連携について 9

そもそも何のための連携?

 

熱心なリハスタッフの陥りやすい誤解は
いつの間にか、連携のための連携という考え方に陥ってしまうことです。

そもそも
連携を良くしていくのは
対象者のためには
連携が良いものであれば良いに越したことはないからですよね?

つまり
連携というのは青天井
言い方を変えれば、いつどんな状態も否定されるものではなく
今でもいいけど、良くなったらもっと良い
ものに過ぎないし
100の職場があれば、100の連携の在り方がある
というものだとも考えています。

チーム医療、多職種連携という言葉があちこちで聞かれていますが
何事もそうですけど
その時々の流行の言葉や概念に踊らされてはいけないと考えています。

 大昔ですが
 私の子どもが小学生の時に授業参観に行ったら
 教室の黒板の上に「個性を尊重しましょう」と大きく張り出されていました。
 授業中に誰かが発言をしたら
 子どもたちが一斉に声を揃えて「同じでーす」と唱和しました。
 それを見て、ゲンナリしたことを覚えています。。。

こういうことって、今も昔もあちこちで見られています。

もちろん、担任の教師に悪気があるわけではないし
チーム医療や多職種連携を声高に叫んでいる人たちにも悪気があるわけではありません。
むしろ逆に善意の人たちなんだとも思います。

でも、善意は怖いものです。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」
「地獄は善意に満ちているが、天国には善行が満ちている」
 という言葉を思い出します。

善意だけでは状態を改善できないどころか
逆効果になることも起こり得ます。

知識と技術の伴わない善意ほど恐ろしいものはありません。

概念の本質を理解せずに
言われていることに対して漫然と同調してはいけない

のではないでしょうか?

ケアやリハの分野で常識として言われていることの中に
概念の本質を吟味すると、とんでもない勘違いということはままあります。
例えば「褒めてあげることが大事」「なじみの関係を作る」などなど。。。
勘違いなのに流布しているということは、流布するだけの理由もありますが
概念の吟味をせずに同調しやすい基本的属性があるということを
自覚しておいた方が良いと考えています。

話を元に戻して。。。
そもそも、連携というのは何のため?
対象者のため
という原点に常に立ち返る。

連携を良くしようと声高に叫ぶよりも
まず、チーム構成員としてチームに貢献できるように
貢献を高めていくために
自身の知識と技術を磨くことの方がずっと大切だと考えています。


 

< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

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