「認知症のある方が食べられるようになるスプーンテクニック・観察・評価」のお知らせ

 

 
日総研出版さんのオンラインセミナー
「認知症のある方が食べられるようになるスプーンテクニック・観察・評価」が配信されます。

2023年4月7日(金)から視聴可能とのことです。
詳細・お申込は こちら へ。

食事介助に関する知見の集大成のつもりでまとめました。

介助に役立つ基礎知識と
評価・実践の一連の思考過程を
ケースを紹介しながらまとめてあります。

眼からウロコの話もあります。

食事介助に困っている方
食事介助を見直したいけれどどうしたら良いのか困っている方
ぜひご覧ください。

食事介助の奥深さと怖さと
認知症のある方の能力について
ぜひ知っていただきたいと思います。


オススメ音楽鑑賞の進行方法

並行集団を運営する工夫
同じ時間、同じ空間を共有するけれど
個々の方それぞれの能力と特性を発揮できるような援助をするために
私がしている工夫をご紹介します。

歌はもちろん人それぞれ好き嫌いがありますし
歌の楽しみ方も人それぞれ
音楽の世界に浸ってしんみりと聴き入りたい方もいれば
ワイワイ盛り上がるのが好きな方もいます。

集団で音楽鑑賞をする場合には
進行する人の中で、ある一線を明確化しておくと
参加している認知症のある方もいろいろな歌とその楽しみ方を
お互い許容してもらえるように感じています。

私がしている進行は、まず最初に
こちらからいろいろな曲を提示します。
有名どころの懐メロや演歌を中心に組み立てます。
そこで曲の聴き方に注目して観察します。
好きな曲や聞き覚えのある曲は
前のめりになって聞いたり、表情も違っています。

この段階では
集団の凝集性を高めることと
参加された方の心身の状態の確認をします。
(もちろん事前に情報収集してありますが、最新の状態確認をします)

その上で
歌手一覧を作っておいて
この中だったら誰の歌を聴いてみたいですか?と問い掛けます。
具体的に選べるように視覚情報として提示するわけです。

「聞きたい歌を教えてください」と言葉で尋ねても
思い出せないから答えられない方でも
歌手名を提示されれば、名前から歌手を想起できる方は大勢います。

つまり、再生ではなく再認に働きかけるのです。

歌手名から曲名を検索して
3曲くらい言葉で提示すると選んでいただけることが多いです。
曲名を聞けばどんな歌かイメージできる
再認できる方が多くいらっしゃいます。

最初にこちらからランダムに提示した時に
特に聞き入っていた歌手や曲があればこの時に提示できるように取り入れます。

人によっては
お気に入りの歌手のお気に入りの曲がありますから
そのような時には、こちらから歌手名や曲名を提示せずに
オープンクエスチョンで
「聞きたい歌手は誰ですか?」
「聞きたい歌があれば教えてください」
と尋ねるようにしています。
再生できる方にはなるべく再生を促す尋ね方をしています。

毎回、同じ歌手の同じ歌を選ぶ方もいれば
その時々で違う歌手の違う歌を選んだり
90歳代の方がキャンディーズや松田聖子を知っていたり
70最代の方がピンクレディーを毎回必ずリクエストされることもあります。

こちらの問いかけに答えていただくことで
自然に会話の機会を設けることもできます。
ただし、近時記憶が低下している方が多いと
会話で長く時間を取ってしまうと注意集中が途切れてしまうので
集団を構成する方たちの状態に応じて
問いかけの仕方や回数にも注意しています。

また近時記憶が低下していると
画面に映った歌手の名前や曲名を聞いてはいても忘れてしまいますから
曲の間奏の時には必ず歌手名と曲名を伝えるようにしています。
「あ、そうそう、この歌手だった」「この歌だった」
と思い出していただけるように。
再認に働きかけています。

歌手や曲にまつわるエピソードを伝えるか
どの程度どんな風に伝えるかも
その時に集団を構成する方たちの状態に応じて判断しています。
基本はあんまり余分に私が話さないようにしていますが
  近時記憶がもう少し保たれている方や注意集中が可能な方が多ければ
  曲のイントロや終了直後に伝えると
  再認できることの幅が増えるという良い面もあると思います。

場面設定の基本として
重度の認知症のある方でも注意集中が保ちやすいように
と考えています。

音楽鑑賞ですから、ただ聞いているだけでもいいし
手拍子してもいいし、口ずさみながら聞いてもいいし
参加形態に幅があり自由度があるのが良いなぁと思っています。

誘導する時にも
「リハビリ」「活動」という言葉は使わずに
「歌を聞く会」「五木ひろしの歌を聞く」「美空ひばりの歌を聞く」
というように具体的にイメージしやすいように声かけしています。
その方が大好きな歌手や曲があれば、その歌手名や曲名を言って誘導しています。

「歌の会」というと
「歌は好きだけど、人前で歌うのは絶対イヤ」と拒否されることも多々あります。
「歌わない、聞くだけ」と歌わなくて良いことを担保していますし
そのイメージが伝わるように、あえて前の席ではなく後方の席へ誘導することもあります。
もちろん、歌いたくなったら口ずさんでもいい
(今はコロナ渦なのでマイクをお渡しすることはなくなりましたが)
歌いたい方には前に出てきてマイクを持って歌っていただいていました。

同じ時間、同じ空間を共有するけれど
個々の方それぞれの能力と特性を発揮できるような援助をするために
私がしている工夫をご紹介しました。

私としては、こういった意図を持って
音楽鑑賞の場面を運営しているのですが
人によっては「ただ歌を聞かせてるだけ」「誰でもできる」と思うようで
実際、そう言われたことがあり
その時の態度がちょっとあんまりで
私もその時は若かったし、ちょうど良いきっかけもあったので
運営を変わってもらったことがあります (^^;
そしたら、今まであんなに歌いまくっていた(当時はコロナ渦ではないので)
方たちがまったく歌わなくなり、一気にシーンとしてしまって
その人は「あれ?あれ?」と言っていました。

前の記事「多訴の方への対応」で書いた通り、
実践している人には
「何をしているか」「何が起こっているのか」わかるけれど
実践していない人には
皆目わからないということが起こっているのです。
このことは、
生活期にある方への食事介助やポジショニング設定、立ち上がり・歩行介助
認知症のある方への対応全般について言えることです。
同じコトが違うカタチで、ありとあらゆるところで起こっているんです。

たかが音楽鑑賞、されど音楽鑑賞
その場をどれだけ豊かにできるかどうか
運営する人の意図によって全然違ってきます。

耳タコかもしれませんが
スティーブ・ジョブズの言うとおり
「意図こそが重要」なんです。

「歌わせる」「聞かせる」のか
歌を聞くことを通して自身の能力を発揮することを援助したいのか
表面的には同じように見えて
その意図のベクトルは真逆です。
そしてその意図こそが伝わっているのです。

他のActivityでも、まったく同じことが違うカタチで起こっています。

どのActivityが良いのか、という問題ではないのです。
「何をやらせようか」という言葉が出た時点で答えは決まっています。
  (野村克也の言う「負けに不思議の負けなし」というわけです)
「何をしていただいたら良いかしら?」と言葉だけを丁寧な表現にしても
中身は一緒ですから答えも決まっています。

もちろん、悩む人は、日々のリハやActivityに困るから悩んでいるわけで
仕事に対して、いい加減な人ではないからこそ、出てくる悩みです。
でも、悩み方を間違えているんです。
視点が自分ごとにすり替えられてしまっています。
このことは、対人援助職にとって必ずぶち当たる当然の壁なんです。
あなたが悪いわけじゃない。
誰もがぶち当たる壁に対する解決の仕方を教えてくれる人がいないことを
理不尽に思うかもしれませんが、これが現実なので仕方ないのです。

「あなたがこの世で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい」
「You must be the change you want to see in the world.」

マハトマ・ガンジーの言葉です。

  

梅の実が!

 


まだ、3月なのに
梅の実が成長していました!

びっくり、びっくり

 

卒後養成の課題

 

  
実習がクリニカルクラークシップ(CCS)に移行したことに伴い
今後ますます就職先での卒後養成をどう組み立てていくかということが
ますます問われるようになると考えています。

資格のない学生が
安心して安全に体験学習が行えるようにするために
卒前の実習がCCSへ移行するのは理の当然なのでしょう。

一方で
従来型の実習に比し、
どうしても主体的な取り組みとはなりにくい構造でもあります。
つまり、学生としての体験学習はしたが
一人の療法士としての体験学習をしていない人を
どのように職場で従事させるか、養成していくかという問題が
起こってはいないでしょうか。

職場によっては
かなりシステマチックに卒後養成に取り組んでいる施設もあるようですが
今後卒後養成の充実度のばらつきが顕在化してくるのではないでしょうか。

今はどの分野の人も忙しい日々を送っている人ばかりだと思います。
一方で働き方改革が進められ(このこと自体はもっともなことですが)
皮肉にもより一層時間的制約が厳しくなったと感じている人もいるのではないでしょうか。

私が就職した頃に比べると
論文をオンラインで読めるようになったり
本も多数出版されるようになり、動画も付属していたり
研修会も協会や士会以外の民間の研修会主催団体が多数あるし
職種横断的な勉強会もたくさんあります。
学ぶ環境はものすごく豊かになってきたと感じています。

学ぼうとする人はどんどん学べるような環境が整ってきている一方で
そうでない人もますます増える構造にある。。。

  どんな世界もピンキリですし
  2:6:2の法則もありますし
  自己責任ですから言ったってキリがないし
  
組織として、専門職としての最低限担保したいラインをどこに置くのかが
問われるようになってきたのではないでしょうか。
もう既に作業療法士は居てくれればありがたいという職種ではなくなっています。

大きな規模の施設にも、小規模の施設にも
個々それなりの課題が顕在化されつつあるのではないでしょうか。

あちこちで開催される研修会の大多数が机上の知識伝達型です。
専門職として、知識の習得は必須ではありますが
「聞いたことがある」レベルにとどまってしまうようでは
臨床家として実践に活用できているとは言えません。

臨床家は
結局のところ、OJTで育っていくものと感じています。
知識と技術は、その時々で深め広げていくもの。

問題設定の問題に絡め取られずに
手段と目的の混同やすり替えに自覚的になれるようにするために
どうしたら良いのか

私が
どの分野にも共通する、臨床家として
最低限これだけは絶対に習得しておくべきと考えているのは
目標設定です。

目標設定さえ目標というカタチで設定できれば
なんちゃってOTにならずに
自分で自分を育てていける
対象者の不利益を回避することができると考えています。

目標設定については、こちら にまとめてありますので
どうぞご参照ください。

  


オススメAct.「スクラッチアート」 

  

 
現場で使えるActivity
スクラッチアートを紹介します!

スクラッチアートとは
ハガキ大の大きさの黒い用紙に
白い色で下線が描かれているので
同封されているペンで白い線の上をなぞって削っていくと
鮮やかな色が浮き出たり、ホログラムのような色が浮き出たりします。
ダイソーで販売されていたものを購入しました。

冒頭の作品は
1ヶ月半以上取り組んでいた方なので
複雑な図案でも綺麗にできるようになりましたが
もっとシンプルな図案もあります。
 
2-3分前のことも忘れてしまうような、
近時記憶が高度に低下している方でも作れます。

スクラッチアートの良いところ
1)工程が少なく、工程を覚える必要がない
  ・白い線の上をなぞる という1工程のみ
2)自身の関与の結果が明確で綺麗
  ・なぞった→色が浮き出た という達成感が即時に得られる
3)出来上がりが綺麗
  ・多少なぞり忘れがあっても失敗として目立ちにくい
  ・多少なぞり方が雑でも失敗として目立ちにくい
4)段階付けが容易
  ・シンプルな下絵から複雑な下絵まで種類が豊富
  ・風景画、動物、曼荼羅や星座など下絵が多様
   好みに合わせて下絵を選べる
  ・線をなぞるだけでも綺麗、面を削って色を出してもどちらも綺麗
   面の削り方に自由度があって工夫ができる

近時記憶が低下していても
構成障害があっても
手指の巧緻性が低下していても
大雑把な性格の方でも
「白い線の上をなぞる」ことができれば行えます。

綺麗な変化を感じつつ取り組めるので
作業そのものが集中力をサポートしてくれます。

気をつけるところは
1)眼精疲労
  ・用紙のコントラストが強いので休憩を挟むか、作業時間は短時間にとどめる
2)削りカスの処理
  ・黒くて細かな削りカスがかなりでます。
   おしぼりやタオルを用意しています。

応用としては
無地の用紙も売られているので
短歌や俳句や歌詞などの模写もできると思います。

綺麗な字で書ければ仕上がりも綺麗だし
そうでなくても味わいのある仕上がりになるんじゃないかと思っています。

私が手工芸的な結果が明白なActivityを行う時には
見た目の綺麗さには、こだわっています。
一生懸命やったのに、綺麗にできなかったらガッカリしちゃいます。

臨床で圧倒的に多いアルツハイマー型認知症のある方は
その定義上、高齢者です。
いつ何時何があるかはわかりません。
努力を重ねて上達する時間がないかもしれません。

Activityを行なったその都度
「わ、綺麗!」「あら案外素敵じゃない?」
って感じていただけるように。
ポジティブな感情を抱けるポジティブな体験となるように
対象者の方の特性と能力とActivityのマッチングには気をつけています。

  

対 比


何かを知ろうとしても、
その反対のことを知るまではその何かを知ることはできない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私がモノゴトを提唱する際は
食事介助など実技体験も含めて
講演の時でも、こちらのサイトでも
旧態依然とした方法論と私の提唱とを対比させて説明するようにしています。
私の提唱だけを書いたのでは、
旧態依然とした方法論を採用している人に伝わらないからです。

対比させることで明確化できます。

意識的に仕事をしていれば
必ず旧態依然とした方法論に疑問を抱かざるをえない場面に遭遇するはずなんです。
初めはちょっとした違和感から
その次に既視感とともに違和感が確信へ変わっていく。。。

そこが分かれ道です。
現実を否認し、日々の安寧を選択する人と
現実を受け入れ、日々の困難を受け止める人との。

よく言われるのが
「なんとなく抱いていたモヤモヤをはっきりと言葉にしてくれた」
「おかしいと思っていたことの正体がわかった」
「私がおかしいんじゃないとわかった」
「眼からウロコだった」
「すごくわかりやすかった」
「その通りだと思った」
「過去に担当したケースを思い出し反省した」
といった感想です。

一方で、ディスられた、とか、やっていることを否定された、ショックだったとか
アンケートに書かれたこともありましたっけ。。。
受け取り方は人さまざまなのは承知していますが
何のために研修を受けるのだろう?と思ってしまいました。
学ぶということは変わるということ
より良い対応ができるようになりたいんじゃないのかなぁ?
と思っていましたが。。。

まぁ、そうやってアンケートに書かれたということは
少なくとも指摘が届いたということで、対比した意義があったわけですが。
後は本人の選択なので。
 
口はばったいことを言うようですが
旧態依然とした現行まかり通っている方法論のどこがどうおかしくて
でも部分的に良い面があるからこそ漫然と継承されてしまった部分を
明確に指摘をした上で、改善案を具体的に提示している
当然、結果も出している
ここまでしている人ってそうはいないんですけどね。。。

科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問です。
画期的なパラダイムの変換を要請されるような提唱は
その都度否定・否認されてきましたが
必ず最後には提唱の正しさが証明されてきました。

90%の力を引き出せる人は
80%の力を引き出している人と50%の力しか引き出せていない人との違いがわかります。

でも
40%の力しか引き出せない人には
80%の力を引き出している人と50%の力しか引き出せていない人との違いがわからないのです。

まさしく、観る眼がないから

わからない人に説明しても
こちらがいくら事実を伝えても
相手は見れども観えず、違いが本当にわかっていないので
まさしく本当にわからないから
こちらを否定するしかないのです。

私にできるのは
明確に対比させるところまで。
「この方は本当はここまでできる人なのよ」ということを示すまで。
後は受け取る人次第

若い頃は、このことが本当の意味ではわかっていなかったから
自分を責めたり
伝え方を必死になって工夫したりしてきましたが
自分が努力してきたからこそ言えることがあります。
言っても無駄な人もいるのです。
事実を受け止めることができない人もいるという現実があります。
 
ただし、言ったことが正当であれば、受け取ってくれる人は必ずいます。
思い込みを脱して目の前で起こっていることを観察し
事実から学ぼうとする人は必ずいます。

私が30年以上前から
スプーン操作について提唱してきたことが
今大きな流れになって多くの人が提唱するようになってきました。

それと同じように
スポンジリハや対応の工夫あれこれについて
私が提唱してきている、でも今はまだ受け入れてもらえていないことも
きっと多くの人が提唱するようになると確信しています。

私は臨床家ですから、為すべきは結果を出すこと
結果を出すにももっと短い時間で
もっと広く深く
能力を発揮していただけるように援助すること
そして、それらを伝えていくこと

WBCの試合を見て
決してあきらめずに頑張ろうと思いました。

視覚的手がかりを増やす:書字の工夫

 


歌詞を書き写すというActivityも行っています。

「読む」時には、黙読する人が多いと思います。
過去によく歌った歌や聴いたことのある歌なら
その記憶が読むことを助け、書き写す時に歌詞を思い出すことを助けると考えています。

民謡や懐メロ、唱歌や演歌など
好きな歌は人それぞれなので
題材としては、無限のバリエーションを作ることができます。

また、段階づけも細かく設定できます。
白紙の紙でもきちんと行替えして書き写すことができる方もいれば
行だけはあったほうが書きやすい方もいますし
見本と全く同じマス目の方が書きやすい人もいます。


特に前頭側頭型認知症のある方の場合は
見本通りに模写するなどは得意です。
視覚的被影響性亢進という症状がプラスに機能しているのだと考えています。

  実際の作品をお示しできませんが
  塗り絵で本当に細かな模様まで見本通りに色を塗っていた方もいました。

症状が進行すると
上記のようなマス目でも書けなくなってしまいます。
どこを書いているのかわからなくなってしまうようです。

そのような時には
視覚的手がかりを増やすと効果的です。


文字以外を薄く塗りつぶしておくことで
どこまで書いてどこから書いたら良いのか
視覚的探索をする際のヒントになります。

他にも
行の一番上のマス目だけ色を変えていくとか、二重枠にするとか
状態に合わせて工夫をしてみると良いと思います。




拘縮予防スポンジ:材質

手指のスポンジにオススメなのが、ダイソーで販売されていた
こちらの台所用スポンジでした。

反発力があって潰れにくくて使い勝手が良かったのですが
最近見かけなくなってしまいました。

そこで、開拓したのが
オートバックスの洗車用スポンジです。
オートバックスのお店によっては
スポンジを直に触って反発力を確認できるのが良かったです。

冒頭の写真の右側は使用経験があります。
スポンジの中央部分はかなり反発力がありますが
周囲の黒い部分が潰れやすいので少し大きめに作って適用しています。

?「刺激がないと認知症が進行する」

  


現場あるあるの根深い誤解
「刺激がないと認知症が進行する」
「何かやらせないと」
「できることない?」

ヒトの筋肉は
動いている部位だけが働いているわけでなく
静止していても姿勢保持のために働いているように

認知症のある方が
何も言わないからといって何も考えていないわけではありません。

その場面場面で
どのように状況を判断しどのように対処しようとしているのか
行動というもうひとつの言葉を通して聴くことができる人は
冒頭のような言葉を言えないし言わないと思います。

善意からであったとしても
不適切なことをやらせて結果として逆効果になることは多々あります。

地獄には善意が満ちているが、天国には善行が満ちている

やればいいってものではありません。

その代表例がゲームであり、塗り絵です。

ゲームはルールがあります。
ゲームを楽しめるためには
(1)ルールの説明を聞いて理解し
(2)説明されたルールを覚えておき
(3)ルールに従って行動できるという
近時記憶障害のある方には高度なメタ認識を要請されます。

ペットボトルボーリングのように
「投げる」という簡単な行動だから
認知症があってもできるだろうと考える人は多いようですが
そして確かに実際「投げる」ことはできたとしても
マンツーマンで行うゲームではありませんから
待ち時間の長さに何をしていたのか忘れてしまう方も多いのではないでしょうか。
(もちろん近時記憶が保たれていたり、
 他者を応援することを楽しめる方もいますが)

塗り絵もケアやリハで多用されているActivityですが
自身の行動の結果が明確に現れるので
表現を楽しめる、丁寧に行う特性のある方には良くても
仕事づくめの一生だった方は遊んでいるようなことは罪悪感や抵抗感があったり
大雑把な性格の方は塗りつぶしが多くて見た目が残念なことを感受して嫌になったり
ということも往々にして起こります。
 
「認知症が進行しないように塗り絵をしましょう」
と言って「やらせる」ことに違和感や抵抗感を抱いている人もいると思います。
でも何がどう良くないのか、他にもっと良いことを提案できないから
口をつぐむしかない。。。
悔しいですよね。

そんな時はぜひ
「Activityの選択・工夫について」 をご参照ください。

私が奨励するのは、課題集団ではなくて並行集団です。
同じ時間と同じ場を共有するけれど個々それぞれ異なるActivityを行う方法です。

参加される認知症のある方自身が
いろいろな人がいるんだな、いろいろなことをやるんだな
ということを体験を通して感じることができます。

何もみんな揃って同じことをする必要はないんです。

「やる」「やらせる」ことのデメリットについて
もっと検討されて然るべき時期に来ていると考えています。








飲食摂取量が少ない方

  


食事摂取量や水分摂取量が少ない方に遭遇することも多々あります。

そんな時に
「ちゃんと食べてね」
「もっと食べてね」
「食べなきゃダメよ」
と言う職員は、まだまだ多いようです。。。

私は
「食べてねと言う」のではなくて、
「食べられるようになる」ために何をするのが適切なのかを考えます。
そのために、その方にとって「食べられない必然」を、
今何がその方に起こっているのかを、観察します。

まずは、事前情報を確認して
既往歴や現病歴を把握し
体温表を確認して
摂取量やその変動と緊急性の有無を判断して
それから食べ方を観察しています。

疾患や医学的緊急性がなくて
摂食・嚥下5相にも問題がなければ気持ちの問題を考慮します。

精神科病院に入院しなくてはならないほどに
原因が何であれ混乱状態に陥った方は
周囲の方だけでなく、当のご本人も心身ともに疲弊しています。

軽いうつ状態にあることも少なくありません。

当然、食欲もあんまりない。。。

提供されたトレーの上に整然と並んだお食事の見た目のボリュームに
圧倒されてしまって一層食べる気持ちが失せてしまう。。。

このような状態のある方が
「ちゃんと食べてね」
「もっと食べてね」
「食べなきゃダメよ」
「飲まなきゃダメよ」
と言われたらどう感じるでしょうか?

飲食することに関して医学的緊急性がない
気持ちの問題が大きいと判断した時には
見た目の負担を軽減するようにします。
つまり、1回の提供量を減らします。

見た目にコンパクトな栄養補助食品を提供したり
小さめのコップに半分だけ飲み物を入れて提供したり
これだけなら飲めるかも?と思っていただけるような
飲食場面を提供します。

声かけも
「これだけは全部飲み切ってください」
なんて絶対に言いません。
「もし飲めたら飲めるだけでいいから召し上がってください」
と言います。

少しうたた寝をしていたら
室温を上げておいて
目覚めに冷たい飲み物を提供しますし
肌寒い時には暖かい飲み物を提供します。

味がはっきりわかるように、濃いめに入れたお茶を出したります。

そうすると
食堂では飲み渋っていた方が
一気にごくごくと飲み干す。。。なんてことは多々あります。

近時記憶障害が進行している場合も多いので
1回に100ml摂取できたら、しばらく時間を置いてから
もう一度小さめのコップに半分ほど
「飲めるだけでもどうぞ」とお出しします。
近時記憶障害が進行していれば
さっき飲んだことを忘れているので
初めての体験として飲み干してくれたりします。
  
どんなに勧められても食堂ではほとんど飲まなかった方が
リハ室では300〜400ml飲んでいる。。。とか、よくあります。

飲めた、食べた。。。という体験を蓄積していき
心身の疲弊も癒やされた頃には
いつの間にか通常量を食べられるようになっていくものです。

これらは直接援助の考え方ですが
同時に間接援助も行っていきます。
食欲不振になるくらい、辛い思いをしてこられたのだから
「今のままでも大丈夫なんだ」と実感できるような体験を援助していきます。
心身の疲弊からの回復を支え、結果として食欲も戻ってくるように。

「飲んで」と言うのではなく
「飲みたくなる」ように、その方の状態に応じて場面設定を行う。
「言う」のではなくて
飲む・食べるられるように「援助する」のが私の仕事ですから。

  「ちゃんと食べてね」「もっと食べてね」って言うだけなら
  近所の人でも誰にでもできますよね?
  もしかしたら近所の人の中にも
  そう言ってしまうことの弊害を慮って躊躇する人だっているかもしれません。

飲食の摂取量が少ない
   ↓
飲食の摂取量を上げるためにどうしたら良いか? と考えることは
たとえ無自覚であったとしても、
食べることの援助ではなくて
食べさせるための工夫になってしまいます。

 

飲食の摂取量が少ない
   ↓
飲食の摂取量が少ないという事実に反映されている
その方の状態像、つまり
疾患、既往、脱水や低栄養の有無、摂食・嚥下5相、心身の疲弊
元々の摂取状況や好みなどを把握する
   ↓
無理なく摂取できる場面設定
   ↓
飲めた、食べられたという体験の蓄積と再認体験の反復
心身の回復
   ↓
摂取量改善

という道を辿るケースもたくさんあります。