
かつて、私も言っていましたが
ある時、ふと気づきました。
「ここをこうしてこうやって」って何の説明にもなってないじゃん!
Activityや手作業をしてもらう時に
たいていの人は、隣に座って作業工程を同時に行いながら
「ここをこうしてこうやって」と言っています。
かつての私もそうしていました。。。
でも、それでできる方もいますが
できない方も少なくありません。
構成障害があれば
見比べる・見比べて行動修正する
ということが難しくなります。
「ここをこうしてこうやって」
という声かけが理解できるのは
「ここ」がどこで「こうやって」がどうすることなのかを
見て理解することができる方です。
もっと言うと
「ここ」を言葉で説明しなくても「ここ」を探して注意を焦点化できる
「こうやって」を言葉で説明しなくても「どうするか」を汲み取ることができる
つまり、相手の「汲み取る能力」に依存した説明ということです。
構成障害があれば
私が示した「ここ」が自身の「どこ」か
私が示した「こうやる」が自身の「どうする」か
対照させることが困難です。
構成障害とは
全体と部分、部分と部分の位置関係を認識し再現する障害
なのですから。
構成障害のある方に
どんなに詳しく親切に隣で言葉による声かけを繰り返しても
できるようにはならないどころか
認知症のある方に余計に
「困った」「わからない」「できない」ことの反復体験をさせるだけです。
もうそんな関わりは卒業しましょう!
卒業できるためには
どんな障害や困難があって
どんな能力があるのかを
私たちが把握できていることが必須です。
ところが、多くの現場では
自身の知識の確認や関与の振り返りをするのではなくて
表面的に「どうしたら困りごとがなくなるのか」を考えて
言葉だけで繰り返し説明をする
というパターンがいまだに圧倒的に多いものです。
そして、最も問題なのがその自覚がないことです。。。
現場あるあるのマズイ対応は
せっかく検査をしてもその結果を対応に活かせていない点にあります。
評価に基づいた対応ではなく
表面的な困りごとを解決しようとしてハウツーを当てはめている
「引き出しを増やす」と言って
ハウツーを増やすことが学ぶことだと勘違いしている人が多いのです。
それらのどこが寄り添った対応なのでしょうか?
その時・その場の・その関係性において
目の前にいる方に何が起こっているのかを
的確に観察・洞察できるように知識を学ぶ
学んだ知識をもとに観察できるように努力する
そういう人は少数派です。
私たちが自覚して自らの関与を修正しようとしさえすれば
今すぐにでも改善可能なことは多々あります。
その時に
認知症のある方がどれだけ自身の困難に対して
なんとかしようと必死になっている姿を見出すことができて
目を見開かされるような思いをするはずです。
2026年4月発売
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