観察・洞察が検査よりも重要な理由

評価、アセスメント、状態把握
というと、検査をしたり、バッテリーをとったりすることだと誤解している人もいます。

検査やバッテリーを否定はしません。
検査しなければわからないこともたくさんありますが
対人援助職としては
日々のケアに活用できるように
検査やバッテリーよりも、まずは、観察・洞察できることが重要です。

観察・洞察 というと
主観的で根拠に欠ける、非科学的と言う人もいますが、ここに誤解があります。

批判されるべきは未熟な観察・洞察であって、
観察・洞察そのものではありません。

優れた観察・洞察こそ、対応の工夫に結びつくものです。
観察・洞察を批判する人は
優れた観察・洞察ができる人の存在を知らないのでしょう。

検査やバッテリーをとっても
どのように声かけをしたら興奮が落ち着くのか
どのように対応したら帰宅要求が落ち着くのか
などの生活障害やBPSDへの対応の工夫の答えは出てきません。

また
認知症のある方をよく観察している人ならご存知の通り
障害も能力も変動があります。
日によってできることが異なったり、疎通や認識の程度も変わります。

検査やバッテリーは
確かに共通の軸で、ある瞬間の困難を切り取ったものです。
でもその結果が常に認知症のある方の困難を反映しているものではありません。
そういう時があった。というのは事実ですが
毎日毎回そういう状態だとは言えないのです。
検査をした時と異なる状態の時では、対応の工夫は違うはずです。

その時その場で
認知症のある方が状況をどのように感受し判断し対応しようとしているのか
生活障害やBPSDの場面そのものに答えがあります。

困りごとへの対応を考える時には
困りごとが起こっている場面そのものに
反映されている能力と障害を観察・洞察できてこそ
本当に有効な対応の工夫が浮かび上がってくるのです。

だから、その場で即応できる。

評価、アセスメント、状態把握は
本来、対応に活用するために行うものです。

一見、表面的には同じように見える生活障害やBPSDに
反映されている能力や障害が異なることも多々あります。

その時その場で即応することができるためには
その時その場での観察・洞察ができなければ。

検査やバッテリーをとっても観察・洞察できなくて
困っている人がたくさんいると思います。
「どうしたらいいの?」と尋ねるよりも
「今、目の前の方に何が起こっているのか」を観察・洞察できるように
そのために正しく知識を習得することから始めるしかないのだと感じています。

関連して
「どうしたら良いのか考えてはいけない」
もご参照ください。

Act.は工程の終わりから説明&練習

毛糸モップを例に
工程の伝え方について説明します。

工程の最初から説明するのではなくて
工程の終わりから体験していただきます。

毛糸モップの実際の工程は
下の写真の通り、毛糸を針金のハンガーに結びつけていくのですが
(糸先の向きや毛糸の上下など、人によってやりやすさが違うので、そこは変更しながら)


 
工程を理解してもらうためには
終わりから体験していただきます。


この状態にして「毛糸の先をキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになってから


ひとつ前の工程に遡った状態にしてから
「毛糸の先をキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになったら


さらにひとつ前の工程に遡った状態を提示して
「毛糸の先を輪の中に入れてからキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになったら


「毛糸を針金の下をくぐらせてから
 輪の中に入れた糸先をキューっと引っ張って」と声をかけます。
何回か繰り返して間違いなくできるようになったら


糸先を真っ直ぐに潜らせる工程を追加で体験できるように
あえて糸先をずらせて提示しておきます。
ここまでくると、声をかけなくても動作できる方も大勢いますし
声かけが必要であれば
どこで戸惑っているのかをよく観察して声をかけます。
つまり、
糸先を真っ直ぐ向こう側に変えるところか
毛糸を針金の下をくぐらせるところか
毛糸を針金の上から輪の中に入れるところか
戸惑っているポイントで声をかけます。

対象者の方は必死になって取り組んでいるので
無駄な声かけは一切しないように
よく観察することを心がけています。


次に、上の写真のような提示の仕方でも
毛糸をひとつだけ取って迷いなくできるようになればOKです。

念の為、複数の毛糸がある中から1本だけ毛糸を選んでつまめるか
上の写真のような設定をして、確認します。

もしも、途中で違う行動をしたり
戸惑う様子があれば
確実にできる工程まで戻って
確実にできる工程を繰り返し体験していただきます。

不安そうな様子があれば
確実にできる工程を繰り返し体験していただいて終わりにします。

近時記憶が低下していて
MMSEやHDS-Rの得点が1桁の方でも
再認できる方はとても多いものです。

HDS-Rが3点の方でもできた!というメールを受け取ったこともあります。
体験の再認が可能な方は大勢います。
毛糸モップは、
毛糸や糸、針金という素材の面からも
結ぶという動作の面からも
なじみのあるActivityですし
少ない工程の繰り返し
仕事的意味合いの高いActivityなので
重度の近時記憶低下がある方でもできるようになる可能性の高いActivityでもあります。

Activity選択の考え方については
こちらの記事をご参照ください。

認知症のある方にActivityを勧めると
「私、何もできない」
「難しいことは嫌」
と言われることが多々あります。

暮らしているだけで
失敗体験を積み重ね、必死になって日々を送っているのですから
Activityで余分な失敗体験をさせたり不安な気持ちを喚起させないように気をつけています。

「一緒にやるから大丈夫」という言葉の危険性については
下記の記事で警告しています。
構成障害のある方には、適さない声かけなんです。
 
https://yoshiemon.info/2021/09/04/study/update/2370/
https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3429
https://kana-ot.jp/wp/yosshi/3630

工程の終わりから体験学習する
その過程において
声かけはピンポイントで
言葉だけに頼らずに対象に工程を語らせるという工夫をしています。

工程の終わりから体験学習するという方法は
食事場面での上肢操作練習、スプーン操作練習でも行っています。

ここは、案外多くの人にとって盲点となっているように感じています。

 

鯖大根

 

これはものすごくカンタンで栄養もあってしかも美味しいおかずです。

鍋にごま油をひいて
薄いいちょう切りにした大根(10㎝分くらい)を炒めます。
だいたい透明になったら
鯖の缶詰(水煮)1個を汁ごと入れて炒めます。
ポン酢大さじ2杯とみりん大さじ1杯と生姜チューブ少々を入れて煮詰めます。
出来上がりにネギや水菜など青物をふって出来上がり !

何のサイトか忘れてしまったけれど
ネットで見つけたレシピです。

簡単・早い・安い・でも美味しい !

 

連携について 10

 

たったひとりでも変わる意義

 

「自分一人が頑張ったって。。。」
時にはそんな無力感に襲われることもあるかもしれません。
その気持ちは本当によくよくわかります。
でも、決してそんなことはありません。
自分一人が頑張ることには大きな意義があります。

例えば
どこか言葉の通じない外国に
いきなり空間移動して放り出されたことを仮定想像してみてください。
通りがかりの人に話しかけられても
何を言われているかわからないから不安で仕方がありません。
仮に通りがかりの人が心配して警察に連れて行ってくれようとしても
どこに連れて行かれるかわからなければ抵抗するかもしれません。
そんな時に身振り手振りであったとしても
真摯にあなたを心配してくれて何とか警察に行くから心配いらない
ということをわからせてくれる人がいたら
どれだけ安心できるでしょうか?

そんな人がたった1人いるのといないのとでは大違いです。

みんなが一斉に同じことをできないからといって
対象者のためにならないわけではないのです。

もちろん、みんながみんな高いレベルでの対応力を身につけられたら
それに越したことはありません。

でも、対象者のために最も重要なことは
本当に役に立つことができる人がいる。
その最初の一歩を踏み出せる最初の1人がいる
ということなんです。

非常に乱暴な言い方をしますが
対象者の30%の能力しか発揮を促せない職員が10人いるとして
10人の能力を50%に高めるよりも
たった1人でいいから、90%の能力発揮を促せる人がいることが大切です。

その1人がいるのといないのとでは
対象者にとっては世界がガラリと変わります。

言葉の通じない外国での仮定の話のように
「この人は私のことを本当に理解しようとしてくれる」
まず安心感が違います。

そして現実に
「90%能力発揮を促してくれる人の関与がある時には私はこんなにもできる」
という体験ができます。
「私がダメになったわけじゃない。
 関与によっては私はここまでできる。」
というエンパワメントを受けます。
「その人がいないとできないんじゃ辛いんじゃない?」
って言う人もいますが、逆なんです。
「関与次第で私ができることが異なる」
という事実そのものを明確に実感・認識できることが大切なんです。

辛いんじゃない?
と言う人は、一見対象者のことを心配しているようでいて
その実、心配しているのは
「関与次第で対象者ができることが異なる」と言う事実を認識したくない職員がいる。
その事実を認識したら辛くなったり困る職員を心配しているんです。

90%の能力発揮を促せる人がいる、そこまでの関与ができる人がいると
その人が関与したことによって
対象者が変わってきます。

対象者が変われば職員も変わります。
対象者の変化の影響を受けて30%しか能力発揮を促せなかった職員が
60%まで発揮できるように変わることも起こり得るし
「何があったの?」と90%の人に尋ねる職員も出てきます。
よく観ている職員は密かに90%の職員の言動を真似たりもします。

連携のそもそもの原点は対象者のためです。

たったひとりでも変わる意義があります。

ぜひ、最初の一歩を踏み出す最初のひとりになってください。


< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

連携について 9

そもそも何のための連携?

 

熱心なリハスタッフの陥りやすい誤解は
いつの間にか、連携のための連携という考え方に陥ってしまうことです。

そもそも
連携を良くしていくのは
対象者のためには
連携が良いものであれば良いに越したことはないからですよね?

つまり
連携というのは青天井
言い方を変えれば、いつどんな状態も否定されるものではなく
今でもいいけど、良くなったらもっと良い
ものに過ぎないし
100の職場があれば、100の連携の在り方がある
というものだとも考えています。

チーム医療、多職種連携という言葉があちこちで聞かれていますが
何事もそうですけど
その時々の流行の言葉や概念に踊らされてはいけないと考えています。

 大昔ですが
 私の子どもが小学生の時に授業参観に行ったら
 教室の黒板の上に「個性を尊重しましょう」と大きく張り出されていました。
 授業中に誰かが発言をしたら
 子どもたちが一斉に声を揃えて「同じでーす」と唱和しました。
 それを見て、ゲンナリしたことを覚えています。。。

こういうことって、今も昔もあちこちで見られています。

もちろん、担任の教師に悪気があるわけではないし
チーム医療や多職種連携を声高に叫んでいる人たちにも悪気があるわけではありません。
むしろ逆に善意の人たちなんだとも思います。

でも、善意は怖いものです。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」
「地獄は善意に満ちているが、天国には善行が満ちている」
 という言葉を思い出します。

善意だけでは状態を改善できないどころか
逆効果になることも起こり得ます。

知識と技術の伴わない善意ほど恐ろしいものはありません。

概念の本質を理解せずに
言われていることに対して漫然と同調してはいけない

のではないでしょうか?

ケアやリハの分野で常識として言われていることの中に
概念の本質を吟味すると、とんでもない勘違いということはままあります。
例えば「褒めてあげることが大事」「なじみの関係を作る」などなど。。。
勘違いなのに流布しているということは、流布するだけの理由もありますが
概念の吟味をせずに同調しやすい基本的属性があるということを
自覚しておいた方が良いと考えています。

話を元に戻して。。。
そもそも、連携というのは何のため?
対象者のため
という原点に常に立ち返る。

連携を良くしようと声高に叫ぶよりも
まず、チーム構成員としてチームに貢献できるように
貢献を高めていくために
自身の知識と技術を磨くことの方がずっと大切だと考えています。


 

< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

連携について 8

対象者が変われば職員も変わる

看護介護職の人は、個人個人として見ると
優しい人が多いと感じています。

諸々の理由があって
対象者に適切な対応が難しいと思うような人でも
対象者が変われば、いつの間にか対応が変わっている
という職員もいるものです。
状態把握・観察・洞察・対応の解像度は人それぞれであっても。

看護介護の内部の管理運営については
きちんと責任者がいますから
リハスタッフとしてはそこまで踏み込まない。
時々、リハスタッフで看護介護職の人材育成について
踏み込もうとする人を見聞きしますが
それは越権行為というものです。
危険行為や困りごとがあれば直属の上司に報告はしますが
対応は先方の仕事です。

それよりも
リハスタッフには
リハスタッフとしてもっとやるべきことがあります。

結果として
職員が適切な対応ができるように
対象者の行動変容を促していくことに注力する
黒船効果を期待することです。

何のジャンルでもそうだと思いますが
優秀な人ほど謙虚ですし
そうでない人ほど無根拠な自信を持っているものだと感じています。

相当昔ですが
「なんで私が食事介助しても点数にならないのに
 よっしーさんが食事介助すると点数になるのよ」
と陰口を言われていたことがありました。

私は自分の食事介助とその人の介助との違いを
実際の行動面においても状態把握という認識面においても
明確に言葉で説明することができますが
その人は、自身と私とではやってることが同じで
違いがないと思っていたわけです (^^;
 
そういったケースには山ほど遭遇してきましたから
  看護介護職だけでなく、リハスタッフでも医師でも人それぞれ
  優秀な看護介護職ももちろん知っていますので職種の批判ではありません。

  念の為。
そんなもんなんだとしか思いませんが
そのような人たちに行動変容を促すのは大変なことです。
個々の職員の行動変容、成長を促すのは、その部門の管理者の仕事です。
チームの一員である私としては、もっと優先すべきことがあるので
そこに注力します。

対象者がより高い能力を発揮できるようにすることです。

  対象者が高い能力を発揮していれば
  自然とそれに見合った対応をせざるを得ません。
  前の記事でも書いたとおりに看護介護職は集団で働きますので
  状況と対応を他の看護介護職とも共有しています。

  良くも悪くも、集団から大きく逸脱するわけにはいかないのです。

対象者がより高い能力を発揮できるように
今までできないことができるように。
できるようになったとしたら
限定した場面でだけできることを
いつでもどんな場面でもできるようにできるだけ限定の枠を小さくしていく
あるいは介助する人が対応しやすいように限定の枠を明確化していく

そこにもチームに寄与する意義があります。

対象者のためにチームに寄与するのであって
チーム構成員が結果として成長するのは喜ばしいことではあるけれど
チーム構成員の成長の有無や程度に直接関与はしない

仕事なので
どんなチーム構成員であったとしても
今を否定せずに現状からスタートする
そのためにチーム構成員の現状を認識することは必要だけれども
自分は他に優先すべきことがあるので
本末転倒にはならないように自戒する。

リハスタッフにもいろいろな人がいて
私の講演を聞いた後に
「看護介護職や他のリハスタッフにも伝えたい。」
「連携を良くしたい。」
「どうしたら?」
という質問が多く聞かれます。

ぜひ実践を広めたいと思っていただけたから
出てくる質問なのだとは思いますが
まず、あなたができないと。

  なぜ聞いただけで自分ができると思うのかな?

  知る・わかる・できる
  は全然別のことです。

そのような質問には
「まず、やって見せられることが大事」
「あなたがあなたの職場で実践してみて」
「そこから始まる」
と伝えています。

 

< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

連携について 7

情報伝達の工夫:使う場所に情報提供

今は電子カルテが導入されているところが多いと思います。
私は業務前に必ず電子カルテで前夜の記録を確認しています。
同じように必ず確認するスタッフもいますが
全ての看護介護職が自分が勤務する前までの記録を確認しているとは限りません。

毎朝の申し送りに参加して
変則交代勤務の看護介護職に向けて
同じことを1週間伝え続けますが
それでも伝わらないことも起こりえます。

問題はそのような現実を否定せず
それでもなおかつ必要な情報を伝達連絡するために
自分ができる工夫は何なのかと考えることです。

今まで複数の職場で多くの看護介護職員と働いてきましたが
「あ、そういえばこれってどうだっけ?」と思った時に
一時情報として電子カルテや個々の職場の決まり事としての確認場所を
きちんと確認する職員もいますが
まず、たいていの職員はその場にいる近くの職員に尋ねます。
聞かれた職員の対応もそれぞれで
「それはこうなったのよ」と言う場合もあれば
よく認識できていないのに
「それはこれでいいんじゃない?」と言う場合もあります。

  決して非難しているわけではなくて事実として記載しています。
  事実から出発しなければ適切な手を打つことはできません。

何かをするにあたって
すべきことが変更になったり、追加になったりした時に
すぐにその場で確認できるように情報提供を工夫することは
リハスタッフの仕事に含めても良いのではないかと考えています。

車椅子のポジショニングなら
ポジショニングした写真をとって
ポイントをコメントとして書き込んだものを
車椅子の背もたれにあるポケットの中に入れておく
認知症のある他の方が持っていってしまわないように
カードの中に入れて紐で車椅子にくくりつけておく。

ベッドなら
壁や戸棚の扉にポジショニングの写真を貼っておいても
足元の設定が確認しにくいので
手に持って職員が移動しながら確認できるように
カードにも入れて置いておく。

日替わりで精神科作業療法を協働している看護介護職員には
経過や現状を把握していなくても実行できるように
専用のカードを作って精神科作業療法の場面で必要な情報を全て記載しておく
(水分摂取量やトイレ誘導のタイミング、部分参加者など)

部分参加者には、誘導チェック欄に(体調 OK・誘導可の意味)
「後半参加」と書いておきます。
誘導チェック欄とは違う場所に「後半参加」と書いてあっても
最初から誘導されたりしまったことがありました。

誘導チェック欄しか見ていないから起こる困りごとです。
このような時には「ちゃんと確認してください」と言うよりも
誘導チェック欄に「後半参加」と書いておくことで
間違いなく誘導してもらえるようになりました。

使う場所に必要な情報を提示する
ことを考えます。

前の記事で書いたように、看護介護職は変則交代勤務
日勤続きであっても異なるウイングの担当になれば
日々異なる対象者集団を担当することになる。
基本日勤帯勤務のリハスタッフとの一番の違いはここだと考えています。

リハスタッフは対象者の担当性ですが
変則交代勤務の看護介護職は、日々異なる対象者集団を担当している
その上で致命的なミスをしないように仕事をするように考えています。

よくリハスタッフは夜の状態をわからないと言われますが
それは確かにその通りですが、あくまでも表面的な違いだと考えています。
働き方が全く違うので、状態把握の仕方や判断の考え方や基準が違います。
違うという事実を違うままに受け止めることが最も重要だと考えています。

その上で自分ができることを考える。
記録を参照しないと情報交換の前提要件となる認識が異なってしまうことを
身にしみてわかっているからこそ自分は必ず不在の時の記録を確認する。

それから
何か物品を扱う時には
取り扱いに余分な手間をかけないように考えます。

手指の拘縮予防であれば
使うスポンジをパッと取れてパッと置けるように工夫する

普通のスポンジ置きだと
接触面が広すぎて、通気性・換気が悪くて乾きにくくて問題だと感じていました。
何か良いものないかなーと100均の店内を探し回っていたところ
これならOK!と即決しました。

ちなみにこれは
本来はボトルホルダーですが
本来の用途に拘らず、必要な場所に使い勝手の良いものを具体的にイメージできれば
本来の用途ではないものの中に、イメージにピッタリ合致したものを見つけることもできます。

扱いの工程をなるべく減らすことによって
なるべく追加の仕事への心理的抵抗感も少なくなる意味があります。

このあたりの工夫は
本来は受け取った看護介護職の仕事だろうという気持ちもしなくありませんが
扱いの工程の不適合によってスムーズに使ってもらえないと対象者の方が困ります。

大切なことは
対象者のために、自分ができることをする、チームに貢献する
ということですから
いったんはお願いしてみて
諸般の事情で難しそうだな。。。と思ったら、
自分が提案としてやってみればいいと思います。

よくわかっている管理職であれば
労いの言葉をかけてくれると思います。

仮にそうでなかったとしても、仕事はやったもの勝ちです。
的確な手を打てるためには
その職場ごと、その職員ごとの行動特性をきちんと観察・洞察して
どのような事柄を受け入れにくくて
どのような事柄であれば受け入れやすいのかを
把握しておくことです。
(結局、つまるところ、何であってもハウツーで解決できることなんて何もない
 もしも、ハウツーで解決できたとしたら、たまたまです。)

このような思考態度は
認知症のある方への対応の工夫として
「対象に工程を語らせる」
自身の力量をレベルアップさせることとも密接にリンクしています。

  「対象に語らせる」
  ・https://yoshiemon.info/adl/etc/
  ・https://yoshiemon.info/adl/wear/
  ・https://yoshiemon.info/2021/12/03/study/update/3517/

 

それでも辛くなる時には
「お客様は神様です」
という言葉を思い出します。

「お客様は神様です」という言葉は
三波春夫の言葉ですが
オフィシャルサイトにその言葉への言及があります。
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html

ごむてつさんに教えてもらったのですが
「本当のお客様は(天の)神様です」
と。

あぁ、そうか!と思ったものです。
本当に辛い時には、この言葉を思い出すと楽な気持ちになれます。

 

< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

連携について 6

看護介護職は変則交代勤務

 

看護介護職は、変則交代勤務であり
まさにチーム、集団で働く職種である

OTは常に1体1の関係性の中で対象者を見ています。
グループを扱う時にも、基本は対象者個人から出発してグループを手段として用います。

ところが
看護介護職は
担当病棟、担当ウイングという集団の中に自身も置いているし
担当病棟、担当ウイングという集団の中で対象者も見ている

作業療法士が対象者の方に対して
Activityを提供する時には
実際のリハ場面以外のところで
Act.の準備をしたり仕上げをしたり片付けをしています。

それと同じように
看護介護職も実際に対象者に対して
処置や与薬などの医療行為や
食事・排泄・更衣などなどの日常のケアを
実際に提供する場面以外のところで
準備や片付けなどもしています。
しかも、それらをチームで遂行するわけで
その日その日に割り当てられた役割通りに遂行することが
絶対要件・大前提となっています。
他者が役割通りに遂行していることに対して信頼もしています。
疑問を抱いていたら仕事が成り立たないという職種でもあります。
その信頼に応えるためにも役割をきちんと遂行しようという意識が働きます。

変則交代勤務だけでなく
昨日と今日が同じ日勤であっても
担当ウイングが異なる、違う対象者集団を担当することも起こり得ます。
夜勤帯になれば担当する対象者の数が大幅に増えることになります。

異なる職員が異なる集団を対象にミスなく仕事をすることが求められる
内服や点滴など一歩間違えたらとんでもないことも起こり得るので
そんなことにならないように
明確化されたことをきちんとすることが第一義的に求められる
職種だとも言えます。

リハスタッフは
対象者の行動変容を促す職種ですから
変化に即応していくという意識を根底に持っています。
変化があって当たり前
変化がなくては困ります。

この変化に即応するという面は
実は、看護介護職にとっては難しい側面でもあります。
(決して否定しているわけではありません。念の為)

リハスタッフと看護介護職の間での
連絡や伝達の行き違いというのはよく起こりますが (^^;
職種としての根本的な成り立ちが違うので
優先順位も異なってくる。
むしろ、起こって当たり前と思っていた方が良いと考えています。

現実的な働き方が違えば、自ずと観え方も違って当たり前です。
良い悪いの問題ではなくて
違うという当たり前のことを踏まえて
じゃあ、どうしたら少しでも対象者のために、チームに貢献できるのか
ということを具体的に考えていきます。

連携を良くしよう!
などと抽象的総論的に考えるのではなくて
今、目の前で起こっている連絡・伝達の困難という
具体的に解決・改善すべき事象を少しでも良くするために
自分の立場でできることは何か
とあくまでも困りごとという現れ方をしている行動を変えることを考えます。

さらに言えば
リハスタッフと看護介護職との連絡がスムーズにいかないという場合は
実は看護介護職の中でも連絡がスムーズにいかないということもあるあるです。
つまり、看護介護職内部の課題がリハスタッフとの間で表面化しているだけという。。。

対象者のために、チームに貢献できる努力はしますが
看護介護職内部の連絡伝達の不備という課題には介入すべきではないと考えています。
看護介護職の管理者が現状をどう認識しているのかということと
課題解決の優先順位をどう考えているのかに
大きく関与することだからです。

連絡伝達がスムーズな組織というのは
個々の職員が情報の取り扱いにきちんと留意していたり
優秀な管理職が必要に応じて介入したり何らかの仕組みを導入していたり
といったことがあるんじゃないかと思います。

そうでない場合には (^^;
チームに貢献するという意識を持って
どうしたら連絡伝達が少しでもスムーズになるだろうか
ということを個々のケースに沿って具体的に行動について考えていきます。
それは次の記事で。

 

< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

連携について 5

情報伝達において前提要件を認識する

 

前提要件は
あまりにも当たり前すぎて見落としてしまっていることが多々あります。

モノゴトには、表面に見える事象の裏に
必ず背景や経過や前提となっている要件があります。

多連携において
課題を明確化する際には
前提要件を明確化できると、より的確に課題設定を行えるようになります。

例えば
認知症のある方への対応を考えるときに
その方の状態をどう捉えるか
ということは、かなりの個人差があります。

先の記事で
チームスポーツにおいて、監督の戦略の共有化と戦略に沿ったプレー
ということを記載しましたが
リハやケアの分野で戦略に該当するのが、方針だと思います。

チームとして
対象者の方にどのように対応するのか
個々の対象者の状態を把握できる解像度が高ければ高いほど
この部分は本来個別性多様性に富んでいるはずです。

解像度について個人差がある
そして、人は誰でも認知バイアスを抱くものだ

という前提要件を忘れてはいけないと思います。

OTがチームとして関与する時に
看護・介護スタッフを外すことはできません。

初めはまったくわからなかったのですが
(正確に言うと実感を持って認識できていなかった)
看護介護職は変則交代勤務であり、
そして、まさにチームというか
集団で仕事をする職種であって
OTは基本個人対個人でする職種だから
この部分はOTとは全く違う働き方・意識になるんです。

OTもグループを扱うことはあると思いますが
OTがグループを扱うときの出発点は個人です。
でも、看護介護職は担当病棟、担当ウイングとしての仕事の中に個人がある。
(看護介護職が個人を見ていないと言ってるわけじゃありませんし
 否定しているわけでもありません。念の為)

この部分は、とても大切な前提要件なので
次の記事で詳しく書いていきます。

 

< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

連携について 4

連携という抽象論ではなく具体的に改善していく

チームアプローチの本質は
対象者のためにチームに貢献していく
ところにあります。

どの職種でも養成過程において
密かに?その職種がリーダーたるべき
というような教育?がなされているようですが
そういう教育はもう卒業すべきだと思います。
素直な学生が誤解しますもの。

リーダーになる前に
まずちゃんとメンバーとしてフォロワーとして
チームに貢献できるという体験が必要だと思います。

それって決してカンタンなことじゃありません。
チームに貢献できることの大切さ
「なんちゃってOT」では必要とされなくなってしまいます。

国家資格を取得したということは
ゴールじゃなくてスタートなんだ
ということを卒前卒後の養成過程において
もっと強調すべきだと考えていますし
現実に高い臨床能力を持ったOTがもっと増えていくこと
上には上があるということを
日々の臨床場面の中で若い人たちが実感できることが大切だと考えています。

話をもとに戻して。。。
チームとして仕事をしていて困った時には
「連携が良くないからうまくいかない」
というように総論的抽象的に考えるのではなくて
「〇〇がなかなか定着しない」等と
具体的に考えます

抽象的に考えがちな時は、自身の中で課題が明確化できていないことが多いものです。
(対象者の評価が不十分だから対応の工夫がピンポイントでできない
 のと同じコトが違うカタチで現れています)

現状の課題を明確化する。
改善・解決していく時には
連携が良い理想状態を設定して現状を否定し、
理想状態に近づけるために考えるのではなくて
現状を否定せずに現状が少しでも良くなっていくという方向性で考える。

「地獄への道は善意で満ちている」
「地獄は善意が満ちているが、天国には善行が満ちている」
という言葉はなるほどその通りだと感じています。

 

< 概 要 >

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義