卒業推奨「なじみの関係→誘導」

 

 
リハへの誘導に際して困っているという場合には
実は、認知症のある方の状態が把握できていないという
職員側の問題が「認知症のある方が誘導に応じてくれない」というカタチで
現れているというケースが圧倒的に多いのです。

認知症のある方の
体調(睡眠、疲労、覚醒リズム)はもちろん
近時記憶、見当識、視空間認知、言語理解力、特性などなどの把握

最も重要なのは言語理解力です。
そして案外現場で確認されていないのも言語理解力です。

言語理解力には量的側面と質的側面があります。
量的側面とは、一度に受け取る言語の多さ・長さ
質的側面とは、「援助の言葉と意思表明の言葉」の違いであり
       「目的の言葉と手段(方法)の言葉」の違いです。

目の前にいる認知症のある方が
どんな言葉であれば理解しやすいのか把握したうえで
意図的に言葉を選び、使い分けることが必要です。

当然のことながら
声をかける時には、どちらの耳が聞き取りやすいのか確認する
そして、聞き間違いも多いので明瞭に発音する
ことに気をつけるのは言うまでもないことです。

また、何を言うかだけでなく
その時の口調や声の大きさ、視線などのノンバーバルな表出もコントロールすべきです。

そのうえで
先の記事でご説明したように
その方が再認しやすいように
キーとなる言葉を探したり、視覚的情報を提供します。

つまり、誘導時の声かけとは
すべてがその方の状態に応じて
評価にもとづいて選択されるものです。

認知症のある方がリハへ行くための援助」だからです。

決して、「リハへ行かせるための援助」ではありません。

さすがに、このご時世で認知症のある方への誘導に関して
無理矢理連れていくなんてことをしている人は少数派でしょうけれど
逆に「褒めておだてて言いくるめる」ようなやり方は増えているし
いまだに「毎朝訪室して挨拶してなじみの関係を作る」人も少なくないようです。
そのような対応は、もう卒業しましょう。

「なじみの関係を作る→誘導に応じてもらえる」
「顔見知りになる→言うことを聞いてもらえる」
というような実践は
  認知症のある方の状態像を把握していないからできる
  実は大雑把な方法
です。
リハへ行かせるための表面的な方法にすぎません。
  
しかも、この時にどんな言葉を選び、どんな風に伝えるのか
意図的に選択したうえで使い分けていなければ逆効果になってしまいます。
「何か言ってるけど何言ってるかわからない」
このような体験として再認した方は「うるさいからもう来るな!」と言うかもしれません。
そして易怒的とレッテルを貼られる。。。
リハを拒否すれば「意欲低下、やる気がない」とレッテルを貼られる。。。
認知症のある方の状態も改善されず
一生懸命毎朝訪室していた職員もガックリして落ち込んでしまう。。。
誰にとっても良いことがありません。

ただし、長い年月
漫然と為されていた方法論が継承されてしまったのには
それなりの理由があったのだろうと思います。
例えば「なじみの関係を作る」であれば
軽度だから職員に配慮できる方で効果があったように見えた、ザイオンス効果という論拠がある、情報収集や評価に手間をかけずにすむ、、、などなどの。

でも
認知症のある方にとっても、職員にとっても、もっと良い方法があるのだから
リハへの誘導のために毎朝訪室して挨拶するなどの漫然とした方法は
もう卒業しましょう。

「認知症のある方をうまくノセる」方法なんてないんです。
仮にあったとして、プロとして嫌じゃありませんか?
それって本当に援助と言えるでしょうか?
  
仮にあなたが「なじみの関係を作ったら誘導に応じてもらえた」としても
その意味を検証せず、あぁ良かったで終わりにしてしまう
単なるハウツーとして用いるのであれば
短期的には良くても長期的には望ましいことはありません。
認知症のある方にとっても、あなたにとっても。

一事が万事
他の事象に対してもハウツー的な表面的な対応をする思考回路になってしまいます。
認知症のある方は表面的な拒否というカタチに
反映されている意思や能力や困難を読み解いてもらえず
表面的に従うように要請されることを受け入れることになってしまいます。

きちんと状態を把握することに慣れていないうちは時間がかかります。
それは仕方のないことなのです。
今までやったことのないことをやるんですから。

モノゴトは何であれ誰であれ、習熟するには時間が必要です。
ここでいう時間とは、単なる経験年数のことではなくて
意図的に過ごす時間のことです。

  その間、自分のできなさから目を背けないことです。

  近くにいる先達は
  ちゃんとできるよ!ということをやってみせることです。
  そのうえで何をどうしていたのか言語化してあげることです。

未熟な時は辛いけど
その時にきちんと一つ一つをおろそかにせず
経験を経験として積み上げていけば
必ず自分自身の評価の能力すなわち観察力も洞察力も
量的にも質的にも高まっていきます。
 (ここをはしょると、なんちゃってOTになる)

知識は必要だし、検査やバッテリーも必要だけど
対人援助職として生涯をかけて研鑽すべきは観察力であり洞察力です。

ナイチンゲールの言葉です。
「経験をもたらすのは観察だけなのである。
 観察をしない女性が、50年あるいは60年
 病人のそばで過ごしたとしても
 決して賢い人間にはならないであろう」

  

ちょっとした工夫:カレンダー


カレンダーがあれば
日付の確認ができる認知症のある方も大勢います。
また、カレンダーとはなんぞや?がわかっても
今日がいつなのかが、わからない。。。という方もいます。

そんな方向けに、ちょっとした工夫をしています。
過ぎた日には、✖️印をつけて、
今日の日付のところにポストイットで矢印をつけて「今日」と書き込んでおきます。
「今日」という文言はなるべく矢印の先端がわかりやすくて良いと思います。

ちょっとしたことですが
歌詞の書写をしている方や
署名と日付を書き込む必要のある時に
大きなカレンダーとは別に卓上の1工夫したカレンダーがあると便利です。

予算があれば
日付や曜日まで一緒に表示される時計を欲しいところですが


今すぐにできる、ちょっとした工夫としてご紹介。

無理に広げるポジショニングからの卒業

 


ポジショニングは、まだまだ誤解が多いのが現場あるあるです。

拘縮や筋緊張が強い方に対して
拘縮変形予防のためと称して、
頑張って可動域を広げて広がったところに
無理矢理クッションを押し込むという。。。
そして、クッションを外すとぎゅーっと足や手が縮こまるという。。。
そこを見て、こんなに拘縮が強いからクッションできっちり広げないと
もっとひどくなっちゃうのよねと判断するという。。。

生活期にある方のポジショニングあるあるです。
気持ちが先走っていて逆効果になっているんです。

一生懸命頑張ってるのに効果が出ないどころか
どんどんひどくなっているのって、おかしいと思いませんか?

筋肉は多関節筋なので
無理に膝を伸ばすと
外見からは膝が伸びたように見えても
筋肉の働きとしては近位部として股関節はもっと収縮してしまいます。
だから、ちゃんとポジショニングしたのにだんだん悪くなるのです。

自分が気になるところしか見ていない
全体の中での関係を見ていない
概念の本質を理解していない
対象者のイマをネガティブなものとして捉え修正しようとする
対象者の動きと自分の介助とのやり取りをしていない
エトセトラエトセトラ。。。

私が食事介助や対応の工夫やリハで提唱していることと
まったく同じコトが違うカタチで起こっています。

良かれと思ってやってることが逆効果
過去から言われていることを検証なく続けてしまっている実践

よーく事実を見極めれば
自分たちがやってることがよくないんだ
認知症のある方の能力発揮を妨げているんだ
やり方を変えてみよう
関与の視点を変えてみよう
とならざるを得ないのに。。。

ポジショニングの体験談は山ほどありますが
足がガチガチに硬くて膝と膝がくっつきそうな方が
ポジショニング後に膝を触ると
容易に膝を左右に動かすことができるようになるのはよくあります。

早くから適切なポジショニングができれば
ご本人も職員も負担が少なく済みます。

じゃあ、どうしたら良いのか
お一人おひとり、ポイントは違いますので、お身体を見ないとなんとも言えませんが
原則は
1)常に全身を観てポジショニングを設定する
2)決して無理矢理可動域を広げるような設定はしない
3)適切なポジショニングができれば筋緊張は緩むので
  設定後に確認する

ことです。

特に
3)のポジショニングの適否について確認することが重要です。
ところが、確認しない人の方が圧倒的に多いんですよね〜。
(皮肉なことに知識と技術がない人ほど確認しないものです)
股関節や膝関節にクッションを当てた後に膝を触って左右に動かしてみる。
手指のスポンジを装着したら、肩の内外転を確認してみる。

適切にポジショニングが設定できていれば
可動域に制限はあったとしても、抵抗感なく動くようになります。

ここで、もしも、抵抗感を感じたとしたら
それはお身体のどこかに無理がかかっているという証左なんです。

無理矢理広げる→可動域が維持される  のではありません。
安楽な姿勢を作れる→筋肉がリラックスできる→可動域が維持される  のです。

ポジショニングに限らず
もしも、私が他の人より優れているところがあるとしたら
それは、常にPDCAを回している というところでしょうか。
自分の関与に自信がないから
現行の方法論を良いとは思えず説得力を感じられなかったから
確認・検証する過程を地道に踏んできました。

良いと言われていることは、全て勉強して実践してみました。
私のやり方が悪くて他者の実践を批判するのはお門違いだと思っていたので
私の理解ややり方が問題なのかもしれないと思い、何回も確認し検証し
その結果、やっぱり従来の方法論がズレていると判断しました。
じゃあ、どうしたら良いのか
試行錯誤しながら対象者の方に教えていただきました。

かつての私のように
信頼できる先達がいないという人もいるかもしれません。
そんな時には自分自身が頼りです。
ポジショニングを設定してみて、その後にお身体の状態を確認すれば
ダメ、悪くない、良い くらいの判断はできるはずです。
ダメだったらどこがダメなのか
良かったらどこが良かったのか
悪くないなら、どこが明言できないのか
自分自身の中で明確にしながら行っていけばよいのです。

ちっとも進歩していないように感じるかもしれませんが
「悪いことはしない」でいられるのも大切なことです。

良かれと思っての逆効果については冒頭で記載しました。
自覚がないと自己修正ができません。
そんな状態よりはずっとマシなんです。

自分の実践については必ず自己検証する
その蓄積で答えに辿り着けるはずなんです。
答えは必ず目の前にいる対象者の方から教えてもらえます。

どうしたら良いのかは、浮かび上がってくる
(つまり、最適解はひとつなんです)
浮かび上がってこない時には、自分の聞き方が悪いから

聞き方を変えてみましょう。
(身体が発する言葉にならない声に手を澄ませて聞きましょう)

生活期にいる方のポジショニング
どんなに重度の認知症のある方でもポジショニングとスポンジによって激変します。

「プロ野球マジックの継承者たち」を見た


見応えのある番組でした。
再放送もあります。
BS1:3月8日(水)午後9時10分~

栗山氏については
解説がやたらわかりやすいので気に留めていました。

三原ノートをただ読むんじゃなくて
コピーしてマーカーしながら読んでることに脱帽。。。

三原マジックについて
「奇策じゃなくて確率の高い根拠なんだよ」
「俺は気がついてるって言いたかったんじゃないかな」
まさしく、まさしく。。。
分野違いの私ですが
「確率の高い根拠」
「気がついてる」というところは、本当によくわかります。。。

それにしても
三原が既に二刀流を試していたとは。。。
本当に洞察力に優れていて度胸もある人だったのだろう。。。
戦場で修羅場を乗り越えてきたことの凄みを思いました。

番組の一端は
こちらの記事からも推察することができます。
WBC 栗山英樹監督 “名将の教えを胸に” 世界一目指す

読むだけでも得られることが多々あるかと思います。


工程はAct.そのものに語らせる

 


重度の認知症のある方でも
Activityを行える方はたくさんいます。

初めて行うActivityを紹介する時には
まず最初に完成品を見ていただき
完成品の用途を説明します。

ここで興味を持った方には
作り方の説明を実演しながら行います。
実演する時は通常通りに最初から行います。

  

 

1)ハンガーの下に毛糸をくぐらせる

2)糸先を輪っかの中に入れる

3)糸先を引いて毛糸をハンガーに結びつける

 ここの工程をあえて省くことも多々あります。
 認知機能が低下している場合には省いたようが理解しやすいケースが多いです。
 自分がやることだけを覚える、余分なことは説明しないという意味です。
 ここを誤解している職員が大勢います。
 丁寧に説明しようと思って説明しすぎてしまうと
 認知症のある方に入力刺激が多すぎて混乱させてしまいます。

 認知症のある方へのわかりやすい説明とは接遇を尽くすことではないのです。

認知症のある方に実際にやってもらうことを通して
工程を説明していきます。

 

1)糸先を輪っかの中にいれておき、糸先を引き絞る動作をしてもらう

まず、この工程を繰り返し体験してもらいます。
迷うことなく糸先を引き絞る動作ができるようになったことを確認してから
次の工程にうつります。

 

2)毛糸の糸先をハンガーの下からくぐらせてから
  糸先を輪っかの中に入れ引き絞るという2工程の動作をしてもらう

この2工程を迷うことなく行えることを確認したら
ひとつ遡って、毛糸をとるという工程を追加します。

3)毛糸をとる、ハンガーの下をくぐらせる、輪の中に糸先をいれ引き絞る
  という3工程を行なってもらいます。

この3工程を繰り返し行なってもらい
迷うことなく行えることを確認したら
次に糸先をそろえるという工程を追加します。

4)毛糸を取る、糸先をそろえる、ハンガーの下を潜らせる、輪の中に糸先を入れ引き絞る
  という4工程を行なってもらいます。

 * ここは細かく段階づけをしていきます。

 

   まず、糸先はそろえて、隙間を開けて置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   糸先をズラして、糸の隙間も開けて、置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸を少し丸めた状態で置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸を一本そのままの状態で置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   3本ほどの毛糸をまとめて置いておき
   そこから1本取って行えることを確認します。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸をまとめた状態にして置いておきます。
   ここまでできたら、時々困っていないか確認する程度の見守りをします。

  

認知症のある方あるあるなのが
最初はできていたのに
途中で混乱してわからなくなってしまうことがよくあります。
  
  その方に取って、何か注意をそらせるようなことがあった時に起こりやすい
  なので、私はあまりAct.中には話しかけないようにしています。
  一般的に「楽しく!」という思い込みによって
  「わいわいした雰囲気」を作り出そうとするケースも散見されますが
  そのような場面は実は注意集中を妨げやすい場面設定でもあります。
  もちろん、そのような場面設定でも注意集中が可能であれば良いのですが
  重度の認知症のある方の場合には周囲の環境という場面設定によって
  本来の能力発揮が妨げられることのないようにしたいものです。

途中で混乱してしまったり
トイレなどでいったん手を止めた後で
できなくなってしまった場合には
迷いなくできる工程まで戻ります。
この時に工程の最初に戻るのではなくて
工程の最後から確認していくことがポイントです。

工程の最後から
「こうしたらできる」
「こうやってできた」
という体験を繰り返し行うことで
できる、できた、という再認をすることが可能となります。

その上で1工程ずつ増やしていきます。
増やす工程そのものは「くぐらせる」「手にする」「そろえる」などの
かつて必ずどこかで行なってきた手続き記憶です。
その手続き記憶を新たな体験に統合する作業をしてもらうことを意味しています。

だから、段階づけは細かく行いますし
混乱したり、不安になったり、わからなくなってしまった時には
「できる」工程に戻って再認してもらっています。

ここまで、1回のリハの時間に行えたとしても
次に来る時には忘れてしまうことも現場あるあるです。

なぜなら、時間経過という時間干渉と
その間、さまざまな動作をしていたという動作干渉という二重の意味で
認知症のある方が忘れやすい状況に置かれたからです。

つまり、忘れてしまうのは仕方ないことなのです。

むしろ、初めてのActivityの工程を覚えているということ自体
素晴らしい能力発揮なのです。

手工芸をしていた方は、このような体験の統合が容易なことが多くあります。
たとえ、1−2分前の会話を忘れてしまう方でも
Activityの工程を覚えられることは本当にたくさんあります。

せっかく工程を教えたのに忘れられてしまったとがっかりする必要は全くありません。

忘れてしまったとしても
その方の行動パターンはこちらが把握できているので
工程のどこまで戻ったら良いのかの判断基準は手にしています。

もちろん、認知症のある方の体調変動によって多少の誤差はありますが
判断基準があるので提供するこちらの負担は初回ほど多くありません。

Activityの工程を丁寧に言葉で説明を尽くし
「一緒にやるから大丈夫」とつきっきりで安心させるような場面設定はしていません。
 
Activityの工程はActivityそのものに語らせるような場面設定をする工夫をして
認知症のある方が安心できるような場面設定をしています。
手も口も出しませんが、目だけは離さずにいる場面設定をする方が
認知症のある方自身の達成感を促しやすく
また、メタ認知やメタ体験としての達成感も得やすくなります。
そしてそのような体験ができるリハ場面そのものが
ポジティブな再認の場となるのでリハやActivityへの拒否が少なくなります。
 

 

もし良かったら是非お試しください。

ポイントは
・言葉だけに頼らない
・視覚的説明を活用する
・認知症のある方の能力発揮を援助する
ということです。

介助、援助、支援とは
接遇を尽くすということとは異なるのだと考えています。

   

スクラッチアートの良さ

 


塗り絵は、
リハやケアの分野で認知症のある方に多用されているActivityのひとつです。
「色を塗るだけだから簡単にできるはず」と思われているのが理由でしょうか。
多くの人が「できること」という観点でActivityを探します。

私は、Activityは「特性」の観点を優先して探すようにしています。
詳細は、 Activity選択の考え方 をご参照ください。

仕事的活動よりも表現活動が好き・綺麗なものが好き
という方の中に
塗り絵を提供しても能力が追いつかない
あるいは、不安が強くて塗り方が心配になってしまうという方もいらっしゃいます。

そうなると、仕上がりが今ひとつだったり
塗ることを楽しむ・工夫するどころじゃなくなったりしてしまうこともあります。

塗り絵の前段階として
おすすめなのが、こちらのスクラッチアートです。

線をなぞって削っていくと
削った分だけ色が出てきます。

やったことのフィードバックがその場であるので
「できた!」という達成感を継続的に感じることができます。

塗り絵だと「塗る」のが心身の負担になってしまう方も
「線をなぞる」だけで色が見えるので負担が少なくてすみます。

また、塗り絵の場合には
塗り損ねが目立ちますが
スクラッチアートは、塗り損ねても目立ちにくく
塗りつぶしてもいいし、塗らなくてもそれなりに綺麗に見えるので
遂行のムラがあっても目立ちにくく、かえって味わいに見えるのも良いところです。


不安の強い方も
「白い線の上をなぞって削る」という1工程を
職員に確認するのではなく、自分自身で確認しながら遂行する
ということに集中しやすくなります。

ダイソーで購入しました。
いろいろな種類が発売されていました。

失敗が失敗として目立ちにくい
でも綺麗
工程は1つのみ
スクラッチアート

細かな模様と
図と地のコントラストが高いので、眼精疲労には要注意です。

 

Act.導入への具体的な工夫

 


アルツハイマー型認知症のある方は
どれだけ集中してどれだけ綺麗にActivityを遂行していたとしても
次の時には忘れてしまうことがよくあります。

誘導する時には
前回行っていた作りかけの作品や以前に仕上げた作品を持参して
「続きをやりましょう」と誘導するようにしています。

これは 再認 に働きかけています。
作品を見る、視覚情報として提示することで過去の体験を思い出していただく試みです。

病状が進行すると再認も困難になってきますが
少なくとも今目にしている、これをやるんだということは伝わります。
何をどうするのかわからない状態で誘導するのではなくて
これから行うことは今見ていることなのだと視覚的に理解していただくことで
余分な不安を減らすことができます。

認知症のある方の誘導というのは難しいものです。
病棟からリハ室への誘導は、
リハスタッフ自身が行うところと看護介護職が行うところがあると思います。
リハスタッフ自ら行うところで働いている人は誘導の大変さを実感していると思います。

言葉だけで誘導するには限界があります。
視覚的理解に働きかけることはかなり有効ですが、
あまり取り入れられていないようでもったいないなと感じています。

  また、選んでいただく という時にも視覚情報を提示するようにしています。
  言葉だけで尋ねると
  「なんでもいいわ」「あなたが選んでよ」となってしまいがちです。

  毛糸モップの仕上げに使うリボンの色を選んでいただくときに
  「何色が良いですか?」と言葉で聞くのではなくて
  実際に複数のリボンを提示して毛糸モップの毛糸に合わせながら
  どの色が良いですか?と尋ねると
  「考える」「迷う」ことができるようになります。

  考えてみれば当たり前ですよね。
  同じ、ピンクでも緑でも、色の明度や彩度が違えば感じは全く変わってきます。

  選んでいただく時には、具体的に選べるようにしています。

誘導する際に再認に働きかけるということは
リハ室やOT室での体験をその方にとって有意義なものにする必要があります。

ちょっと痛い思いはしたけど終わったら身体がとてもラクになったとか
Activityに集中できて心地よい充実感を感じられたとか

再認は、ポジティブにもネガティブにも働きますので
ネガティブな体験しかできないリハ室やOT室であったとすると
導入する際に拒否するのは正当な意思表示でしかありません。

認知症だから忘れるだろう・忘れてるだろう・わからないだろう
なんてたかをくくっている人がいるかもしれませんが
とんでもないことです。

認知症のある方の能力低下なのか
能力を観ることのできない私たち職員の側の問題なのか

現場では、混同され、すり替えられ、思い込みによって誤認されがちです。
良くも悪くも。

目の前で起こっていることを事実として観察する
「曇りなき眼で見定め」ることができれば
混同することも、すり替えることもなく
認知症のある方の能力を困難とともに目にすることができるようになります。


Act.を拒否された時:体験談いろいろ(2)

 


認知症のある方が帰宅要求などのBPSDのために
Activityを拒否することもよくあります。
このような時には、なんとか宥めてActivityに誘導しよう
などと考えない方が良いです。

作業療法ジャーナルvol.47no.7にて
「バリデーションの紹介ー体験談を通して」で紹介した事例ですが
帰宅要求のある方にバリデーションを提供したことがあります。

普段、帰宅要求などなかった方が
かなり大きく強い口調で「家に帰る!」と言い続けていたので
ちょっと驚きましたが、バリデーションの後ですっかり穏やかになられました。
落ち着いてから、Activityの見学に導入しました。
その時の穏やかな表情は忘れられません。

ここでのやり取りとその意図については
上記紙面にて紹介してありますのでご参照ください。

 バリデーションで強調しているのは
 BPSDが解消されるのは結果であって目的としない
 ということです。ここは誤解しないでほしい。

私もとても穏やかな気持ちになって
その場の雰囲気に浸っていたのですが
一連の過程を近くで見ていたスタッフが
「やっぱり気持ちをそらせると良いのねぇ」と言いました。
もうガックリです。。。
やりとりの過程をずっと見て聞いてたよね?
私がいつ気持ちをそらせるようなことを言った?

村上春樹の小説の登場人物のセリフに
「説明しなくちゃわからないってことは説明したってわからないってことだ」
という言葉がありますが
まさしく。。。

見れども観えず
観ようとしなければ観えないし
人は自分の観たいように見る


実は高齢者を対象とした施設・病院に勤務する職員は
職種を問わず、このように
「何かやらせて気を逸らすことができれば帰宅要求はおさまる」
と考えている人もまだまだ多いのが現実です。。。

実際には
「BPSDをおさめる」「気をそらせる」対応をしても
効果がないどころか逆効果となり
火に油を注ぐような事態に遭遇しているはずなんです。

しかも
「BPSDをおさめる」「気持ちをそらせる」という対応が良いものだとすると
上手くごまかすことができるのが良いケアということになってしまいます。
そんなことがあるわけがない。。。

帰宅要求は必然があって生じるものです。
確かに周囲の人は困ってしまいますが、ご本人が一番困っているのです。

  バリデーションに限界はありますが
  強力なツールでもあります。
  私の知っている限り、他のツールとは一線を画すものです。

  もし、今、辛い思いをしている方がいたら
  バリデーションを学ばれることをお勧めいたします。
  本もビデオもありますが、
  本を読むだけでは理解が限定的になってしまうと思います。
  ぜひセミナーを受講してみてください。
  世界共通で体系化されていますし、
  体感しながら知識と技術を学ぶことができます。
  興味のある方は 公認日本バリデーション協会 にアクセスしてみてください。

もし、あなたが
気になって仕方がない、心配で心配でたまらないことを抱えている時に
「あちらで楽しそうなことをしていますよ」
と話しかけられたら、どう感じるでしょうか?

「それはお気遣いくださり、ありがとう。
 どうぞ皆さんでお楽しみください。」
と相手を気遣いながらも自分には関係ないこととして断るのではないでしょうか。
  
最初は丁寧に断ったのにしつこく誘われたら
「私は今それどころじゃないのよ」
「嫌だって言ったでしょう」
誘われるたびに嫌な思いが募って、こちらの断り方も強くなってしまう
やんわり断っても引いてくれないから強く断ることになります。

これって「易怒的」なことでしょうか?
でも、認知症のある方がこのような表現をすると
「易怒的」って判断されがちですよね。

昨今は、認知症の普及啓発が進んでいますから
以前ほど「ボケたらおしまい」という言葉を公に言う人は少なくなりましたが
一方で公には言わないだけで内心では思っている人もまたまだまだ多いものです。
「認知症のある方の言動には正当なものではない」と内心思っていて
「気持ちをそらせる以外に有用な方法論があるのだと知らない」のであれば
「帰宅要求から気持ちをそらせる」以外の対応ができないのも仕方がないのかもしれません。

  帰宅要求のある方への対応については
  こちらにまとめてありますのでご参照ください。
  ・帰宅要求のある方に対して(1)
  ・帰宅要求のある方に対して(2)

Activityの導入時、実施中に拒否されたら
その表現にきちんと向き合いましょう。
心配な気持ちを吐露してもらいましょう。
多くの場合に、心配な気持ちを吐露してもらったら
かえって収拾がつかなくなり混乱を増してしまうという職員の側の思い込みによって
そのような事態になることを回避しようとして感情吐露の抑圧、ごまかし、に至ります。

「私のお父さんの先生のお通夜だから行かなくちゃ」
「私の母親の具合が悪いから早く帰らなくちゃ」
「子供がお腹を空かせて学校から帰ってくるから戻らなくちゃ」
Activityどころじゃないですよね?

バリデーションを実践できるようになると
過去にその方がどんな風にご家族に対応していたのか
その一端を感じ取れるようになることです。
こんなにきちんと周囲の方に対応されていたんだ
こんなにご家族から大切にされていたんだ
こんなに子供さんのことを気遣っていたんだ
当時の時代背景を知っていれば、そうするにはどれだけの努力が必要だったのかもわかるようになります。

感情と体験のいずれか、もしくは双方が
過去に本当にあった不安な感情を抱いた体験を想起させます。
感情と体験をキーワードに、現在と過去が結びついてしまう。

  このような対応は決して異常なものではありません。
  私たちにも実際起こっているものです。
  ただ、普段は自覚せずにコントロールできているだけで。

だからこそ
一見不合理に見える感情の吐露に対して正面から向き合う意義があります。
感情を吐露し、そうするしかなかったことを共感されることで
過去の体験と感情を受け入れることができるようになっていく

バリデーションそのものによって起こることですが
Activityにも似たような作用があります。

だからこそ、無理矢理Activityに導入してはいけないし
Activityに誘導することで気持ちをそらせるようなことはもってのほかなんです。

 

・・・

次の記事では
Activityやリハ室、OT室への誘導の工夫について記載していきます。

 

NHKで「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態〜」が放送されます


明日、2月25日(土)午後11時から
NHKで「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態〜」が放送されます。

番組告知には、社会が生み出した精神科病院の実態が明らかになってきたとあります。
虐待はいけないことですが、単純にいけないとして終わりでは
いじめと同じで今度は陰湿化し隠蔽されてしまいがちです。
NHKでは1病院の内実を明らかにして終わりではなく
社会全体の問題として捉え直して今後を考えてもらいたいという狙いなのでしょう。

精神科医療特有の問題もあるかもしれませんが
知的障害者施設とも共通する構造があるのかもしれません。

まずはお知らせまで。

 

Act.を拒否された時:体験談いろいろ(1)

 


目の前にいる対象者が
Activityを拒否している状況によって対応も変えています。

1)失敗や混乱への予期不安から拒否する
2)Activityとは関係なくBPSDのために拒否する

まずは
1)失敗や混乱への予期不安から拒否する という場合です。

このような場合に無理やり誘導は逆効果です。
暮らしのベースに予期不安を抱えているのです。
  普段はそれを言語表出しないだけで、
  Activityをきっかけとして、あるいはリハ室・OT室への誘導をきっかけとして
  表面化することはよくあります。
  職員のあるあるな誤解は、きっかけに過ぎないものを
  大きく問題化して解決案を検討するという方法論です。
  (ここではそれ以上触れませんが)

予期不安を抱く…というのは、
ある意味モノゴトを予測できる能力があることを示しています。
イマ・ココとは、違う場所、違うことをする不安があるのです。
とすれば、
おだてたり、褒めたり、言いくるめたり、強引に誘導して促すのではなくて
不安が解消されれば拒否もなくなる→不安が減る対応を考える
ということになります。

ここでいう不安とは
「自分ができない、わからなくなる、混乱する」ことへの不安であって
「できなくなっても助けてもらえない」ことへの不安ではないということを
認識しておくことです。

ケアやリハの現場でよく聞く言葉の一つに
「一緒にやるから大丈夫」という言葉があります。
もちろん、この言葉を発する人の善意を疑うものではありませんが
認知症のある方の不安は、
一緒にやって助けてくれる人の有無ではなくて
自分ができない、わからない、混乱するという体験そのものへの不安なのだから
「一緒にやるから大丈夫」という言葉は実は認知症のある方の不安に対しては
的外れの言葉になっています。
そしてその自覚がないから言える言葉でもあります。

認知症のある方だって
他者の配慮、ましてや自分が日頃お世話になっている人の配慮は感じますから
そういってくれる人の配慮を慮って応じていることだってよくあります。
つまり、職員は認知症のある方を配慮しているつもりで
実は、認知症のある方に配慮されていてそのことに気がついていないという。。。

職員の声かけに
「はーい、わかりました。どうもありがとう!」と笑顔で応じて
その直後にくるっと私の方を向いて
笑顔でペロッと舌を出しながら「あぁ言っておかないとさ」
って言われたこともありました。
HDS-R7点の方です。

認知症のある方の
「できなくなる、わからなくなる、混乱する」ことへの予期不安に対して
私たちがすべきことは、
「できた、わかった、混乱しなかった」という体験の提供です。
自分一人でもできた、困らずにラクにできた という場面設定ができることです。

そのためには
目の前にいる方の、特性と能力と困難を的確に見極められていること
少なくとも見極めようとしている態度が肝要です。

状態像を的確に把握する努力を怠り
全員一斉に同じ課題を提供し、
隣でできないことをその都度教えたり介助したりすることではないのです。
 
  誤解のないように書き添えると、
  上記の対応がむしろ適切な場合もあります。
  それは認知症のある方が生活歴の中でそのような体験を多々積んできており、
  しかもそういった体験を好んでいる場合です。
  でも決して万人に通用する場面設定ではありませんし
  そういうケースはあまり多くないことも書き添えておきます。

もうひとつのポイントとしては
Activity遂行の過程と結果が明確に示される手工芸的なActivityの場合には
仕上がりの綺麗さも求められます。

一生懸命やった結果の見た目がイマイチでは、ガッカリするのが人の常
まして、過去に趣味や仕事として為したことのあるActivityでは
比較対象の基準が内面化されているので要注意です。

また、綺麗に仕上がった作品であれば
ご家族やご友人など大切な人へのプレゼントにもなります。
お世話になるばかりじゃない、してあげられることがあった
という体験をカタチにできるのです。

そういう意味で重宝しているのが
写真で掲載している、毛糸モップです。
 
編み物をしていた女性も多いですし、草履を編んでいた男性も多くいます。
工程が少なく、段階づけも多様にできるので
数分前のことも忘れてしまうような近時記憶が著明に低下している方でも導入が容易です。
HDS-R3点の方でもできたというご連絡をいただいたこともありました。

作り方や段階づけ、応用についても
複数の記事を書いていますので、検索してみてください。

長くなったので
2)Activityとは関係なくBPSDのために拒否する
については、次の記事で書いていきます。