
ご飯のお供にオススメです。
1)青シソを千切りにする
(上の写真が青シソ10枚分です)
2)しょうゆとごま油を1:3くらいの割合で混ぜる
3)にんにくのチューブを3センチくらい絞り出す
4)ごま適宜を入れる
5)1〜4をよく混ぜ合わせ冷蔵庫に入れておく
青しそが余った時や、食欲がない時に
パパッと作れます。

材料の量は、お好みで調整してください (^^)
8月 22
「歩かないと歩けなくなっちゃうから」
歩かせる。
「食べないと栄養不足になっちゃうから」
「飲まないと脱水になっちゃうから」
食べさせる
「何もしないと認知症が進行しちゃうから」
折り紙や塗り絵をさせる。
その意図に悪気があるわけではないのはわかりますが
その方にとっての、歩かない必然・食べない飲まない必然・廃用や低活動の必然を考えることなく
表面的に歩かせる、食べさせる飲ませる、何かをやらせる
という対応は、問題の先送りにしかならないだけでなく
かえって逆効果になってしまいます。
大昔になりますが
膝蓋骨の亀裂骨折をした認知症のある方に対して
「歩かないと歩けなくなっちゃうから歩かせるように」
という指示が出たようで
痛いから嫌!(当然だと思いました)と大声を出すようになり。。。
という方に遭遇したことがあります。
言語的疎通がちゃんと取れる方でしたから
「痛みが良くなるまでは、骨折していない足の筋力が落ちないように
リハビリをしましょう。
歩く練習は痛みが軽くなってから始めましょう。」
で、ちゃんと歩けるようになったという方がいました。
さすがにここまでのケースは今はないでしょうけれど
「飲まないと脱水になっちゃうからちゃんと飲んで!」
ととにかく飲ませることが最優先になってしまう
その結果、その方の本来の食べるチカラが低下してしまう。。。というケースは
まだまだ多いように思います。
構成障害や遂行機能障害のある認知症の方に対して
何かを作るというActivityは非常に難しいものですが
「刺激がないと病状が進行してしまうから」
と折り紙や紙箱作りをやらせ、その場では見た目活動的に見えても
内心の不安感や喪失感・失敗体験を強めてしまう
ということも結構あるのではないでしょうか?
無理矢理歩かせて、痛みを生じさせたり
無理矢理食べさせ飲ませて、口腔器官の協調性を低下させてしまったり
無理矢理何かをやらせて、職員の頭が対象者の手足を動かさせるだけになったり
それって
誰のためなんでしょう?
まずは
歩きたくない、食べたり飲んだりしたくない、何もやりたくない
と言うからには、必ずその方にとっての何らかの必然があります。
(原因ではなくて必然です)
そこを聴いてみましょう。
言葉でも
行動というもう一つの言葉でも
私は呪いの言葉を使いません。
もしも
歩けなくなった時に
食べたり飲んだりできなくなった時に
何もできなくなった時に
「あの時やらなかったから今がこんななんだ」
と感じて自身を責めるようなことにはなってほしくないからです。
歩けなくなっても
食べたり飲んだりしなくても
何もできなくなったとしても
あなたはあなたで変わらない
でも
歩けないよりは歩けた方が
食べたり飲んだりできた方が
何かできた方が
今よりもっといいと思っていただけるような体験を提供できるようになることを考えています。
* 関連記事
「結果として起こることの目的化」
「脳みそ預かり事件
シリーズ認知症の作業療法:ベテランOTへのインタビュー
『認知症のある方への作業療法<前編>成功と失敗』
神奈川県作業療法士会ニュース 2011vol.147
8月 21
情報収集の際には
必ずご家族お話を聞いたり
関係職種の記録を参照しますが
決して鵜呑みにはしません。
困っている場面を必ず自分の眼で観て確認をします。
知識がないために誤認したり見落としていることもあるからです。
また、暗黙のうちにご本人との関係性からその人が優先したい事項があると
優先事項の観点から誤認していることもけっこうあります。
「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。
多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。」
ユリウス・カエサル
まさしく。。。
「もともとはお茶が好きだったけど
認知症になってからはお茶が嫌いになって」
「水分は拒否する方です」
水分補給の時間に確認してみたら
コップを手に取り、眺めているうちにひっくり返し、こぼしてしまったことに驚いています。
介助で飲んでいただこうとすると顔を背けてしまいます。
コップがわからない、扱えない
パッケージにオレンジの写真が撮影されている紙パックのジュースを買ってきて
ストローを刺した状態で手渡すと
一瞬の間を置いて、一気にごくごくとジュースを飲み干しました。
お茶を淹れたコップにストローをさして手渡すと
ストローからごくごくとお茶を飲み干しました。
お茶が嫌いなんじゃない
水分を拒否しているんじゃない
ご家族が「お茶が嫌いになって」と言うからには
ご自宅で使い慣れた湯飲みでもお茶は飲めなかったのだと思います。
認知症は
病状によっては、失行をきたす場合があります。
観念失行があると
手は問題なく動かせるのに、道具の使用ができない という症状が現れます。
知識がないと
見れども観えず になってしまいます。
特に、認知症のある方の場合には
気持ちのせい(嫌がる、拒否する)にされて
誤った評価、誤った対応が為されがちです。
必ず
事実を事実としてありのままに観察する
という臨床実践が最も重要です。
8月 14
意外なところで
介助用の良いスプーンを見つけました。
ジャムや瓶入りの柚子胡椒をすくいきれるように買ったのですが
ある時、このスプーンを使ってゼリーを食べていてビックリ!
1口量を少なく
しなることなくきちんと下唇を押す力を伝えることができる
良いスプーンです。
値段もお手頃価格の290円!
足なり直角靴下といい
無印さんにも介護用に活用できる良い商品がたくさんありそうです。
8月 14
結果として
「いろんなことを学べて楽しかった!」
となれば良いとは思っていますが
「実習は楽しく」
「作業療法の楽しさを体験させてほしい」
というのは、ちょっと違うと感じています。
厳しくしろ、苦行させた方が良い
と言うわけではありません。
念のため。
昔は
とにかく作業療法士を輩出する
卒業したら第一線で働くことを念頭にした教育が優先されてきました。
若い人には信じられないと思うけど
私が学生の頃は、3年間の学生生活で
1年次に「見学実習」として
身体障害・精神障害・小児(発達分野のことを昔はこう言っていました)を1週間ずつ3箇所
2年次には「評価実習」として
身体障害・精神障害を3週間ずつ2箇所
3年次には「総合実習」として
身体障害・精神障害・小児を2ヶ月間ずつ3箇所
実習していたんです。
その時とは時代背景も変わり
作業療法士を取り巻く環境も変わってきています。
昔は作業療法士になりたい、なって叶える自身の夢と理想がありましたが
今は一つの職業として選択肢に入っている
進路指導の先生や親から勧められたことが直接のきっかけという学生も増えました。
実習指導のあり方や方法論も変わり
卒後養成の問題がそう遠くない先に明らかになると感じています。
それはもう、良い悪いではなくて
この現実を受け止めて、ではどうするか。と考えるしかないと思うのです。
今は、インターン実習でもせいぜい担当患者さんは1ケースですよね。
提出すべき課題もほとんどないし。
担当といっても、CCS:クリニカルクラークシップが導入されているから
実際は、評価治療の一連の過程を
責任意識を持って担当する機会がないと言っても過言ではないと思う。
学生である、有資格者ではないという法律的なことを考えれば
妥当な方法かもしれませんが。。。
その分、実習指導者の頭の中を学生の手足が実行する過程を通して
実習指導者の思考回路と実践を疑似体験する過程となったとも言えるでしょう。
この過程は
次の学生自身による主体的体験学習の場が用意されていれば
とても親切な体験学習の提供とも言えますが
卒前の養成過程にその場はありません。
卒後養成は
個々の職場の力量に応じて、きっちりと卒後養成のシステムを作っているところと
そうでないところと二分されていると思います。
協会主催の研修では、机上学習と事例報告、グループワークが中心となっています。
グループワークは良い面もあるけど
教えるべきことは教えられる人がきちんと教えないといけないのに
グループワークで仮の達成感を与えてしまっているデメリットもあると考えています。
これについてはまた別のところで。
そして多数の各種団体(営利団体も非営利団体も)主催の研修会は山ほど開催されています。
最も重要な
安全な環境下において、
対象者中心に考える
主体的にPDCAを回す体験学習を経験しにくい構造となっています。
安易なハウツー的思考態度の蔓延の遠因にもなっていると考えています。
実習において何をどのように体験学習しておくべきか。
昔は実習で直面・体験できていたことが
それは学生にとっても指導者にとっても厳しいことでしたが
今は実習で直面体験する機会が限られ
むしろ無自覚な双方の要請によって機会を忌避し先延ばししている。
とも言えます。
最も根本的な
対象者はどれだけ良くなりたいと切実に願っているか
ご家族はどれほど心配して良くなることを応援しているか
援助と強制・支配のすり替わりやすさ
善意に基づく言動が適切とは限らないこと
などなどを学生のうちに体験しておかないと
忙しい社会人となり、
ケースを担当することになり
結果を求められると同時に
思ってもいなかった厳しい感情処理を求められることになる
そういう事態がもうあちこちで生じているのではないでしょうか。
卒後養成の在り方が
本当に問われるようになっているのではないでしょうか。
実習は楽しく
作業療法の楽しさを体験する
と言うのは、将来の作業療法士確保のための外向きのPRとしては良いけれど
作業療法の質の向上・担保としては、どうなんでしょう?
対人援助職としての在りよう、その厳しさもしんどさも喜びも
安全な環境下で実感しておくことができると
職業人として目の前のことに忙殺されるだけではなくて
(それは無意識下で忙殺されたがっている面もあると思います)
ちょっと踏みとどまれることもあるんじゃないかと思っています。
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