
大根の葉のふりかけを使って
マグロのたたきと納豆で3色丼。
早い!安い!簡単!美味しい!
美味しいご飯にのせたら
満腹・満足です。
1月 01
あけましておめでとうございます。
今年もお立ち寄りくださる方にとって
そしてその向こうにいる認知症のある方とご家族にとって
少しでもお役に立てるようなサイトを目指して頑張ってまいります。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
12月 31
今日、NHKBSで放映されてたので
「ショーシャンクの空に」を観ました。
何度観ても良い映画です。
1994年公開のアメリカ映画
初見ではなくて以前にも観たことがあるけどもっと昔の映画かと思ってた。。。
以下、ネタバレです。
ティム・ロビンス演じるアンディと
モーガン・フリーマン演じるレッドを中心に
いつしか交わされる信頼と友情
過酷な刑務所の中での日々においても
「必死に生きるか、必死に死ぬか」を
人知れずに実践し続けていたことが終盤になって明かされる。
hope
希望
あまりの辛さに希望を否定してきたレッドが
最後、繰返し自身につぶやく言葉が「I hope …」
希望という名詞ではなくて希望するという動詞をつぶやきながら
美しく青く輝く太平洋を背景についにレッドはアンディと再会を果たす。
原題は、「 The Shawshank Redemption 」
Redemptionとは、償還という意味なんだそうです。
「罪を贖う」という意味と同時に、
債券などの「満期償還」や「買戻し」「回収」という意味をもつそうです。
出演した俳優たちの演技も素晴らしいけれど
脚本が何よりも素晴らしい。
アンディの脱獄が判明した後で種明かしされる一連のシーンの意味
結末を知ってから観ると一段と深い意味があるセリフの数々
たとえば図書室でレッドに対して囁いた
「外では真面目だったのに無実の罪で刑務所に入って悪党になった」とか
新たに仲間になり、後で殺されてしまったトミーに対して
アンディの言うセリフ
「盗みはやめろよ」
「才能がないからつかまるんだ」
思わずニヤッとしてしまいました。
(自分は才能があると言っている…)
その時既にアンディは
地道に巧妙に壁の穴掘りと不正蓄財の証拠作成を人知れず行っていたわけで…
その才能たるや脱帽もの緻密な計画と実践
常に危険と背中合わせのまさしく「必死に生きる」日々だったに違いない。
そんなことは、おくびにも出さず。
だからこそ、文字通りの「必死に生きる」
アンディがアンディたりえる
有能な銀行員としての才覚と能力と
趣味としての地質や岩石への興味とが
刑務所の過酷な日々を助け
将来の脱獄と償還(復讐ではなく)を助ける
かつて親しんだ本や音楽が
それらの体験そのものが自分自身の核となるものを支えてくれる
1994年に公開されたこの映画は
人々への応援歌
自分が自分である方法で
過酷な日々を生き残り、同時に、打開する希望
刑務所の壁が世間と刑務所を隔てるだけでなく
刑務所という特別の世界で
「適応」したものを世間への「再適応」から隔て、
かつ、特別の世界に自ら従順となることを要求する。
仮釈放という壁のあちらとこちらを
今までとは異なる場所から再体験しその葛藤のすさまじさが伝わってくる。
ブルックスは必死に死んだ
そのことを知ったアンディ達は彼へのオマージュとして、
刑務所内に改築された図書室に「ブルックス・ヘイトレン」の名を掲げる。
アンディに影響を受けてレッドもいつの間にか変わっていく
映画では10年ごとに行われた仮釈放の審査場面
周囲の状況も少しずつ変わっていることが短い映像から示唆されるが
アンディの態度がまったく違う。
自分が自分であることの誇りを取り戻している。
でも、それは、環境にも影響される。
仮釈放で与えられる仕事と住居
レッドの上司は冷たい人間ではないことも示唆されるが
人はパンのみで生きているわけではない
レッドをギリギリの場で必死に生きる方向へと舵を切らせ支えたのは
アンディと交わした言葉と信頼とお金だった。
この話は刑務所の中でだけ起こることではない。
特別な世界は、今もどこにでもある。
堅牢な壁は、今もむしろ巧妙な作りで厳然とある。
12月 26
2022年3月9日(水)20:00〜20:40に
Zoomでオンラインの勉強会を開催いたします。
テーマは
「現場で役立つ認知症研修会〜観察力を磨く」
その1:知識と観察を結びつける
参加費:無料
対 象:認知症のある方に本当に役立ちたいと考えている方であれば
どの職種の方でもどの地域にお勤めお住まいの方でも参加できます。
(学生も可)
内 容:認知症の知識の普及啓発は進んできましたが
現場では知っているはずの知識を活用した観察が十分になされているとは
言い難い現状もあり、とてももったいないと感じています。
実際の現場で役立つ知識にどんなものがあるのか
どんな風な現れ方をするのか
どこに気をつけたら見落とさずに済むのか
それらをもとにした対応の工夫はどうしたら良いのか
実際のケースに基づいてわかりやすくお伝えします。
定 員:先着20名
申込締切:2022年2月28日(月)17時
定員超過時点で締切ます。ご了承ください。
申込・お問い合わせ:
下記のフォーマットから、お申込ください。
https://forms.gle/mtznkMC3zF11aWD66 申込受付終了しました。
追加でお申込を受け付けていますが
1月末日で、追加募集を締切ます。
参加ご希望の方は必ず期日までに
こちらのフォーマットからお申込ください。
https://forms.gle/1naE84edaHHg2zAm9
お申込は締切ました。
お問い合わせは、当サイトのこちらにどうぞ。
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ここからは
もう少し、ぶっちゃけて。
今のところ、内容として考えていることは。。。
アルツハイマー型認知症のよくある状態像の説明とその対応
例えば
・近時記憶と短期記憶の違い
・動作干渉で忘れてしまう
・再生できなくても再認できることは多い
それらを踏まえて、どう対応の工夫を考えるのか?ということです。
現場では
「認知症のある方に寄り添ったケア」という高い理念が掲げられ
一方で働くスタッフは気概はあっても知識と技術が足りなくて
見れども観えずで、観察できていない。
目の前で起こっていることに反映されている障害も能力を十分に洞察できない。
「今何が認知症のある方に起こっているのかわからない」
そしてそのことに自覚がない。。。善意を持っているからこそ。
ということが起こっています。
その現れが
目の前にいる認知症のある方に
今何が起こっているのか把握しようとする
のではなくて
「〇〇という時には△△する」という
ハウツーの当てはめであり
「〇〇という人がいるんですけど、どうしたら良いでしょうか?」という
ハウツーを求める在り方だと感じています。
このような臨床姿勢は作業療法士も同様です。
全国各地でさまざまなテーマで講演をしてきました。
そこで必ず評価の重要性を説いているにもかかわらず
講演後の質疑応答の時間に
「〇〇という人がいるんですけど、どうしたら良いでしょうか?」という
質問が出てきます。
また、多くの作業療法士が認知症のある方にHDS-RやMMSEをとっても
とった結果を踏まえて、声かけの頻度や内容に工夫していないという現状もあります。
それでいて「言動を否定しない」「なじみの関係づくり」などと言っています。
つまり、評価と治療・対応が乖離している。
より的確な対応ができるための、評価、検査ではなく
単に為すべきこととして、HDS-RやMMSEをしているに過ぎないのです。
そして、それは実習や新人時代に周囲の先達たる人から
検査とは何ぞや
評価とは何ぞや
評価を踏まえた治療とは何ぞや
オーダーメイドの対応の工夫とは何ぞや
ということを身をもって教えてもらってきていないからだと考えています。
「認知症のある方に寄り添ったケア」という高い理念と
ハウツーの当てはめという実践の狭間にあって
援助を受ける認知症のある方は
理念と真逆の実践に葛藤を感じるでしょうし
援助する人も真剣な人ほど苦しい辛い思いをすることになってしまいます。
このような現状をなんとかしたいとずっと考えてきました。
2020年度に、このサイトを立ち上げ
2021年度にかけて、少しずつ構築し
2022年度は、オンライン勉強会を開催していきます。
1個人でもできる、ネットという情報発信の場を最大限活用して
認知症のある方に本当に役立つことをしたいという願いの実現に向けて
自分自身はもちろん、願いながらも迷っている困っている人たちに向けて
微力ながらも頑張っていこうと思います。
12月 24
神奈川県作業療法士会の「月刊よっしーワールド」に記事投稿しました。
「スポンジでROM維持」
生活期の方の筋緊張緩和に効果があります。
ぜひ、お試しを。
ただし、作成上の注意点がありますので
ご確認ください。
12月 19
ちょっとした動作介助のコツとして
足に麻痺があったり、ご自身ではうまく足を動かせない方の
1)足をフットプレートにのせていただく時
2)靴下や靴を着脱する時
についてお伝えします。
1)足をフットプレートにのせていただく時
先にアップした記事にも記載しましたが
いきなり足をのせようと介助するのではなくて
・まず臀部を深くきちんと座り直す
・大腿の裏に片手を当て、足を持ち上げる
(股関節を屈曲させる)
・この状態で膝関節を屈曲させる
・足関節を屈曲させながらフットプレートに足をのせる
(足の重さは介助者が支えることで動きを引き出しやすくする)
・膝の上から足底に向かって軽く圧を加える
(足をのせることを圧覚を通してインプット)
2)靴下や靴を着脱する時
靴下や靴の着脱介助には
単に脱がせる、履かせるという介助だけではなく
足を空中に保持するという介助も必要です。
足を空中に保持するのが難しい方だということが
わかっているようでわかっていないと着脱が一層大変になってしまいます。
そのような場合は、
介助する人の大腿に足をのせてから動作を介助すると
介助者の両手を使って介助することができるようになります。
(足の保持は大腿、動作介助は両手と分けて同時に介助する)
12月 19
ごく基本的なことですが
基本的なことだからこそ、忘れられてしまいがちなことの一つです。
車椅子に座っている方のお身体が傾いている時に
クッションを当てる対応はありがちですけど
その前に必ず骨盤の状態確認をします。
骨盤の位置がズレていることって結構あります。
骨盤が傾いていれば、その上の体幹だって傾いてしまいます。
まず、骨盤を左右対称に、前方にすべっていれば奥深くまで
座り直していただきます。
ポジショニングについては、こちらをご参照ください。
足をフットプレートにのせていただく時にも同様です。
骨盤が前方にすべっている状態では
足をフットプレートにのせ続けるのは難しいものです。
足がフットプレートにのっていない状態で
移動介助をするのは、とても危険です。
足指の怪我や足首の捻挫などにつながりかねません。
足をフットプレートにのせる時のちょっとしたコツは、こちらをどうぞ。
12月 04
「OTジャーナル仕事論Q&A」の補足という記事の続きです。
作業療法を説明するのが難しいには、宿命的な理由があります。
「作業」を人の行為全般と設定している以上
常に、他の職種との比較をされる宿命にあります。
機能訓練をすれば、PTとどう違うの?
ADL訓練をすれば、看護介護職員とどう違うの?
革細工をすれば、革細工の先生とどう違うの?
むしろ、個々の事柄に関しては、比較対照される他職種の方が詳しいこともあるわけで
表面的な「やること」「手段」を説明には使えないのです。
「中身」がわからないとちゃんと説明できない
というわけです。
じゃあ、中身がわかるためにはどうしたら良いか?
それは実践を積み重ねるしかありません。
「作業療法の専門性とは何か?」
「作業療法とは何か?」
考えたり、語り合ったりする人は多いけれど
そんなことをしても答えは出てきません。
答えは、自分の頭の中にも、誰かの頭の中にもありません。
答えは、自分の実践の結果として生まれるものだからです。
対象者に有益なことができたという結果を積み重ね
その過程において、何がどんな風によかったのか
何がどんな風にイマイチだったのかということを
人知れず自分自身の中で地道に抽象化・一般化して蓄積を経て
初めて答えが出てくるものだからです。
だから、経験の浅いOTが
自分の仕事なのに人に説明できないことに
もどかしい気持ちを抱いても
それは当然なんです。
焦ったり、落ち込んだりすることなく
「理想とするOT像に到達するために勉強中」とでも言っておけばいいんです。
それまでは一時的に仮として誰かの言葉を使わせてもらっても良いんです。
例えば、こちらの記事には私の考えを記載してあります。
その間
担当した対象者の方を通して
自分の関与・観察、評価・治療実践を磨くことです。
だから、ある程度の経験は必要です。
ここでいう経験は年数のことではありません。
漫然と経験年数を重ねれば、自動的に中身がついてくるというわけではありません (^^;
努力せねば。
実践の蓄積という経験が必須なんです。
もっと言うと
専門性云々よりも、まずは目の前にいる対象者の方に
少なくとも悪いことをしない
できれば良いことができるように
そのために必死になって努力する方が
作業療法の専門性を考えるよりも、よっぽど大事なことだと
私は思うんだけど。。。
私が就職して間もない頃は
本当に必死だったから、専門性なんて考える暇がなかったけどなー。
それに
対象者の立場になってみたら
誰だって、腕の良い人、優秀な人に担当してもらいたい
って思うんじゃないかな?
どんな職種だってピンキリなのは、わかりきってることだし。
誰かと抽象的総論的に語り合うことで得られるのは
「悩んでいるのは自分だけじゃない」という安心感や
気持ちの高揚などがあるでしょう。
でも、それは直接的に作業療法の専門性を考えることとは結びつかないばかりか
人によっては逆に遠回りさせることにすらなりかねません。
人は弱いものですから、時には誰かに気持ちを支えてもらうことだって必要でしょう。
語り合いたい人にはそれなりのニーズがあるのでしょう。
ただ、本当に自分が達成したいことは何なのか
そこを忘れてはいけないのだと思っています。
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