たったひとりでも変わる意義
「自分一人が頑張ったって。。。」
時にはそんな無力感に襲われることもあるかもしれません。
その気持ちは本当によくよくわかります。
でも、決してそんなことはありません。
自分一人が頑張ることには大きな意義があります。
例えば
どこか言葉の通じない外国に
いきなり空間移動して放り出されたことを仮定想像してみてください。
通りがかりの人に話しかけられても
何を言われているかわからないから不安で仕方がありません。
仮に通りがかりの人が心配して警察に連れて行ってくれようとしても
どこに連れて行かれるかわからなければ抵抗するかもしれません。
そんな時に身振り手振りであったとしても
真摯にあなたを心配してくれて何とか警察に行くから心配いらない
ということをわからせてくれる人がいたら
どれだけ安心できるでしょうか?
そんな人がたった1人いるのといないのとでは大違いです。
みんなが一斉に同じことをできないからといって
対象者のためにならないわけではないのです。
もちろん、みんながみんな高いレベルでの対応力を身につけられたら
それに越したことはありません。
でも、対象者のために最も重要なことは
本当に役に立つことができる人がいる。
その最初の一歩を踏み出せる最初の1人がいる。
ということなんです。
非常に乱暴な言い方をしますが
対象者の30%の能力しか発揮を促せない職員が10人いるとして
10人の能力を50%に高めるよりも
たった1人でいいから、90%の能力発揮を促せる人がいることが大切です。
その1人がいるのといないのとでは
対象者にとっては世界がガラリと変わります。
言葉の通じない外国での仮定の話のように
「この人は私のことを本当に理解しようとしてくれる」
まず安心感が違います。
そして現実に
「90%能力発揮を促してくれる人の関与がある時には私はこんなにもできる」
という体験ができます。
「私がダメになったわけじゃない。
関与によっては私はここまでできる。」
というエンパワメントを受けます。
「その人がいないとできないんじゃ辛いんじゃない?」
って言う人もいますが、逆なんです。
「関与次第で私ができることが異なる」
という事実そのものを明確に実感・認識できることが大切なんです。
辛いんじゃない?
と言う人は、一見対象者のことを心配しているようでいて
その実、心配しているのは
「関与次第で対象者ができることが異なる」と言う事実を認識したくない職員がいる。
その事実を認識したら辛くなったり困る職員を心配しているんです。
90%の能力発揮を促せる人がいる、そこまでの関与ができる人がいると
その人が関与したことによって
対象者が変わってきます。
対象者が変われば職員も変わります。
対象者の変化の影響を受けて30%しか能力発揮を促せなかった職員が
60%まで発揮できるように変わることも起こり得るし
「何があったの?」と90%の人に尋ねる職員も出てきます。
よく観ている職員は密かに90%の職員の言動を真似たりもします。
連携のそもそもの原点は対象者のためです。
たったひとりでも変わる意義があります。
ぜひ、最初の一歩を踏み出す最初のひとりになってください。
< 概 要 >
1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義
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