口腔期のリハ:2項関係で実施

 

認知症のある方に対して
食事以外の場面で食べ方を練習することもあります。

介助に対して適応することが難しい方もいるのです。
自力摂取を目指す方が良い方もいます。
 
特に
前頭側頭型認知症のある方や
性格的に意思表示がきっぱりしていて
自主独立の生き方をしてこられた方は
介助というカタチで他者の介入をすることを嫌がります。

  特性の判断についても
  介助していればわかるものです。
  「もしかしてお若い頃からご自身の考えを明確に持った
   すごくしっかりした方でしたか?」
  「もしかして慎重な方でしたか?」
  とご家族に確認すると
  「えぇ、そうなんです」「その通りです」と驚かれることもよくあります。

  こちらの介助への反応の仕方
  例えば口腔ケアへの拒否の仕方も評価の根拠となる大切な情報です。
  「拒否=問題」として捉えたり
  「拒否=辛い、困った、嫌」としてしか受け止められないと
  大切な情報を取りこぼしてしまいます。

そのような場合に
食環境調整として、
イマ、ラクに、食べられる対象を適切に選択することが大切です。

認知症が進行すると
impairment面への直接的な抽象的なリハは難しくなります。
例えば、舌の突き出しや左右へ動かすなどの個別の動きを
セラピストの指示通りに動かすことが難しくなります。
だからといって、リハができないわけではありません。
disability面へのアプローチなら可能なのです。
結果として、舌の多様な動きが担保できるようになれば良いのです。

セラピストは直接介入せず
食べる対象を適切に選択することで
認知症のある方が対象に適切に対応することを促す
つまり、2項関係でのリハを行っているのです。
認知症のある方の食べ方のリハも身体的なリハもポイントがあって
それは「3項関係化しない」というものです。

  3項関係というのは
  「指さし・手さし」の記事 で説明してありますのでご参照ください。

食事とはまったく関係のない状況で
「舌を前に出してください」という指示に従って行動してもらう
ということは
「舌の動き」をその方の身体から切り離して対象化させる指示です。
「自分」と「舌の動き」と「セラピスト」という3つの対象、3項関係を認識・実行することは難しくなってくるのです。

自身の身体の動きには、敢えて着目させない。
手続き記憶を活用することがポイントなので
自然に、無意識に、身体を動かせるように
身体の動きは身体に任せられるように

手続き記憶の良い面を引き出せるように
エラーレスラーニング、誤りなし学習が大切です。
頑張らなくても食べられる!食べられた!という体験を積み重ねます。

そのために
「何を食べるか」の選択が重要です。

2項関係でリハを実施する
外から見ていると、ただ食べさせているだけ
って見えるかもですが
その裏にはたくさんの思考過程を踏んでいます。

私がよく使っているのは
「かっぱえびせんの小袋4連タイプ」と「アイスの実」
いずれもスーパーで100円前後で購入できます。
いざ必要な時にすぐに対処できるように
控室の冷蔵庫にストックしてあります。


口腔期の練習でソフト食前段階にある方には、「アイスの実」を使います。
その方に応じて、1口量を1粒の1/4カットにしたり、1/2カットにしたり、1粒へと段階づけます。

口腔期の練習でソフト食を卒業できそうな方には、「かっぱえびせん」を使います。
その方に応じて、1本を1/3 にしたり、1/2にしたり、1本そのままで提供したり段階づけます。

詳細に観察できれば
明確な洞察が可能となり
細かな食形態の選択ができるのです。

外から表面だけ見て
「ただ食べさせてるだけじゃん」
という人が私の行っていることを再現できないのは
観察の量的・質的な違いにあります。

わかる人にはわかるけど
わからない人には、どう説明したってわかりようがないのです。。。
「わっかるかなぁ〜?わっかんねぇだろうなぁ〜」
というわけです (^^;

今はまだ少数派のわかる人たちが
実践してその知見を蓄積し広めることで
何十年か後の対応が大きく変わることを確信しています。

スプーンテクニックという言葉がない30年以上前から私が提唱してきたことが
今、多くの人の手によって広がりを見せているのと同じように。

舌の硬さ:スプーンテクニックで予防・改善

スプーン操作を見直すべき兆候をまとめました。
もしも、対象者の方が下記のような食べ方をしていたら
介助者側の不適切なスプーン操作の結果ですから
ぜひ、ご自身のスプーン操作を見直していただきたいと思います。

・・・ スプーン操作を見直すべき兆候 ・・・・・・・・・・・

 
  <開口した時>
  ・舌が奥に引っ込んでいる
  ・舌が硬くなっている


  <食塊をとりこむ時>
  ・顎が上がっている
  ・上唇を丸めずに閉じている
  ・口角から食塊がこぼれ落ちる
  ・引き抜いたスプーンに食塊が残っている
  ・正面ではなく介助者の側に頭部を回旋している


  <食塊が口腔内にある時>
  ・咀嚼・送り込みに時間がかかる


  <食塊を嚥下する時>
  ・喉頭が完全挙上しない
  ・喉頭が複数回挙上する

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


詳細は こちら で説明してありますのでご参照ください。

上記のような食べ方をしていないということを
最低限、担保して初めて、その上で
適切な食べ方を援助することが叶います。

現実には
卒前卒後を問わず、してはいけないスプーン操作について
そしてその理由についてもきちんと教えてもらっていないがために
美味しく食べていただきたいと願いながらも
結果として不適切なスプーン操作をしてしまい
対象者が食べづらそうにしていると漠然と思っても
どこがどうなっているのか、なぜそう感じたのかを言葉にできず修正もできず
悶々とした日々を送っている人も多いのではないでしょうか?

舌が後方へ引っ込んだり、板のように硬くなってしまうのは
介助者がスプーンを口の奥の方に突っ込んだり
上の歯や歯茎で食塊をこそげ落としたり
口の中に食塊を入れてしまうような
スプーン操作を行うことで引き起こされます。

ところが、食事介助の現場では
ムセの有無や大小は気にしても
自身の介助方法を気にする人は少数派です。
教えてもらっていないがために
不適切なスプーン操作をしていても自覚することができません。

生活期にある方は、食べにくいと感じても
その食べにくい介助に適応しなければなりません。
一日3回の食事+午前午後の水分補給と
不適切な誤った介助方法であったとしても適応するしかないのです。

舌が板のように硬くなっている方でも
前舌をしっかりと押してあげる操作を
食事介助の場面で毎回毎回繰り返し行うことで
しなやかさを取り戻すことができます。

前舌をしっかり押すと
作用反作用の法則で、押された反作用として舌尖の跳ね返りが起こります。
板状となってしまった舌にもう一度「動きの再学習」を伝えるのです。

喉頭挙上のタイミングが良い方で完全挙上ができる方であれば
自分自身のペースで摂取できるように
ストローで飲み物を摂取していただくと
綺麗に送り込みができて、ムセもなく喉頭完全挙上しながら
飲める場面を目にすることができるでしょう。

介助が必要であれば
口腔期の負担を減らせるように
ツルンとしたテクスチャーのゼリーなどを少量提供すると
スムーズに送りこめて、喉頭も完全挙上できる場面を目にすることができるでしょう。

このあたりの判断は
その方の口腔期と咽頭期の能力と困難の兼ね合いとなるので
一概にどうすべきかは言えません。
目の前にいる方の食べ方をきちんと観察し
食べ方に反映されている能力と困難を洞察すれば
適切な食形態と介助方法が自然と浮かび上がってくるものなのです。

咽頭期の問題、例えば
喉頭挙上のタイミングのズレ、遅延、挙上の可動域の少なさ
が咽頭期本来の問題のことは実は非常に少ないのです。
この辺り、現行の摂食・嚥下の知見が嚥下反射に囚われすぎていると思います。
おそらく、もともとはCVA後遺症をベースに知見が蓄積されてことに
関係していると思っています。
喉頭が不完全挙上しかできない方でも
適切なスプーン操作を繰り返すことで完全挙上できるようになったり
バラバラのタイミングで複数回挙上してようやく完全嚥下していた方の
タイミングが整ってきて〇〇秒ごとに〇〇回の挙上が起こって完全嚥下
と明確化できるようになったりします。

この時に大切なことは
相手の食べ方を尊重して、決して修正しようなどとはせずに
(相手の食べ方は今までの介助方法に対する誤学習なので
 誤介助にすら適応してきたという家庭を尊重します)
まずこちらの介助を適正化して反応の変化を待ちます。
 
適正化できるということは
冒頭に記載したような食べ方を引き起こさないことを最低限担保したうえで
その方固有の食べ方に合致させた介助ができるということです。

多くの場合に、食事介助をカンタンに考え過ぎなんです。
自分の介助に根拠不明な自信がある(苦笑)から介助したがる(苦笑)
「私の介助が下手なせいで食べにくい思いをさせたらどうしよう」
ともっと不安に思ってほしいと思います。

  安易な介助をする人の行動を修正することは難しいので
  的確に介助できる人を増やしていく
  話を聞いてくれる人を増やしていく方が結局は
  自分も疲弊することなく
  誰も傷つけることなく効果的だと考えています。
  
  (直属の上司の協力があっても難しいので
   上司の協力が得られなければまず無理です。

   逆にこちらが悪者にされてしまいます。
   自己防衛のために否認・攻撃をする人もいるからです。
   悪者にされても行動を修正してくれれば良いのですが
   それは非常に難しい。。。)

   「多職種連携の現実的課題」という記事や
   「連携について 1〜9」というシリーズ記事を書きましたので
    興味のある方はご参照ください。


  自力摂取を頑張っていただく方針をとることもあります。
  若年発症するアルツハイマー病や前頭側頭型認知症のある方や
  アルツハイマー型の方でも元来ご自身の意思が明確なきっぱりした方
  しっかりした方などの場合には自力摂取を目指したほうが
  混乱なく誤嚥性肺炎の再発もなくもう一度食べられるようになる
  ケースが圧倒的に多いです。
  もちろん、自力摂取を目指すにしても細かな段階づけは必須です。

ためこみや吐き出し、ムセなどの食べることの問題が生じた時に
ちゃんと観察もせずに、自身の介助を振り返ることもせずに、まず介助する
介助してうまくいかないことを体験して初めて
「どうしたらいいんだろう?」と考える。。。
そりゃーうまくいくわけないじゃん!

逆に言えば、ここに未来への希望があります。
ちゃんと観察する
自身の介助の適・非適を振り返る
ことができれば
今まで見えなかったもう一つの現実を目にすることができます。

「何がいいんだろう?」「どうしたらいいんだろう?」
と考えなくてはならないとしたら
それはまだ観察・洞察が不足しているということを示しているので
もう一度観察に立ち返れば良いのです。
というか、観察に立ち返るしかないのです。

  側臥位での食事介助も提唱されていますが
  確かに側臥位は、舌の送り込みに関しても喉頭挙上に関しても
  除重力位となるので負担を減らすことができますから
  その面では効果的だと言えますが
  介助における誤学習誤介助の側面を解決できなければ片手落ちとなりかねません。

介助方法を変えることによってもう一度安全に食べられるようになりますが
本来のその方の能力発揮を促しているので当たり前のことです。
適切に対処できれば、舌が硬くなることもないのに
適切に対応できないために、舌が硬くなり結果として喉頭の動きが悪くなり
低栄養や脱水を回避するために必死になって
介助者が口の中に飲食物を「入れよう」とした結果
喉頭不完全挙上やタイミングのズレによって誤嚥性肺炎のリスクは甚大になります。

善意に基づく行動であったとしても
知識と技術の伴わない行動によって真逆の事態を引き起こしてしまいかねません。

ムセの有無しか確認しない食事介助というのは本当に恐ろしいものなのです。

ムセの起こるパターン:舌の硬さ

ムセの起こるパターンは2つあります。
1つは、咽頭期そのものの働きの低下で
もう1つは、口腔期の働きの低下によって二次的に咽頭期の低下が起こる
ことの2つです。

生活期にある方の場合に
圧倒的に多いのが、2つ目の口腔期の働きの低下によって
二次的に咽頭期の低下が引き起こされているというケースです。

前の記事で書いたように
舌が板のように硬くなったり、後方へ引っ込んだりしていれば
(ひどい時には舌が硬く丸まった状態で
 上後方へ引っ込んでいるケースに遭遇したこともあります)
舌のしなやかな動きができなために
食塊の再形成や送り込みが困難になってしまいます。

ここで誤解が多いのが
重度の認知症のある方でも常に自身でなんとかしようとしている
ということを私たちが忘れてしまいがちなことです。
口腔期の低下があっても何とか食べようとすれば
協調性の低下をパワーで補う、力任せに過剰に頑張って飲み込もうとするしかありません。
最初はそうやって飲み込めていても
舌が硬いということは、内舌筋(固有舌筋群)だけでなく外舌筋群も硬くなっています。
その状態に加えて、さらに過剰な努力を要請されることで
頚部の筋も硬くなってしまいます。
その結果、喉頭が円滑に動けなくなってしまう。
そして、喉頭挙上に遅延が生じたりタイミングがズレたりしてしまう。
こんなに食べにくい状態でもムセがないから見落とされています。

ムセるようになって初めて食べ方に着目されますが
ここでは、喉頭の不完全挙上を目にしても
経過について見落とされているので言及されない。
その結果、老化による筋力低下によって喉頭挙上困難と判断されてしまいます。

  生活期にある方の立ち上がり困難という事象に対して筋力低下論が提唱されています。
  ですが、私は筋力低下は結果として起こる。
  身体協調性低下のために立ち上がり困難が生じる
  立ち上がり困難な方に対しては立ち上がりや筋力強化をするのではなくて
  身体協調性を高めるために座る練習をすることを提唱しています。
  カタチは違えど全く同じコトが食べることに関しても起こっているのです。

舌の硬さが主問題であって咽頭期の問題は二次的に起こる。
多くの人が見落としている、食事介助の現場で起こっていることです。
咽頭期そのものに問題があるというケースは実は少ないのです。

じゃあ、なぜ、舌そのものに病変があるわけでもないのに
舌が硬くなってしまうのか?

それは誤介助誤学習が起こっているのです。

誤介助、つまり、私たちのそうとは知らずにおこなってしまっている
不適切なスプーン操作のせいであり
不適切なスプーン操作という誤介助に対して、適切に対応しようとした結果
生活期にある方が自らの能力を落としてしまう誤学習が生じているのです。

適切なスプーン操作ができていれば
上記のような状態を予防することができますし
板のように硬くなっていても適切なスプーン操作によって
(特別のリハをしなくても)
もう一度柔らかい舌を取り戻すことができ、
結果として本来の咽頭期の働きも発揮できるようになります。

  もしも、本当に老化による筋力低下や認知症の重篤度のせいだとしたら
  改善されないですよね?

不適切なスプーン操作?
スプーンテクニックという言葉が定着するようになりましたが
ちょっとしたスプーンの扱い方によって
食べやすさ、食べにくさは大きく変わります。
次の記事でご説明します。

ムセの起こるパターン:前提

ムセの起こるパターンは
大きく分けて二つあります。

もともと、摂食・嚥下5相の咽頭期に問題がある場合と
本来の問題は口腔期にあって咽頭期は二次的に引きづられて能力低下をきたした場合の二つです。

そうはいっても
「何を言ってるんだ?」と思われるかもしれませんね。
まず、喉頭の動きをきちんと観察してみてください。

生活期にある方の場合
例え、ムセがなくても
喉頭の挙上はさまざまなパターンが見られます。
1回で完全に挙上することもあれば
2回目の完全挙上で完全嚥下する場合もあれば
3回目の挙上で完全嚥下する人もいます。
挙上と挙上の時間的間隔もバラバラだったり定期的だったり
不完全な複数回の挙上を繰り返す人もいますし
食べ始めと食べ終わりで変わることもよくあります。

次に
口腔期の動きを観察します。
開口した時に、舌が後方へ引っ込んでいませんか?
(通常は、開口した時に舌尖は下の歯のすぐ裏側に位置しています)
スプーンで前舌を押した時に、舌が硬くなっていませんか?

舌が後方へ引っ込んだり硬くなっている方は、思っている以上にたくさんいます。
実際に食事介助しているのに、
目で見て、手で感じているはずなのに気がつかないだけです。
自分の興味がないから注意を向けることができないために
「見れども観えず」になっているのです。

通常、舌はしなやかに動くものです。
しなやかに動けるから、口腔内に散らばった食塊を再形成して
咽頭まで送り込むことができるのです。

  講演の後などによく質問されるのが
  「ためこんでしまって飲み込んでくれないのですが、どうしたら良いでしょうか?」
  という質問です。
  ためこんでしまう というのは、結果として起こっていることで
  本来は 送り込みが困難 という事象の結果を見ているのです。

私の経験で
舌がかまぼこ板のように硬くなってしまっている方もいました。
舌も筋肉です。
筋肉が板のようになっては本来の多様な動きができません。

ふだん、食事介助している方の
口腔期と咽頭期をもう一度観察し直してみてください。
それから、もう一度この記事を読み直してみてください。

ムセって何?


食事介助の現場の多くで
ムセは、指標のひとつになっています。

食べる能力の指標だったり
食べることを中止すべきかどうかの指標だったり

現場あるあるなのが
食事中に強く激しくムセこんだら
「あー!ダメダメ!その人、もう食べさせないで!」
という声が飛ぶこともよくありますよね?

食事介助中も
ムセの有無を気にしている人は多くいますが
さて、「ムセって何?」って尋ねられて
きちんと答えられる人は圧倒的に少ないのが現実です。

  構成障害重度とか遂行機能障害があるとか
  言う人は多いけれど
  構成障害とはなんぞや?遂行機能障害とは何?
  って尋ねられて明確に答えられる人は案外少ないものです。
  専門用語として言葉は知っていても概念の本質を理解していない
  だから観察できないし、何が起こっているのかの洞察もできないから
  BPSDや生活障害に対して適切な対応ができないのと
  まったく同じコトが違うカタチで
  食事介助の場面でも起こっているのです。
  だから、どうしたら良いのかわからない。。。
  でも、これらは私たちの側の問題なので
  私たちが変われば違う現実が現前する可能性があるのです。

ムセは誤嚥のサインですと言うかもですが
身体のどこがどう機能してるから誤嚥のサインって説明できますか?

もう一度、お尋ねします。

ムセって何?

 

 

 

 

    

        

     

答えです。

ムセとは、
気管に食塊などの異物が侵入した時に
声帯を激しく内外転させ
呼気のパワーで喀出させようという働きです。

誤嚥のサインであると同時に異物喀出作用でもあるのです。

現場あるあるの誤解が
「強く激しいムセ=酷い誤嚥」という誤解です。
これはもうホントに根深い誤解です。

強く激しいムセ=異物喀出能力の高さ なので
強く激しくムセる方がいたら、ムセを手助けして
しっかりとムセ切っていただくことが大切です。
ムセ切った後に声の清明さを確認できれば食事を再開できます。

ムセにおいて
最も怖いのが、サイレントアスピレーション ムセのない誤嚥です。
運動もしくは感覚の障害でムセることができない状態です。
ムセないのか、ムセることができないのかはまったく違うのです。

ムセの激しさと誤嚥のひどさが比例しているわけではないのです。

ムセの激しい方よりも、気をつけなくてはいけないのは
弱々しくしかムセられない方のほうなんです。
弱々しいムセとは、異物喀出作用の弱さを示しています。
 
「弱々しいムセ=大したことのない誤嚥」という誤った認識で
食事介助を続けてしまう人は大勢いますが
異物をきちんと喀出しきれていない状態のまま食べさせている 
というとても危険な状態を作ってしまっていますし
そのことに自覚がないという二重の意味でとてもリスキーなんです。。。

言い換えれば
食事介助において
あまりにもムセの有無が過大視させられていて
もっと観察しなければならないことが見逃されてしまっているのです。

ムセは結果として起こっているので
どのような食べ方をしている結果としてムセたのか
というところをこそ、観察する必要があります。
(ところが、そうしていない人の方が圧倒的に多いのです)

ムセは、
喉頭挙上の能力低下で起こることも確かにありますが
生活期の臨床現場で最も多いのは
咽頭期の本来の能力は保たれているのに
口腔期の能力低下によって二次的に咽頭期の能力低下が起こる場合であり
しかも、この場合の口腔期の能力低下が
誤介助誤学習によって引き起こされるケースが圧倒的に多い
ということはほとんど知られていません。

CVA後遺症急性期などのケースでは摂食・嚥下リハは必須ですが
高齢者や生活期にいる方にとっては
摂食・嚥下リハよりも食事介助と介助中の観察の方が重要です。
そして、食事介助に気をつけるだけで食べ方が改善されるケースは
日常茶飯事、多数経験しています。
もっと言うと、摂食・嚥下リハをいくら頑張っても
漫然とした食事介助が為されれば、
効果が出ないどころか逆効果になってしまうことすら起こり得ます。

古くて新しい食事介助の問題について
問題は多数あって、しかも錯綜している現実を
これからの記事で解きほぐしていきます。


オクラのつけ焼き

オクラは板ずりして
(面倒な時は板ずりしなくても可)
ガクをとり、洗って軽く水気を切ります。

ビニール袋に
オリーブオイル、塩、胡椒を適宜入れ
そこにオクラを投入
よく揉み込んでから冷蔵保存

朝、ここまでしておけば
夜は、温めたフライパンにそのまま投入して焼くだけです。

オクラの甘みが美味しい♡

和風の味付けも美味しいけど
たまにはちょっと洋風の味付けでオクラの甘みを味わうのも良きかな良きかな。

本当は
スナップエンドウのレシピだけど
オクラでもいけるんじゃないかとやってみたら美味しかった♡

 

喉頭挙上が確認しにくい時は


いろんな方向から確認します。

私は右利きなので
通常は対象者の方の右側から右手にスプーンを持って介助します。

口頭の動きが見にくいなぁという時には
正面から確認したり、対象者の左側から確認したりします。
見る位置が違うだけですっごく見やすくなることがよくあります。

  非利き手側から介助するのは大変ですが
  (介助者が大変だと、食べさせられる対象者も食べにくいものです)
  なにごともトレーニング
  積み重ねていくと非利き手でスプーンを持って介助することも可能になります。

  食事介助の選択肢が広がります。

こういうケースは案外多いものです。
自分が右利きだと対象者の右側から介助することの適否について
自問したり検討することなく
「喉頭の動きが見えにくい方」とレッテルを貼ってしまいがちです。

自身の関与の適否という
対象者の方の言動の前提となっている要件について
疑う、自問する、修正する
という過程は、認知症のある方の環境因子のひとつとしての
関与の適正化という意味でとても大切です。

 

認知症本人発:希望のリレーフォーラムが開催されます


「認知症本人発:希望のリレーフォーラム」が開催されるとのことでお知らせいたします。

クリスティーン・ブライデンと国内の当事者が登壇されるそうです。
詳細・お申込は こちら↓ をクリックしてください。

https://www.dcnet.gr.jp/info/detail/INFORMATION.php?ID=4601

開催日時 2023年10月5日(木)13:00〜16:00
会 場  有楽町朝日ホール
参加費  無料・事前申込制
申込期間 2023年8月1日(火)〜9月8日(金)

忘れられがちな1手間:視覚障害


目が見えない認知症のある方に対して
声をかける時には、毎回必ず名乗るようにしています。

「〇〇さん、こんにちは。
 リハビリのよっしーです。
 ラジオ体操の時間です。」
「〇〇さん、こんにちは。
 リハビリのよっしーです。
 そろそろお食事の時間です。」

トイレや着替えや食事など
何を介助されるにしても
誰だかわからない人にされるのは不安だと思います。

視覚障害がなければ
名乗らなくても「こんにちは」だけでも
相手は私を見て「私→どんな人」を察知します。
認知症が重度だと私の名前を覚えられなくても
「私→どんな人」というのは覚えられることが多いようです。
曰く、体操の先生、歌の先生、(毛糸)モップの先生etc.。。。

でも、視覚障害があると、その手がかりがない。。。
だから、名乗ります。
名前を伝えるだけではなくて、
伝える過程を通して「声」と「話し方」を伝えます。

大声を出したり介護抵抗のある方でも
「俺は顔がわかんないからさ、わかるのは声だけだから」
とおっしゃっていたことがあります。

BPSDが激しいと
「認知機能が相当低下している」と誤認されやすいようですが
これらに相関はありません。
むしろ、認知機能障害が軽度の時ほど不安感が強いのでBPSDが激しくなる
ということはよくあります。

BPSDや生活障害が重度だと
職員の側がつい、「大声がひどい〇〇さん」のように
BPSDや生活障害を形容詞化してしまいがちですが
そうすると〇〇さんの能力やBPSDや生活障害を起こしていない状態を
見落としてしまいがちです。

  言葉には無自覚の意識も反映されます。
  例えば食事介助で
 「Aさんは100%入りました」という言葉を聞いたことがあります。
  入った。。。なるほど、口の中にどう入れるかという観点で介助していれば
 「100%入った」「食事が入りません」という言葉が口をついて出てくるのも
  うなづけます。。。
  「大声がひどい〇〇さん」という言葉を使ってしまうことで
  〇〇さんが大声を出さずに過ごせている場面を見落としたり
  大声は出すけれど
  発揮している能力に目が向きにくくなってしまう恐れがあります。

言葉と概念は密接に結びついています。

視覚障害を持つ認知症のある方に
毎回その都度、名乗ることは確かに1手間かもしれませんが
たった3秒でこちらの配慮を伝えることができるとしたら
その3秒を惜しむ理由が他にあるとは思えません。

ちなみに
「声しかわからない」とおっしゃった方は
大声や介護拒否もありましたが
ラジオ体操や個別リハ、食事介助など何かすると
必ず「どうもありがとう」「お疲れさま」とおっしゃる方でした。
私が名乗ると必ず「はい、よっしーさん」と復唱される方でもありました。

忘れられがちな1手間:帰宅要求


以前の記事で
ポイントほど見落としたり見間違える
と書きましたが
実際の対応についても
ポイントほど忘れられがち、実践され損なうものです。

認知症のある方が
「家に帰りたいんです。帰してください。」
と言った時に
私は基本的には復唱しています。

「家に帰りたいんですね」
復唱することで、あなたの気持ちを確かに受け止めました
と伝えることができます。

復唱するための所要時間は3秒ほどですが
復唱しないですぐに話を逸らそうとして
話題を切り替える人の方が圧倒的に多いと思います。

「家に帰りたいんです。帰してください。」
(でも外は雨が降りそうだし)
(もう遅いから明日にしませんか?)
(ちょっと待ってて。今お茶を入れますから。)

文字にされたものを見ると
話を逸らされた、誤魔化された
訴えたことを聞いてもらえない。。。
という印象を持ちませんか?

認知症のある方は
ただでさえ、不安になって困惑して必死になって帰宅要求をしています。
そこで話題を切り替えられたら
もっとちゃんと聞いてもらおうと思って
言語能力が高ければ、
あの手この手で帰らなければならない理由を訴えるでしょうし
言語能力が低下していれば、
もっと大きな声で繰り返し訴えるようになるでしょう。

つまり
帰宅要求のある方に対して
すぐに話題を切り替える対応は
火に油を注ぐようなものなのです。
そして
無自覚にしているから自身の対応が油を注いでいるとは考えられず
もっと上手に話をそらせようと必死になって油を注ぎ続けるのです。。。

その上
自身の対応の結果として起こっていることがわからない職員は
「帰宅要求がひどい」「執拗な帰宅要求」とレッテルを貼るのです。。。

悪循環になっています。。。
 
認知症のある方も職員も
どちらにとってもストレスにしかならず辛いだけで良いことがありません。

「家に帰りたいんです。帰してください。」と言われたら、
(家に帰りたいんですね?)
まず、復唱してみてください。

この一言で
「あ、自分の話を聞こうとしてくれてる」
ということが伝わります。

その方にとっての
帰りたいと思った必然を聴く入り口に立つことができます。

その方の障害や困難、能力と特性を踏まえて
その時のその方の感情を観察・洞察しながら
「何を」「どんな風に」尋ねようかその都度判断していきます。

  ハンス・オフトの言う「状況把握・判断・行動」の実践です。

気をそらせる対応というのは
帰りたい必然を聴く入り口から遠ざけているのです。
認知症のある方だけでなく、自分自身をも。

帰りたいと思った必然を聴く
中がどうなっているのかわからない入り口のドアを開けるのは
勇気がいることです。
心身のエネルギーも使います。
そして何よりも難しい。。。
だから、回避したり否定したりして
その代替としての気をそらせる対応が
ケアの常識のように継承されてしまったのでしょう。
前の記事で書いたように、気をそらせる対応が必要な場面はあるでしょう。
でも、本質的な対応ではあり得ません。

本質的な対応ができるようになるためには
時間がかかります。
技術ですから。
でも、技術であれば習得可能です。

まずは、復唱してみませんか?
そこから観察の道が始まります。