南瓜サラダ

 

 

煮物もいいけど、たまには違う食べ方も。

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 ・   材 料                    ・
 ・                          ・
 ・ 南瓜         お好きなだけ        ・
 ・ マヨネーズ                    ・
 ・ ヨーグルト      なくても可         ・
 ・ 干しぶどう      なくても可         ・
 ・ きゅうり       お好みで          ・
 ・ ハム         あれば可          ・
 ・ 玉ねぎ        あれば可          ・
 ・                          ・
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すごく簡単で食べやすくて美味しいサラダです。
さっぱりした洋風の味付けなので食べ過ぎ要注意 (^^)

  
かぼちゃの皮をむいて一口大に切ってからいったん下茹で茹でこぼしてアクを取ります。
かぼちゃが浸るくらいに新しい水を入れてコンソメを少々(小さじ1くらいかな?)
水気がなくなるまで煮詰めてからマッシャーで潰します。
温かいうちに好みの量の干しぶどうを混ぜ
マヨネーズ大さじ1・ヨーグルト大さじ2くらいの割合で全体を混ぜ
冷やして出来上がり〜!

玉ねぎの薄切りをかぼちゃと一緒に煮たり
全体を混ぜ合わせる時にハムを入れても良いかも。
調味料の割合は、お好みで加減してください。

 

豆腐肉巻き

ネットで見つけたレシピです。
こってりゴッツリ食べたい日にオススメ。

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 ・                           ・
 ・   材 料                     ・
 ・                           ・
 ・ 豚肉                         ・
 ・ 豆腐(拍子型に切り豚肉の枚数分)          ・
 ・ 大葉(豚肉の枚数分)                ・
 ・ 片栗粉             適宜        ・
 ・ 味噌              大さじ 2     ・
 ・ 醤油              大さじ 1     ・
 ・ みりん             大さじ 1     ・
 ・ 酒               大さじ 1     ・
 ・ 砂糖              大さじ 1     ・
 ・ にんにく            お好みで      ・
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1)豆腐は水切りしてから片栗粉をまぶします。
2)豚肉に大葉と1)をのせて丸めて端を下にしておきます。
3)フライパンにごま油をひき、2)に軽く焦げ目がつくまで焼き
  火を通します。
4)調味料をフライパンに入れて豚肉に絡めて出来上がり!

 

「2階はどこ?エレベーターはどこ?」

 

 

お風呂上がりのXさんに尋ねられました。
「2階はどこ?エレベーターはどこ?」

今、Xさんがいるのは施設の1階です。エレベーターはありません。
「ここは平屋なので2階はないんです。」
そうするとXさんは「そんなはずはないんだろう!」と怒り出してしまいました。

ここだけ、切り取って
「怒りっぽいXさん」とレッテルを貼ったり
「エレベーターなんてあるわけないじゃん」と否定したり
「認知症も相当進行しちゃったんだね」としたり顔で言ったり
「申し訳ありません。エレベーターはないんです。」と謝罪しても
Xさんの困りごとを解決することはできません。

対人援助職のプロとしては
表面的な現れだけを切り取って対応するのではなくて
Xさんに今何が起こっているのかを観察・洞察することから始めます。

「2階はどこ?エレベーターはどこ?」

この言葉には
Xさんの混乱も能力も反映されています。

Xさんは何か用事があって2階に行きたがっている。
その2階に行くにはどうしたら良いか、道順を尋ねている。
これだけ広いスペースがあるのだから、きっとエレベーターがあるはず。
あ、職員らしき人がいるから聞いてみよう。

たぶん、このような思考過程を経て冒頭の言葉の発言となったのだと思います。

つまり
今いるこの場所と以前にいたどこかの場所とを混同している(場の見当識障害)
「広いスペース→エレベーター」(視覚的理解→状況推測力がある)
誰でもいいわけではなく職員に尋ねる(人物の見当識が一部保持)

このような時には
「2階に行きたいんですね?」
「2階のどちらに行きたいんでしょうか?」
「2階にどんな御用でしょうか?」
と尋ね直します。

するとXさんは
「部屋に行って上着をとってこようと思って」と答えました。
あぁ、そうか!と思い
「それではお部屋までご案内します。」と
お部屋に誘導してXさんは上着を着るという目的を達成し
「どうもありがとう」と言われ、怒ることは無くなりました。

ここでXさんのもう一つの障害が明らかになりました。
視空間認知障害があるということです。

Xさんは普段なら、自室と食堂を迷わずに行き来することができますが
週に2回しか入らないお風呂場と自室との位置関係がわからなかったのです。
 
さらに場の見当識障害が加わって
状況推測力があるからこそエレベーターという結果として余分な表現になり
コミュニケーションの行き違いのような形になってしまったのだ。

認知症のある方はこのように
手段を尋ねることがよくあります。
その時に表面的に答えても、往々にして困りごとは解決されません。

「2階はどこ?」という手段で尋ねられたら
「2階のどちらに?」「2階の御用は?」と本来の目的を尋ね直します。

そうすることで行き違いなく、本当にしたいこと
Xさんの場合には
2階に行きたいのではなく
自分の部屋から上着をとってきたい
を明確化することが可能となります。

「2階に行く」のはXさんにとっての手段であり
本当の目的は「上着が欲しい」ということです。
本当の困難は「自分の部屋がわからない」です。

手段で尋ねられたら目的を尋ね直す
ことによって、視空間認知障害が明らかになったケースです。

 

「家に帰る!」

 

 

病状が進行すると
自分の家にいるのに「家に帰る!」と言うこともあります。

「ご自身の実家=自分の家」なので、
「今の家=自分の家ではないという意味になります。

症候学的には
場の見当識が混乱しているということの現れです。

このような状態像が常時起こるわけでもなく
一度現れたからといって継続するとも言い切れません。

  こういった混乱の機序について思うところはありますが
  もう少し整理してから別のところで記載する予定です。
  おそらくキーワードとしては
  不安感、投影、意識の階層性ということだろうと考えています。

対症療法的には
お茶を出して一息ついていただくとか
一緒に歩いて納得を待つ、動作干渉・時間干渉によって忘れていただくと
いう対応が為されることが多いのだろうと思いますが
根本的には
バリデーションが一番有効だろうと思っています。

混乱を納めるためにバリデーションをするのではなくて
混乱するくらい不安な気持ちを安全に表出することを援助することによって
結果として混乱が治まっていくということが大切なのだと考えています。

 

椅子に座ることができない

 

 

即時記憶障害の現れ方の一例について、ご説明します。

たとえば
診察室に認知症のある方が来られて
椅子に座るように勧められた時に
目の前に椅子が見えるので「この椅子に座る」ということを認識できます。

ところが
椅子に座るためには身体の向きを変えなければならず
この「身体の向きを変える」という動作をすると(動作干渉)
椅子は視界から消えています。
 
即時記憶が低下していると
「椅子に座る」ということを動作干渉のために忘れてしまいます。
また、視界に椅子が見えないので「椅子に座る」ということを再認することもできません。

この時にドアが見えれば
ドアに影響されてそちらに向かって歩き出してしまう場合もあります。

また、そこまでいかずとも
「座ってください」と言われても
この方にとってみたら、椅子は存在しない(見えないから認識できない)のですから
いくら言葉を重ねて説明されても座ろうとはしないでしょう。
何もないところに座ったら、ひっくり返ってしまうと思うからです。

このような時には
「認知症だから椅子に座ることもできない」と
表面的な事象にとらわれずに
表面的な事象に反映されている障害と能力を観察・洞察すると
適切な対応をとることができます。

椅子は見えなくて認識できなくても
お背中に手を当て
膝裏に椅子を当てると
触覚から「支えられている」「後に何かある」と感じることができます。
その上で「ご着席ください」と言われれば座ることを試みることができます。

  ここで大切なことは順番です。
  「座って」という言葉よりも
  触覚刺激としての背中に手を当てること、膝裏に椅子を当てることを
  先に行ってから、言葉で伝えます。

即時記憶は低下していても
五感や体性感覚といった環境刺激を感受する能力は保たれています。

言葉だけに頼るのではなくて
能力に働きかける。

そのためにも
表面的な事象だけをみて、表面的に対応を考えるのではなく
表面的な事象に反映されている障害と能力を観察・洞察することが大切です。

 


旧姓を名乗る

 

 

 

遠隔記憶障害の現れについて説明します。
たとえば、こんなふうに現れます。

初対面の時に自己紹介をした後に
必ずお名前を尋ねるようにしています。(当然知っていますが)

  この時のやりとりから
  言語理解力・表出力、即時記憶や特性のスクリーニングの場として
  活用できるからです。
  ただの自己紹介で終わらせてしまってはもったいないです。
  このことについては別の場所で(^^)

「ところでお名前を教えていただけますか?」
この時に旧姓を名乗る方がいらっしゃいます。
「お住まいはどちらなんですか?」と尋ねると
実家の住所を答えたりする場合もあります。

結婚したこと、転居したこと
昔のことを忘れてしまっています。

数日以上前の記憶の障害、遠隔記憶障害が反映されています。

 



骨折したことを忘れる

 

近時記憶障害のある方が骨折して手術を受けリハを開始する際に
よく遭遇する「リハ拒否」とよくしてしまう「対応あるある」について説明します。

骨折の手術後のリハで
平行棒歩行を導入しようとして
立ち上がろうとした時に認知症のある方が痛みを感じることはよくあります。

ここで
近時記憶障害があると
ご自身が転んで骨折して手術したことを忘れてしまっている場合もあります。

そうすると
「立ったから痛い」→「痛いから立ちたくない」と
誤認して立とうとしなくなることがよくあります。

ここで「立とうとしない」という表面だけを見て
「意欲低下」「リハ拒否」などとセラピストが誤認してしまうこともまたよくあることです。

このような場合には
「立とうとしない」という表面の事象だけを見て
なんとか立ってもらおうと考えて
懇切丁寧にお願いをしたり
笑顔で場を盛り上げたり
強引に立たせようとしたり
といったこともあるのではないでしょうか?

そして一生懸命立たせようと、あの手この手で対応しているのに
一向に立ってくれる気配がないと
一層「意欲低下」「リハ拒否」「認知症だから」とレッテルを貼ってしまう
。。。かつてはそのようなセラピストも少なくありませんでした。

 これは、そのセラピストの人間性の問題ではなくて
 HDS-RやMMSEという検査をしても
 その検査結果から導き出される近時記憶障害の程度、記憶の連続性の状態の意味を
 セラピストが明確には認識しておらず、対応に活用できていない
 ということを意味しています。

 評価を対応に活かす
 対応に活かすために評価する
 評価できるために検査する
 というのではなくて、認知症だからHDS-RやMMSEをする
 という思考回路になってしまっているのだと考えています。

 より的確な対応ができるように状態像を的確に把握する
 そのための評価であり、検査であるべきです。

話を本題に戻すと
「立ったから痛い」→「痛いから立ちたくない」と誤認しているのですから
事実を伝えるべきです。
「立つと痛いかもしれません。
 転んで骨折して手術したからです。
 だんだんと痛みも軽くなってきますから、頑張って立つリハビリをしましょう。」と

そしてその伝える頻度は
対象者の記憶の連続性に基づいて判断します。
(評価を対応に活かす)

リハの開始時に一度説明すれば大丈夫な方もいれば
立ち上がりの練習をする直前にその都度伝えたこともありました。

「立ち上がろうとしない」
「立ち上がりの時に拒否をする」
という表面的な事象には、
その方の障害(近時記憶障害)とともに
その方の能力(即時記憶は維持)もともに反映されています。

障害と能力のスペシャリストとして
とりわけ、暮らし・生活と医学の橋渡しの専門家として養成された作業療法士であるなら
表面的な事象に反映されている障害と能力を観察・洞察できるようになること
そのために知識の習得と活用が求められていると考えています。

「ここにいていいんですか?」

 

 

 

近時記憶障害の現れ方の一例をご説明します。
たとえばこんな風に現れます。

敷地内で開催されているお祭りを認知症のある方と一緒に見学に行きました。
「ここでしばらくお祭りを見物しましょう」と声をかけました。
が、しばらくして不安そうな表情で
ここにいていいんですか?」とおっしゃいます。
「ここにいていいんですよ」と答えました。
ホッとした表情で「それなら良かった」とおっしゃいました。
けれど、5分もしないうちに不安そうな表情で
ここにいていいんですか?」とおっしゃいます。
「ここにいていいんですよ」
「お祭りを見物しに来たんですよ」と答えました。
ホッとした表情で「それなら良かった」とおっしゃいました。
けれど、5分もしないうちに不安そうな表情で
ここにいていいんですか?」とおっしゃいます。
「ここにいてもいいんですけどお部屋に戻りましょうか?」と言うと
うなづいたのでお祭りの見学を途中で切り上げて帰ってきました。

その場その場での言われた言葉の意味は理解できますが
時間が経つと忘れてしまいます。(時間干渉)
不安そうな表情を浮かべていたことから
おそらく「見慣れない場所だ」「いつもいる所とは違う場所だ」ということは
認識できていたのだと推測します。(能力)
だから「ここはどこ?」「なぜここにいるのだろう?」と不安になった。
そしてそのことを言葉にして尋ねることもできます。(能力)
答えてもらえれば理解することもできますが
時間が経つと忘れてしまう。
記憶の連続性が低下している。

即時記憶は保たれているけれど
数分前のことは忘れてしまうという近時記憶障害が現れています。

「さっき言ったのに同じことを何回も言わせないでよ!」
と怒っても状況は変わりません。
認知症という状態像は「覚えたくても覚えられない」のです。
 
「さっき言ったのに同じことを何回も言わせないでよ!」という言葉は
例えて言うなら、脳卒中後遺症の片麻痺のある方に
「どうしてその手は動かないのよ!」と言ってしまうのと同じことを意味します。
そんなことは誰も言いませんよね?

 

 



「オススメAct.&工夫」追加しました

 

 

オススメのActivityや工夫について追加しました。
https://yoshiemon.info/activity/program/

ほんのちょっとした1工夫をするだけで
認知症のある方が混乱せずにActivityを遂行しやすくなります。

その1工夫をしたほうが良いか否かも
状態像の把握、評価を根拠に決定します。

 

本質を希求

  

このサイトは
本質を希求するサイトです。

科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問です。

 

事実の子たろうとし
本質を追求しようとする人は必ず存在する。

周囲と軋轢なく過ごすニーズのある人は
今、周囲にいる人と同調することが必要でしょう。

商売をしている人は
時代より一歩先の商品の提供が必要でしょう。

でも
事実の子たろうとしている人にとって
大切なものは他にある。

自分の眼で観て自分の頭で考える。

 「もののけ姫」で
  アシタカが「曇りなき眼で見定め決める」って言った

  エボシは笑ったけど。

ドイツの「たった一人でも反対できる人材を育てる教育」って
本当にすごいと思いました。
その発想と発想を支える根底にある信頼。

最前線は目の前にいる対象者の方

声の大きな人や
露出の多い人の話に耳を傾けても
現実を見据えるとどうしてもそうは思えない
でも、どこがどう違うのか明確に言葉にはできないから
言えないけれど、もやもやした違和感を感じている
必ずどこかにいるはずのそのような人たちへ向けて

「人あるところに人なし。
 人なきところに人あり。」
 
本質を追求したい。
そして、本当に役に立つ実践を展開したい。

 

 マハトマ・ガンジーの言葉
『 You should be the change that you want to see in the world. 』
  あなたがこの世界に望む変化にあなた自身が成りなさい。 

 

かつて
私が必死に追い求めていたけれど見当たらなかったものだから
今、私の手にあるものを次の世代へ手渡しておきたい。