
転倒リスクの高い方が
食堂からパントリーを指さして
「あそこに行く!」と言って立ち上がろうとしています。
(あそこに行って何をしたいんですか?)と尋ねたら
「あそこの向こうにある郵便局に行くんだ!」と答えました。
パントリーには食べおわった食器が並んでいます。
パントリーの向こうは廊下です。
さて
あなただったら、どう対応しますか?
答えは
今週の土曜日、2月19日に掲載します。
2月 16
転倒リスクの高い方が
食堂からパントリーを指さして
「あそこに行く!」と言って立ち上がろうとしています。
(あそこに行って何をしたいんですか?)と尋ねたら
「あそこの向こうにある郵便局に行くんだ!」と答えました。
パントリーには食べおわった食器が並んでいます。
パントリーの向こうは廊下です。
さて
あなただったら、どう対応しますか?
答えは
今週の土曜日、2月19日に掲載します。
2月 13
キノコ類が冷凍できるって知らなかったんです。
冷凍したほうが旨味も栄養もアップすると知ってから
椎茸、舞茸、エリンギ、エノキ、しめじ等
いつも冷凍しています。
その他にも
長ネギ、白菜、にんじん、里芋も冷凍常備中
良い長ネギが手に入ったら、緑の部分を細かく刻んでこれも冷凍
具沢山汁が簡単にできます。
キノコからも野菜からも出汁が出ておいしいお味噌汁がすぐにできます。
鍋の時も
白菜に火が通るまで時間がかかったけど
冷凍白菜ならあっという間に火が通るので調理時間も短縮できます (^^)
2月 13
私は認知症治療病棟に勤務しているので
病棟にいる時間が長いというメリットを最大限活かすことができます。
自分が関与するリハの時間以外に
対象者の方がどんな風に過ごしているのか
時間帯によっての変化などを
すぐに自分の眼で確認することができます。
電子カルテは本当に便利で
採血結果などもすぐに確認することができます。
確かに
生活障害やBPSDには
対象者の能力と障害と特性が反映されていますが
障害が本当に障害なのか
自身が判断した障害なのか
ということに関して、きちんと確認をしています。
30年以上も前に
実習に行った時にものすごく怖かったことは
「自分が対象者の状態像を判断する責任を持つ」
ということです。
見立てを間違えたら、申し訳ない。
他人様の状態像を間違えて把握したら、とんでもなく失礼なこと。
自分は幼少の頃にそろばんを習っていたのと家庭環境から
検算する、確認するということは習い性となっていましたが
それでも、強く感じたことです。
見立てた障害であるならば
特定の場面だけでなく
いろいろな場面に影響が現れるから
ある特定の場面だけでなく、他の場面での現れもきちんと確認しています。
病棟にいる時間が長いとその確認が容易に行えます。
一番、良いのは
自然な場面での対象者の方同士の関係性を観察できることです。
職員に対しては
職員だということがわかって気を使った対応をする方も大勢いるからです。
何か問題が表面化してから観察するのではなくて
普段から観察していれば、普段との違いを明確に感受することができます。
例えば
普段は誰に対してもニコニコして穏やかに応対する方なのに
何をどう言っても怒りっぽくなる方がいます。
身体の不調がないか、電子カルテで体温表を確認すると
便秘で排便が3日ないことがわかります。
当然、看護介護スタッフは排便援助をしていますから
排便後の言動変化を観察していると穏やかになったことがわかります。
一度、そういうことがあれば
排便間隔を頭の中に入れておいて観察を重ねると
あぁ、便秘の時に怒りっぽくなる方だということがわかります。
この方への対応としては
結果として起こっている「易怒性」への対応を考えるのではなくて
排便コントロールをすることが大切だと判断できます。
また
認知症のある方では水分量が管理されていたとしても
低ナトリウム血症や脱水が起こりやすいものです。
今まで食事を自力摂取していた方が
急にスプーンをうまく扱えなくなり食べこぼしが増えるということも起こります。
結果として起こっている
スプーンをうまく扱えないという表面的な困難を見て
自助具を作って提供しても食べこぼしは改善されにくいものです。
低ナトリウム血症であれば
食事以外の場面でも倦怠感や覚醒低下などが現れているものです。
この時に普段のその方の暮らしぶりを認識できていれば
今、起こっていることとの違いを判断できます。
元来、血中ナトリウムが低めの方は要注意。
主治医と相談して、採血、低ナトリウム血症への対応をすることが最優先となります。
これらのケースは非常にわかりやすい例ですが
「何をどう言っても怒る人がいるんですけど、どうしたら良いでしょうか?」
「食べこぼしが多い人がいるんですけど、どうしたら良いでしょうか?」
という表面的にハウツーを求める質問や
そのような質問に反映されている臨床思考が役に立たないことの証左でもあります。
状態把握、評価、アセスメントが重要とは
繰り返し強調していることですが
的確な状態把握のためには、その前提として総合的な情報収集が必須です。
総合的な情報収集とは何か
普段の対象者の能力と障害と特性を把握していること
全身状態とその傾向と経過を把握していること
何か普段と違う状態があれば、該当場面だけではなくその他の場面での言動を確認すること
総合的な情報収集がないと状態像を見誤ります。
非常によくあるのが
「口の中に溜め込んでしまって飲み込んでくれない人がいるんですけど
どうしたら良いでしょうか?」
という質問です。
覚醒状態はどうですか?と確認すると
「大丈夫です」という答えが返ってきます。
食べる時に目を閉じていませんか?
食べ始めは飲み込んでくれるけど後半になると溜め込みが目立ちませんか?
食事以外の場面でも目を閉じていることが多くありませんか?
声をかけても返事がないことが多くないですか?
と確認すると「その通りです」と言われたりします。
「それを覚醒不良と言います。溜め込みよりもそちらの方が問題です。」
と答えることがよくあります。
食事の場面での困りごとは
なんとか食べていただこうとして
「食べる」ということに限局して
表面的に見える問題を本質的な課題として捉える人が多くいます。
このような臨床思考は食事場面に限りません。
該当場面での職員の無自覚な要求が認知バイアスとなって
対象者の状態像把握が的確に行えないということは現場あるあるです。
このような臨床思考は
問題を見誤らせ、誤認させ、対応を誤らせたり、後手に回ることになりかねません。
事実を事実として観察できる
事実に反映されている能力と障害と特性を洞察できる
その担保として、総合的な情報収集の必要性を痛感しています。
2月 12
OTが陥りがちな誤謬の罠
立方体透視図模写テストや五角形模写課題を検査することはできても
構成障害とは何ぞや?と問われた時に答えられなかったり
トレイルメイクングテストの検査方法を知っていても
遂行機能障害とは何ぞや?ということを言語化できない人は少なくありません。
検査のための検査、テストのためのテストになっている。
この障害にはこのバッテリーをする。と教わったからやっている。
でも
概念を明確に認識することなく行っているから
結果を日々の行動観察と結びつけ、洞察することができない。
だとしたら
まずすべきことは
構成障害とは何ぞや?
遂行機能障害とは何ぞや?
という概念を明確に認識することから始めるべきです。
もしかしたら
養成校や各種研修会で
訳のわからない長い定義みたいなものを教えられて
わかったようなわからないような気持ちになって
でも「もっとわかりやすく、はっきりと教えてください」なんて言えるわけがなく
もやもやした気持ちを抱えながらも、
テスト対策のために言われた言葉を覚えるのに精一杯で
そのうち忘れてしまって
なんとなく心のどこかでマズイかも。。。と思いつつも
それとなく同僚や先輩に聞いてもちゃんとした答えが返ってこなくて
いつの間にかそのままになってしまっていた。。。
なんてことがあるんじゃないかしら?
OTは確かにさまざまな分野で
多種多様な知識と技術を蓄積・発展させてきましたが
一方で本質的な課題については
いまだに私が学生の頃と同じような状況が続いているようにも感じています。
たとえば
目標とは何?
今、即答できなかった人は
目標を目標という形で設定できていない人です。
そんなの別に大したことじゃない。
目標なんてどうでも臨床と関係ない。
そう思わされているかもしれませんが。。。
たぶん
目の前の臨床に追われていたということもあるのでしょうけれど
目の前のできごとには必ず本質も反映されているものです。
そういうことがわかる人って少ないものです。
今までは
概念の本質的な把握
明確に認識するということがどういうことなのか
曖昧な認識で臨床に向き合うとどのような弊害が起こるのか
言語化して説明できる先輩があまりに少なかった
実際のケースをもとに説明してくれる先輩が少なかったのではないかと考えています。
本質的な課題を改善・解決できないから
一層、表面的な対応に注力されてしまった。。。
理論、論文作成・発表、EBM、バッテリー、やりたいことをやる、OTの素晴らしさを語るetc. etc.
本当は自身の臨床能力を高める、結果と出すために
対象者の能力と障害と特性を見極め、観察・洞察を磨き
オーダーメイドの展開ができるように注力すべきだったと考えています。
いろいろな分野の中でも
認知症のある方に検査はできないから
「何をしたらよいのか、わからない」
「認知症は難しい」
という感想になるんだと思うけど
本質がわかっていないから認知症のある方への対応に困る
というカタチで現れているだけで
どの分野においても共通した問題が潜在しているんだと感じています。
もっと地道に
概念の本質を把握する、明確に認識するということを一人一人が始めるべきだったんです。
そうすれば、事実に基づいて観察することができるようになります。
観察ができれば、今その方に何が起こっているのかということを洞察できるようになります。
だから、結果として起こっている生活障害やBPSDに対してどうしたら良いのかということが
自然と浮かび上がってくるのに。。。
何事も始めるに遅くはなし
ひとりでも多くの人が
結果が出せる
臨床能力を高められるように
観察・洞察を磨けるように
養成校の教員も臨床家も
ともに手を携えて初心に返ってリスタートする
良い時期なんじゃないかな?
2月 06
認知症のある方の
生活障害やBPSDといった困りごとの改善や
能力と特性の発揮のためには
評価、アセスメント、状態把握ができることが重要です。
評価、アセスメント、状態把握とは
決して、検査やバッテリーをとることではありません。
その時その状況を事実に即して、観察・洞察できることを意味しています。
観察・洞察というと
客観的ではない、科学的ではない、根拠に乏しい
といった批判もあるようですが
批判されるべきは、未熟な観察・洞察であって観察・洞察そのものではありません。
観察の解像度を上げるためには
知識の習得が必要です。
知識の習得とは
単に知っている。ということではありません。
概念を明確に理解することです。
曖昧な理解しかできないから観察し損ねている人がたくさんいます。
その代表例が、「短期記憶」です。
この言葉、概念の誤認と誤用については
「現場で役立つ認知症研修会ー観察力を磨く」において説明します。
他にも、遂行機能障害、構成障害という
認知症のある方の生活障害に大きく関わっている障害について
言葉は学校で聞いたことはあっても
意味を明確に説明できない人はたくさんいます。
「わかっちゃいるけど言葉にできない」
と言う人もたくさんいますが
本当にわかっていれば明確に言語化できます。
明確な言語化を突き詰めた先に
どうしても言葉にできない領域がありますが
突き詰めてもいない人にはそこまで到達できません。
遂行機能障害や構成障害とは何ぞや
という言葉の意味を言語化できないから観察できないのです。
観察できないから、当然、障害も能力も洞察できない。
結果、検査やバッテリーを活用するのではなく
検査やバッテリーにすがるしかなくなってしまう。。。
そのような人には観察・洞察とはどういうことか見当もつかないことだから、
観察・洞察を批判する。。。
最も大きな瑕疵は、自身が観察し損なっていることの自覚がないことです。
本当は無自覚に意識下では、気がついていると思う。
でも自覚してしまうと困るのは自身だから
困らないように自覚することを回避しているんじゃないかな。。。?
けれど
観察し損なっているという自覚さえ芽生えれば
観察できるようになるチャンスがある
ということでもあります。
答えは常に目の前にあります。
ピンチはチャンス
そのためには
概念を明確に理解することが最初の一歩です。
そのお手伝いができればと思って
こちらのサイトを立ち上げましたし
研修会も継続開催するつもりですし
今の自分でできることを実行していきたいと思っています。
2月 05
NHKの「王者のジャンプ」を見て
なるほど!と思いました。
宇野昌磨は、サルコージャンプの成功率を上げるために
コーチのステファン・ランビエールから
「踏切の感覚を掴むにはリンクの同じ場所でジャンプの練習をすると良い」
とアドバイスされたそうです。
有益なアドバイスって具体的
と改めて感じました。
私がご家族にお話する時や
他職種への伝達、退院先の施設へのサマリー記載など
いつも気をつけていることです。
具体的に言える、書けるためには
明確にわかっていることが大前提です。
以前にあるご家族から
「いろいろなところへ介護相談に行った。
どこでも抽象論を言われ、それはそうだとは思ったが
肝心の相談したことに対しては具体的な答えをもらったことがなかった。
あなたから初めて具体的に明確に説明されて答えをもらえた。
こんなことならもっと早く来ればよかった。」と
昔に比べれば相談機関、相談できる場所は増えています。
でも、ご家族が認知症のある方を誰かにお願いして
相談に出かけるのは容易なことではありません。
やっとのことでお願いして
作った時間で行ってみたら
抽象論、総論、理想論ではぐらかされたような感じがしたら
もう困った時に相談に行こうとは思わなくなってしまうのではないでしょうか?
2月 04
評価、アセスメント、状態把握
というと、検査をしたり、バッテリーをとったりすることだと誤解している人もいます。
検査やバッテリーを否定はしません。
検査しなければわからないこともたくさんありますが
対人援助職としては
日々のケアに活用できるように
検査やバッテリーよりも、まずは、観察・洞察できることが重要です。
観察・洞察 というと
主観的で根拠に欠ける、非科学的と言う人もいますが、ここに誤解があります。
批判されるべきは未熟な観察・洞察であって、
観察・洞察そのものではありません。
優れた観察・洞察こそ、対応の工夫に結びつくものです。
観察・洞察を批判する人は
優れた観察・洞察ができる人の存在を知らないのでしょう。
検査やバッテリーをとっても
どのように声かけをしたら興奮が落ち着くのか
どのように対応したら帰宅要求が落ち着くのか
などの生活障害やBPSDへの対応の工夫の答えは出てきません。
また
認知症のある方をよく観察している人ならご存知の通り
障害も能力も変動があります。
日によってできることが異なったり、疎通や認識の程度も変わります。
検査やバッテリーは
確かに共通の軸で、ある瞬間の困難を切り取ったものです。
でもその結果が常に認知症のある方の困難を反映しているものではありません。
そういう時があった。というのは事実ですが
毎日毎回そういう状態だとは言えないのです。
検査をした時と異なる状態の時では、対応の工夫は違うはずです。
その時その場で
認知症のある方が状況をどのように感受し判断し対応しようとしているのか
生活障害やBPSDの場面そのものに答えがあります。
困りごとへの対応を考える時には
困りごとが起こっている場面そのものに
反映されている能力と障害を観察・洞察できてこそ
本当に有効な対応の工夫が浮かび上がってくるのです。
だから、その場で即応できる。
評価、アセスメント、状態把握は
本来、対応に活用するために行うものです。
一見、表面的には同じように見える生活障害やBPSDに
反映されている能力や障害が異なることも多々あります。
その時その場で即応することができるためには
その時その場での観察・洞察ができなければ。
検査やバッテリーをとっても観察・洞察できなくて
困っている人がたくさんいると思います。
「どうしたらいいの?」と尋ねるよりも
「今、目の前の方に何が起こっているのか」を観察・洞察できるように
そのために正しく知識を習得することから始めるしかないのだと感じています。
関連して
「どうしたら良いのか考えてはいけない」
もご参照ください。
1月 31
毛糸モップを例に
工程の伝え方について説明します。
工程の最初から説明するのではなくて
工程の終わりから体験していただきます。
毛糸モップの実際の工程は
下の写真の通り、毛糸を針金のハンガーに結びつけていくのですが
(糸先の向きや毛糸の上下など、人によってやりやすさが違うので、そこは変更しながら)
工程を理解してもらうためには
終わりから体験していただきます。
この状態にして「毛糸の先をキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになってから
ひとつ前の工程に遡った状態にしてから
「毛糸の先をキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになったら
さらにひとつ前の工程に遡った状態を提示して
「毛糸の先を輪の中に入れてからキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになったら
「毛糸を針金の下をくぐらせてから
輪の中に入れた糸先をキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになったら
糸先を真っ直ぐに潜らせる工程を追加で体験できるように
あえて糸先をずらせて提示しておきます。
ここまでくると、声をかけなくても動作できる方も大勢いますし
声かけが必要であれば
どこで戸惑っているのかをよく観察して声をかけます。
つまり、
糸先を真っ直ぐ向こう側に変えるところか
毛糸を針金の下をくぐらせるところか
毛糸を針金の上から輪の中に入れるところか
戸惑っているポイントで声をかけます。
対象者の方は必死になって取り組んでいるので
無駄な声かけは一切しないように
よく観察することを心がけています。
次に、上の写真のような提示の仕方でも
毛糸をひとつだけ取って迷いなくできるようになればOKです。
念の為、複数の毛糸がある中から1本だけ毛糸を選んでつまめるか
上の写真のような設定をして、確認します。
もしも、途中で違う行動をしたり
戸惑う様子があれば
確実にできる工程まで戻って
確実にできる工程を繰り返し体験していただきます。
不安そうな様子があれば
確実にできる工程を繰り返し体験していただいて終わりにします。
近時記憶が低下していて
MMSEやHDS-Rの得点が1桁の方でも
再認できる方はとても多いものです。
HDS-Rが3点の方でもできた!というメールを受け取ったこともあります。
体験の再認が可能な方は大勢います。
毛糸モップは、
毛糸や糸、針金という素材の面からも
結ぶという動作の面からも
なじみのあるActivityですし
少ない工程の繰り返し
仕事的意味合いの高いActivityなので
重度の近時記憶低下がある方でもできるようになる可能性の高いActivityでもあります。
Activity選択の考え方については
こちらの記事をご参照ください。
認知症のある方にActivityを勧めると
「私、何もできない」
「難しいことは嫌」
と言われることが多々あります。
暮らしているだけで
失敗体験を積み重ね、必死になって日々を送っているのですから
Activityで余分な失敗体験をさせたり不安な気持ちを喚起させないように気をつけています。
「一緒にやるから大丈夫」という言葉の危険性については
下記の記事で警告しています。
構成障害のある方には、適さない声かけなんです。
・https://yoshiemon.info/2021/09/04/study/update/2370/
・https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3429
・https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3630
工程の終わりから体験学習する
その過程において
声かけはピンポイントで
言葉だけに頼らずに対象に工程を語らせるという工夫をしています。
工程の終わりから体験学習するという方法は
食事場面での上肢操作練習、スプーン操作練習でも行っています。
ここは、案外多くの人にとって盲点となっているように感じています。
1月 29
たったひとりでも変わる意義
「自分一人が頑張ったって。。。」
時にはそんな無力感に襲われることもあるかもしれません。
その気持ちは本当によくよくわかります。
でも、決してそんなことはありません。
自分一人が頑張ることには大きな意義があります。
例えば
どこか言葉の通じない外国に
いきなり空間移動して放り出されたことを仮定想像してみてください。
通りがかりの人に話しかけられても
何を言われているかわからないから不安で仕方がありません。
仮に通りがかりの人が心配して警察に連れて行ってくれようとしても
どこに連れて行かれるかわからなければ抵抗するかもしれません。
そんな時に身振り手振りであったとしても
真摯にあなたを心配してくれて何とか警察に行くから心配いらない
ということをわからせてくれる人がいたら
どれだけ安心できるでしょうか?
そんな人がたった1人いるのといないのとでは大違いです。
みんなが一斉に同じことをできないからといって
対象者のためにならないわけではないのです。
もちろん、みんながみんな高いレベルでの対応力を身につけられたら
それに越したことはありません。
でも、対象者のために最も重要なことは
本当に役に立つことができる人がいる。
その最初の一歩を踏み出せる最初の1人がいる。
ということなんです。
非常に乱暴な言い方をしますが
対象者の30%の能力しか発揮を促せない職員が10人いるとして
10人の能力を50%に高めるよりも
たった1人でいいから、90%の能力発揮を促せる人がいることが大切です。
その1人がいるのといないのとでは
対象者にとっては世界がガラリと変わります。
言葉の通じない外国での仮定の話のように
「この人は私のことを本当に理解しようとしてくれる」
まず安心感が違います。
そして現実に
「90%能力発揮を促してくれる人の関与がある時には私はこんなにもできる」
という体験ができます。
「私がダメになったわけじゃない。
関与によっては私はここまでできる。」
というエンパワメントを受けます。
「その人がいないとできないんじゃ辛いんじゃない?」
って言う人もいますが、逆なんです。
「関与次第で私ができることが異なる」
という事実そのものを明確に実感・認識できることが大切なんです。
辛いんじゃない?
と言う人は、一見対象者のことを心配しているようでいて
その実、心配しているのは
「関与次第で対象者ができることが異なる」と言う事実を認識したくない職員がいる。
その事実を認識したら辛くなったり困る職員を心配しているんです。
90%の能力発揮を促せる人がいる、そこまでの関与ができる人がいると
その人が関与したことによって
対象者が変わってきます。
対象者が変われば職員も変わります。
対象者の変化の影響を受けて30%しか能力発揮を促せなかった職員が
60%まで発揮できるように変わることも起こり得るし
「何があったの?」と90%の人に尋ねる職員も出てきます。
よく観ている職員は密かに90%の職員の言動を真似たりもします。
連携のそもそもの原点は対象者のためです。
たったひとりでも変わる意義があります。
ぜひ、最初の一歩を踏み出す最初のひとりになってください。
< 概 要 >
1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義
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