キムチが余ったら細かく刻んでおきます。
厚揚げをフライパンで火を通します。
厚揚げに火が通ったら刻んだキムチを投入!
フライパンの中央を空けてからケチャップを投入!
ケチャップを炒めてから全体を混ぜ合わせて完成で〜す。
キムチ味の目先が変わるし
厚揚げも和風の味付け以外で食べられるし
何より簡単なのが良いところ (^^)
面倒な調味料なしで作れます。
11月 11
リハやケアの分野で
「その人らしさ」という言葉を聞いて
プラスのイメージを抱く人は多いと思いますが
さて、「その人らしさ」って何ですか?
「その人らしさを大切にする」「その人らしさを尊重する」
とは、リハやケアの分野でよく聞く言葉ではありますが
私たちのどういう言動がその人らしさを大切にすることで、
どういう言動がその人らしさを尊重していないことなのでしょう?
リハやケアの分野あるあるなのは
なんとなく喧伝されていることに乗っかってしまいがちなことです。
具現化する努力よりも唱え合うことで満足してしまいがちなことです。
本来、「その人らしさ」にプラスもマイナスもありません。
「その人らしさ」がプラスに働くかマイナスに働くのかを
決定づけるのは、その時の状況です。
認知症のある方の場合に
物事をきっちり遂行するタイプの方が
きっちり遂行するよりも優先すべきことを判断できずに
周囲にとってちょっと困った行動に見えることもあります。
例えば、集団でのActivityの後に
自身が座っていた椅子をきちんと机の中に入れてくださり
その隣の椅子も同様に片付け、さらにその隣の椅子も。。。と
「きちんと片付ける」ことに集中してしまい
なかなかお部屋に戻れなくなってしまったり。
例えば、他者への気遣いを行動で示すタイプの方が
自分が座るように促された席に職員を座らせようと思って
違うところに移動して何をどうするのかわからなくなってしまったり。
その人らしさがあるがために
動作干渉となってしまい、近時記憶の低下によって
そもそもの目的、何をする予定だったのかがわからなくなってしまう
他者に助けを求めることができなかったり
周囲に誰もいなければ自分でなんとかしようとしてドツボにハマってしまう
。。。ということもよくあることです。
その人らしさは諸刃の剣となって現れる
「その人らしさを大切にする」
「その人らしさを尊重する」
と言う人は多いですが
私には具体的に現実的に何をどうすることを意味しているのかがわかりません。
だから私はこれらの言葉を使ったことはありません。
そのかわり、その方自身が大切にしていることは何なのか
普段の場面から観察・洞察するようにしています。
長年大切にしてきたであろうことがプラスに働くようにActivityを選択したり
長年大切にしてきたであろうことがどのように生活障害というマイナスのカタチで
反映されているのかを観察するようにしています。
そうすれば、生活障害を援助するにあたり
より適切な介助を、より適切な言葉を選び、より円滑に
大切にしてきたこととイマ、ココですべきことを両立させる働きかけが可能となります。
さて、あなたに質問です。
「その人らしさって何ですか?」
端的に明確に答えられますか?
その人らしさって何?
そう尋ねられて端的に明確に言語化できる人は少ないものです。
その人らしさとは、特性のことです。
その人が繰り返し使ってきた行動のパターンのことです。
行動のパターンなので
パターンが良い結果となることも
そうでないこともあります。
認知症のある方の場合
すでに書いてきたように
特性が裏目に出ると生活障害というカタチに見えるので
単に判断力低下と職員が誤認してしまい適切に対応できない
しかも、職員がそのことを自覚できていない
認知症のある方が疑問を抑圧せざるを得ず
本当の問題が表面化しにくい
認知症のある方は表面的に職員の指示に従っても
本当の信頼関係が構築できにくい
というケースがかなりあります。
「その人らしさを大切に」と唱えている場合じゃありません。
繰り返し唱えることで事態が改善されることはありません。
唱える前に、まず概念の本質を理解することが大切です。
概念の本質を理解できれば観察・洞察への道が開けます。
10月 22
メディカル・マークスターさん主催で
オンライン講演が開催されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024年2月15日(木)19:00〜21:00
「認知症のある方へのリハビリテーション
基礎編〜声かけを視聴覚情報の視点で捉え直し工夫する〜」
2024年2月29日(木)19:00〜21:00
「認知症のある方へのリハビリテーション
事例編〜生活障害やBPSDへの対応の工夫〜」
2024年3月14日(木)19:00〜21:00
「認知症のある方へのリハビリテーション
臨床編〜骨折後のリハ・ポジショニング・Activity・食事介助〜」
参加費は各日2,000円
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
認知症のある方への対応の工夫について
現行踏襲されている方法論の何が問題なのか
どうしたら良いのか
認知症のある方に本当に役にたつことがしたいと思う人に
きっと助けになる内容です。
他では聞けない思考過程を実際の体験談を通してご説明いたします。
抽象論を唱えたい人には向きません。
今、本当に困っている人にこそお役に立てる内容です。
詳細・お問い合わせ・お申し込みは
こちら へ
10月 21
私が大好きな「ゲド戦記」
(映画じゃなくて原作の方です)
なかでも「帰還 ゲド戦記最後の書」は何回も繰り返し読んでいます。
ファンタジーなんだけど
驚くくらい現実を反映してもいます。
臨床心理学者の河合隼雄の本で紹介されていて
それから読み始めたのですが、もっと早く出会えていたら。。。と思った本です。
テナーとコケばばとのやりとりがものすごく深くて鋭くて。。。
テナーという女性は昔ある国の女王として奉られ深い闇の世界に暮らしていました。
コケばばは魔法使いではなく女まじない師として暮らしています。
この本では「知と力」の暗喩として「魔法」が登場します。
ちょっとコケばばの言葉を引用します。
・・・・・・・・・・・・・
p.81より
「(前略)
もし、わしの顔にちゃんと目がありゃ、わしにはおかみさんに目があるのがわかる。そうじゃないですかね。もし、おかみさんが目が見えなくても、わしにはそれとちゃんとわかる。もし、おかみさんがあの子みたいに一つしか目がなくても、反対に三つ目があっても、それもこっちにはわかる。だけど、わしの方に見る目がなかったら、相手に目があるかどうかは言ってくれなきゃわからない。
(後略)」
・・・・・・・・・・・・・
言ってくれなきゃわからない
まさしく、まさしく!
見る目があるから相手のことがわかる。
見る目がなかったら相手に言ってもらわないとわからない。
認知症のある方のほうから
何を怒っているのか解説してくれることはありません。
認知症のある方のほうから
食事介助ではここが食べにくいのでこうしてくれたら食べやすくなると
解説してくれることもありません。
こちらに見る目があれば
何を怒っているのかがわかるし
どこが食べにくくなるかもわかるし
だから、どうしたら良いのかもわかるのです。
臨床能力を高めるうえで最も大切なことは、見る目を涵養することなんです。
検査やバッテリーや理論や論文の読み書きは観察の視点を増やすことはあっても
観察力を磨くことに直結はしていません。
観察力を磨くことに直結するのは基本的な知識の習得です。
ここで怠られがちなのが、概念の本質を理解する力です。
「構成障害って何?」と尋ねられて
端的に明確に即答できる人がどれだけいるでしょうか?
「遂行機能障害って何?」と尋ねられて
端的に明確に即答できる人がどれだけいるでしょうか?
「目標って何?」と尋ねられて
端的に明確に即答できる人がどれだけいるでしょうか?
往々にして、専門用語を使ってはいるけれど
専門用語の概念の本質を理解していなかったりします。
だから、日頃の臨床場面で
五角形模写テストや立方体透視図模写テストをしたり
トレイルメイキングテストをしているのに
端的に明確に即答できなかったりするのです。
目標を目標というカタチで設定できずに方針や治療内容を目標として設定してしまうのです。
HDS-RやMMSEをとっても
日頃の臨床場面で記憶の連続性がどの程度あるのかを根拠にした声かけができなかったりするのです。
端的に明確に答えられないということは
わかっていないということなので
わかっていないから目の前で起こっている事象からそれらの障害を観察することができないのです。
(時々、わかってはいるけど言葉にできないだけ。と言う人もいますが、それはあり得ません。
わかった気になっているだけなので言葉にできないのです。)
目の前で怒っている方が何に怒っているのかを
観察できないのは、こちらの能力不足のせいで
認知症のある方が怒るには怒る必然性があって怒っています。
その必然性は、その時その場のその関係性の中にいるあなたにしかわからない。
私たちは専門家としてそれだけの責務があるのです。
「あの人はすぐに怒る」
確かにそうかもしれません。
でもそれって専門家でなくてもその程度のことはわかりますよね?
怒りという形で表現しているもの、怒りに反映されている能力と困難と特性を把握できるから専門家なのではないでしょうか?
認知症だから
能力が低下しているからすぐに怒る。とは限りません。
むしろ能力があるからこそ、すぐに怒る方だっています。
見当識と記憶が曖昧になると
現実の体験・感情と、過去の体験・感情が混同されてしまうことも起こり得ます。
そこを解きほぐさないと。
どうしたら良いのかは、その次の話です。
たいていの場合に
専門家としてすべきことをすっ飛ばして
「どうしたら良いのか」悩んでいるわけです。。。
だから、適切な解を見出せるわけがない。
私は生活障害の場面から
反映されている能力と障害と特性を観察しています。
障害を観察するには認知症固有の知識が必要ですが
臨床家としての基本的な臨床態度は
どの障害・疾患・分野でも共通しているものだと考えています。
認知症に関する質問を受けて
私が危機意識を抱いているのは
これって本当に認知症限定のことなんでしょうか?ということです。
認知症はOTが対象としてから、まだまだ蓄積が少ない分野です。
だから表面化しているに過ぎないのではないでしょうか?
10月 18
「すぐに怒る方がいてどうしたら良いのかわからない」
という質問をたくさんいただきます。
いくら専門家といっても
怒られたら嫌だし怖いですよね。
人として当たり前の感情は否定せずに受け止める。
でも、同時に、貴重な情報収集の機会として活用すべきです。
「怒る人がいる→怒らないようにするにはどうしよう」
というような表面的な対応を考えるのは、もう卒業しましょう。
怒る人は、いったい何に怒っているのかを情報収集することから始めます。
ここでいう情報収集とは
「〇〇に怒っていたのかも」
「△△に怒っていたのかも」
と勝手に考えるのではなくて
認知症のある方が怒った場面を振り返ります。
認知症のある方と自分がいる場面、周囲の環境は
どんな状態だったのか
認知症のある方が感受したであろう視覚情報や聴覚情報は何だったのか
自分は何をどんな口調でどんな風に伝えたのか
その時の距離や身体の動きはどのようだったのか
次に
認知症のある方の
記憶の連続性や見当識、言語理解力や言語表現力を把握できていれば
上記の環境情報をどのように感受し認識したのか推測できます。
そうすれば
回避すべき言葉や口調、表情や態度、場面設定が
自然と一本道のように浮かび上がってきます。
多くの場合に
認知症のある方の記憶の連続性や
言語理解力や言語表現力を把握できていないことが多々あります。
その方の特性も把握できていないので
踏んではいけない地雷を無自覚に踏んでいることもあります。
認知症のある方が怒りっぽいのではなくて
実はこちらの声かけを理解できないから起こっていることも多々あります。
身体的な疾患、つまり具合が悪くて自身の状態を的確に伝えられなくて
怒ってしまうことも多々あります。
怒らせないようにする方法がわからないのではなくて
認知症のある方が何に怒っているのかわからない
どうしたらよいのかわからないのではなくて
何が起こっているのかわからない
つまり、対応の問題ではなくて評価の問題であり
問題設定の問題なのです。
認知症のある方の困りごとを解決しようとするのではなくて
自分が認知症のある方に困らされていると無自覚に判断している
自分の困難を認知症のある方の問題として投影しているのです。
こういった専門家と呼ばれる人たちの現実は
潜在していて表面化していませんが
実は、いろいろな場面でカタチを変えてたくさん起こっています。
まずは
問題設定を変えてみましょう。
そうすれば、情報収集しようと自然と思えます。
10月 14
例えば、ALSをはじめとする神経筋疾患など疾患によっては
喉頭挙上の低下は確かに筋力低下として起こりえます。
ですが、そのような疾患のない、生活期にある方で
喉頭不完全挙上する方はたくさんいます。
ところが
食べ方を観察していない職員は見落としています。
開口が良かったりすると尚更です。
ほとんど喉頭が動かず
咽頭部に食塊が貯留しているのに
食べ方の危険性を把握できなかったりします。
ムセていないから
この、ムセへの過大評価はやめてほしいと思います。
それより
喉頭の動きをきちんと目で見て観察することの大切さを強調してほしい。
喉頭挙上能は、変動します。
姿勢によって
頭頚部の支持性によって
介助者のスプーンテクニックによって
食形態によって
私はかつて
silent aspiration(ムセることすらできない状態)の方に4名遭遇したことがあります。
そのうち3名の方は改善しました。
喉頭がほとんど動かない状態だったのに
介入を初めて3日目には、常にではありませんが、喉頭完全挙上するまでになりました。
この事実をどう考えますか?
筋力ってそんなに簡単につくものでしたっけ?
10月 10
働いていれば
「どうしたら良いのだろう?」と悩むことはたくさんあります。
そのような時には
考えるのではなく
誰かに聞くのでもなく
観察に立ち戻ります。
食事介助でも
ポジショニングでも
BPSDへの対応でも
Act.の選択でも
どうしたら良いのか。。。ということは
評価さえできていれば、一本道のようにスーッと浮かび上がってくるものです。
〇〇という困難はあるけれど
△△という能力がある。
⬜︎⬜︎という状況を☆☆と認識しているだろうから
**という対応をする。というように
浮かび上がってこない時には
評価ができていないから
そして、そういう時にはたいてい観察ができていないんです。
認知症のある方の言動を見落としているか
自身の非言語を含めた言動を見落としているか
それらを見誤っているかのどれか、もしくは重複です。
じゃあ、どうしたら
見落としなく見誤ることなく観察力を磨くことができるのか
了解をもらって録画しましょう。
そして繰り返し繰り返し見返しましょう。
虚心に見返すことがポイントです。
そうすると知識がなくても違和感を覚える場面があるはずです。
知識があればハッと気がつくことができます。
意図していなかった自身の言動の不適切さに気づくこともあるでしょう。
観るということは、事実をありのままに観るということです。
専門家と呼ばれる人たちが陥りやすい罠は
事実をありのままに見るのではなくて
あらかじめよく耳にする言葉ですぐにくくってしまうことです。
よく使われているギョーカイ用語(専門用語ではない)でくくる
ということは
事実をありのままに観るのではなく
判断を交えて見ている、つまり思い込みをもって見ている
ということを表しています。
こういう人たちは本当に多いです。
OTも多いですけど他の職種の人たちも多い。
というか、そうでない人の方が少ないんじゃないかな?
考えてみれば
卒前卒後の養成過程において
観察をさせ言語化させる機会ってあんまりないんじゃないでしょうか。
専門家としての観察力ってとても重要な能力なのに
検査やバッテリーや論文や理論の重要性が語られることはあっても
観察の重要性って何故かあまり語られていません。
(本当に観察できてる人の少なさを示しているんじゃないかと思います)
グループワークの導入が進んでいますが
認知症のある方への対応を考えさせるようなグループワークは
百害あって一利なし。です。
観察よりも勝手な思い込みを助長させてしまうから。
もしも、グループワークをするなら
ある場面を見させて、観察・言語化しあう。
そして最後にきちんと解説できる人が解説する。
というような体験が必要だと思います。
(解説者が専門家としての観察力を持っていることが必須ですが)
養成の問題は養成の問題としてありますが
臨床での問題は待ったなしです。
誰かの助けを待つよりも自分で自分を育てる方が
手っ取り早いし確実でもあります。
先に挙げた観察力を磨く方法は
今すぐに自分一人でもできる方法です。
臨床能力を高めたいなら観察力を磨くべきです。
観察の解像度を上げることができれば
より細かくより明確に状態像が把握でき
より精密により適切な場面設定を含めた対応ができるようになります。
そのことは確実に認知症のある方に伝わります。
その結果、認知症のある方の本来の能力を目にすることになり
自身の努力を支えられることにもなります。
10月 07
日総研さん主催のオンラインセミナー2本の聴講を延長受付中です。
「認知症のある方への声かけ・対応の工夫」
https://www.nissoken.com/s/175630/index.html
入門編として
まず私たちがきちんと整理して対応すべき声かけの工夫について説明しています。
内容は障害と能力の観点から整理したもので他では聞くことができない内容となっています。
「摂食・嚥下5相で理解する食事中の観察ポイントとスプーンテクニック」
https://www.nissoken.com/s/175620/index.html
基礎編として
「食べる」機能解剖をご説明し、その上でしてはいけないスプーン操作
望ましいスプーン操作とその意義を説明しています。
この基本ができて初めて個々の対象者の状態に合わせた工夫が成り立ちます。
諸学者はもちろん、後輩に指導する立場の方も今まで何となく行なってきたことの意味が
明確にわかるようになります。
詳細とお問い合わせ・お申し込みは
上記のURLをクリックしてください。
10月 03
対象者の方が
飲み物を飲んでいてムセたら
すぐにトロミをつけている人がとても多いという現実がありますが
それはもうやめましょう!
やめるべき理由は
1)その方がどのように飲んでいるのか観察していない
その方の飲食の能力も困難も把握していない
2)ムセる人にはトロミをつけるべしと
教わったことを漫然と実行しているだけ
3)トロミという粘性の高いものを摂取させられると
かえってその方の摂取能力を阻害してしまう場合が多い
です。
確かに
トロミをつけた方が良い状態の方もいますが
トロミをつけるよりも先に修正すべき介助者の対応が
為されていないこともあります。
例えば
覚醒不良のまま摂取させている
口腔内が汚染されたまま介助している
痰がらみのまま摂取させている
頸部後屈位のまま摂取させている
足底設地為されていない
注意散漫なまま介助している
不適切なコップ介助をしている
不適切な1口量を摂取させている
オーラルジスキネジアの自己抑制のタイミングを見ずに介助している
などなど。。。
上記状態を改善させずに
ムセたらトロミ、さらにムセたらもっとトロミをつける。。。
現場あるあるですよね?
かつて
200ccのお茶にトロミ剤を大さじ2杯つけている場面に
遭遇したことがありますが
飲めませんよ?
同じ粘性で飲めるかどうか、飲んだ時の感覚を知るためにも
ぜひ、試していただきたいものです。
おくりこみにパワーはいるわ、
咽頭のあたりにこびりついた感覚がするわ、
嚥下した後も違和感がずっと続きます。
私たちは
その違和感を解消しようとして
唾液を繰り返し飲み込むことで解消することができますが
さて、該当する方々はそこまで実行できるのでしょうか?
寝たきりに近いと
口唇や舌、口腔内が乾燥してしまいがちです。
そのような方の咽頭付近にトロミのついた飲み物が
貯留し続けることで細菌感染の温床となる危険性はないのでしょうか?
誤解を招きたくないのではっきり言いますが
トロミ剤が悪いと言っているわけではありません。
必要な方には必要なトロミをつけた飲み物を提供すべきです。
悪いのは
「ムセたらトロミ」
「うまく飲み込めない方にはトロミ」
という漫然とした対応です。
例えば、認知症のある方は
睡眠導入剤や抗不安薬、抗精神科薬を処方されることも多々あって
オーラルジスキネジアのある方は少なくありません。
オーラルジスキネジアのある方の飲食介助は、実はとても難しいものです。
準備期や口腔期に問題が生じていますが、
咽頭期には問題がないことの方が圧倒的に多いのです。
ところが、オーラルジスキネジアがあることにすら気づかずに
「なんか食べにくそうだから、トロミをつけてみようか」
とトロミがつけられてしまい
口腔期に一層の負担をかけて、結果、
おくりこみができずにため込んでしまうというのは現場あるあるです。
講演などの質疑応答で
「ため込んでしまって飲み込んでくれない人がいるのですが
どうしたら良いのでしょうか?」
という質問をいただくことはよくあります。
ためこむというのは、おくりこみ困難の結果として起こっていることですから
本来は「送り込むのに時間がかかる」という事象として観察・判断すべきです。
そのような問題設定ができれば
「現在の食形態は口腔期に負担をかけている」
「楽に送り込める食形態を選択しよう」と考え直すことができます。
対象者自身の食べ方そのものを観察・洞察するのではなく
介助者にとっての介助困難を対象者の問題と認識してしまう傾向がある
という根本的な大きな問題が現場には存在しているのですが
明確に把握し危機意識を抱いている人がどれだけいるのでしょうか。
ムセ→トロミ
という漫然とした根拠のない対応は、もう卒業しましょう。
立ち上がれない→筋力強化
という漫然とした根拠のない対応と、同じコトが違うカタチで起こっています。
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