高知県口リハ研究会講演終了

 

 
7月24日(日)10:00〜12:00にオンラインで開催された
高知県口のリハビリテーション研究会主催の研修会
「認知症のある方への食事支援」が無事に終了しました。

代表の宮本先生からの
「ぜひ、今日のお話をしっかり聞いてほしい」
というお言葉を大変嬉しく思いました。

食事介助は
対象者と介助者の協働作業
介助者が変われば対象者も変わる

「食べる」という行動に反映されている
「環境感受ー認識ー関与」の能力と困難を観察・洞察・評価する

そのことが伝われば。。。

そして
食事介助の場面で起こっていることは
その他の生活障害やBPSDの場面でも
同じコトが違うカタチで起こっている。

食事介助が変わる
ということの意味は本当に大きいのだと感じています。

 

 

食事集中困難

 


認知症のある方で
食べることに集中できないという場合に
口腔器官の協調性が低下している
ということは多々あります。

そのようなケースでも
「認知症のせい」ではなくて
もともと持っている困難に拍車をかけてしまった「不適切な食事介助」のせい
ということも多々あります。

つまり、裏を返せば、集中できるようになり、協調性も改善して
食事介助がラクになる可能性がとても高い
ということを意味しています。

まず、基本となるスプーン操作を行います。

そして、必ず先行期の能力発揮を促します。

  食事介助の現場で疎かになっているのが
  先行期への対応です。

  多くの場合に
  食器から食塊をすくったら
  すぐに口の中に入れてしまう人がとても多いのが現実です。

  このような介助をされては
  食塊を視覚的に認知したり、開口のタイミングを図ろうとすることが
  非常に困難になります。

  食塊の取り込みを行うことが難しくなり
  その結果、廃用として準備期の能力が低下し
  ひきづられて口腔期の能力も低下してしまいます。

  人の身体は構造的にも生理的にも連続しているからです。

必ず、口元でいったんスプーンを停止させ
食塊を視覚的に認識してもらいましょう。

誤介助誤学習によって
口腔器官の協調性が低下してしまうと
今まで食べられていた食形態では食べられなくなってしまうこともあります。

決して焦らずに
今、ラクに食べられる食形態を提供してください。

  多くの場合、口腔期の働きが低下していても
  咽頭期の働きは保たれていることが多いものです。
  空嚥下(唾液の飲み込み方)を確認してください。
  喉頭が即時完全挙上して完全嚥下できていれば
  ストローを使ったり、ごく薄い粘性のトロミの液体を提供します。

その過程において
最初は、食塊認識が曖昧な方でも
だんだんと明確に食塊認識するようになり
「ラクに食べられた」
「美味しかった」
体験の蓄積ができる
ようになると
注意散漫が完全にゼロにはならなくとも
食事に支障はない程度に食塊認識し咀嚼・送り込みができるようになるものです。

食べ方が改善してくると同時に注意集中も改善してくるものです。

結果として、介助もラクになります。

 

きゅうりのスタミナ漬け

 


本家本元のレシピは下記の通りですが
もっと簡略化しても美味しく食べられました。

「満点★青空レストラン」で紹介されていました。
【青空レストラン】『きゅうりのスタミナ漬け』でレシピを確認できます。

味が染み込みやすいように
きゅうりの皮を縞目に剥いてから乱切りにします。

ジップロックに
ポン酢・ニンニクチューブ・ごま油・白ごまをいれ
乱切りにしたきゅうりも入れて
軽く揉み込んでから冷蔵庫で冷やします。

きゅうりが多いと水っぽくなってしまうので
少し塩も足した方が良いと思います。

キンキンに冷えていた方が私には好みかな。

お好みで、味は加減してみてください。

「食べる」再学習:まとめ

 


もう一度「食べられる」ように再学習を進めるためには
「どうしたら良いのか?」と考えることではないのです。

どうしたら良いのか
という答えは浮かび上がってくるもの

どのような能力と困難があり
どのように食べているのかを
きちんと観察・洞察・評価することができれば
自ずと答えは浮かび上がってくる

答えが浮かび上がってこない時は
実は観察し損ねていたり
洞察・評価し損ねていることを示しています。

今、すべきことは
誰かに答えを乞うのではなくて
目の前にいる方の食べ方を
摂食・嚥下5相に基づいて観察
認知症の知識も踏まえて
その方に起こっていることを洞察
「食べる」能力と困難を評価することなのです。


「食べる」再学習:食具

自力摂取している方に
スプーンの工夫もしますが 


介助が必要な方に食具を選択することも
食べる能力を発揮していただくためには重要です。

「何を」「どんな風に」
の部分で言えば、「何を」という食形態に関して検討されても
「どんな風に」の介助方法の部分は意外と疎かにされがちです。

スプーン操作の基本を知らない人はとても多くいます。
「スプーン操作を見直すべき兆候」をご覧ください。
これらの兆候ひとつひとつを
「私はしていない」と言明できる人がどれだけいるでしょうか?
「そんなところ見ていなかった」という人の方が圧倒的に多いはずです。
ぜひ修正していただきたいと思います。
そうすれば認知症のある方や生活期にある方が
どれだけ食べるチカラを持っているのか
どれだけ誤学習を起こしているのか
どれだけ誤学習から正の学習へ切り替える能力を持っているのか
ということがはっきりとわかるようになると思います。

全介助の方に対しても
通常使っているスプーンにとらわれることなく
必要であれば、Kスプーンとまでいかずとも
小さな平らなスプーンも使いますし、箸も使います。


水分摂取の時も
幼児用のマグカップを使用したこともあれば
ストローを使うこともあれば
シリンジを使ったこともあります。

食具の選択には大きな意味があります。

準備期に直接的な影響を及ぼします。

臨床現場あるあるなのが
疎通困難な方の場合に
「食べる」協調性が低下しやすく
そのような時には、スプーンではなく
箸を使って介助した方が再学習が進展しやすい
ということなんです。

もっと言うと
そういったケースで食べられるようになってくると
疎通が改善されることも多々あるのです。

それはもっともなことなんです。

準備期において不適切な介助は
口腔期の能力発揮を妨げます。
口腔期は舌や顎の働きの反映でもあります。
話せるためには舌や顎が適切に機能することが求められます。

開口しなかった方が
開口してくれるようになると
それだけでホッとして(気持ちはわかりますが)
食べ方の観察・洞察なしに
スプーンでどんどん介助してしまうということもあるあるです。

食べ方をきちんと観察していれば
確かに開口はするけど上唇のとりこみが見られずに
上の歯でこそげるようなとりこみを代償として用いる場合もあります。

このような代償も誤介助誤学習の結果なのですが
そのことに気がつけずに漫然とした食事介助を続けていると
今は開口して食べられていても
早晩送りこめなくなってため込んだり、
また開口しなくなったり、
という状態になってしまいます。

食べ方の観察・洞察ができないと
今、表面的に結果として起こっている事象
しかも介助者にとっての不都合な事象しか見ていないために
短期的なメリットを追求し、かえって長期的な困難を惹起する
ということが食事介助の現場で起こっていることです。

摂食・嚥下5相の知識に基づいた観察をしながら介助することの重要性を
どんなに強調しても強調しすぎることはないと感じています。

準備期の能力発揮には段階がある ・・・・・・・・・・・・・・・・・
・上唇を丸めてとりこめる                    ・
・上唇を丸めてとりこめないが、とりこもうとする形にはなる    ・
・上唇でとりこもうとする形もみられないが、口唇閉鎖はできる   ・
・口唇閉鎖も不十分                       ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらの段階が
誤学習なのか、自身の代償も含んでいるのか
食塊の認識がどの程度可能なのか
といった観察・洞察のもとに
通常スプーンを使用するのか
小さくて平らなスプーンを使用するのか
箸を使用するのかを判断します。
水分摂取に関しても
ストローが良いのか、スプーンが良いのか、コップが良いのか
判断していきます。

脱水や低栄養で体力低下していると
通常のスプーンで「食べる」ことで
栄養補給よりも体力消耗してしまいがちです。
そのような時にも身体の負担の少ない
液体の栄養補助食品を使用したり
上唇でのとりこみをせずともラクに食べられるように箸を使用したりします。

関与の過程において
食べ方や飲み方の改善に伴い、食具も切り替えていきます。

準備期=食塊のとりこみ=食事介助
というのは、本当に怖い

経験を重ねるにつれ
認知症のある方の「食べる」チカラの凄さを知るとともに
食事介助の怖さを思い知らされています。

「食べる」再学習:食形態


今の能力でラクに食べられる食形態と言いました。

能力とは機能を意味しません。
機能はあっても誤介助のために能力として発揮しきれない場合や
機能はあっても協調性が低下してしまって能力が発揮しきれないことも
臨床あるあるです。

私の実践は機能を上げることを目的とはしていないので
間接訓練は基本的には行なっていません。

本来の機能を能力として発揮できるように
直接訓練として実際の食事場面や水分補給の場面で実践しています。

「食べる」ことは認知症のある方と介助者との協働作業ですから
「何を」「どのように」食べるのか、援助するのか
ということが問われます。

「何を」という面では
食形態は本当に選択肢が増えました。

当院では
ゼリー食・ミキサーペースト食・ミキサーソフト食・長刻み食・荒刻み食・軟菜と選べます。
お粥も全粥・ミキサー粥が選べます。

ゼリー食の中で
よく使うのが液体の栄養補助食品、ネスレ「アイソカル100」です。
(もちろん必要に応じてその他の栄養補助食品も使っています)

水分と栄養を同時に摂取できるのが良いところですし
大きさもコンパクトなので見た目の圧迫感もありません。
複数の味から選ぶことができます。

食べる困難を抱えている方に対して
液体の栄養補助食品はあまり選択されないようですが
現実には、
咽頭期に本質的な問題がある方は少なく、
口腔期に本質的な問題がある方の方が圧倒的に多いので
私は液体の栄養補助食品を多用しています。

このあたりの考え方は、
摂食・嚥下ピラミッドとは考え方が一部異なりますが
そもそも摂食・嚥下ピラミッドは
生活期の方ではなく急性期の障害の方に対して考案されたものですので、
状態像が異なる方に対して異なる考え方をして当然だと思っています。

また、
液体の栄養補助食品よりも
もう一段前の段階として活用しているのが
グリコの「アイスの実」です。
こちらもいろいろな味があります。

 

導入として、直径1.5センチほどの1粒を1/3〜1/4にカットして使ったこともありました。
  1粒そのままを咀嚼し送り込み嚥下できるようになると
  相当、口腔期の能力が戻ってきていることの証左となります。

上顎に押し付けると表面がすぐに押しつぶされて
じんわりと中身が溶けるのがとっても使い勝手が良いのです。

それから
小袋4つで発売されている「かっぱえびせん」
通常の味もありますし
塩分控えめの「1才からのかっぱえびせん」もあります。
(4連で¥100円くらいだったと思う)

食べ方の改善に合わせ
食形態も変化させていきます。

控室には、いつでも使えるように
かっぱえびせんとアイスの実が常備してあります (^^)

「食べる」再学習:基本

 


認知症がある方で「食べる」困難のある方でも
多くの場合、もう一度食べられるようになります。

なぜならば
「口を開けてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
「吹き出すほどムセる」
などの「食べる」困難は
多くの場合に、認知症という状態のせいではなくて
不適切な介助にすら的確に適応しようとして誤学習を起こした結果です。

クリスティーン・ブライデン氏は
「異常な環境には異常な反応が正常だ」
と言いましたが
まさしく的を射た表現です。

誤介助によって引き起こされた誤学習なので
正の介助ができれば正の学習が起こります。

 正の介助ができるためには
 摂食・嚥下5相の知識があり
 認知症の知識があり
 それらの知識に基づいた「食べ方」の観察ができ
 「食べ方」に反映されている能力と困難を洞察することができる
 ことが前提要件その1です。

 前提要件その2は
 スプーン操作をはじめとする
 的確な食事介助を行える技術を持っていることです。

 現実には
 (残念なことですが)
 2つの前提要件をクリアできている人って
 そんなにいるものではありません。

 でも、この現実は裏を返せば
 2つの前提要件をクリアしさえすれば
 認知症のある方や生活期にある方の「食べる」困難を激減させることは
 可能だということを意味しています。
 (この問題については、別の記事で詳述します)

話を元に戻すと
正の介助、正の学習のために
イマ、ラクに、食べられるように食環境を調整します。

多くの場合に
いったんは、食形態を下げる必要があります。
再学習が起こりやすいように
今の能力でラクに食べられるように
「食べる」失敗体験をしないように。

このようなお話をすると
難色を示す人が大勢います。

たぶん
食形態を落とすともう二度と今までの形態が食べられなくなる
と心配するのではないかと推測します。

でも
そのような心配が起こるのは
「食べられなくなったのは認知症のせい」という考えが潜んでいるからです。
現実は違います。
「食事介助を受けている方が食べる」というのは
認知症のある方と介助者との協働作業に他なりません。

「食べられなくなったのは誤介助誤学習のせい」と知れば
食形態を落とすことへの心配よりも
自身の介助の適切さへの心配の方が先立つはずです。
そのような方は
「認知症のある方も食べられるようになるスプーンテクニック」
をぜひ読んでみてください。
具体的に明確に介助において気をつけるべきポイントを説明してあります。

 

それでは
食形態と介助する食具を工夫することで
より適切な食環境を段階づけしながら提供できる
ということについて次からの記事でご説明していきます。

ピーマンのじゃこ炒め

 

 
ピーマンを千切りにして
ごま油で炒めて火が通ったら
しらす干し、ごまを入れて混ぜ合わせて
できあがり!

調味料いらずですぐにできるし
夏場など少し塩分を摂りたい時には、塩昆布を追加投入しています。

 

関係性の中で能力が見出されていく

 

 
関係性の中で能力が見出されていく

目の前にいる方の困りごとをなんとか手助けしたい。
手助けしたいという意志を支えるためには知識と技術が必要です。
 
そして手にした知識と技術は
「相手を変える、コントロールする」ためではなく
「相手を助ける」ために援用
するのだという認識こそが重要です。
ここが入れ替わってしまっている人に遭遇することも多々ありますが
対人援助職として、
いくら自戒しても自戒し過ぎることのない難しい側面なのだと感じています。

能力が見出される体験を重ねるたびに
援助という在り方を磨かされるように感じています。

認知症のある方も関係性を感受しています。
相手を変える、コントロールしようとする人に対する反応と
相手を助けようとしている人に対する反応と異なっていて当たり前です。

関係性の中で能力は発揮され、見出すことができる
その逆もあり得ます。

イチ臨床家として思うことは
普段の臨床にこんなにも直結することなのに
どうしてリスク対策として触れる人がいないのだろう?ということです。

理論とか、OTは素晴らしいとか
学生や若手OTに対してそんなことを喧伝するよりも先に
臨床家として援助が的確に行えるように
対人援助職の厳しさと困難を伝えるべきなんじゃないかと考えています。

そうでないと
かつてある医師が
「作業療法は作業療法士によって潰される」
と言っていた未来が実現してしまいかねません。

その医師は、
作業療法のチカラを本当にわかっていたからこそ
作業療法士に期待していたからこそ
そう言っていたのだと思います。

その意味をわからない人たちが表面的に批判するという
なんとも言えない皮肉な様相が見られていました。。。

援助を具現化するためには
知識と技術が必要で
それらを適用する際には
援助の視点をぶらさない強さが求められるということの厳しさ
対人援助職の落とし穴、罠、表裏一体の困難
として実感の思いを深めるとともに
学生や若手OTにあらかじめ伝えておくことの必要性を強く感じています。

接遇とか客観性とか
それもいいけどそれらは、本質でも根本でもなくて
土台として、このことが分かった上での接遇であり、客観性であり。。。
もっと重要なことは、
対人援助というのは、援助の名のもとに使役やコントロールに容易にすり替わる
ということをわかっていることだと考えています。
ところが、現実には経験を重ねるごとに鈍感になっていく人も少なくないんですよね。。。
本来は経験を重ねるごとに、わかりかたが深まっていくはずなのに。。。


ADLは再認を強化しやすい場面

 

 
ADLは、特定の場所で特定の行動を繰り返し行うので
体験を通して再認を促しやすい
再認を強化しやすい場面とも言えます。

再認
プラスにもマイナスにも働きます。

チカラは同時に両方向には働かない
 
プラスならプラス、マイナスならマイナスの
必ずどちらかに働きます。

たとえ、重度の認知症があったとしても
視覚的刺激を通して、あるいは体験を通して、
再認することができる方はたくさんいます。

「認知症だから食べさせないと食べることを忘れる」
「認知症だから歩かせないと歩けなくなっちゃう」
などと言う人もいますが
私はそんなことはないと感じています。

むしろ、そのような誤認をもとに
無理矢理食べさせるから食べられなくなる
無理矢理歩かせるから歩けなくなるし
焦って誤介助をしたことによる誤学習の方が
よっぽど多いと考えています。

食べないには、食べないなりの必然があるし
歩かないには、歩かないなりの必然があります。

そこをきちんと観察・洞察せずに
表面的に無理矢理食べさせたり、歩かせたりするのは
人としてどうかと思いますし
合理的でもありません。

そして
表面的に無理矢理食べさせたり、歩かせたりするたびに
嫌な思い、辛い感情を繰り返し体験し
また、それらを体験を通して再認することになるので
二重の意味で不適切で良いことが何もありません。

ただし
体験を通して再認できるからこそ
介入当初は大変でも、
もう一度食べられるようになったり
もう一度歩けるようになったりする
のだと感じています。

硬く口を閉じて開口しようとしなかった方
ALB2.1の方
「もう歩くのは無理です」と言われた方。。。
他にもたくさんの方を担当してきました。
いずれも、介入当初の拒否はとても強かったけれど
その必然や意味がわかるので、どうすべきかも洞察できました。
 
体験を通して再認できる方だから
異なる介入に対して
その介入がまさしく「援助」なのだと実感してもらえると
介入を重ねるごとに「できる」体験を積み重ね
再学習が可能となります。

ALB2.1で食事介助への拒否が強かった方は
入院前の施設では
「ご自分の世界に入り込んでいる」「意思疎通は無理です」
って言われてきた方でした。
 
でも、食べられるようになってきた時に
(それでは失礼します)と退室しようとしたら
「どうもありがとう。気をつけて帰るんだよ。」と
声をかけて下さいました。

自身の世界に入り込んでいるのは、どちらなんだろう?
と思ったものです。

立ち上がりや食事介助、口腔ケアなどの場面での拒否は
対象者にとっての必然なのですが
その必然を観察・洞察せずに
表面的に、「拒否されないように介助しよう」という視点では
対象者のネガティブな再認を強化することになってしまいます。

「拒否されないように介助しよう」という視点は
すべてを認知症の病状のせいにしているからです。

拒否の強い方は
過去の不適切な介助を再認した結果の意思表示
ということが多々あります。

だからこそ
今、適切な介助を体験を通して再認の蓄積を図る意味があります。

ピンチはチャンス

修正すべきは
認知症のある方の言動ではなくて
私たちの関与のあり方だったりするのです。

関与のあり方とは
「優しく」
「否定しない」
などといった心理的な意味ではなく
(それらは対人援助職の基本ではありますが)
障害と能力を的確に洞察し援助しようとする臨床思考・態度のことです。