皆さん、はじめまして。ごむてつです。知ってる人もいるかもしれないけど。
この度、昔からの盟友、よっしーさんのサイトにブログを開設させていただきました。これが初めての投稿になります。OTとなってから35年、辞めてからは20年以上になりますが、専門は精神疾患で今もセラピーの仕事はしています。
既に還暦を過ぎて、高齢者になりつつあり、歳も歳なので当然のこと、話があちこち飛んで、昔語り、自分語り、くどい話が多くなりますが諦めてご容赦下さい。
いつの世も「今どきの若者は…」と苦言を呈するジジイがいたものですが、昨今は若い人が「今どきのジジババは…」「団塊の奴らは…」などど言うようになったので、ひねくれ者の私としては古典的なヒヒ爺になってやろうと思っています。てなわけで、よろしく。
ところで唐突ですが自転車の話です。私はOTになる前は自転車屋だったので。
古くからの自転車マニアなら誰でも知っているはずだが、K名人という自転車のフレーム製作家がいる。彼を知る業界人やマニアは皆、昔からKさんとは呼ばずK名人と呼ぶ。
私も半世紀前の中学の頃からそう言ってた。
彼は20歳そこそこで溶接の職業訓練校を出て、T製作所という老舗であり名門とも言われる自転車工房に就職した。
新人ではあるが、最初から製作レベルの向上のために高給で雇われたようである。
当時のT製作所は老練の職人が何人かおり、競輪など競技用の自転車を製作していた。
T製作所の自転車は実際にプロ(競輪選手)の道具として使われており、当時の日本の状況では決して悪いものでは無かったが、ヨーロッパの一流選手が乗る本場イタリアの工房が作ったモノとは歴然としたレベルの差があり、1964年の東京オリンピックに海外から持ち込まれた出場車と比べてもそれは明らかだった。
それまで自転車や部品は、まだ輸入が自由化されていなかったのである。
彼が就職して何年もしないうちにT製作所の自転車のレベルは格段に向上し、K氏は20代半ばにして押すも押されぬ名人と呼ばれるようになった。
彼を採用し、2~30歳も歳上の職人を指導する権限を与えたT社長もまた「慧眼の人」であった。
当時の職人の世界はもちろん徒弟制度、年功序列である。反発して辞めたベテラン職人もいたかもしれない。
日本の作業療法発足とほぼ同時期の1960年代半ばのことだった。
K名人は30歳を過ぎる頃には独立した工房を持ち、その頃からは製作よりも製作指導を主として活躍し、その後は優れた職人を輩出した。弟子の多くは彼と同世代であり、その後はそれらの人が活躍により業界全体レベルの向上にもつながった。
K名人が作った自転車はツールド・フランスにも出場し、一流のイタリア工房製に比べても勝るとも劣らないという評価を受けた。
学歴は乏しいものの勉強家でもあり、 材料工学等は大学院以上の学識も身につけており、アートの素養もあった。そうでなくてはあんなに美しい自転車は作れない。
その後は自転車研究家となり、高齢となった現在でもたまに製作しているようである。
業界人でもあり昔からの彼の友人でもある人は「凄いヤツは最初から凄いのだ」と言う。
一方、私が最初に中学1年の時にHさんと言う職人に注文製作で作ってもらったサイクリング車は、ガキの眼からも見てもレベルが低く、大いに失望させられた。
その時、既にその職人は20年ほどの経験があり、K名人より10年以上も先輩で業界では名も知れていたのだが。
その後も20年以上は、Hさんも作り続けていたが、お世辞にも良い作品ではなく、あまり向上もしないばかりか、年齢的な衰えもあってか、だんだん腕も落ちたようである。
駄目な人はいくら経験を積んでも向上しないのだ。
おそらくK名人のような人は天才と言えるだろうが、もちろんそういう人は少ない。
しかしその一方、彼の陶薫を受けた弟子もK名人とさほど遜色のない優れた製品を作っている。それらの人は努力型であり、自分一人ではそこまでは到達できなかったと思う。
イタリアの名車に追いつき追い越そうとしていたようで、それはほぼ独力で達成したと追う。しかし、天才にも弱点はあって、運動学的なことを知っていたわけではなさそうで、教義の経験もなかった。弟子は競技経験者が多く、運動学的な素養はなくとも経験則で顧客(選手)の意見を聞いて、アドバイスもしていいた。 わかたっようなことを言う人もいただろうけど、結果につながれば良いわけだ。勝負師はゲンを担ぐ。
おそらくこうしたことももあってか、独立してからは競輪用の自転車は作らず、同時に製作の指導に力を入れることにしたようだ。天才は謙虚でもあり、分かったことは言っても、決して「わかったようなこと」は言わない。わかったことを実践し、また実践から他の人がわからないことも得ることができるのだ。
ちなみに私にも「最初から凄い」天才的な師匠がいる。出会ったのは22歳の時だが、弟子にしてもらったのは36歳の時だ。OTの師匠ではなく、心理療法・精神分析の師匠である。
率直に言えば、弟子にしてもらうためにOTになったようなものだ。
手ぶらでは「弟子にして下さい」とは言えない。「お前なんか駄目だ!」と言われたらお先真っ暗だ。正確に言えば、私からは言い出せず向こうから「お前、治療がしたいんだろ?弟子にしても良い」と言ってくれた。お金も随分使ったし、たいへんだったけど、それしか生きる道はなかったと思う。
OTの世界ではどうだろうか?
おそらく前者のような天才は1%もおらず、後者のような努力型の人も、今のところ事実上2~3%かそんなものではないだろうか?
総じて言えばホントの専門家、プロと言えるような人は5%にも満たないのではないか?
知らんけどな。
専門家・プロならば少なくとも殆どの人、95%以上は素人が逆立ちしてもかなわない技術や能力を持っていなくてはならないと思う。職業人とはそういうものである。しかしOTの世界は逆で95%は素人と大して変わらない、と言ったら怒られそうだけど。
日本のOTはこれまではあまり恵まれなかった。
当初、当時の事情では指導する人がいなかったのはやむを得ないことだ。米国で勉強した2~3の人や、米国から呼んだ指導者を専門学校の教官にしたが、それらの人もまだ学校を出たばかりの駆け出しで、熱意はあっただろうが、もちろん日本語もできない。
初期のOTは、臨床家になるための良い指導を受けていない人が、その後指導者となっている。
師に遇わざるを「不遇」と言うそうだが、その意味では日本のOTは「不遇」であった。
協会の役員や大学の教官などのエライさんや、論文・著作等でも有名な人であっても、実際には臨床能力があまりに乏しく、レベルが低すぎる事実を知って、唖然としたことは正直言って何回もある。
それらの人は弁が立ち、実務能力に長けてはいたが、臨床家的な職人気質の人は少なかったようだ。業界の拡大やOTの地位向上には大いに貢献したが、臨床能力の向上にはあまり貢献できなかったと思う。
とりあえず「経験○年」というのは止めようではないか。
もちろん経験年数ではなく経験の内容や質が問題である。
昔勤めていた職場の飲み会の時、私の目の前で、ある酒癖の悪いOTが「俺のほうが経験年数が長いんだからな」とマウントを取るように別のOTに絡んでいたことがあった。絡まれた方が臨床的にも学問的にも優れているのは明らかで、要は経験年数以外は自分の方が下だということだ。
絡んだ方のOTは年齢的には1~2歳下で、OTの資格を取ったのは10年も早いのに、病院勤務は長くとも臨床能力は乏しいとしか思えなかった。
既に両者とも大学を定年で退官しているが、絡まれた方のOTはその後もあちこちの大学や講習会などでも講師として引っ張りダコ、著作は多くの大学で教科書としても使われている。絡んだ方のOTの活躍ぶりは推して知るべしだ。
「OTはわかってもらえない、認めてもらえない」という不満もよく耳にするが、認めてもらうならまず実力を身につけ、結果を出すことが必要だ。
結果を出しても否定する人も認めない人も当然いるが、世の中そういうものである。
プロの仕事が、そう簡単にトーシローにわかってたまるか!
認めてもらうよりも必要なのは、それぞれの臨床的能力の向上、業界全体レベルの向上で、話はそれからだ。
「皆が低けりゃ怖くない」
もしかするとこのまま行けば、百年経っても大してレベルは向上しない可能性もある。
ビートルズだって若い頃から人気があっただけでなく、実力もあり創造性豊かな優れた音楽をやっていた。今から聞いても良いものであり、フォロワーも多く、これからも教科書に載り続けるだろう。
比較の問題ではないにせよ、何十年音楽をやっても若い頃の彼らを超えた人はどれだけいるだうか?
彼らの真似をする人が多かったが、その上でいろいろなことが行われ現在の音楽があるのだけど。もうやり尽くした感じも無きにしもあらず。
人間を直接相手にする仕事の恐ろしいところは、経験を積んだから言って技能や能力が向上するとは限らず、逆に退行・退化することさえ多いことだ。
しかも、レベルの低い人はそのことに気づき難く自覚に乏しい。当然のこと、その後経験を重ねても向上の可能性は小さい。
職人の話なんて関係ない、とは思うことなかれ。OTなどの医療職は人間相手の職人である。
ところで自転車のことですが、私の専門は精神疾患だしOTは辞めたのだが、運動学その他のOTとしての知識を生かして、近年(主に間接的にですが)革新的な自転車の開発に関わりました。それは既存のものと一見大きく変わるわけではありませんが、効率がよく疲れ難く、楽に安全に楽しく走れる画期的な自転車です。スピードさえ求めなければ多くのメリットがあり、高齢者も含めて人々の健康の増進にも役立つものです。
元OTの自分にとって、OTを辞めても知識や経験が活かせることはたいへん有り難いことです。
でも、基本的にはOTになる前の若い頃から考えていたものです。
こんなことをやっても何になるんだ?と疑問や落胆、葛藤があっても、若い頃にやったことはどんなことでも、必ず後々役に立ちます。これは若い人にはぜひ伝えたいことです。
近いうちにその自転車についての記事も書くつもりです。今後ともよろしく。
By ごむてつ
ごむてつ君のブログ – OT佐藤良枝のDCゼミナール (yoshiemon.info)
セルフ・セラピー研究所
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