オススメ「NHK回想法ライブラリー」

「NHK回想法ライブラリー」がオススメです (^^)

昔の暮らし、道具、番組など
いろいろなジャンルが数分のコンテンツでまとめられています。
中には、「なつかしい音色」として
「この音は何?」と家回りや街角のかつての音色をクイズ形式で楽しむこともできます。

「NHKアーカイブス」では
他にも様々なジャンルから膨大な量の番組のダイジェストが集められていて
工夫次第では、いろいろな鑑賞をしていただくことも可能だと感じています。

各分野の第一人者の「あの人に会いたい」や
「連続テレビ小説」、「大河ドラマ」もありますし
「日めくりカレンダー」は「今日は何の日」ということで過去のニュースと結びつけることもできます。

認知症のある方では
近時記憶が低下しているため
人物と相関関係、文脈や話の前後関係の理解・保持が低下してしまい
ドラマを鑑賞して楽しむということは難しい場合が多々あります。
そんな場合でも、短時間で明確にまとめられているダイジェストならOK
懐かしく思い出しながら鑑賞できるという方は多くいらっしゃいます。

covid-19対策の一環として
作業療法士や介護職の人は
Activityの選択・場面設定にも苦慮していることと思います。

実際にどんな工夫をしながら提供するのか
実践が深まったら、こちらでも紹介していくつもりです (^^)

もっと早く気がつけば良かったー!

「食べるチカラを明確にする食事介助-観察・洞察・スプーン操作 – 」

地域限定・参加者限定ではありますが
オンライン研修会のお知らせです。

小田原医師会在宅医療研究会さんの主催で
「食べるチカラを明確にする食事介助 – 観察・洞察・スプーン操作 – 」
というテーマで講演をいたします。

限られた時間ですが
観察の重要性
そして観察するためには
大前提として適切なスプーン操作ができないと
誤介助誤学習を引き起こしてしまうので
修飾された食べ方を見ているだけになってしまう。
本来のその方の食べ方を現前させるためにも適切なスプーン操作が必要なこと。
摂食・嚥下5相にそって食べ方に反映されている能力と障害を
観察・洞察することによって
自ずから適切な食形態と介助方法が浮かび上がってくるということ。
これらをお伝えできればと考えています。

神奈川県県西地区に在住・在勤の医療・保健・福祉関係者の方にご参加いただけます。
事前申し込みが必要です。
8月18日(木)までにチラシの裏面に記載された方法でお申し込みください。

スクラッチアートが使える

ダイソーで見つけた、スクラッチアート
豊富な種類があるので、認知症の重度な方でも人を選べば使えるActivityです。


スクラッチアートの良いところは
付属のペンを使って
線をなぞったり、空間を削ることで
綺麗な色が現れるところです。

自分の削るという行動がすぐに結果となって現れる、しかも綺麗な色で現れるので
近時記憶が低下している人でも、行動と結果が直結しているので達成感が得られます。

私の経験では
HDS-R5/30点の方でも集中して綺麗に出来上がりました。

そのかわり
複雑な図形も多いので
ある程度の作業耐久性が要求されます。

また
自由度が少ないので、
決まったことを決められたように行うことで安心する人には向いています。

認知症が進行して
図と地の判別が困難な方には
線をなぞるだけでできる下絵を洗濯することをお勧めします。

削り出すスペースがある下絵は
近時記憶が低下していると「白いところだけ削る」という工程を忘れてしまいます。
その上、図と地の判別ができなければ、図を削ったり地を削ったりしてしまいますから
出来上がりがなんなのかわからない状態になってしまいます。

線をなぞるだけでできる下絵であれば
近時記憶が低下し、図と地の判別ができない方でも
線をなぞるとすぐに色が変わって見えるので
自分の行動が次の行動を指し示すActivityとなります。

そして
何よりも出来上がりがとても綺麗で子供っぽくないのが良いところ。


しかも、安い!
100円で4種類の下絵カードが入手できるし
ペンも付属しています。

スプーンの工夫をする時に気をつけること

認知症のある方に
スプーンを工夫することもよくあります。

そこで気をつけないといけないことは
認知症のある方の場合に
今まで不適切なスプーンを使っていた場合でも
不適切なスプーンに慣れがあるために
スプーンを変えることに抵抗感が生じやすいということなんです。

スプーンを把持しながら操作することが難しくて
1回の食事中に何度もスプーンを落としていたケースに対して
工夫した新しいスプーンを提供したところ
明らかに把持・操作の状況も改善し、スプーンを落とすこともなくなったにもかかわらず
「このスプーンは使いにくくて嫌。前のスプーンの方が良い。」
と言われたことがあります。

私としては
前のスプーンのどこが扱いにくいのか
どうしたら扱いやすくなるのか明確化してわかった上で提供したので
「これは慣れの問題だから時間が解決してくれる」
むしろ不適切なスプーンにさえも適応しようとしてきた習慣が
新しいスプーンを拒否させているので
その都度、事実をもとに説明し、新しいスプーンに慣れるまでは励ますしかないと考えていました。
もちろんそのあたりも記録には残しているのですが
対象者の気持ちを大切に考える職員が
「〇〇さんがこう言ってるんですけど」
と言ってくることがあります。

このようなケースは案外多いもので
認知症のある方にこう言ったことはよくあるということを知っていることが必要です。

不適切なスプーン操作に対してさえ
適応しようとして自らの食べ方を低下させてしまうのと
まったく同じコトが違うカタチで起こっているのです。

このような場合には
事実をもとに説明することが必要です。

事実を観察する時には
時間経過という縦軸とともに
関連事象という横軸も含めて総合的に観察することが必要ですが
今のことだけ切り取って限局的に考えるタイプの人もいるので
「前のスプーンを使っていた時には〇〇だった。でも今はそれはない。」
というように以前の状態と今の状態を比較しながら説明することが有効です。
そして、食べ方の改善という事実を目の当たりにすれば職員も納得してくれます。

慣れるには時間が必要です。
手指だけでなく上肢全体の使い方を変えることを求められるからです。

例えて言うならば
私たちが家電製品を新しく買い替えると
今まで使ったことのないような機能を目の当たりにして戸惑うけれど
使い慣れれば便利に感じるのと同じような意味合いがあります。

そういう感覚を踏まえた上で
対応する必要があるのだと感じています。

もちろん
提供する私たちの側に
「数打てば当たる」式に、
こういうスプーンを見かけたらから使ってみたら?と言う思いつきではなくて
なぜ前のスプーンが扱いにくかったのか、なぜこのスプーンが良いと考えるのか
明確に言語化できて提供しているのだということは大前提となっています。

食べ方の評価が大事なんです。

どのように手指でスプーンを把持して
それは、どのような必然のもとに行われているのか
どのような筋肉の働きによるものなのか
と言うことが明確化できていること

単に
スプーンの柄、持ち手を太くすれば良いわけではありません。
スプーンの角度を変えれば良いわけではありません。

一人ひとりに必然があります。

その上でのスプーンの工夫であれば
必ずスプーンの扱い方、食べ方は良くなりますし
時間の経過で慣れれば、対象者の不満の言葉も聞かれなくなってきます。

慣れるまでの間は
「今は変な感じがするかもしれませんが、だんだん慣れて食べやすくなってきます。
 前のスプーンは〇〇ということがあったけど、このスプーンではそういうことがないでしょう?
 もう少ししたら慣れるからそれまで頑張って使ってみてください」
と励ましていただきたいものです。

食べられるようになると疎通も良くなる

経口摂取困難だった方が
もう一度食べられるようになってくると
意思疎通も良くなってくるというケースを多数経験しています。

「食事介助は究極のノンバーバルコミュニケーション」
これは私の本のサブタイトルでもありますが
だからこそ、当然だと感じています。

その方がどんな困難と能力と特性があり
どんな風に状況認識をしているのかという状態像を
的確に把握し
適切な食形態を選択し
適切に食事介助をすることができるということは
単に「食事」という「行為」を援助しているだけではなくて
「食事」という「行為」に必要な、
「食事」という「行為」に反映されている、
ベースとなる能力をも理解し援助するという
二重の援助をしていることになります。

そして、その援助過程そのものが
認知症のある方を理解したということを
言葉ではなくて、私の行動を通して伝えている、ノンバーバルコミュニケーションの過程でもあります。

だから、食べられるようになると同時に疎通も改善されるのだと感じています。

作業療法士は
Activityを通してActivityを練習しているわけではありません。
(編み物を提供した場合に、編み物を練習してほしいから提供しているわけではありません)

任意のActivityを遂行するに必要な様々な心身の能力
例えば、関節可動域であったり、筋力であったり、協調性や巧緻性であったり
遂行機能や構成能力や近時記憶を活用することを通してリハビリテーションするのと同じ意味です。

食事介助は単に口の中に食べ物を入れることではありません。

その人がどのように食事という場面を感受し認識し対応しようとしているのか
その一連の過程を理解し、援助するということが食事介助なのです。

ところが
現実には、真逆のことも起こっています。。。
介助者が認知症のある方の食べ方を忖度するのではなくて
認知症のある方が介助者の介助方法を忖度しなくてはいけない。。。
つまり、介助者の介助方法を認知症のある方が感受し認識し適応しなければならない。。。

でも
これらは私たち介助者側の問題なので
変わろうと思えば今すぐにでも変わることが可能です。

ところが
介助者の中には「自身が変わる」ことへ抵抗・防衛を示す人が少なからずいるものです。
残念だし、悲しいことですが
真実は弾圧を受けても必ず甦り正当性が後世の人々によって証明されます。

ごむてつさん曰く
「足を引っ張られたら喜ばなくちゃいけない」
相手は足を引っ張ることしかできないのだから。。。

気持ち的にはしんどいですけど (^^;
幸い、私は技術職なので、「やってみせる」ことが可能です。

やってみせる。。。この原点に立ち続け
志ある人たちに私の蓄積を伝えていきたい。

そして、さらに発展させていってもらえたら本望です。

能力を活用する介助を

どうしたら、もう一度食べられるようになるのか

食べ方を観察して
洞察から得られた、
その時その方の食べる能力を
代償なく合理的に活かせるような食形態と介助方法を選択する
ということになります。

つまり
多くの場合に
食べる能力をきちんと観察・洞察できていないために
適切な食形態の選択ができていなかったり
適切な介助方法が選択できていなかったりする場合が圧倒的に多く
にもかかわらず、必死になってそれらに適応しようとして
過剰努力によって能力を合理的に発揮できなくなっている
というケースが非常に非常に多くみられています。

それなのに
職員の側にそのような自覚がなく
気持ちとしては、必死になって介助していて
何が起こっているかわからずに消耗してしまう。。。

対象者の方も
自らの食べるチカラを発揮できなくなってしまう。。。

本当にもったいない現状です。

この現状は変えられます。
一人でも多くの方に伝わることを願っています。

ためこみは不適切な食事介助が原因


「食塊を口の中にためこんでしまってなかなか飲み込もうとしない」
という方はとても多くみかけますが
認知症だから食べることを忘れてしまうとか
認知症だからうまく食べられないと言われていますけれど
私にはとてもそうは思えません。

不適切な食事介助が原因となっている場合がとても多いのです。
だから、食形態と介助方法を見直すことで
もう一度食べられるようになる場合もとても多いという現実があります。

食塊を口の中にためこんでしまうという状態は
口腔期の問題です。
舌が思うように動かないということを意味してます。

ですが
アルツハイマー型認知症では
舌の随意運動に関わる脳の部分が萎縮することはあまりなく(中枢の問題はない)
舌そのものの機能低下が原因ということもあまりありません(末梢の問題はない)

では
なぜ、舌が思うように動けなくなってしまうか。というと
不適切な食形態と不適切な食事介助に対して
なんとか適応しようとして食べようと頑張った結果
過剰に舌に力が入ってしまう状態にまで陥ってしまうのだと考えています。

だからこそ
その都度、適切な職形態を選択し、適切な食事介助を行うことで
持っている本来の食べるチカラを発揮できるようになり
もう一度食べられるようになるのだと考えています。

よく観察してみてください。

食事介助をしていると
開口した時に
舌が下の歯の裏側に位置しているのではなくて
口の奥の方に引っ込んでしまっていませんか?
時には、舌が丸まってしまっていませんか?
あるいは、舌が上顎の方に上がってしまっていませんか?

スプーンで舌の前部を押すことを私は奨励していますが
(望ましいのは下唇を押すことですが)
その時に舌が柔らかく応答するのではなくて
板のように硬くなっているのを感じたことはありませんか?

これらは多くの場合に
スプーンを口の奥に突っ込むような操作をしたり
スプーンを斜め上に引き抜いたり
1口量が多すぎることによって引き起こされる食べ方です。
その人本来の食べ方ではないのです。

食事介助で自分が何をしているか
対象者の方がどうやって食べようとしているか
観察・洞察ができないと
ついには口を開けたまま取り込んで口を開けたまま飲み込むようになってしまいます。
これは非常に危険な食べ方です。

私の本に事例を含めて基本的なスプーン操作としてはいけない操作とその理由を書いています。
ぜひ一度読んでみてください。

「認知症のある方も食べられるようになるスプーンテクニック」

「食事をためこんで飲みこんでくれない」問題?

「食事をためこんで飲みこんでくれない」
「どうしたら飲みこんでくれるようになるでしょうか?」

そういうカタチの問いをしている限り
答えを手にすることは難しいと思っています。

「ためこみ」という一部分しか見ていないから。

観察というのは
自分が見たいように見ることではなくて
事実を事実のままに観ることだし

洞察というのは
観察された事実という状態像が
何を意味しているのか
障害と能力と特性がどのように反映されているのかを見出すこと

表面的に見えることだけを見る
自分の引き出しの中にある思い込みを投影させて見ることとは全く違います。

例えば
冒頭に提示した食事介助での「ためこんで飲みこんでくれない」という「問題」は
認知症のある方を対象とするケアやリハの分野では非常に多く見受けられる「問題」です。

 ですが
 「ためこんで飲みこんでくれない」という表現そのものに
 問題の一端は現れています。
 無意識のうちに「くれる」ことを前提に考えて
 差し引きマイナスで見ています。

 自身の介助の適不適を省みることなく
 『介助に「合わせてくれる」ことができない=問題』
 という思考過程はケアやリハの分野に限らず、あちこちで散見される課題だとも感じます。
 この課題については折を見て記事にしていきます。

今日はもっと他に書きたいことがあります。

食事介助において
「ためこみ」は散見される大きな課題の一つではあります。
でもためこみの前後も含め、摂食・嚥下5相にそった観察をしている人は少ないものです。

認知症という状態像を引き起こす疾患に関する知識と
食べることに関する基本的な機能解剖の知識を
両方持っている人はもっと少ない。

だから
「ためこんで飲みこむことができない」という現れに
反映されている固有の〇〇さんの障害・困難と能力と特性を
明確に洞察できる人が非常に少ないという現実が起こっているのです。

だから
適切な介助ができなくて当然ということになります。

多くの場合に
ためこみたくて、ためこんでいるのではなくて、どうしようもなくて
ためこむしかない。という方の方が圧倒的に多いのです。

そんな時に
「ためこまないで」
「ちゃんと食べて」
って言われたら、どんなに辛いでしょう。

私たちの仕事は
ちゃんと食べてって「言う」のではなくて
ちゃんと食べられるように「援助する」ことです。

そのためには
まず、私たちがちゃんと観察できるようにならなければ。

「ためこみ」という現れには
いろいろな状態像が反映されています。

例えば
覚醒不十分
オーラルジスキネジア
口腔周囲筋の過剰な同時収縮etc.etc.

状態像が異なるのですから、当然対応はまったく異なります。

「〇〇の時には△△する」
世にそのようなハウツー本は溢れていますが。。。
たまたま「当たる」ことはあるかもしれませんが
下記のような説明はできません。
 どうして今まで食べられなかったのか
 どうして今は食べられるようになったのか
 どんな困難があってどんな能力があるのか
 今後の見通しと対応について

これからは
本当のプロが求められる時代になる。
やってみせられる人が必要とされる。

求められるのは
資格じゃない。
資格は入口に過ぎない。
そう感じています。

私ならこう答える@OTジャーナルQ&A

OTジャーナルに原稿を書き掲載されたのが55巻4号です。
三輪書店さんから掲載誌が送られてきたので
せっかくですから久しぶりに全部読んでみました。

そこで目に止まったのが
「OTジャーナルの仕事論 職場の雰囲気を変えたいー教えて先輩」
手技や手法でぶつかり、職場の雰囲気がギスギスしています…
という若手作業療法士からの相談に、大御所OTが答えるというコーナーです。

OTジャーナル55巻4号384p.に掲載されている相談内容を
原文のまま引用しますと。。。

新卒から回復期病院で働いている3年目のOTです。対象疾患は脳卒中や整形外科がメインです。
リハのメーティングが手技や手法のぶつかり合いになり、なかなか話が進みません。自分の担当患者のリハについてもA先輩から、「〇〇のほうがいいよ」とアドバイスされれば、B先輩からは「△△をしていったほうがいいよ」と発言があり、混乱してしまい、せっかくのアドバイスも活かしきれていません。どちらかに肩入れして職場の空気が悪くなり、働きにくくなるのも嫌なので、先輩から深く学ぶことができません。この職場で成長できるのかと不安になります。
この状況を変えていくには、どう立ち回っていけばいいでしょうか?先輩方それぞれ手法や手技をおもちであるのはわかるのですが、共存しながらギスギスした空気をなくし、もっと患者主体のミーティングがしたいです。

ほうほう。。。と思いながら、大御所と言われているOT4氏の回答も読み進めていきました。
私の感想は、う〜ん。。。隔靴掻痒。相談者がもし本当に悩んでいるならどう思うだろう?と感じました。
そこで、自分なら何と回答するか、考えてみました。

「自分の悩みを問い直せ」

教育工学の沼野一男先生は「問い」の重要性を問われていました。
晩年の授業では、事前に配布した資料を学生に読ませ、質問を提出させていたのだそうです。
内容のない質問には「レイジークエスチョン」(怠惰な質問)と指摘されていたとか。

相談者の質問には、表向きの相談の文面から本音の相談が透けて見えます。
せっかく大御所と呼ばれているOTに答えてもらえるのだから本音で相談しないともったいないのにと感じました。

相談者のリハのミーティングがどのような進行の元に行われているのかは不明ですが
私が感じた相談者の本音はこちらです。

3年目の相談者がケース報告をして、それに対して先輩から複数の手技・手法を勧められて終わってしまう。
ケース報告に対してもらったアドバイスがよくわからないし、有益と感じられない。
手技・手法に走らずに有益なアドバイスが欲しいし、そういうミーティングだったらいいのに。
でもそんな指摘をして先輩に睨まれたら嫌だし。
今まではどうにかかわしてきたけれど、派閥になんか入りたくないし、かといってはぐれるのも嫌だけどどうしたらいいのかわからない。

違うかな?

相談者の質問には
全く次元の異なる複数の質問が錯綜しています。
自分がOTとして成長したいのか
ミーティングの場に不満があるのか
職場での立ち回り方を心配しているのか
何が優先なのか、よくわかりません。

文面通りに読んで
「ミーティングがミーティングとして有益・有効な場になって欲しい」
と願うのであれば
まずは管理者である上司に相談すべきです。
「手技・手法の勧誘のような場になってしまっている気がする」
心ある上司であれば相談者の意図に共感してくれるはずです。

ただし、そのような現状が既にある、ということですから
もしかしたら当の上司が手技・手法の権化と化しているか
もしくは、人は良いけれど管理者としてはあまり有能ではないのかもしれません。

そのような場合であっても
相談者が今すぐにできることはあります。

それは、自身のケース報告をもっと練り上げることです。
ケース報告が曖昧であれば、手技・手法という総論的なアドバイスになりがちです。
相談者が明確なレポートを作成し、質問を明確化して臨めば
アドバイスも具体的限定的であることを要請することになります。

良い質問は良い答えを引き出します。

仮に、良い質問をしたのに良い答えが返ってこなかったとしても
良い質問ができたのであれば、今度は自分自身でその答えを探すことができます。
今は、研修会はあちこちで山ほど企画されています。
論文も本も多数出版されています。
本当に答えを探そうと思えば、探す場はたくさんあります。

「この職場で成長できるのかと不安になります。」
「どう立ち回っていけばいいでしょうか?」
などと言っている場合ではありません。

OTとしての成長は自助努力です。
職場は、個々の職員の成長を応援はしてくれても
在籍していれば、黙っていてもオーダーメイドで成長させてもらえるわけがありません。

私の答えは
「自分の悩みを問い直せ」です。

ループの完結@食事介助

認知症のある方の中には
元来「しっかりしていた」方が少なくありません。

ご家族の情報から確認することもできますし
仮に、ご家族の情報が得られなかったとしても
対応の過程を通して
「この方はしっかりしていた方だろうな」
と感じることも多々あります。

そのような方が
溜め込んでしまう
というような表面的な現れをしている時には
誤介助誤学習のパターンが少なくありません。

 その背景には
 誤介助を引き起こしやすい身体的な問題(例えばオーラルジスキネジア)がある場合もあり
 その身体的な問題を的確に把握できないというケースも多いように感じています。

そのような時には
その方のその時点での「食べる能力」を最大限に活かして
余分な介助をしないことが効果的な場合が多々あります。

インプット〜アウトプットまでの一連の過程
刺激や環境の感受〜認識・判断〜食べるという行動という一連の過程
「食べる」ことに関するループを完結させる
という方法論です。

誤介助誤学習に起因するものであれば
「自分自身で食べる」という体験を通して
刺激の正しいインプットにより、
認識・判断の正しさと
食べるというアウトプットが修正されて
適切に行えるようになってきます。

元来、しっかりした方であればあるほど

お年寄り、認知症のある方に対して
能力低下してしまった、できなくなってしまった
という視点からだけ見ていると
認知症のある方の本当の能力を見誤ってしまいます。

たとえ
「苦労しながら食べるなんて可哀想」という善意からであったとしても
食事介助というのは実は奥深く難しいものなのですが
誰でもできるものという根本的な誤解があり
どんな風に食べさせても関係ないという思い込んでいる人も少なくありません。

知識に基づいた観察と
観察から導き出される的確な洞察と
洞察に基づいた適切な対応ができるだけの技術があって
初めて目の前にいる方へ適切な食事介助ができるのです。

食事介助をしない方が
その方の本来の能力発揮が叶う場合があります。
食形態も1回の摂取量も上がっていきます。

問題は
適切な「見立て」に基づく、適切な「食形態の選択」ができるかどうか
ということが問われているわけで
実は、その場で介助するよりも観察力・洞察力が求められます。

的確な自主トレの設定ができるということとも通じる側面があります。
「自主トレ作成=評価の確認」