認知症は脳の病気で心の病気ではない

 

 

概念を明確に理解すること
本質を把握すること
ここからスタートすれば、自身の考えをスッキリ整理させることは可能だと考えています。

ある研修会で講師が受講者に尋ねました。
「作業療法で認知症の中核症状が良くなると思う人?」
たくさんの受講者が手を挙げました。。。(^^;

認知症という状態像を引き起こす疾患において
impairmentは不可逆的に進行していくという定義になっています。

こういうところは、作業療法士は大いに反省して修正する必要があるところだし
作業療法で何をしているのかということをもっと明確化すべきだと考えています。
逆に言えば、ここに作業療法の今後の可能性もあると考えています。

見た目として、「生活障害やBPSDが良くなる」ということは可能だと思いますが
それは、impairmentが改善されたわけではなく、disabilityが改善された結果です。

また
「認知症のある方に寄り添ったケア」とは、よく聞く言葉ですし
ケアの理念として大切だと思います。
でも、どういった言動が寄り添ったケアで、どういった言動がそうでないのか
具体的にはあまり検討されていませんよね?
検討されているとしても、心理社会的な側面に偏っていませんか?

認知症は脳の病気です。
同じ脳の病気である、脳血管障害後遺症片麻痺の方を想定して比較すると
明確になってくることも多々あると感じています。

例えば
片麻痺のある方に対して
「なぜ、その手が動かないのよ!」とは言わないけれど
認知症のある方に対して
「なぜ、同じことを繰り返し言うのよ!」と言いたくなることはあるかも?

例えば
片麻痺のある方に対して
「気持ちに寄り添う」ことをしても
優しく、言動を否定しないで接しても
麻痺が改善するわけでもなく、ADLが改善するわけでもありません。
ただ、人として、対人援助職として、当たり前のこととして行うだけです。

ところが
同じ脳の病気なのに
認知症のある方に対しては
優しく、言動を否定しないということが強調されすぎていませんか?
人として、優しく、言動を否定しないように接しても
認知機能障害が改善することはありません。
生活障害やBPSDが直接的に改善することはありません。

ただし、認知症のある方の余分な不安や混乱をきたさないように
という側面はあると思いますし
人として、対人援助職の基本として必須の態度だと思います。
そのような側面は、片麻痺のある方に対しても同様なのに
なぜ、こんなにも心理社会的側面が強調されて
本来の障害を把握するということが疎かにされてしまうのか。。。

HDS-RやMMSEをとる人は多いけれど
その結果を活用して対応を工夫している人は少ないものです。
検査結果の違いによって対応の工夫を変えている人は少ないですよね?

本来、検査は対応に活用するために行うものなのに
検査は検査
対応は対応
として切り離され
「認知症のある方に寄り添ったケア」という抽象論・総論になってしまう。
抽象論・総論だからこそ、声が大きくなることはあっても
具体的な検討が疎かになる。

「認知症のある方に寄り添ったケア」という理念を
唱えれば実践できるわけではありません。

理念をどのようにしたら具現化できるのか
ということを日々の臨床現場で具体的に検討することが必要です。

片麻痺のある方それぞれに
できること、できないことがあり
その方それぞれにお気持ちの揺れがあります。

認知症のある方も同じです。

認知症は脳の病気であって気持ちの病気ではないのだから
気持ちに寄り添うことは必須だけれど
気持ちに寄り添うだけでは
片麻痺やADLの改善に直結はしないのと同じように
認知機能障害や生活障害やBPSDにも直結はしない
ということを明確に再認識する必要があると考えています。

片麻痺のある方に
着替えをする時にはポイントがあります。
そのポイントを知らないで着替えをさせて
「着替えが大変で困っちゃう」という余分な困りごとが減るように
ポイントを知っていることには意義があります。

同じように
認知症のある方に
さまざまな対応をするポイントがあり
伝えていくことの意義があると考えています。

臨床現場で困った時に
「〇〇という状態の人がいるんですけど
 どうしたらいいでしょうか?」
というカタチの質問をしなくて済むように

自分自身で困りごとを解決する思考回路を構築することができるように

 



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