助けることで助けられる

  

この本は大好きなとても大切な本で
折につけ繰り返し読んでいる本なので

だいぶ年季も入っていますが (^^;
その都度新たな発見もあり、私の宝物です。

  

「 ゲド戦記 IV 帰還 」の中で、
コケばばは、確かに魔法使いではないけれど
魔法使いとそうでない人を見分ける目は持っていたし
村の人たちを助けてもいた。
テナーとテハヌーとゲドも助けていた。

かつて大魔法使いとして
たくさんの人々を救い導いてきたゲドが
魔法使いとしての力を失い
ただ一人の人として生きることの困難を乗り越える過程で
テナーとともに、テハヌーとカレシンに命を救われる。

「帰還」の最後では
ゲドとテナーとテハヌーが
今度はコケばばの命を助けます。

ゲドはコケばばを助けながら
同時に周囲の人をも助けることを考えます。
そこで呟く言葉があります。
「なぜ、わたしたちはこんなことをするんだろう?」

この言葉は若い時の私にはわからなかった。
でもなぜか心に残った言葉で
最近になってようやく意味がわかるようになってきました。

本の最後はテナーの言葉で締めくくられます。
「わたしたち、あそこで暮らしていけるわ、きっと。」

暮らそう、ではなくて
暮らして「いける」

私はこの本のラストシーンが大好きです。
朝日の中でテナーが静かに呟くこの言葉。。。

すべての人への応援歌になっていることを感じます。

日々の暮らしが
時間という縦軸と
人との関わりという横軸とで
紡ぎ出され織り合わされていく。。。

今日は久しぶりにゆっくりできそうな休日だから
これから読み直してみよう (^^)

  

  

深きは深きを知るもので

「深きは深きを知るもので」

この言葉は
私が大好きな「 ゲド戦記 IV 帰還 」に登場するコケばばの言葉です。

ヒロインのテナーが
「魔法使いは、どうして相手が魔法使いだとわかるの?」
と尋ねた時のコケばばの答えです。

私はこの言葉に触れた時に
本当にその通りだと感じ、
以来大切にしてきた言葉でもあり、支えられた言葉でもあります。

ちなみに
私が大好きなのは原作の「ゲド戦記」で、映画の「ゲド戦記」ではない
ということを申し添えておきます。

コケばばの言葉は続きます。
「だけど、わしの方に見る目がなかったら、相手に目があるかどうかは言ってくれなきゃわからない。」

昨今の研修会では
認知症のある当事者の方の講演や介護ご家族の講演が増えています。
当事者やご家族の言葉から学べることは多々あることは強く実感できます。

でも、「とても良いお話だった」で終わってしまうのは、すごくもったいないと感じています。

講演という場で聞いたことと同じことは
他の認知症のある方と自身との間でも起こっていることです。

講演を聞いたことをきっかけに
目の前にいる認知症のある方やご家族からも学べるようになったら
どんどん輪が広がっていくと思います。

言葉にして語ってくださった方の思いと努力は
その方固有のものではあるけれど
同時に他の人だってそれぞれに固有の思いと努力をしていらっしゃる。

言葉にして言わなかったとしても。

認知症のある方の状態を観察・洞察できれば
その方がどんな風に頑張っていらっしゃるのかが
身に染みてわかるようになります。

対人援助職のプロとして
適切な援助ができれば
同時に
もうひとつの言葉である行動から
その人それぞれの思いと努力を聴きとれる。
その人のすごさが身に染みてくる。。。

援助することが励まされることにもなる所以だと感じています。


啓蒙と善意の先

今年はcovid-19のために自粛が相次いだとはいえ
昨今いろいろな団体がいろいろなところで認知症啓蒙活動を開催しています。

世の中にはまだまだ誤解と偏見が残っていますから
啓蒙活動はこれからも必要だと思います。
ただし、啓蒙すれば良い、一件落着とはとても思えません。
啓蒙の先にこそ必要なことがあると考えています。

例えば、啓蒙によって
「認知症があってもなくても人に親切にすることは当たり前のことだ」
という普遍的なことの再確認ができるようになった人たちが
認知症のある方に優しく接してみた結果、
怒られたり怒鳴られたり抵抗されたり、
あるいは日々の暮らしを援助しようとしたのに
抵抗されて援助できなかったりする
というケースも水面下では増えてきているのではないでしょうか?

正確に言えば
今までは偏見に基づいた対応をしていた人たちが
普通に接するようになったけれど状況はたいして変わらない
という現実を再確認している人たちが増えているのではないでしょうか?

実際、専門家と称する人たちだって対応に困らない人はいないと思います。
私は複数の機関で研修会を企画・運営する立場でもありますが
研修会終了後のアンケートをとってみると
研修会開催テーマの希望は、「対応について」が圧倒的に多いという現実があります。

つまり、認知症のある方に対して基本的態度を守って
優しく接するだけでは対応の困りごとが減るわけではない。
ということです。

また、啓蒙の場でよくあるパターンが
「認知症のある方を理解しよう」
というものですが
その通りに実践してみた介護ご家族の本音として
「理解したって私たち家族の困りごとが減るわけではない」
という声を見聞きしたことが何回もあります。

それは本当にその通りだと思うんです。
ただ、要請された理解の方向性が違うんだと感じています。

仕事として従事している人にもできないようなことを
介護家族に要請することが間違っているんだと考えています。

本当の理解は
仕事として従事している人にとっても
ご家庭でケアしているご家族にとっても
役立つことはあっても無意味なことなんて決してありません。

気持ちの先に求められているものは
本当に役立つ理解と実践なんだと感じています。

本当に役立つ理解と実践が提示できなければ
「挑戦してみよう。やってみよう」と思った
善意ある人たちの意思をくじいてしまいかねず
善意の気持ちが強ければ強いほど無力感に苛まれ
自分の心を守るために反転してしまうということは容易に起こり得ます。
その矛先が自分に向かえば、介護うつやバーンアウトといった形で現れ
その矛先が相手に向かえば、心身の虐待となって現れます。
虐待について表面的に悪いこと、してはいけないこととして認識・対応されるだけでは
水面下での隠蔽された虐待が増えてしまうのではないでしょうか。
最悪のケースとして、究極の虐待であり、加害者と被害者の立場に同時に立たされる
介護殺人という形になって現れるケースが増えてしまうのではないでしょうか。

善意を支えるためには
他者とのつながりだって必要でしょうけれど介護者の特性によっても異なります。
他者からの励ましによってエンパワメントを受けやすい人もいれば、そうではない人もいます。
後者にとっては、自身の無力感に直面するような日々は一層厳しく感じられると思います。

啓蒙も必要でしょう。
善意の気持ちだって必要でしょう。
でも、それだけで解決できるわけがありません。

これからは
啓蒙と善意の先にあるべきもの
そして現状ではまだ明確化されていないものが
切実に求められるようになってくると確信しています。

良くなるとはどういうことか

「良くなる」という言葉には、誤解も伴うと感じています。

例えば
食事介助において
「次々と口の中に食塊を入れられる介助をされても
すぐに開口することができるようになった」
という状態は、「良くなった」と言えるのでしょうか?

摂食・嚥下5相の機能解剖を頭に入れて食事介助をしている人なら
上の文章を読んだだけで胸が痛くなってしまうと思いますけれど (> <)

「良く咀嚼するので口腔期が長めの方」や
「喉頭を2回挙上することで完全嚥下する方」が
すぐに開口するようになったら
今、その場ではムセることもなかったとしても
数ヶ月後にはムセやすくなってしまうことが多々あります。

短期的には良くても長期的には良くない、どころか逆効果、かえって悪くなってしまう。ということは、食事介助の場面をはじめとしてさまざまな場面で良く遭遇する、現場あるある問題のひとつです。

ところが、
「短期的に良い、その場では問題ない、その上介助がしやすくなった」
という場合には「良くなった」と認識されやすい傾向がある
しかも、その結果として長期的に悪くなった時に
対象者の病状悪化と誤認され、介助の適切さについて振り返りが為されにくい
と感じているのは私だけではないと思うのですが、いかがでしょうか?

この考え方の典型例は
登校拒否のお子さんに、とにかく学校に来るようにあの手この手で登校を促すという、一時期よくあった対策?です。さすがに今のご時世ではもうないでしょうけれど。。。

「介助者の都合に合わせてくれる=良くなった」
というのは、本末転倒で危険な感じ方だと考えています。

本当に良くなるということは
「能力を合理的に発揮できるようになり、結果として介助もラクになった」
ということではないでしょうか。

先ほどの登校拒否のお子さんの例で言えば
登校拒否する必然が解消された結果として、学校に行けるようになった
というのが、本来の良くなったという意味に当たると考えています。

「自分の介助に従ってくれる=良くなった」
というのは、援助ではなく使役に基づく感じ方です。
本質的なところがズレている。
真逆になっています。

認知症のある方への対応の工夫で
ハウツー本が売れたり、ハウツーを伝える講演やサイトに集客が多い現状は
それだけ対応に悩む人の多さを反映してもいるのでしょうけれど
根本的に、本当に怖いと感じています。

援助と使役や尊重と迎合の違いについて
実習や新人の時に悩まなかったのでしょうか?

理念は唱えるものではなく
自身の実践と照合しながら模索するのだと学ぶことがなかったのでしょうか?

対人援助職でありながら
ハウツーを当てはめる在りように疑問を抱くことがなかったのでしょうか?

この広い日本に
悩みながらも悩みを共有できず、苦しんでいる人はきっといると思います。

かつての私もそうでした。
現行の在りようや提唱されている方法論に違和感を感じても
どこがどうマズいのかは、わからない
どう変えたら良いのかも、わからない
その時は、とても苦しかったです。

今、悩んでいる、困っている人は、どこかにきっといる。

だからこそ、
このサイトを公開する意義があるし
このサイトを読むに値すると感じてもらえるように頑張らねば。と思います。

今の1手間が未来の半手間

今の1手間を惜しむと
今はよくても
数ヶ月後になって
惜しんだしっぺ返しが5手間6手間にもなって戻ってくる。
というのは、現場あるあるです。

忙しいのであれば、なおさら
1手間を惜しまない方がいいです。

たった1秒で雲泥の差ということは山ほどあります。

かけた1手間が適切であれば
数週間後には半手間で済むようになる。

検討すべきは
どう手間を省くか、ではなくて
いかに適切なテを打てるか
に尽きます。

どんな仕事でも同じだと思うけど
後手に回ったら何もできない。
先手を打っていかなければ。

今の医療保健福祉の分野で
ヒマな人は、まず1人もいないと思う。
みんな今抱えてる仕事で忙しいはず。

だから、大仰な手間は難しくても
1手間なら時間もエネルギーも捻出できることってたくさんあるし
半手間になれば、今よりも楽になるんだもの。

本当の問題は
1手間すら惜しい。のではなくて
「適切な」1手間がわからない。というところにあるんじゃないかな。
そこに向き合うのが不安なんじゃないかな。

作りながら考え中

   

大まかな構想は、かなり前からあったのですが
実際にサイトを構築してみると
わからないことや、やってみたいことが湧いてきて
う〜ん。。。サイト完成にはもう少し時間がかかりそうです。。。

  

凄いヤツは最初から凄い(ごむてつ)

皆さん、はじめまして。ごむてつです。知ってる人もいるかもしれないけど。

この度、昔からの盟友、よっしーさんのサイトにブログを開設させていただきました。これが初めての投稿になります。OTとなってから35年、辞めてからは20年以上になりますが、専門は精神疾患で今もセラピーの仕事はしています。

既に還暦を過ぎて、高齢者になりつつあり、歳も歳なので当然のこと、話があちこち飛んで、昔語り、自分語り、くどい話が多くなりますが諦めてご容赦下さい。
いつの世も「今どきの若者は…」と苦言を呈するジジイがいたものですが、昨今は若い人が「今どきのジジババは…」「団塊の奴らは…」などど言うようになったので、ひねくれ者の私としては古典的なヒヒ爺になってやろうと思っています。てなわけで、よろしく。


ところで唐突ですが自転車の話です。私はOTになる前は自転車屋だったので。

古くからの自転車マニアなら誰でも知っているはずだが、K名人という自転車のフレーム製作家がいる。彼を知る業界人やマニアは皆、昔からKさんとは呼ばずK名人と呼ぶ。
私も半世紀前の中学の頃からそう言ってた。
彼は20歳そこそこで溶接の職業訓練校を出て、T製作所という老舗であり名門とも言われる自転車工房に就職した。
新人ではあるが、最初から製作レベルの向上のために高給で雇われたようである。
当時のT製作所は老練の職人が何人かおり、競輪など競技用の自転車を製作していた。

T製作所の自転車は実際にプロ(競輪選手)の道具として使われており、当時の日本の状況では決して悪いものでは無かったが、ヨーロッパの一流選手が乗る本場イタリアの工房が作ったモノとは歴然としたレベルの差があり、1964年の東京オリンピックに海外から持ち込まれた出場車と比べてもそれは明らかだった。
それまで自転車や部品は、まだ輸入が自由化されていなかったのである。

彼が就職して何年もしないうちにT製作所の自転車のレベルは格段に向上し、K氏は20代半ばにして押すも押されぬ名人と呼ばれるようになった。
彼を採用し、2~30歳も歳上の職人を指導する権限を与えたT社長もまた「慧眼の人」であった。
当時の職人の世界はもちろん徒弟制度、年功序列である。反発して辞めたベテラン職人もいたかもしれない。
日本の作業療法発足とほぼ同時期の1960年代半ばのことだった。

K名人は30歳を過ぎる頃には独立した工房を持ち、その頃からは製作よりも製作指導を主として活躍し、その後は優れた職人を輩出した。弟子の多くは彼と同世代であり、その後はそれらの人が活躍により業界全体レベルの向上にもつながった。
K名人が作った自転車はツールド・フランスにも出場し、一流のイタリア工房製に比べても勝るとも劣らないという評価を受けた。
学歴は乏しいものの勉強家でもあり、 材料工学等は大学院以上の学識も身につけており、アートの素養もあった。そうでなくてはあんなに美しい自転車は作れない。
その後は自転車研究家となり、高齢となった現在でもたまに製作しているようである。

K名人、1969年の作品

業界人でもあり昔からの彼の友人でもある人は「凄いヤツは最初から凄いのだ」と言う。

一方、私が最初に中学1年の時にHさんと言う職人に注文製作で作ってもらったサイクリング車は、ガキの眼からも見てもレベルが低く、大いに失望させられた。
その時、既にその職人は20年ほどの経験があり、K名人より10年以上も先輩で業界では名も知れていたのだが。
その後も20年以上は、Hさんも作り続けていたが、お世辞にも良い作品ではなく、あまり向上もしないばかりか、年齢的な衰えもあってか、だんだん腕も落ちたようである。

駄目な人はいくら経験を積んでも向上しないのだ。

おそらくK名人のような人は天才と言えるだろうが、もちろんそういう人は少ない。
しかしその一方、彼の陶薫を受けた弟子もK名人とさほど遜色のない優れた製品を作っている。それらの人は努力型であり、自分一人ではそこまでは到達できなかったと思う。

イタリアの名車に追いつき追い越そうとしていたようで、それはほぼ独力で達成したと追う。しかし、天才にも弱点はあって、運動学的なことを知っていたわけではなさそうで、教義の経験もなかった。弟子は競技経験者が多く、運動学的な素養はなくとも経験則で顧客(選手)の意見を聞いて、アドバイスもしていいた。 わかたっようなことを言う人もいただろうけど、結果につながれば良いわけだ。勝負師はゲンを担ぐ。

おそらくこうしたことももあってか、独立してからは競輪用の自転車は作らず、同時に製作の指導に力を入れることにしたようだ。天才は謙虚でもあり、分かったことは言っても、決して「わかったようなこと」は言わない。わかったことを実践し、また実践から他の人がわからないことも得ることができるのだ。

ちなみに私にも「最初から凄い」天才的な師匠がいる。出会ったのは22歳の時だが、弟子にしてもらったのは36歳の時だ。OTの師匠ではなく、心理療法・精神分析の師匠である。
率直に言えば、弟子にしてもらうためにOTになったようなものだ。
手ぶらでは「弟子にして下さい」とは言えない。「お前なんか駄目だ!」と言われたらお先真っ暗だ。正確に言えば、私からは言い出せず向こうから「お前、治療がしたいんだろ?弟子にしても良い」と言ってくれた。お金も随分使ったし、たいへんだったけど、それしか生きる道はなかったと思う。

OTの世界ではどうだろうか?
おそらく前者のような天才は1%もおらず、後者のような努力型の人も、今のところ事実上2~3%かそんなものではないだろうか?
総じて言えばホントの専門家、プロと言えるような人は5%にも満たないのではないか?
知らんけどな。

専門家・プロならば少なくとも殆どの人、95%以上は素人が逆立ちしてもかなわない技術や能力を持っていなくてはならないと思う。職業人とはそういうものである。しかしOTの世界は逆で95%は素人と大して変わらない、と言ったら怒られそうだけど。

日本のOTはこれまではあまり恵まれなかった。
当初、当時の事情では指導する人がいなかったのはやむを得ないことだ。米国で勉強した2~3の人や、米国から呼んだ指導者を専門学校の教官にしたが、それらの人もまだ学校を出たばかりの駆け出しで、熱意はあっただろうが、もちろん日本語もできない。

初期のOTは、臨床家になるための良い指導を受けていない人が、その後指導者となっている。
師に遇わざるを「不遇」と言うそうだが、その意味では日本のOTは「不遇」であった。
協会の役員や大学の教官などのエライさんや、論文・著作等でも有名な人であっても、実際には臨床能力があまりに乏しく、レベルが低すぎる事実を知って、唖然としたことは正直言って何回もある。

それらの人は弁が立ち、実務能力に長けてはいたが、臨床家的な職人気質の人は少なかったようだ。業界の拡大やOTの地位向上には大いに貢献したが、臨床能力の向上にはあまり貢献できなかったと思う。

とりあえず「経験○年」というのは止めようではないか。
もちろん経験年数ではなく経験の内容や質が問題である。

昔勤めていた職場の飲み会の時、私の目の前で、ある酒癖の悪いOTが「俺のほうが経験年数が長いんだからな」とマウントを取るように別のOTに絡んでいたことがあった。絡まれた方が臨床的にも学問的にも優れているのは明らかで、要は経験年数以外は自分の方が下だということだ。
絡んだ方のOTは年齢的には1~2歳下で、OTの資格を取ったのは10年も早いのに、病院勤務は長くとも臨床能力は乏しいとしか思えなかった。

既に両者とも大学を定年で退官しているが、絡まれた方のOTはその後もあちこちの大学や講習会などでも講師として引っ張りダコ、著作は多くの大学で教科書としても使われている。絡んだ方のOTの活躍ぶりは推して知るべしだ。

「OTはわかってもらえない、認めてもらえない」という不満もよく耳にするが、認めてもらうならまず実力を身につけ、結果を出すことが必要だ。
結果を出しても否定する人も認めない人も当然いるが、世の中そういうものである。
プロの仕事が、そう簡単にトーシローにわかってたまるか!

認めてもらうよりも必要なのは、それぞれの臨床的能力の向上、業界全体レベルの向上で、話はそれからだ。
「皆が低けりゃ怖くない」
もしかするとこのまま行けば、百年経っても大してレベルは向上しない可能性もある。

ビートルズだって若い頃から人気があっただけでなく、実力もあり創造性豊かな優れた音楽をやっていた。今から聞いても良いものであり、フォロワーも多く、これからも教科書に載り続けるだろう。
比較の問題ではないにせよ、何十年音楽をやっても若い頃の彼らを超えた人はどれだけいるだうか?
彼らの真似をする人が多かったが、その上でいろいろなことが行われ現在の音楽があるのだけど。もうやり尽くした感じも無きにしもあらず。

人間を直接相手にする仕事の恐ろしいところは、経験を積んだから言って技能や能力が向上するとは限らず、逆に退行・退化することさえ多いことだ。
しかも、レベルの低い人はそのことに気づき難く自覚に乏しい。当然のこと、その後経験を重ねても向上の可能性は小さい。

職人の話なんて関係ない、とは思うことなかれ。OTなどの医療職は人間相手の職人である。

ところで自転車のことですが、私の専門は精神疾患だしOTは辞めたのだが、運動学その他のOTとしての知識を生かして、近年(主に間接的にですが)革新的な自転車の開発に関わりました。それは既存のものと一見大きく変わるわけではありませんが、効率がよく疲れ難く、楽に安全に楽しく走れる画期的な自転車です。スピードさえ求めなければ多くのメリットがあり、高齢者も含めて人々の健康の増進にも役立つものです。

元OTの自分にとって、OTを辞めても知識や経験が活かせることはたいへん有り難いことです。
でも、基本的にはOTになる前の若い頃から考えていたものです。
こんなことをやっても何になるんだ?と疑問や落胆、葛藤があっても、若い頃にやったことはどんなことでも、必ず後々役に立ちます。これは若い人にはぜひ伝えたいことです。

近いうちにその自転車についての記事も書くつもりです。今後ともよろしく。

By ごむてつ

ごむてつ君のブログ – OT佐藤良枝のDCゼミナール (yoshiemon.info)

セルフ・セラピー研究所

「認知症のある方も食べられるようになるスプーンテクニック」

日総研出版さんより
「認知症のある方も食べられるようになるスプーンテクニック
食事介助はコミュニケーション」

が、発売されました。

前著「食べられるようになるスプーンテクニック」の増補改訂版です。

あるようでないのが、知識と観察と実践を結びつけた記載です。

知識だけとか、単に表面的な成功例だけを記載してある本やサイトや論文は多々ありますが
知識を活用した観察とは何か、観察とはどのように行うのか、必然性のある実践とその思考過程について書かれてあるものはなかなかありません。
記載がないということは、意識化された実践が為されていないということを意味しています。
だからこそ、この本を世に出す意味があると考えました。

写真やイラストを多用しているので
大切なポイントが具体的に分かりますし
なぜ、そうするのか、そうしてはいけないのかが理由とともにわかります。
自分のしているスプーン操作が良いのか悪いのか、どう修正したら良いのかがわかります。
その意味で食事介助を初めてする人にとって、わかりやすい本だと思います。

職場で新人さんに指導する立場にある人にとっては
「こういう時にはこうするといいのよ」「そのうちできるようになるわよ」という指導を卒業して
「どこをどうするのか」具体的に明確に教えられるようになる、そのための根拠が参考になると思いますし、同時にご自分の実践をさらに深め掘り下げるきっかけにもなると思います。

そして何よりも
今自分のしている食事介助になんとなく違和感を感じているけれど
どうにかしたいけれどどうしたら良いのかが皆目わからずに
困惑しながら苦しみながら食事介助している人にとっては
「漠然と感じていたことがはっきりと言葉にして書かれていた」
「自分が感じていたことが間違いではなかった」
と感じられ、もう一度目の前にいる方の食事介助に真正面から向き合うことをサポートすることにつながると確信しています。

たとえ、不適切な介助であったとしても
その介助に必死になって適応しようとして
毎日毎食食べている方の余分な困難が少しでも減って
一人でも多くの方がより楽に安全に味わいながら食べられることを願って書いた本です。

本当は怖い食事介助

食事介助の奥深さ

そして
本当に言いたかったことは
食事介助の場面で起こっていることは
他の場面でも起こっている
しかも無自覚に
ということなんです。

そのことは、別の記事でいずれまた。


ちなみにこちらの本は
公立図書館や大学図書館にも置いていただいているようです。

私が確認できた図書館

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 山梨大学 附属図書館 医学分館
 和歌山県立医科大学 図書館 三葛館
 神奈川県立津久井高校
 

出版社には問い合わせが多数あるとのことでした。
図書館に置いていただけるのは、すごく嬉しいことです。
図書館は、学びの場ですもの。




オンラインセミナーのお知らせ

日総研さんのオンラインセミナー(録画配信)のお知らせです。

「認知症のある方が食べられるようになるスプーンテクニック・観察・評価」

お申し込み締め切りは、1月15日(金)まで

配信期間は、12月21日(月)〜2月1日(月)までと、たっぷり6週間あります。
配信期間中なら、何度でも繰り返し視聴できるから、聞き落としを防げます。

他ではなかなか得られない
知識と観察と実践を結びつけた内容です。

どうぞ、ご検討ください m(_ _)m


サイト構築中

認知症のある方の暮らしの援助に従事している方やご家族に向けて
本当に役立つ情報を提供することを目的として、サイト公開の準備を始めました!