ブリのポン酢焼き

簡単すぎて、レシピというほどのものではないですが
でも本当に簡単で美味しいので、ご紹介 (^^)

1)ブリを軽く湯通し水気を拭きとる
2)フライパンにごま油を熱し
3)ブリの両面に軽く焦げ目がつくまで焼く
4)ポン酢をブリの周りにザッと回し入れる
5)ポン酢を煮詰める
6)お皿に盛ったら煮詰めたポン酢を上からかけて出来上がり!

味付けもポン酢におまかせで良いし
おまかせの割に美味しいし
普通の照り焼きよりもサッパリしてでもコクがあって
時間もかからずにすぐにできるのでオススメです (^^)

 

水分拒否?失行!


情報収集の際には
必ずご家族お話を聞いたり
関係職種の記録を参照しますが
決して鵜呑みにはしません。

困っている場面を必ず自分の眼で観て確認をします。

知識がないために誤認したり見落としていることもあるからです。
また、暗黙のうちにご本人との関係性からその人が優先したい事項があると
優先事項の観点から誤認していることもけっこうあります。

「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。
 多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。」    
                           ユリウス・カエサル

まさしく。。。

「もともとはお茶が好きだったけど
 認知症になってからはお茶が嫌いになって」
「水分は拒否する方です」

水分補給の時間に確認してみたら
コップを手に取り、眺めているうちにひっくり返し、こぼしてしまったことに驚いています。
介助で飲んでいただこうとすると顔を背けてしまいます。

コップがわからない、扱えない

パッケージにオレンジの写真が撮影されている紙パックのジュースを買ってきて
ストローを刺した状態で手渡すと
一瞬の間を置いて、一気にごくごくとジュースを飲み干しました。

お茶を淹れたコップにストローをさして手渡すと
ストローからごくごくとお茶を飲み干しました。

お茶が嫌いなんじゃない
水分を拒否しているんじゃない

ご家族が「お茶が嫌いになって」と言うからには
ご自宅で使い慣れた湯飲みでもお茶は飲めなかったのだと思います。

認知症は
病状によっては、失行をきたす場合があります。

観念失行があると
手は問題なく動かせるのに、道具の使用ができない という症状が現れます。

知識がないと
見れども観えず になってしまいます。

特に、認知症のある方の場合には
気持ちのせい(嫌がる、拒否する)にされて
誤った評価、誤った対応が為されがちです。

必ず
事実を事実としてありのままに観察する
という臨床実践が最も重要です。

シリコーンミニスプーンが便利

 
意外なところで
介助用の良いスプーンを見つけました。

無印良品のシリコーンミニスプーン

ジャムや瓶入りの柚子胡椒をすくいきれるように買ったのですが
ある時、このスプーンを使ってゼリーを食べていてビックリ!

1口量を少なく
しなることなくきちんと下唇を押す力を伝えることができる
良いスプーンです。

値段もお手頃価格の290円!

足なり直角靴下といい
無印さんにも介護用に活用できる良い商品がたくさんありそうです。

?「実習は楽しく」

 

結果として
「いろんなことを学べて楽しかった!」
となれば良いとは思っていますが
「実習は楽しく」
「作業療法の楽しさを体験させてほしい」
というのは、ちょっと違うと感じています。

厳しくしろ、苦行させた方が良い
と言うわけではありません。
念のため。

昔は
とにかく作業療法士を輩出する
卒業したら第一線で働くことを念頭にした教育が優先されてきました。

若い人には信じられないと思うけど
私が学生の頃は、3年間の学生生活で
1年次に「見学実習」として
身体障害・精神障害・小児(発達分野のことを昔はこう言っていました)を1週間ずつ3箇所
2年次には「評価実習」として
身体障害・精神障害を3週間ずつ2箇所
3年次には「総合実習」として
身体障害・精神障害・小児を2ヶ月間ずつ3箇所
実習していたんです。

その時とは時代背景も変わり
作業療法士を取り巻く環境も変わってきています。

昔は作業療法士になりたい、なって叶える自身の夢と理想がありましたが
今は一つの職業として選択肢に入っている
進路指導の先生や親から勧められたことが直接のきっかけという学生も増えました。

実習指導のあり方や方法論も変わり
卒後養成の問題がそう遠くない先に明らかになると感じています。

それはもう、良い悪いではなくて
この現実を受け止めて、ではどうするか。と考えるしかないと思うのです。

今は、インターン実習でもせいぜい担当患者さんは1ケースですよね。
提出すべき課題もほとんどないし。
担当といっても、CCS:クリニカルクラークシップが導入されているから
実際は、評価治療の一連の過程を
責任意識を持って担当する機会がないと言っても過言ではないと思う。
学生である、有資格者ではないという法律的なことを考えれば
妥当な方法かもしれませんが。。。

その分、実習指導者の頭の中を学生の手足が実行する過程を通して
実習指導者の思考回路と実践を疑似体験する過程となったとも言えるでしょう。

この過程は
次の学生自身による主体的体験学習の場が用意されていれば
とても親切な体験学習の提供とも言えますが
卒前の養成過程にその場はありません。

卒後養成は
個々の職場の力量に応じて、きっちりと卒後養成のシステムを作っているところと
そうでないところと二分されていると思います。
協会主催の研修では、机上学習と事例報告、グループワークが中心となっています。
 グループワークは良い面もあるけど
 教えるべきことは教えられる人がきちんと教えないといけないのに
 グループワークで仮の達成感を与えてしまっているデメリットもあると考えています。
 これについてはまた別のところで。

そして多数の各種団体(営利団体も非営利団体も)主催の研修会は山ほど開催されています。

最も重要な
安全な環境下において、
対象者中心に考える
主体的にPDCAを回す体験学習を経験しにくい構造となっています。

安易なハウツー的思考態度の蔓延の遠因にもなっていると考えています。

実習において何をどのように体験学習しておくべきか。

昔は実習で直面・体験できていたことが
それは学生にとっても指導者にとっても厳しいことでしたが
今は実習で直面体験する機会が限られ
むしろ無自覚な双方の要請によって機会を忌避し先延ばししている。
とも言えます。

最も根本的な
対象者はどれだけ良くなりたいと切実に願っているか
ご家族はどれほど心配して良くなることを応援しているか
援助と強制・支配のすり替わりやすさ
善意に基づく言動が適切とは限らないこと
などなどを学生のうちに体験しておかないと
忙しい社会人となり、
ケースを担当することになり
結果を求められると同時に
思ってもいなかった厳しい感情処理を求められることになる
そういう事態がもうあちこちで生じているのではないでしょうか。

卒後養成の在り方が
本当に問われるようになっているのではないでしょうか。

実習は楽しく
作業療法の楽しさを体験する
と言うのは、将来の作業療法士確保のための外向きのPRとしては良いけれど
作業療法の質の向上・担保としては、どうなんでしょう?

対人援助職としての在りよう、その厳しさもしんどさも喜びも
安全な環境下で実感しておくことができると
職業人として目の前のことに忙殺されるだけではなくて
(それは無意識下で忙殺されたがっている面もあると思います)
ちょっと踏みとどまれることもあるんじゃないかと思っています。

ケアの幅が広がる知識

 

観察に必要な知識>ケアの幅が広がる知識を更新しました。

今回、更新したのは「再生と再認」です。

 

検査・バッテリーの偏重

 

作業療法の世界でも
知識と技術の蓄積が進んだからこそ
ハウツー的思考も蔓延しているんだと感じています。

その一つが
検査・バッテリーの偏重です。

研修会に行くと
「評価」という項目があるので、期待して聞いていると
バッテリーの紹介がされて終わり。ということによく遭遇するようになりました。

科学的ということを誤解していると感じています。

なるほど、医師は診断するのが役目ですから
検査・バッテリーをきちんと行うことになるでしょう。
その時の状況で「何ができないのか」「何が標準から乖離しているのか」
を明確にすることが求められています。

ところが
私たち作業療法士の役目は援助です。
そして
認知症のある方はその疾患の定義上、新しいことは覚えられないのですから
できること、能力を見出し、より合理的に発揮できるように援助することが求められます。

検査・バッテリーを取ることを否定はしません。
必要な検査・バッテリーは取るべきだとも考えていますが
取って終わりではなく、取った結果をきちんと解釈し評価に統合すべきです。
検査やバッテリーからは、援助の方向性を導き出すことは叶いません。

できないことをどれだけ詳しくわかったとしても
できるように援助することはできないのです。
新しいことを覚えられないのですから。

検査やバッテリーは、評価過程の元となる情報収集にすぎません。
そのことを混同している作業療法士があまりに多いように感じて残念に思っています。
つまり、評価とは何ぞやということを言葉にして教えてくれる人
体験学習を促してくれる人が少ないのだろうということを示唆しているからです。

だから
ハウツー的思考回路で対処しようとするしかないのだろうと感じています。

だから
過剰に「作業療法は素晴らしい」と語ることで自己武装しているのかも。

同時に
検査・バッテリーを偏重することで
科学的な評価だと自己武装しているのかも。

本当は
科学的なるもので武装するのではなく
自らの観察・洞察という内面を科学的であるように努力することが大切なのに。

「千里の道も一歩から」

まずは
認知症のある方の能力を見出せるように
見出せるために観察できるように
観察できるために知識を習得できるように

このサイトは
日々の臨床に誠実に向き合う人を応援するためのサイトです。

それは
かつて若い頃の私が切実に求めていたものでもあります。

 


?「あぁも考えられる。こうも考えられる」

 

いまだに聞く言葉です。
「あぁも考えられる。こうも考えられる。」
これは評価過程とは真逆の思考過程です。

通常は
まず、考えられない面を否定していきます。
「これは違う」
「これも違う」

同時に
事実を虚心坦懐に観察していれば
自ずと可能性は限定的に絞られてくるものです。

実習生には邪推はするな
確信を持って言えない時には、判断を留保するように教えています。
そして、確認を持って、言い換えれば根拠をもとに明言できない時には
情報不足なんだから、まずは情報を集めなさい。と指導しています。

私は実習にいった時に
判断の責任を負うことの怖さと
自分のことをよく知りもしない人に勝手に邪推されたら嫌だろうな
と思ったものです。

私は決して優秀な学生ではありませんでしたが
今思えば根っこの大切なところは押さえていたんだ
そういう学び方を援助してもらえていたんだと感じています。

対応がわからない時には
評価に立ち返る
評価が明確でない時には
情報収集に立ち返る
情報収集で最も重要なことは観察です。

観察できるように
知識を習得する。

同じ場面を見ても
そこから得られる情報の質と量は、
プロとそうでない人とでは雲泥の差が生じてしまいます。



「暮らしの支援いろいろ」更新しました

 

 
「暮らしの支援いろいろ」更新しました。
ポイントは、言葉の説明に頼らず
操作する対象そのものに、「何」であるのか「どう扱うか」を語らせる
という工夫をすることです。

 

「目標設定」追加しました

 

古くて新しいもう一つの課題「目標設定」

今の日本の作業療法士の中に
明確に目標設定を説明できる人は
実は、それほど多くはいないと感じています。

先輩方の説明に納得できず
悶々とした思いを抱えている人へ向けて記載しました。

目標設定について
目標の3要件良い目標の3要件目標設定の練習法をまとめてあります。

言葉にはしないけど
「目標なんてそれなりに書いてあればいいのよ。
 大事なのは実践なんだから。」
と思ってる人はいませんか?

残念ながら、それはあり得ません。

目標というカタチの担保が、臨床実践という質の担保につながるのです。

絵本でみる作業療法<解説編>

奈川県作業療法士会の公式ウェブサイトにある
「絵本でみる作業療法<解説編>」において「冬の麦わら帽子」を解説しました。

ウェブサイト管理委員会からのご依頼で
対象は一般の人、特に進路を検討している高校生に向けての解説ということでしたので
そのあたりを念頭に置いて
できるだけ専門用語を使わずに
対象者の立場と作業療法士の意図の両方について記載するようにしました。

よかったらお立ち寄りください m(_ _)m