2本足で立つ・歩く体験が必要


重度の認知症のある方でも身体的なリハは成立するケースが多々あります。
HDS-Rが1ケタの方でも実施できます。
  
  得点できたということは、
  質問が理解でき質問の枠組みに沿って回答
できたということですから、
  こちらが工夫すればかなり細かな場面設定の中でリハ実施が可能です。
  HDS-R3点で介護拒否・介護抵抗の強い方で急性期ではリハ拒否もあった方が

  きちんとリハを実施できようになったケースもありました。

PTでもOTでも他職種でも
認知症に関する実際的な知識がないと
遂行機能障害や構成障害、観念失行などを観てとることができず
大雑把に「疎通困難」「短期記憶低下」と誤認している場合が多いように思います。
(ちなみに、私は短期記憶という言葉は誤解のもとになるので使用せずに
 近時記憶という言葉を使用していますし、推奨しています)

認知症があると、とにかく歩かせることが優先されてしまい、
また、実際それで介助歩行ができるようになったりするので
なかなか認識を修正しにくいのだろうとも思いますが
実は、立位体験をきちんと提供することの方が重要です。
急性期病院で「歩行獲得は困難、車椅子レベル」と判断された方が
骨折前の移動能力を再獲得できたケースが多々あります。

平行棒や歩行器に両手でつかまって歩くのは、
誤解を恐れずに言えば4本足で歩いている状態です。
とにかく歩けた!ということはすごいことではありますが
4本足で歩くだけでは、先の展開がありません。
平行棒内歩行をいくら繰り返しても安全な独歩ができるようにはなりません。
(時々、自主リハをしていつの間にか安定した独歩をするようになる方もいますが
 それだけの能力があったということです)
4本の足で身体を支えバランスをとるに足る、身体のハタラキを発揮させているだけだからです。

脳卒中後遺症片麻痺のある方のご希望で多いのが
「杖なしで歩けるようになりたい」
というものですが
杖歩行で毎日4キロ歩く練習をしても(その練習を続けること自体、素晴らしいことですが)
それだけでは杖なしで歩けるようにはなりません。
杖歩行というのは、3本足で歩いている状態です。
3本足で長距離歩けるのはすごいことではありますが
2本足で立ち、歩く、体験をしないと2本足で歩けるようになるのは難しいことです。

杖歩行する。。。ということは
杖で身体を支え、バランスをとる、という杖あることを前提とした身体のハタラキ
杖ありという環境に適応した身体のハタラキ
を発揮しているということです。

独歩可能。。。ということは
2本の足だけで、身体を支え、バランスをとる、という身体のハタラキ
杖なしという環境に適応した身体のハタラキがあってこそ、
可能なことです。

人はすべからく
周囲の環境にあわせて心身の働きを発揮しています。
たとえ、重度の認知症があろうが、なかろうが。

だから、環境の一因子としての
介助、対応の工夫の適否
が問われるのです。
正邪ではなくて。
(このあたりをわかってる人は本当に少ない。。。いずれ、記事にしたいと思います)

_「身体障害を合併する認知症に対する上肢機能アプローチ」_で一部、触れていますが
認知症のある方の移動能力に対するアプローチにおいて
丁寧に段階づけされた立位訓練の提供が必要なのに
現場ではあまり実践されていないように感じています。

この理由は、主に、セラピスト側に
認知症に関する実際的な知識がないことによって
大雑把に「疎通困難、短期記憶低下→段階づけされたリハ実施困難」と
誤認していることだと考えています。

認知症に関する研修で多いのが
「言動を否定しない」「優しく親切に」といった注意を提供するというものですが
それだけで認知症のある方に対して実際のリハ場面が改善されることはありません。

現行のリハのどこがどうマズイのか
どう修正したら良いのか
よくある場面を提示して何が起こっているのか

どうしたら良いのかという説明が必要です。

ただ、少数ながらネガティブな感想をいただくこともあります。

前者は、自身の変化を厭わずに良いと説明された方法論をまずやってみようとする人であり
後者は、自身の変化へ抵抗を示す、変わりたくない人です。

学ぶ、ということは、変わることです。

変わりたくないというのなら、なぜ研修に参加するのでしょうか?
他者から「それで良い」と承認してもらいたいくて研修に出ているのでしょうか?

人の受け取り方は、さまざまですし
100人いれば100通りの受け止め方があるでしょう。
それは当然のことです。
その人が拠り所としている方法論や
現行常識化しているパラダイムを
大きく揺さぶるような内容であればあるほど
強く大きな抵抗を示す人も出てきます。
これは_前述_しています)

私は全国各地でさまざまなテーマで多数の講演を行なっていますが
同時に多数のテーマの研修会に受講者の立場でも参加しています。
いろいろな講師がいますが
実例・事例の提示にとどまらず、
受講者が汎化・応用できるように考え方も同時に提供する
講師は非常に少ないと感じています。

本当に必要なのは、実践と理想をつなぐ考え方なのに
単なるハウツーを求める風潮に応じて
単なるハウツーを提供しているに過ぎないケースが圧倒的に多いと感じています。

コスパ、タイパの名のもとに
「こうしたら、あぁなる」
「こういう時には、こうする」
といった、ハウツーに目の前の方を当てはめるような在り方って
「その人に寄り添ったケア」という理念に対して真逆
の在り方ではありませんか?

いろいろな考え方や理論や方法論は
目の前にいる対象者の方の利益のために活用するものであって
考え方や理論や方法論に対象者を当てはめるものではないはずです。

耳障りの良い言葉を声高に唱えながら
実践は真逆のことをしているという、このとんでもない乖離に
心ある人は強く葛藤し
明確に認識できなくてもモヤモヤ感に苛まれている人は、だからこそ余計にしんどくなり
対象者の方の笑顔が嬉しいはずなのに
その笑顔が辛く感じる自分に疑問を抱いている人がたくさんいるんじゃないかと思います。

   

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