情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
今は電子カルテが導入されているところが多いと思います。
私は業務前に必ず電子カルテで前夜の記録を確認しています。
同じように必ず確認するスタッフもいますが
全ての看護介護職が自分が勤務する前までの記録を確認しているとは限りません。
毎朝の申し送りに参加して
変則交代勤務の看護介護職に向けて
同じことを1週間伝え続けますが
それでも伝わらないことも起こりえます。
問題はそのような現実を否定せず
それでもなおかつ必要な情報を伝達連絡するために
自分ができる工夫は何なのかと考えることです。
今まで複数の職場で多くの看護介護職員と働いてきましたが
「あ、そういえばこれってどうだっけ?」と思った時に
一時情報として電子カルテや個々の職場の決まり事としての確認場所を
きちんと確認する職員もいますが
まず、たいていの職員はその場にいる近くの職員に尋ねます。
聞かれた職員の対応もそれぞれで
「それはこうなったのよ」と言う場合もあれば
よく認識できていないのに
「それはこれでいいんじゃない?」と言う場合もあります。
決して非難しているわけではなくて事実として記載しています。
事実から出発しなければ適切な手を打つことはできません。
何かをするにあたって
すべきことが変更になったり、追加になったりした時に
すぐにその場で確認できるように情報提供を工夫することは
リハスタッフの仕事に含めても良いのではないかと考えています。
車椅子のポジショニングなら
ポジショニングした写真をとって
ポイントをコメントとして書き込んだものを
車椅子の背もたれにあるポケットの中に入れておく
認知症のある他の方が持っていってしまわないように
カードの中に入れて紐で車椅子にくくりつけておく。
ベッドなら
壁や戸棚の扉にポジショニングの写真を貼っておいても
足元の設定が確認しにくいので
手に持って職員が移動しながら確認できるように
カードにも入れて置いておく。
日替わりで精神科作業療法を協働している看護介護職員には
経過や現状を把握していなくても実行できるように
専用のカードを作って精神科作業療法の場面で必要な情報を全て記載しておく
(水分摂取量やトイレ誘導のタイミング、部分参加者など)
部分参加者には、誘導チェック欄に(体調 OK・誘導可の意味)
「後半参加」と書いておきます。
誘導チェック欄とは違う場所に「後半参加」と書いてあっても
最初から誘導されたりしまったことがありました。
誘導チェック欄しか見ていないから起こる困りごとです。
このような時には「ちゃんと確認してください」と言うよりも
誘導チェック欄に「後半参加」と書いておくことで
間違いなく誘導してもらえるようになりました。
使う場所に必要な情報を提示する
ことを考えます。
前の記事で書いたように、看護介護職は変則交代勤務
日勤続きであっても異なるウイングの担当になれば
日々異なる対象者集団を担当することになる。
基本日勤帯勤務のリハスタッフとの一番の違いはここだと考えています。
リハスタッフは対象者の担当性ですが
変則交代勤務の看護介護職は、日々異なる対象者集団を担当している
その上で致命的なミスをしないように仕事をするように考えています。
よくリハスタッフは夜の状態をわからないと言われますが
それは確かにその通りですが、あくまでも表面的な違いだと考えています。
働き方が全く違うので、状態把握の仕方や判断の考え方や基準が違います。
違うという事実を違うままに受け止めることが最も重要だと考えています。
その上で自分ができることを考える。
記録を参照しないと情報交換の前提要件となる認識が異なってしまうことを
身にしみてわかっているからこそ自分は必ず不在の時の記録を確認する。
それから
何か物品を扱う時には
取り扱いに余分な手間をかけないように考えます。
手指の拘縮予防であれば
使うスポンジをパッと取れてパッと置けるように工夫する
普通のスポンジ置きだと
接触面が広すぎて、通気性・換気が悪くて乾きにくくて問題だと感じていました。
何か良いものないかなーと100均の店内を探し回っていたところ
これならOK!と即決しました。
ちなみにこれは
本来はボトルホルダーですが
本来の用途に拘らず、必要な場所に使い勝手の良いものを具体的にイメージできれば
本来の用途ではないものの中に、イメージにピッタリ合致したものを見つけることもできます。
扱いの工程をなるべく減らすことによって
なるべく追加の仕事への心理的抵抗感も少なくなる意味があります。
このあたりの工夫は
本来は受け取った看護介護職の仕事だろうという気持ちもしなくありませんが
扱いの工程の不適合によってスムーズに使ってもらえないと対象者の方が困ります。
大切なことは
対象者のために、自分ができることをする、チームに貢献する
ということですから
いったんはお願いしてみて
諸般の事情で難しそうだな。。。と思ったら、
自分が提案としてやってみればいいと思います。
よくわかっている管理職であれば
労いの言葉をかけてくれると思います。
仮にそうでなかったとしても、仕事はやったもの勝ちです。
的確な手を打てるためには
その職場ごと、その職員ごとの行動特性をきちんと観察・洞察して
どのような事柄を受け入れにくくて
どのような事柄であれば受け入れやすいのかを
把握しておくことです。
(結局、つまるところ、何であってもハウツーで解決できることなんて何もない
もしも、ハウツーで解決できたとしたら、たまたまです。)
このような思考態度は
認知症のある方への対応の工夫として
「対象に工程を語らせる」
自身の力量をレベルアップさせることとも密接にリンクしています。
「対象に語らせる」
・https://yoshiemon.info/adl/etc/
・https://yoshiemon.info/adl/wear/
・https://yoshiemon.info/2021/12/03/study/update/3517/
それでも辛くなる時には
「お客様は神様です」
という言葉を思い出します。
「お客様は神様です」という言葉は
三波春夫の言葉ですが
オフィシャルサイトにその言葉への言及があります。
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
ごむてつさんに教えてもらったのですが
「本当のお客様は(天の)神様です」
と。
あぁ、そうか!と思ったものです。
本当に辛い時には、この言葉を思い出すと楽な気持ちになれます。
< 概 要 >
1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義
2 comments
「お客様は神様です」というのは、
芸事は神事、村祭で田舎芝居もやるのもそういうこと。
お客様は聴衆ではなく(天の)神様です。
「私は神様に捧げるために歌います。聴衆の皆様も大いに楽しんで共に神様に捧げましょう」という意味で、三波春夫は確信犯だと思っていたのですが、彼自身もわかっていなかったのかも知れません。
サービスのserveとは神に仕えるということです。人に仕えることを通して神に仕えるということでしょうけど。
こうした概念は日本人には馴染めないのかもしれません。一般に欧米では客と店員などはギブ&テイクで対等です。
気にいらない客には「おとといきやがれ!」と言って品物を売らずに追い返すのは普通のことです。
ところでネットを見ていたら、ドイツは日本の1.4倍も生産性が高いのは、お客主体ではなく労働者やサービスを提供する側が優位にあるからだという話が書いてありました。
端的に言えば、日本はお客様を大事にするから生産性が低い。
要するに、お客は製品や商品、サービスをして頂く側で、金を払うからエライというのではなく、日本とは立場が逆ということです。
なるほどなと思いました。でもこれを日本に持ち込むと昔の国鉄みたいになってしまうかも。
詳しいことは長くなるので止めておきますが、それでなぜ生産性が高く(低く)なるのか皆さんご自身で考えてみてください。
Author
ごむてつさん、コメントありがとうございます。
皆さんは、どのように考えられましたでしょうか?
私の考えは
金を払うお客様がエライとすると、お金をたくさん持っている人がエライ、ひいては、お金がエライということになってしまいます。
(お金は本来無名だから異なる価値を交換することができるものなのに、お金万能みたいになってしまっている)
自分ではできないことを、知識と技術を持っている人に代わりにやってもらう、それは自分にはできないんだから、実際にできる人の方がすごい!と思います。
本来は何ができてもできなくても人はみんな対等
だからこそ、個々人が持っているそれぞれの知識と技術へのリスペクトが生まれる。
人類の叡智、共有財産として知識と技術をさらに蓄積・発展・伝承していくことへ寄与するということになるのではないでしょうか。
ところが
日本人は個人と属性を分けずに一緒くたにして考えがちで
国鉄に勤めている俺様はエライ
お金をたくさん払う私がエライ
となって、知識と技術へのリスペクトと個人への追従が混同されてしまい
知識と技術の発展へ注力しにくくなり、生産性が劣るということもあるんじゃないかなと考えています。