関与を吟味することによって達成への道が見えてくる
その過程を支えてくれるのは知識であり
援助によって対象者の行動変容が起こったという事実であり
高齢であっても重度の認知症があったとしても
日々の暮らしを成り立たせようとして努力している事実であります。

対象者の方に真の行動変容が起こる時には
援助者の側にも変容が起こります。
対象者の新たな側面を発見できたり
もう一段深い理解にたどり着くことができたり

つまり
援助というのは援助し援助されるという双方向の過程なのです。

行動変容は双方向に起こる

そのような体験を繰り返し 
具体的な日々の現実の場面での吟味を経て
「援助」という視点を揺るがせないという厳しさへの耐性を身につけることが叶います。