帰宅要求のある方に対して(1)

 

 

認知症のある方が帰宅要求を訴えた時に
私は、その方の状態像に基づいて対応しています。

「家に帰りたい」という同じ言葉でも
そこに含まれる意図は異なります。

例えば
HDS-R7点の方がいましたが、再認は可能な方でした。

  近時記憶の程度について確認するだけでなく
  再生・再認の可否について確認する必要があります。
  私の実感ですが、
  近時記憶の程度を把握した上でケアに活用している人は少なく
  再生・再認の可否について確認した上でケアに活用している人はさらに少ないと感じています。

「家に帰りたい」

この方はすぐに帰りたい理由を教えてくれました。
「お父さんに会いたい」

  余談ですが
  認知症のある方が「お父さん」「お母さん」と言った場合には
  父親なのか、夫なのか、母親なのか、妻なのか

  親を指しているのか、配偶者を指しているのかを
  確認しないととんでもない誤解のもとになってしまいますので要注意
です。

この方は夫に会いたいということでしたので
「〇〇さん、お父さんに会いたいんですね」
「〇〇さんのお気持ちはわかるけど、〇〇さんは今入院中なんです。」
「お父さんは施設に入って元気で暮らしているそうですよ。」

「あぁ、そう。それなら良かった。
 でもお父さんに会いたい。」

その後しばらく涙をこぼされてから
「ごめんなさいね。またあなたの前で泣いちゃって。」
とおっしゃいました。

体験を通して再認していることを再認していることがわかります。

 

よく講演後の質問で
「帰宅要求のある人がいるんです。どうしたら良いでしょうか。」
と尋ねられたり
「帰宅要求のある人に対して
 話を逸らす・違うことをして気を紛らわせる・お茶を飲む・タオルたたみをする」
という人がたくさんいます。

そのように言う人たちは
「帰宅要求がなくなる=良いこと」という暗黙の前提があって
帰宅要求をしなくなるためにはどうしたら良いかという考え方をしているのがわかります。

実際、そのような対応をして帰宅要求をしなくなった人たちがいた
と言う体験をもとにして言われているのだろうと推測できます。

ここで
そのような対応が何をしているのか
ということを明確にしておきたいと思います。

違うことをして気を紛らわせる・お茶を飲む・タオルたたみをする
ということは「動作干渉」をしています。
近時記憶が低下している方は、異なる動作を行う「動作干渉」によって
「帰宅要求」という自身の気持ちを忘れていただくことを意図しています。

話を逸らすということは、話題転換という時間干渉(時間の経過)によって
自身の気持ちを忘れていただくことを意図しています。

でも
冒頭に提示した再認できる方に
動作干渉や時間干渉をしたら、どうなるでしょう?

HDS-Rが低くても体験を通して再認可能な方は大勢います。
感情記憶は残りやすいとも言われています。

自身が夫に会いたいという切実な訴えをした時に
動作干渉や時間干渉を使って
「訴えを受け止めてもらえなかった」という体験を蓄積すればするほど
「私が必死になって言っても聞いてもらえなかった」という
体験を繰り返し認識することになりはしませんか?

認知症のある方がそのような体験をさせられて
「どうせそうやってまた私を誤魔化そうとしてるんだから!」
「どうせ私のことを馬鹿だと思ってるんでしょう!」
と必死に訴えている姿を見たこともあります。

その方は今はまだ言葉にすることができているけれど
病状進行して、自身の感情を言語化することが難しくなった時に
「ちゃんと私の話を聞いてほしい」と言えない代わりに
大きな声を出したり
「やめて」と言ったり
身体全体で抵抗する。。。ことだってあり得るのではないかと考えています。

今のためにも
将来のためにも
再認可能な人には再認しやすい対応をすることって大切だと思います。

現実には、何かしらの理由で即応できないことも多々あると思います。
そういう時には
「ごめんなさい。今すぐにはお話を聞けません。」と正直に言います。

例えば
「今、体操中で私が進行役なのでお話を聞けません。
 体操が終わったらお話を聞きますのでお待ちください。」
「ごめんなさい。〇分だけ待ってください。」

そして、体操終了後や〇分後には
「さっきはお時間が取れなくてごめんなさい。」
「お待たせしました。」
「〇〇とのことでしたけれど。。。」
と言ってこちらから話しかけます。

じゃあ、再認できない人にどうしているか
それは、次の記事で。

 

参考:「帰宅要求への対応」よっしーずボイス

 




Activity提供に際して@「よっしー」

 

 

「よっしーずボイス」に記事投稿をしました。

認知症のある方に
Activityを提供する際の困りごとって、とても多いものです。

それは実は
1)認知症があってもなくても、Activity提供の考え方の混乱
2)認知症のある方の状態像把握ができていない
というふたつが反映されていると考えています。
 
決して認知症だから難しいというものではなく
1)そもそも論としてのActivity提供の考え方の再検討が必要
2)状態像把握のために必要なのはバッテリーや検査ではなく観察・洞察力を磨くこと
であり、いずれも問題は私たち作業療法士をはじめとするActivity提供者側にあります。
だからこそ、改善可能なのです。

よっしーずボイスに下記の記事を投稿しました。

「Activityの提供:現状共有」
「Activityの提供:問題提起」

 

オススメ民謡

 

 

歌は世につれ人につれ

歌の好みは人それぞれですが
私の経験上で
90〜60歳代と幅広い年代の方が知っている(聞いたことがある)
馴染みやすい かつ 盛り上がる(聞いてるだけでも元気がもらえる)
民謡をご紹介したいと思います。

  • ソーラン節
  • 花笠音頭
  • 北海盆歌
  • 斎太郎節
  • 佐渡おけさ
  • 東京音頭
  • 炭坑節
  • 会津磐梯山
  • ノーエ節

  民謡じゃないけど
  盆踊り繋がりで
  ・好きになった人(都はるみ)
  
  歌謡曲では
  ・365歩のマーチ(水前寺清子)
  ・函館の女(北島三郎)
  も盛り上がります。

今は新型コロナ対策で
大人数が集まって歌唱するのは望ましくないけれど
状況が変わったら
画面を見て歌ってもよし
歌わなくても手拍子だけしててもよし
合いの手を入れてもよし

幅広い参加の仕方が許容されるのが良いところです。
新型コロナの1日も早い収束を願っています。

 

「よっしーずボイス」記事投稿しました

 

 

神奈川県作業療法士会の公式ウェブサイトの
「月刊よっしーワールド」に記事投稿しました。

「観察・洞察から始まる対応の工夫」

今まで
食事介助や生活障害やBPSDへの対応の工夫、Activityの選択など
さまざまなテーマで講演のご依頼を受けてきました。

対象職種はさまざま
開催場所も日本全国さまざまですが
どのテーマでも必ず
観察の重要性、評価の重要性を伝えています。
考え方と対応の工夫を結びつけた説明もしています。

「観察の重要性がわかった」
「評価しているつもりだったけど、まだまだだと思った」
というご感想をいただくと本当に嬉しく思います。
 
それでも
講演終了後の質問の時に
「〇〇という状態像の人がいるんですけど、どうしたらいいでしょうか?」
という質問が出てくることもまた多いのが現状です。。。

それだけ
ふだんの臨床現場で
「〇〇という人には〇〇する」
というハウツー的な在り方、パターン化した対応で実践しているのだと思います。

また
それ以外の在り方を養成過程において
学べなかった人が少なくない
ということをも示しているのだと考えています。

  以前に、初心者向けの研修会テキストで
  「帰宅要求のある人にどう対応するかグループワークしましょう。」
  という記載を見たことがあります。

  初心者ー認知症のある方をよく知らない人に対して
  教えるべきことを教える。。。
  「帰宅要求のある方の状態を

  観て・聴いて・洞察・把握して検討・判断することを教える」
  。。。のではなくて
  「帰宅要求=どうする」というハウツー的対応、パターン化された対応を
  知識もない、技術もない人同士で考えさせる
  という最も不適切な「学習態度」を教えてしまっています。

  最初が肝心。
  初心者にこそ、きちんと「学習態度や実践の思考回路を教える」べきです。
  グループワークの効用は多々ありますが、これは最もまずい。

  効果がないどころか逆効果となってしまっています。

教員経験もあるごむてつさんは
「ちゃんと教えられないから、グループワークでお茶を濁す人もいる」
と言っていましたが (^^;;
さもありなん。。。

ちゃんとグループワークをしようと思ったら
かなりの時間を使います。
私だったら、その時間を使って「教える」「伝える」ことがたくさんありますもの。

ありがたいことに
ちっぽけな一人の人間でも
「声を上げる」ことができる世の中になりました。

岸田総理は
アフリカの諺を引いて
「早く行きたければ一人で行け。遠くまで行きたければみんなで行け。」
と言いました。

かつては私もそう思っていましたが
本当に本質からブレずに進むためには
ひとりでも進んで行くしかないこともあります。

組織には組織だからこそ発揮できるチカラがある。
同時に、組織を作ったら組織維持のために必ずチカラを用いなければならない。
状況によっては、組織を作って達成したい目的と組織維持がすり替わってしまうことも起こり得ます。

このサイトと
よっしーワールドと
ふたつの「場」を得て
本質からブレずに、まずは自分が進む。

いつか
硬直した組織ではなくて
目的達成のために、自由で緩やかな、それでいて力強い連帯が実現しそうな気がする。

そのために
まずは、私自身ができることを着実に一歩一歩。



  
  

予告:オンライン勉強会

 

 

まだ具体的な日時も概要も決めていませんが
今年度中にオンラインでの勉強会を開催すべく準備中です。

まずは
平日夜間に短時間の勉強会開催を考えています。
職種は限定せず、どなたでも参加できるようにと思っています。

テーマについて
ご希望があればコメント欄もしくはお問合せからお知らせください ☆

オンラインであれば
遠方の方でも
家事育児で自宅を離れにくい方でも
受講できる機会が増えます。

対面研修ならではのメリットもありますが
今はまだ難しい状況です。
状況が変わるのを座して待つのではなく
今、できることをできる時に。
オンラインならではのメリットを活用できるように。

 

詳細が決まり次第、こちらのサイトにてご案内いたします!

 

 

認知症は脳の病気で心の病気ではない

 

 

概念を明確に理解すること
本質を把握すること
ここからスタートすれば、自身の考えをスッキリ整理させることは可能だと考えています。

ある研修会で講師が受講者に尋ねました。
「作業療法で認知症の中核症状が良くなると思う人?」
たくさんの受講者が手を挙げました。。。(^^;

認知症という状態像を引き起こす疾患において
impairmentは不可逆的に進行していくという定義になっています。

こういうところは、作業療法士は大いに反省して修正する必要があるところだし
作業療法で何をしているのかということをもっと明確化すべきだと考えています。
逆に言えば、ここに作業療法の今後の可能性もあると考えています。

見た目として、「生活障害やBPSDが良くなる」ということは可能だと思いますが
それは、impairmentが改善されたわけではなく、disabilityが改善された結果です。

また
「認知症のある方に寄り添ったケア」とは、よく聞く言葉ですし
ケアの理念として大切だと思います。
でも、どういった言動が寄り添ったケアで、どういった言動がそうでないのか
具体的にはあまり検討されていませんよね?
検討されているとしても、心理社会的な側面に偏っていませんか?

認知症は脳の病気です。
同じ脳の病気である、脳血管障害後遺症片麻痺の方を想定して比較すると
明確になってくることも多々あると感じています。

例えば
片麻痺のある方に対して
「なぜ、その手が動かないのよ!」とは言わないけれど
認知症のある方に対して
「なぜ、同じことを繰り返し言うのよ!」と言いたくなることはあるかも?

例えば
片麻痺のある方に対して
「気持ちに寄り添う」ことをしても
優しく、言動を否定しないで接しても
麻痺が改善するわけでもなく、ADLが改善するわけでもありません。
ただ、人として、対人援助職として、当たり前のこととして行うだけです。

ところが
同じ脳の病気なのに
認知症のある方に対しては
優しく、言動を否定しないということが強調されすぎていませんか?
人として、優しく、言動を否定しないように接しても
認知機能障害が改善することはありません。
生活障害やBPSDが直接的に改善することはありません。

ただし、認知症のある方の余分な不安や混乱をきたさないように
という側面はあると思いますし
人として、対人援助職の基本として必須の態度だと思います。
そのような側面は、片麻痺のある方に対しても同様なのに
なぜ、こんなにも心理社会的側面が強調されて
本来の障害を把握するということが疎かにされてしまうのか。。。

HDS-RやMMSEをとる人は多いけれど
その結果を活用して対応を工夫している人は少ないものです。
検査結果の違いによって対応の工夫を変えている人は少ないですよね?

本来、検査は対応に活用するために行うものなのに
検査は検査
対応は対応
として切り離され
「認知症のある方に寄り添ったケア」という抽象論・総論になってしまう。
抽象論・総論だからこそ、声が大きくなることはあっても
具体的な検討が疎かになる。

「認知症のある方に寄り添ったケア」という理念を
唱えれば実践できるわけではありません。

理念をどのようにしたら具現化できるのか
ということを日々の臨床現場で具体的に検討することが必要です。

片麻痺のある方それぞれに
できること、できないことがあり
その方それぞれにお気持ちの揺れがあります。

認知症のある方も同じです。

認知症は脳の病気であって気持ちの病気ではないのだから
気持ちに寄り添うことは必須だけれど
気持ちに寄り添うだけでは
片麻痺やADLの改善に直結はしないのと同じように
認知機能障害や生活障害やBPSDにも直結はしない
ということを明確に再認識する必要があると考えています。

片麻痺のある方に
着替えをする時にはポイントがあります。
そのポイントを知らないで着替えをさせて
「着替えが大変で困っちゃう」という余分な困りごとが減るように
ポイントを知っていることには意義があります。

同じように
認知症のある方に
さまざまな対応をするポイントがあり
伝えていくことの意義があると考えています。

臨床現場で困った時に
「〇〇という状態の人がいるんですけど
 どうしたらいいでしょうか?」
というカタチの質問をしなくて済むように

自分自身で困りごとを解決する思考回路を構築することができるように

 



トランスファー全介助 → 座り方も介助

 

 

日常生活の場面そのものがリハビリテーション
ということは、ずいぶん人口に膾炙するようになってきました。

普段の生活で
トランスファーを介助する機会はたくさんあります。

その時に
ぜひ、座り方を意図的に気をつけて介助してみてください。

自分でなんとか立てる方でも
座る時には、
後方へひっくり返るかと思うくらい
勢いがついてしまって
ドシン!と音がするようにしか座れない
という方は結構多くいらっしゃいます。

座る時に働く筋肉は
立ち上がる時に働く筋肉と同じです。
ただ、働く方向が逆向きなだけで。

だから
上手に座る練習をすることは
立ち上がりの練習をすることにもなります。

ポイントは
1)静かにそっと音がしないように意識してもらう
2)身体を前傾させながら膝と股関節の屈曲のタイミングを協調させる
3)踏ん張らせず、スムーズな動きを引き出す

 

動作の自立を目指す時に
必ずしも、頑張って、踏ん張って
行うことだけが良い結果を引き出すとは限りません。

生活期にある方の場合には
きちんと介助してスムーズな動きを体験することで
身体の使い方、身体の働きを再学習できるようになることが多々あります。

 

「あるある事例集」を公開

 

現場あるあるの「事例集」を追加しました。

リハ場面、生活場面、Tips集と分けてみました。

今日現在で
・骨折後のリハ
・頚部が前屈、後屈してしまう方の食事介助
をアップしています。

今後も随時更新していきます! 

 

頚部後屈してしまう方の食事介助

 

頚部後屈してしまう方もいらっしゃいます。
そのまま食事介助するのは、誤嚥のリスクが高くとても危険です。

じゃあ、どうするか

たいていの場合
後屈しないように
頚部を前屈方向へ押し出すように介助してしまいがちです。

でも、そうすると逆効果
作用反作用の法則で
無理に力を入れて前方に押してしまうと
逆に後方に同じ力で押し返されてしまうので
かえって頚部後屈を強めてしまいかねません。

そのような時には
盆の窪と呼ばれている、後頭部〜首の間にある凹みのところで
頭の重さだけを支えるようにします。

しばらくすると頚部後屈方向への抵抗感が減るのを感じると思います。
そうしたら少しだけ前屈方向へ動かして、頭の重さだけを支えるようにします。

ポイントは
「修正するのではなく助ける」

これって、何事もそうだなーと感じていますが
あるべき正しい在り方を目指して修正しようとするとかえって良くない結果となってしまう。
今、困っていることを助けようとすれば結果として望ましい在り方へ近づく。

頚部後屈している方は
頭の重さを支えてみてください。

そして
頚部前屈してしまう方と同様に
そのような状態になるには必然性があってのことなので
根本的な対応として、必然性を探ることも同時に進めてください。

 


頚部前屈してしまう方の食事介助

 

頚部前屈してしまう方の食事介助は大変です。
お食事だけでなく、水分やお薬を飲んでいただくのも一苦労。。。

ついつい、おでこを押さえて顔を上げさせて介助するけど
痛そうでかわいそうに思っても
そうしないと顔が下を向いてしまって食べさせられない。。。

そんな風に悩んでいる方必見

頚部前屈してしまう方は
必然があってそうなってしまうので
その必然を解き明かすことがポイントなのですが
お食事は毎日毎食のこと。
今すぐの対処が必要ですよね。

そんな時は
顎の下を介助者の片方の手で下から支えてあげてください。

万が一に備えて
おしぼりを持ってから顎の下で支えるともっといいかも。

おでこを手で押さえるよりも見た目的にもずっといいし
何より力がほとんどいらない。

今すぐの対処として、すぐに支えるTipsですが
並行して、頚部前屈してしまう必然を解き明かすことも忘れずに ☆