生きてきたように年老いていく

 


たくさんのお年寄りと接してきて思ったことは
生きてきたように年老いていく
ということです。

認知症の症状が前面に出てくると
一時はその人らしさが覆い隠されてしまうこともありますが
見えなくなっただけで損なわれることはない
と感じています。

逆に言えば
ないものはない
 
年老いてどんなに自由になる時間が増えたからといって
やってこなかったことができるようにはならない
ということです。

どんなふうに生きてきたのか
ということが凝縮されるのが老年期
良いも悪いもなく
一人の人間の生き様を見せていただいていると感じます。

ただ
ご家族の方とお話して思うことは
ご家族の前では見せていなかったその人の姿というものが
結構あるんだなーということです。

例えば
〇〇という歌がお好きなようで歌詞もはっきり口ずさんでいたとか
懐メロはお好きなようで歌えない歌はないくらい
いろいろな歌を口ずさんでいます
とご家族にお伝えすると
「えぇ〜!家では鼻歌歌っている姿を見たことない」
「本当ですか?歌声なんて聞いたことがない」
と言われることも少なくありません。

きっと
「自分」である前に、「親」として、ご家族に接していたのかな?
そんな風に感じます。

「その人に寄り添ったケア」
「その人らしさを大切に」
とはケアやリハの分野ではよく聞く言葉ではありますが
抽象的・総論的に語る人は多くても
実際にどのように対応することなのかを
具体的に紹介しているものに遭遇したことはありません。
 できることをしていただく。。。という文言にはよく遭遇しますが
 それはちょっとズレているんじゃないかな。。。

そのようなスローガンを目にするたびに思い出すのは
私の息子が小学生の頃のことです。
授業参観に行くと
教室には「個性を大切にしましょう」と大きな紙に書かれたものが
正面の黒板に張り出されていました。
授業が始まると
先生の質問にたくさんの子どもが一斉に手を挙げます。
指名された子が答えると
他の子どもたちが声をそろえて一斉に「同じで〜す」と答えました。

。。。^^;

言行不一致とか
高い理想を掲げてもやってることは真逆のこととか
しかもその自覚がないとか
本当に怖くなりましたが
現場あるあるだよなーとも思いました。

その人らしさとは何だろう?
どのような言動が寄り添っていることで
どのような言動が寄り添っていないことなんだろう?

真っ当に考えると
つまり、具体的に考える
とても難しいことではないでしょうか?



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