Act.提供時にまず考えること

 

「まず第一に患者を傷つけないように」
ソクラテスの誓いは、この言葉から始まるそうです。

私は医師ではありませんが
この言葉は戒めとして心がけている言葉です。

作業療法は素晴らしいと言う人は少なくありませんが
プラスのパワーが強いものは、反転に転じた時に大きなマイナスをもたらします。
どうしたらその素晴らしさを実現できるのか
どうしたらマイナスをもたらさずに済むのか
その具体的な考え方や方法論について言及しているのを聞いたことがありません。

過去に意図していなかったとしても結果的に
対象者の方を傷つけてしまったことは私にもあります。

脳みそ預かり事件もその一つですし
「こんなに下手くそになってしまった」と言わせてしまったこともあります。
何かをする」ことの意味を考えさせられたこともあります。

そこから、どうしたら良かったのか必死になって考え続けました。

まず、最初から大当たりを狙わないことだと考えています。
大当たりを狙うより前に、まず、外さないこと。
外さない実践を続ける中で
対象者の言葉、言葉にならない行動というもう一つの言葉に
注意深く耳を傾けていくことで
段々とピンポイントでActivityを選択・提供できるようになる。

外さないためには
まず、特性にあったActivityの傾向を考えることから始めています。
詳細は、こちらの記事をご参照ください。

 

OTどこでズレたのか:観察

 

 

先の記事で書いたように
かつてのOTは臨床で結果を出すことを第一義としていたと思います。

ところが
いつからか、科学的でない、客観性がないなどの批判を受けて
方法論と結果の客観性、数値化が求められ
エビデンスという言葉が席巻するようになりました。

私は最初のズレがここで起こったと考えています。

そもそも
作業療法は薬物療法とは異なる実践の科学であり、人文科学、観察科学でもあります。
この時に、対象者は unique であるのだから、方法論も千差万別で当たり前だと
はっきりと言明すべきだったのではないかと考えています。

シングルケースデザインは
もっと後になって導入された方法論ですが
症例検討という方法論はすでにありました。

 河合隼雄は症例検討の重要性を強調していました。
 良い症例検討は、症例を超えて分野を超えて学びがあると。
 個の追求が普遍に通じるという記載を読んだことがあります。

実践の科学、観察科学であるからこそ
症例検討をきちんと導入できれば、意義があったように考えています。
ただし、症例検討が有意義に行われるためには
症例の状態像の共有化が為される必要があり
そのあたりが難しかったのではないでしょうか。
(動画で治療場面を撮影するのはもっと後になって導入されたと思います)

観察力って本当に人によって異なります。
さらに、見てはいても知識がないと別の判断をしてしまいがちです。
共有化が為されないままに検討が進むと議論が空中分解してしまいます。

また優秀な指導者がいないと
症例検討を効果的な実践に活かすことが難しいという側面もあります。

そこで
観察力・洞察力を磨くのではなく
数値化された結果の客観性の方向に進んでしまった。
そして、そのためにバッテリーの使用が求められるようになった。
そこから「評価の検査化」が進んでしまったようにも感じています。

もう一つのズレは目標設定です。
これについては次の記事で。

 




評価と治療は車の両輪

 

 

「評価と治療は車の両輪」
「評価が広がり深まるほどに
より的確な治療ができるようになる。」

私が学生の頃に
どの外来講師もみんな声を揃えて言っていました。

本当にその通りなんですよね。

 

困難事例に対して
ブレークスルーを見出せた時には
上の言葉の後半のくだりに相当することが本当に現れます。

そしてそれは大抵の場合に
「困難」と私たちが判断した場面そのものの対象者の言動に
ちゃんと解決策が反映されているものです。
それを私たちが観察・洞察できるかどうかが問われている。

「広く深く評価できるほど、より的確な治療ができる」

そして今は
「評価と治療は車の両輪」という言葉には
同時性ということも含まれていると感じています。
評価ができるということは治療的対応をしていることでもあり
治療的対応をしているからこそ評価ができるとも言えます。

ただ、今思うに
どの講師も具体例を出して説明してくれたわけではないので
たぶん当時流行していた言葉なのかも?
誰かに言われたことをそのまま合言葉のように言い合っていたのかも?
と思ってもいます。

例えそうだとしても、
学生は素直だから
言われたことはそのままそういうものだと信じます。

教わった「言葉」を
「概念」としてどれだけ理解するか
「実践」にどれだけ役立てるかは
個々の学生に委ねられるわけですが
「教わった」ということは
入り口、ドアの前に立てる、ドアを開く鍵をもらった
ということを意味します。

作業療法は実践の科学なのですから
こういった実践に役立つことを学生の時に教えてもらえて
本当に良かったと感じています。

私が幸運だったと思うことは
学生時代に「作業療法は素晴らしい」などと
唱える講師や実習指導者は一人もおらず
学院の教員には「君たちのような若造が人様を助けるなんで無理だ」
「だからこそ最善を尽くしなさい」と言ってもらったことです。

 

 

サイト更新しました

 

講演情報にPOSTさんに掲載された記事一覧を追加しました。

 

相手が使う表現を使う 

 

 

声かけの工夫>聴覚情報>声 のところでも書きましたが
私はいつも認知症のある方が使っている声の大きさやトーンに合わせて
自分の発する声を同調させるようにしています。

大きな張りのある声で話す方には
私も張りのある大きめの声で
ゆっくり穏やかな声で話す方には
私もゆっくりと穏やかな声で

それと同じように
認知症のある方がよく使う表現に合わせた声かけをするようにしています。

冗談で返してくる方には
私も冗談を多用し
丁寧に接する方には
私も礼節表現を多用します。

例えば
場所の移動の促しって
結構、抵抗される場合が多いかと思います。

使う言葉質的側面( 援助の言葉・意思表明の言葉目的の言葉・手段の言葉 )
を踏まえて移動を促す声かけをするだけでなく
認知症のある方の特性、よく使う表現にそって声かけします。

冗談を好む方には冗談を交えて
丁寧な方には礼節表現を強調して

そうすると
移動の促しをしても
あんまり拒否されることってないんです。


 拒否されるとしたら
 その方が拒否する何らかの必然があります。
 そこを探らないと。。。

つまり
認知症のある方への対応の工夫は
生活障害やBPSDで困った時にだけ行うものではなく
関わる時には常に認知症のある方の能力と困難(障害)と特性を踏まえて
対応しています。

いつも
評価をもとにした関わりをしています。
常に意識的・意図的に。
その方それぞれに。

記憶の連続性、近時記憶障害の程度については
HDS-RやMMSEをとらなくても
ふだんから意図的に関わっていれば
かなりの程度で把握することが可能です。
(HDS-RやMMSEをとることを否定しているわけではありません)

そして最も重要なことは
把握した情報は関わりに活用することです。

私たちが暮らす上では
普段無自覚に参照している経過や状況・背景といった前提要件があるわけですが
近時記憶障害があると、それらの前提要件を忘れてしまいます。
認知症のある方に対して関わる時に
それらの前提要件について触れてから「今必要な話」をするのか
触れなくてもすぐに「今必要な話」をして良いのか判断して会話しています。

 おそらくですが
 多くの人がこういった、やろうとすれば誰でも今すぐにできる工夫
 といったことをしていないんじゃないかと感じています。
 〇〇法とか〇〇理論とか、何か効果的な特別なものがあると思っている。。。

認知症のある〇〇さんが
受け取りやすく、受け入れやすい、言葉や対応を選択して使う。

それは
〇〇さん固有のもの。

△△さんには、△△さんが受け取りやすく、受け入れやすい、別の対応をする。

そのためには
〇〇さんの状態、△△さんの状態を的確に把握しなければ。

 

対応の工夫は、オーダーメイド かつ 何の問題も起こっていない時から日常的に
 

 


 

サイト更新しました

サイト更新しましたのでお知らせします。
プロフィールに過去のインタビューを追加掲載しました。

10年前の県士会ニュース
地域リハ部から依頼されたインタビューです。

  一般社団法人神奈川県作業療法士会ニュース 2011vol.147 p.8〜9
  シリーズ「認知症のある方への作業療法」ベテランOTへのインタビュー
  「認知症のある方への作業療法<前編> 成功と失敗」

  一般社団法人神奈川県作業療法士会ニュース 2011vol.148 p.10〜11
  シリーズ「認知症のある方への作業療法」ベテランOTへのインタビュー
  「認知症のある方への作業療法<後編>OTへのメッセージ」

「脳みそ預かり事件」を検索していて発掘しました。
改めて読み直してみて、10年も前のことですが、内容は全く古びていないし
我ながら良いこと言ってる。。。と思いました (^^;

もう一つ思ったことがあって
インタビューとは協働作業なんだということです。
インタビュアーとインタビュイーの協働作業。

この時の聴き手の河村先生には
きっと私と通底するような「体験」があったのではないかと今思っています。

当時の私には(今もですが)
臨床家として、なんとか現状をどうにかしたい、
伝えていきたいという気持ちと考えがあり
河村先生には良い作業療法士を育成したいというお考えと実践があり
違う方向から同じ部分を深掘りできたような実感があったことを覚えています。

ちなみに
検索していた「脳みそ預かり事件」は前編に出てきます。
善意からの「一緒にやるから大丈夫」という言葉にある落とし穴について
こちらが認識しておくべきだと今も考えています。

 


学生の頃の実習の想い出(ごむてつ)

 

 

もう30数年前の学生の頃の実習の想い出とその後日談です。

当時、OTの養成校はまだ少なく、首都圏でもK学院とF学院、S学院、そして我々の母校のH学院を合わせて4つしかなかったと思う。大学はまだなくて、いずれも専門学校だった。

私はこの中で最も新しいH学院に3期生として入学した頃の話である。当時ようやく3学年そろったばかり、当然1期生には先輩はおらず臨床実習はまだこれから、2期生はまだ評価実習にも出ていない、我々3期生は入学したばかりでもちろんまだ何も知らなかった。

殆どの学生が寮で生活していたのだが、そこに毎週ではないが土曜日になると時々F学院からAさんという学生がやってきた。
彼は大学も出ており(中退かも?)歳も少し上で、社交性があり話も面白く親切だった。1期生の先輩と研修会か何かで知り合って親しくなったようである。

前述のように新設校の我々は情報に乏しかったので、彼がもたらす情報は貴重なものがあった。彼の訪問は先輩たちに大いに歓迎され、当然のこと酒宴が設けられ我々1年生も呼ばれ、彼は寮に泊まり翌日帰るのであった。

Aさんもその辺りの事情を察し、義侠心というのか、新設校であるH学院のヤツらは不安だろうと、仲間意識や友情から好意的に遊びに来てくれたものと思う。いずれは同業者になる仲間でもある。まだOTは全国でも数百人しかいない。

寮は2人部屋で狭いのだがギューギューに詰めると15人位は入ったであろうか、二段ベッドなので二階席も3~4名分あった。

私は酒は好きではないが、当時そうやってよく飲んだことは楽しい想い出だ。
H学院出身者は酒飲みが多い、酒に強いといった噂もあるようだが実際にはそうでもなく、噂の出処はそうやってよく飲んだことを話題にするからではないだろうか?
寮で飲めば金もかからないし、時間も気にせず屡々酔いつぶれていた。

そのF学院からの使者Aさんの話でこういうのがあった。

当時実習先は学生どうしの話し合いで決めており、K学院もF学院も同様であり、我々のH学院もそれを踏襲していた。今は学生の希望を基に教官が決めているのかな?

おそらく今と比べると実習はかなり厳しく、というか厳しい所とそうでもない所の格差が大きかったと思う。
ここで厳しいというのは臨床のレベルが高いということではなく、必ずしも学生に対する要求水準が高いということでもない。
端的に言えば、イジメや嫌がらせに近いことも少なからずあったのである。今では考えられないが酒をガンガン飲まされるところもあった。

Aさん曰く、
K学院の実習先で「悪のH病院※」という所があり、この病院に実習に行くと散々甚振られた挙句に必ず不合格となり、今までに合格した学生は誰もいないと言う。
 ※「AのH病院」という全く別の病院もあり、それをもじった名称で、病院自体が悪いわけではない。念のため。

当然又聞きだが、K学院で実習先を決めたときの話。

クラス委員が「H病院に行きたい人はいませんか?」と問うたところで、もちろん手を上げる人など誰もいない。

ところが静まりかえり皆が戦々恐々とする中、「誰も行かないなら、私が行きます」と手を上げた勇者がいたという。
当然のことながら皆からウォーっ!と歓声が上がり、拍手鳴り止まず…。

しかし、果たしてやはりその学生は落とされて留年したという。

その話を聞いて、我々1年生は大いに感銘し、他のクラスメイトにもそれを伝え、「実習先を決めるときは自分の利益ばかり考えずにお互い配慮しあって決めよう。自己中はよくない。」と言い合い、後に後輩にもそれを伝えた。
そのおかげかどうか、実習先を決めるときも特に揉めることも無く、さほど不平不満も恨みっこもなく、割とスムーズに決めることができたと思う。
今となっては、なるべく良い実習先を、と確保してくれた教官の苦労も偲ばれる。

私個人に関しては、もちろん落とされたくはないし、厳しい所はイヤだけどよくわからないし特に希望もなく、皆よりも歳も上だし、皆が決めてから残った所でイイやということにしていた。

実際には後で教官が調節することがあり、私も1回か2回、呼び出されて、ココは厳しいのでごむてつ君は無理だと思う、○○さんと交代してもらってこっちの病院に行った方が良い、○○さんも既に快く了解してくれている、などと言われて変更になったことがあった。

当時の学生、特に我々のクラスメイトの女性は、積極的で向上心の強い頑張り屋が多く、厳しくても勉強になる所を志望する傾向があった。まったく当時も今も頭が下がる。ホント、御世辞じゃなくて。

そのおかげで、私も実習では行く度か危機もあったし、すんなりと上手くいったわけではもちろんないが(自分の未熟さと勉強不足が悪いんだけど)、何とか落第はしなくてすんだし、結局、我々の3期OTは病気で欠席した1人を除いて、留年する学生もなく、国試にも全員合格し卒業することができた。

これには後日談がある。
K学院の「玉砕の勇者」が誰であるのか?気にはなっていたのだが、10年以上も経ってようやく判明した。
私が後に入職した大学で同僚になったY先生である。

私:「へぇーっ、あの時の話はY先生のことだったのかぁ~。H学院では『K学院の玉砕の勇者』として、語り継がれていたんですよ」
  「ところで、何であんな所を志願したんですか?」
Y先生:「いや~、実は知らなかったんだよね。寮生ではなく通学してたので情報が入らなくて」
私:「そうなんですかぁ(笑)」
  「でも、先生の尊い犠牲は、H学院では教訓として生かされ、決して無駄にはならなかったですよ。」
Y先生:「ふ~ん、そうなんだ…(ちょっと悲しげに)」

私:「でもハッキリ言って、あんな実習先とSVでは勉強にもならなかったでしょ?」
Y先生:「いや、そんなことはない。勉強にはなった。少なくとも私にとっては。後悔はしていない。」
私:「えぇっー?そうなんですかぁ?いったい何が勉強になったんですか?」
  「少なくとも臨床の勉強にはならなかったでしょ?」
Y先生:「そう言われると困るなぁ。でも、勉強にはならなくても修行にはなった」
    「自分の欠点・弱点を認識せざるを得なくなったし、自分を変えていこうと思うきっかけにはなった」
    「学院の教官にも随分お世話になったし感謝している」
私:「でも割に合わないよなぁ。そんな所に行かなくても修行はできるし」

正直言って、辛い目にあっただけで修業にもなっていない気がするけど…

その実習先のSVは後に大学教官になり、自分で(取り巻きかも知れないけど)Wikipediaには「ノーベル賞に一番近い作業療法士」なんて書いていた。実際にどこまでやったのか知らないけど、「動物実験をやって作業療法の研究をする」なんてことも言ってたはずだ。

しかし、彼ももう10年以上前に大学を退官になり、程なくして亡くなったようだ。もはや有名でもないしほぼ忘れ去られた人である。知ってる人は思い出したくもないだろうし。

実習に行って落とされたY先生も何年か前に大学を辞めている。

あの頃はまだまだOTは知られておらず我々もわからず、何もかも手探りだったものの志と熱意だけはあり、夢も希望もあった。
あれから40年近く経ったが、皆、夢を実現したのだろうか?

私に関してはOTは辞めて、別のところで実現したけど。いや、まだその途上である。

「あの頃」 ワイルド・ワンズ(湘南サウンドの代表的なバンド)

時々海にも行ったな。ランニングするのに丁度よい距離だった。

夕陽と共に ワイルド・ワンズ

いずれも作曲は加瀬邦彦(ex.ブルージーンズ→ワイルド・ワンズ)
彼は歌謡曲の作曲家として有名だが、世界的にも珍しい12弦ギタリストで黄色いYAMAHAを半世紀以上弾き続け、今は息子さんが引き継いでいる。
とは言えギターのコレクターでもあり、いろいろな人に貸し出され多くのレコーディングで使われている。

ついでにこれも。今はおやじバンドの定番曲。
R.I.P. 寺内タケシとブルー・ジーンズ Terry & Blue Jeans/ 雨の想い出 I’ll Remember In The Rain (1965年) – YouTube

これもね。当時の雰囲気がよく伝わる。
R.I.P. 寺内タケシとブルー・ジーンズ Blue Jeans/ユア・ベイビー YOUR BABY (1965年) – YouTube

「認知症ケア2021秋号」に掲載

 

 

認知症ケア秋号の特集記事
「認知症の人の食生活を守る具体策」の中で
「認知症のある人の食にまつわる課題と適切な対応」という原稿を書きました。

日総研出版さんから発売されています。

サイト更新情報

 

サイトを更新しました。
「声かけ再考」
「言葉は届いてこそ言葉」

 

言葉は届いてこそ言葉

 

言葉は届いてこそ言葉

現場あるあるなのが
認知症のある方は職員に何か言われているのはわかるけど
何をいっているのかがわからない
だから自身の行動をどう修正したら良いのかわからない
というケースです。

声かけの工夫>聴覚情報>言葉 のところでも書きましたが
認知症は記憶の低下だけが症状ではありません。
その他にもさまざまな症状・障害が現れます。

その一つが言語理解力です。
ぜひ上記のページをご参照いただきたいと思います。
「そういえば。。。〇〇さんってこういうことだったのかな?」と
きっと思い当たることがあると思います。

どんなに敬語を重ねても
意思疎通がとれないと言われていた方に
意図的に言葉を選択するようにしたら
見事に疎通がとれるようになったというケースは山ほどあります。

介護拒否、暴言、暴力というカタチで現れている中に
「何を言われているのかわからない」
からで
何を言われているのかわかるように伝えたら
介護拒否、暴言、暴力が減少することは山ほどあります。

対象者の言語理解力を評価した上で
適切に使う言葉を選択する

当たり前のようでいて
実は現場ではなかなか為されにくい

職員主体の声かけは、まだまだ多いのが実情です。

「必ず敬語を使う」
というのは善意からの発想であることに疑いはありませんが
でも、よくよく考えてみると、これだって職員主体の声かけになっています。

敬語というのは
婉曲な表現、冗長な表現になりがちで
もちろん理解できる方に使うのは適切なことではありますが
理解できない方にとっては混乱させてしまうことになってしまいます。

「オミアシヲアゲテクダサイ」
はその一例です。