なんちゃって目標から脱却を

 

そんなことを考えていた時に
なんちゃって目標を掲げたサマリーを受け取りました。。。

明らかに「目的」「リハ内容」なのに「目標」として記載されています。。。

そうなんです。
なんちゃって目標に、本当によく遭遇するんです。。。
養成校の教授が
なんちゃって目標を記載してる論文を見たこともあれば
実習指導者説明会で
なんちゃって目標を記載した資料で説明されたこともあります。。。
「私は概念を明確に理解していません」って
公言してるのも同じことなのに。。。

だから、
「構成障害とは何ぞや?」って説明できないのに、
立方体透視図模写テストをしたり
「遂行機能障害とは?」って答えられないのに、
トレイルメイキングテストをしたりしてる。
障害の意味がわかっていないのに検査・バッテリーをとって〇〇と判断してる。。。

障害の意味がわからないから
目の前で起こっている事象を見ているのに見落としてしまう。
構成障害や遂行機能障害を観察・洞察できなくなってしまう。
だから
「評価=バッテリーをとること」って誤解が蔓延ることになるんじゃないかしら?

これはもう明らかに養成の問題です。
卒前、卒後ともに。

OTもカリキュラムが変わって教えるべき内容が深く広くなってきていることや
臨床実習においてもハラスメント防止の観点から
時間内に学生を帰らせないといけないので指導時間が限られていることや
実習形態も変更しなくてはならないから
教員の先生方も実習指導者も今までにも増してご苦労があるのだとは思います。

でも、最初に「目標とはなんぞや」ということを
はっきりと教えれば良いだけですし
目的や方法との違い、その見分け方もちゃんと教えれば良いだけです。
つまり、概念をきちんと教えれば良いだけです。 
 
実習地では、実際のケースをもとに
教えられた概念を個別に具現化していく作業なので
「うん、良い目標だね」
「これはね、目標じゃなくて目的だよ」「こう考えたら目標になるよ」
具体的に現実的に教えれば良いだけです。

目標の概念を学び、具現化した体験があれば
なんちゃって目標に遭遇した時にすぐにわかります。
なんちゃって目標を本物の目標に修正するための方策も
概念として学び、具現化した体験があれば実践できるようになります。

「骨董屋の丁稚には本物しか見せない」

本物を知らなければ
偽物と本物の区別をつけられない

なんちゃって目標から脱却できないと
漫然としたリハの提供から脱却することが難しくなります。
対象者に対して適切なリハを提供するための自己修正ができないからです。
自分の方針や目的、治療内容なのに
それらを目標として設定していれば
手段の目的化となり、その先にあるのは自己正当化です。

理論だ、OT科学だ、といろいろなことが言われていて
それらもOTの発展のために必要なことかもしれませんが
現場最前線で働いているイチOTとしては
もっと足元を見直すことが必要な気がしてなりません。

よくわかっていない指導者が発する言葉に
「頭の中ではわかってるんだよね。
 ただ言葉にできないだけだから気にしなくていいよ。」
「今は学生だから難しいけど、働けばそのうちわかるようになるよ。」
といったものがあります。

そんなことは決してあり得ません。
臨床に出て働き出せば、実習生の時にように
目標設定の適否について指摘してくれる人がいなくなるだけです。

困ることに直面させられる機会が減るだけです。
自分の目標設定の能力が向上したわけじゃない。
概念を明確に理解していないと
この違いにすら、自分のことですら、わからなくなってしまう。。。

だから
初めて新人を教育する立場や実習指導者の立場になった時に
目標設定の難しさや指導することの困難に遭遇するのではないでしょうか?
自分ができていないことは、本当の意味で他者に教えることはできません。

先輩や上司に相談しても
的確な答えを教えてもらえず
悶々とした気持ちを抱えつつも
どうしたら良いのかわからずにいるうちに日々の忙しさに流され
そのうちに悶々とした気持ちも忘れて
「それでいいんだよ」と言うしかなくなってしまった。
そんな自分に心の奥底でチクッと胸が痛みつつ。。。
違うかな?

誰もちゃんと答えてくれない
そういうものかな?と諦めかけてるとしたら、ちょっと待ってほしい。

困ることを回避しないでほしい。
困ることは嫌なことだけど、ピンチはチャンス、
成長へのチャンスでもあります。

「求めよ。さらば与えられん。」

目標とは何ぞや
なんちゃって目標からの脱却方法についての
ご提案をしています。
興味のある方はぜひご参照ください。

目標設定の研修会では
「今まで悩んでいたけれど、すごくわかりやすかった」
「明日から早速やってみます」
「実習や学校の先生よりもわかりやすい説明だった」
「初めてスッキリと理解できた」
などとご好評をいただいている内容です。

世にリハ関係、OT関係のセミナーや研修会は花盛り。
全国各地で多様な主催者がさまざまな内容で開催しています。
私が新人の頃とはまったく様相が異なっています。
それなのに、「目標とは何ぞや?」という
目標の概念に関する研修会ってまずないのが現状です。
こんなに大切な基本中の基本が疎かになっている。。。
概念を明確に理解するということがおざなりになっている。。。

現場でのニーズは確実にあるのに。。。
表面に見えることを追いかけるのも必要かもですが
砂上の楼閣にならなきゃ良いですけど。。。

理論とか、OT科学とか、OTは素晴らしいと語るとか、いろいろありますが
実践の科学、職人だったら、まずは結果を出さないとって思います。
結果を出せるようになるためには
知識と技術が必要です。
知識というのは概念を明確に理解することです。
 
目標の概念すら、曖昧だったり誤認しているのに
他の複雑な知識が明確なんてことがあるのかな?と思っています。

構成障害を言語化できないOTが立方体透視図模写テストをしたり
遂行機能障害を言語化できないOTがトレイルメイキングテストをしたり
そして、「〇〇障害重度」と判断するって何の冗談?って思ってしまいます。

「隗より始めよ。」
「求めよ。さらば与えられん。」
目標設定について学びたい方は こちら をクリックしてみてください。


イムスグループPT会研修会終了

 


6月17日(金)に開催された
イムスグループPT会さん主催のオンライン研修会が無事に終了しました。

終了後にはたくさんのご質問やご相談をいただきました。
質の高いご質問がとても多くて
ふだんの臨床に取り組む姿勢や臨床思考の高さに感じ入りました。

担当者の方も
開催当日までの打ち合わせや連絡で
いつも迅速にきめ細やかにご対応くださり
きっと臨床にも真摯に取り組んでおられるのだろうと頭が下がりました。

終了後の感想では
「知らなかった知識を学ぶことができた」
「認知症の知識の専門家ではなく、認知症のある方の専門家だと感じた」
「臨床知と知識を結びつけ包括的に捉える姿勢に感服しました」
「実際によく遭遇する事例の話を聞き、過去担当した患者様を思い出し反省した」
などのご感想をいただきました。

リハや介助というのは協働作業
ということを当日講演でもお伝えしましたが
改めて講演も協働作業なんだと実感しました。

そして
講演として語る私のふだんの実践・臨床姿勢が透けて伝わるし
講演を聞く受講者もふだんの実践・臨床姿勢によって理解の深度が異なってくる
その怖さを再確認しました。

ふだん、していない、できていないことを言語化することはできないし
仮に言語化したとしても、わかる人にはわかってしまう。。。

「真贋の眼」ということについて
岩崎清隆先生の文章を読んだ記憶があります。

「骨董屋の丁稚には真贋の違いを見分けられるように偽物は見せない」

といった内容だったと記憶しています。
本物だけが持つ品の良さがある。
本物にしか触れていなければ偽物に出会った時に違和感を抱くことができる。

どのように講演を構成するのかという工夫は講師の役目です。
伝え方はやはり大切。
でも伝える中身はもっと大切。
そして、何のために講演を引き受けるのかということが一番大切。

スティーブ・ジョブズの「意図こそが重要」
ということも再確認しました。

 

しまむらの「介護肌着」

 


知ってる人は知ってるかもですが
今まで私は知りませんでした。。。

「しまむら」で介護肌着が買える!

前開き、マジックテープ、しかも2枚で1,780円 !

写真は紳士用Sサイズですが
紳士用・女性用ともに、サイズ展開もS~XLと豊富です。

今はコロナ禍なので
施設・病院のレンタル着を着用になる場合が多いかもしれませんが
持ち込みが必要な場合にはきっと便利だと思います。

関節拘縮がある方の場合には
ゆとりがある前開きの方が介助が容易です。
上衣は一般の衣料品店でも選択肢がありますが
肌着はかぶり型が多いので困ってしまいますよね。
そんな時にぜひ!

ご家族との面談で工夫していること

 

コロナ渦のため
ご家族の方と直接お会いして
状態をご説明する機会は激減しましたが
どうしてもということは、やはりあります。

そのような時には工夫をしています。

言葉だけではなく
視覚情報を活用して伝える
イメージを伝える
リアルな実感を伝える
ということです。

一生懸命なご家族ほど
時に職員との行き違いがあったり
「理解不十分」と言われてしまうことも起こります。
そうやって職員が判断してしまうと悪循環になってしまいます。

ご家族にとっては
認知症のある方のお世話は初めての体験で
言葉での説明だけではイメージができない
ことが多々あります。

ましてや
コロナ禍で面会の機会がないので
ご家族がご本人と接する機会がない
体験を共有できない状態です。
体験を共有できないままに言葉で状態説明して
リアルに実感を伴って理解してほしいというのは高望みだと思います。

ご家族の側から
「こんな情報提供があれば私だって理解しやすいんです」とは言ってくれません。
心理的に遠慮があるものですし
ご家族自体、欲しい情報を求めてはいても
具体的にピンポイントではわからないし、言語化できない
だから、ご家族も困っているんです。

逆に言えば
状態の共有化の可能性がある
ご家族の理解改善の可能性がある
ということでもあります。

ポイントを絞って
介入場面の動画を撮影してみていただきます。

例えば、食事介助に関することであれば
食べているものも写真撮影して
「今はこちらをこんな介助をして〇〇分で食べ終わっています」と伝えます。
実際に食べている栄養補助食品の実物や
実際に使用しているスプーン、コップ類の実物を見ていただきます。

食べ方に関する
障害と能力を説明します。
ここを明確に説明できると
入院前にご自宅でお世話していたご家族であれば
その時の困難と通じる部分があるので
「あぁ」と納得してもらえます。

逆に
ご家族から「こんなことがあった」と言われた時に
その場面の意味を私たちが実感できる必要があります。
その困りごとにどんな障害と能力と特性が反映されていたのか
私たちがリアルに実感できることが必要です。

ご本人の状態を的確に把握できていれば
必ず起こった場面をリアルにイメージできるものです。

そして
私たちがリアルにイメージできたかどうかということが
ご家族に伝わっているということです。
暗黙のうちに。

ご家族との面接、状態説明も
コミュニケーションの一環です。

ご家族にはご家族の何らかの必然があって
職員側から見ると結果として「理解不十分」な状態に見える
と考えています。

よくあるのは
ご家族が
「(この病院・施設は)本当にちゃんとお世話してくれているのか?」という
内心の疑念を払拭できていないけれどそこは言えない
というケースです。

こちらが工夫した説明、準備を伴う説明をするということは
同時に、ご本人にもきちんと対応していますということも
暗に伝えることができます。

普段、ご本人に的確な対応をしていなければ
ご家族への説明も曖昧で抽象的総論的になるものですが
具体的でピンポイントであれば説得力が違ってきます。

そうすると
それだけで一気に形勢逆転し信頼感を表明してくださることも多々あります。
ご家族もきっと安心されるのでしょうし
理解不十分に見えていたご家族の必然が現れてきます。

そこをこちらが感受できれば
今後のコミュニケーションも一層スムーズとなります。

もう一つ
ご家族との面接の席で私が必ず実行していることがあります。

それは
ご家族にしかわからない、
ご本人の得意分野・好きなこと・趣味をお尋ねする
ということです。

尋ね方にも工夫しています。
具体的に、私が遭遇したご本人のエピソードを伝えてから
尋ねるようにしています。

辛い時期を過ごしているご家族に
総論的抽象的一般的に「趣味を教えてください」と尋ねても
生き生きとしたエピソードを思い出すことは難しいものです。

具体的なエピソードをもとに尋ねれば
(前提としてお互いが共有体験をしているので)
具体的な生き生きとしたエピソードとして思い出しやすくなるものです。

ご家族が教えてくださったエピソードは
リハ場面で参考になり活用できます。
必ず記録に残し、可能な限り直接看護介護職員とも話して共有します。

ご家族の情報、ご家族との暮らしが
ご本人の今とこれからを支えられたということを
ご家族にも機会を見つけてフィードバックもしています。

面接の場面では
厳しい現実をお伝えしなければならないこともありますが
その厳しさも含めて面接の場が豊かになるように
ご家族もご都合をやりくりされて面接に来られるのですから
一方的に話を聞かされたとか
説得されたといった感情を抱いてお帰りになることのないように

Occupationを武器とする私にできる工夫を実践しています。

 

サイト更新:講演情報

 

 

「講演情報」を更新しました。
「地域・参加者限定の研修会」に2件追記しました。

 

口腔ケアも再認を活用

口腔ケアをする時に
「口を開けてくれない」
「歯で指を噛まれてしまう」
というケースは多々あります。

そうすると
たいていの人は
最初は丁寧に説明したり対応しても
最終的には強引に口の中に歯ブラシを入れたり
(だから十分なケアができない)
口腔ケアそのものを諦めてしまいがちです。

安易に
「開口してくれない=Kポイント刺激して開口を促す」
とパターン化した対応をしていると
指を噛まれてしまいます。

口腔ケアも食事介助と同じで
環境適応の再学習を口腔ケアという場面でおこなっている
という認識に立てば
認知症のある方がどのように説明を感受し認識し適用しようとしているのか
ということを観察・洞察しようという意識が働きます。

長い文章での説明は理解できなかったとしても
目の前で歯ブラシを見せ
歯ブラシを横に数回動かすという動作を見せて「歯磨き」を伝え
歯の一部を優しく数回ブラッシングするという体験を通して「歯磨き」を伝えると
「歯を磨いてもらう」ことを再認できるので開口してくれます。

体験を通して再認できるという能力を活用します。

歯磨きの再認が目的なので
あくまでも優しくそっとブラッシングを続け
だんだんと歯ブラシを奥歯に持っていき
奥歯の上から裏側へと歯ブラシを動かします。
ここまで受け入れてもらえれば
歯ブラシで歯の裏側をブラッシングさせてもらえます。

開口に協力してもらえるので
きちんと口腔内の確認もできます。

口腔ケアが手段の目的化で終わらないように
歯磨きや口腔内清拭をすることが目的ではなく
歯磨きや口腔内清拭をすることによって口腔内の衛生環境を保つことが目的
なのだということを忘れないようにしたいものです。

口腔ケアは疎かになりやすい部分でもあります。
ケアの実行という意味でも
ケアの質の担保という意味でも。

口腔ケアを介助者が一方的にするのではなく
認知症のある方と協働して行っている人は
認知症のある方の能力をまざまざと感じていると思います。

 

食べられるようになると疎通も改善

 

意思疎通困難な方が食べられるようになると
意思疎通も改善するということは多々あります。

食事介助を単に
「食べさせる」「口の中に入れる」こととして実施している人には
決して遭遇できないことですが
食事介助を本当に
「食べることの援助」として実践している人は
何回も遭遇しているはずなんです。

食事摂取困難、食事介助困難な方の場合に
「食べることの援助」をするということは
認知症のある方が
食塊や食具やスプーン操作、声かけといった
「環境」をどのように感受し、認識し、適応しようとしているのか
ということを介助者が的確に感受・認識・対応することを意味します。

つまり、環境適応の援助を食事場面で行っているわけで
食べられるようになった
=環境適応力の再学習ができた
=意思疎通の能力発揮も改善した
ということを意味しています。

「ご自分の世界に閉じこもっている」
と言われた方が
食べられるようになった時に
退室の挨拶をしたら
「どうもありがとう。気をつけて帰るんだよ。」
と言われたことがあります。

このようなことは枚挙にいとまがありません。

誤解を恐れずにはっきりと言えば
食事介助する人の知識と技術と観察・洞察の深度に応じて
認知症のある方の食べるチカラを引き出すことができるのです。

同じヘアカットでも
普通の美容師とカリスマ美容師とでは
仕上がりが全然違うように
同じ食事介助でも
バックグラウンドにある知識と技術と観察・洞察の深度によって
得ている情報量とその質と対応はまったく違うんです。

 

カブとキュウリの梅肉和え

パパッとすぐにできます。

カブ1個は、半分に切ってから薄くいちょう切り
キュウリは、縦半分に切ってから横半分に切って薄く小口切り

ジップロックに入れて
梅干し2個をほぐして入れて
塩昆布をふたつまみ入れて
袋の上からよーく揉み込んで冷蔵庫に入れます。

30分ほどしたら出来上がり!

お好みで青じそを千切りにしたのを入れても
きっと美味しいと思う。

サイト更新:食事介助

  

サイト更新しましたのでお知らせします。
 
「食事介助について」
 >「スプーン操作を見直すべき兆候」
 >「ムセに関する誤解」
の2本の記事を追加しました。

 

即効性を求めて本質が疎かになる

 

 
その場ですぐに効果が現れる方法を求めて
長期的には食べ方を低下させてしまう。。。
そして、低下した食べ方だけを見て
「認知症のせい」 にしてしまう。。。

「口を開けてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
などの「問題」は食事介助あるあるですが
実際には、これらの「問題」は
結果として引き起こされているケースが圧倒的に多く
その場合には改善が可能です。


私たちが適切に介助できず
どのように食べているのかを観察できず
食べるチカラと食べる困難を洞察できないことによって
認知症のある方の「ちょっとしたウィークポイント」を「大きな問題」に
させてしまっているのです。

食事介助は、対象者の方と介助する人との文字通りの協働作業です。

私たちが適切なスプーン介助を行えなければ
認知症のある方本来の食べるチカラを発揮することが叶いません。
誤介助誤学習によって状態は悪化してしまいます。
「口を開けてくれない」「ためこんでしまう」状態になって
ようやく介助者は「問題視」するようになりますが
本当の「問題」はもっとずっと前から起こっていて
しかもそれは私たち介助者の側にあります。

時々
「忙しいんだから」「人数がいないんだから」「悠長な介助なんてできない」
と言われることも多々ありますが
実際には不適切な食事介助をしているから時間がかかるのであり
60分以上かかっても完食できなかった方が
適切な食事介助によって
食べ方も改善し
食べる時間も20分以内へと短縮されるようなケースは
よくあります。

ただし
関与したその場ですぐに効果が現れるような方法論はありません。
長い時間をかけて誤介助誤学習が起こって食べ方が低下したのですから
その時間とご介助誤学習の強さに比例して
再学習にもそれなりの時間がかかります。

口を開けてくれない方に
無理矢理歯をこじ開けるようにして開口させて食べさせれば
確かに開口はすると思いますが
そのようなあり方は果たして本当に
その方への食べる援助になっていると言えるのでしょうか?

その場では飲み込むしかないから
「食べてくれた」かもしれませんが
そのような方法論は早晩限界に行き当たります。

前よりもっと強い力で口を閉じてしまう
首を振ったりのけぞったりするなど
明らかに「嫌!」と言う意思としか思えないケースにも遭遇してきました。

意思を尊重して
無理のない範囲で食べられるように関与することで
時間はかかってももう一度食べられるようになってきます。

その方の食べるチカラに応じて援助を段階的に切り替えることで
長期的にも安定して食べ続けられるようになります。

じゃあ、それはどうするの?
と思われるかもしれませんが
誰にでも通用する魔法の方法なんてないんです。

その時その状態のその方に対して
適切な方法というのは確かに存在します。
ですが、それは目の前にいる方の食べ方を通してしかわからないものです。

その方の食べ方に答えはある

答えを見出せるように
観察・洞察しなければ。
そして観察・洞察できるように
適切なスプーン操作ができなければ。

たいていの場合に
観察・洞察も不十分だし
スプーン操作も不適切なことが多いのが現状です。
だとしたら
観察・洞察がきちんと行えれば
適切なスプーン操作ができれば
目の前の現実も変わってきます。
それは、未来への希望でもあります。

関連した記事も書きました。
「現場あるある食事介助の誤解」

食事介助については
本サイトのこちらの記事もご参照ください。
「食事介助の基本的な考え方」
「摂食・嚥下5相」
「基本のスプーンテクニックとコップ操作」
「食事介助の工夫例」