認知症のある方の食べる能力と食べる意思を信頼することから始まります。
そして、私たちは「食べる援助」をしているのであって「食べさせる」のではないということを自覚します。
重度の認知症のある方であっても
生きている限り環境適応しようとしています。
食事場面では、
例え不適切な介助であったとしても、何とか適応して食べようとして結果として
自らの食べる協調を低下させ能力を低下させてしまう・・・誤介助誤学習が起こり得ます。
だからこそ
適切な介助を行うことができれば
適応しようとして、正の学習・正の学習が起こり
埋もれていた、不合理な発揮の仕方しかできなかった能力がより合理的に発揮できるようになります。
「どうせ認知症だから無理」
「認知症なんだから誤嚥性肺炎は仕方ないでしょう」
「まだ、そんなこと言ってる」
「ちゃんと食事介助したいけど時間がないから無理」
さまざまな職種のさまざまな人たちが面と向かって私に言ってきました。
じゃあ、なぜ、
誤嚥性肺炎の再燃もなく
炎症反応の指標としてのCRPも陰性化したまま
食べこぼしもほとんどなく
お互い楽に食べられるようになるのでしょう?
摂取時間が短縮されるのでしょう?
私の仕事は作業療法士という技術職です。
技術職の強みは「やってみせることができる」ということです。
対象者の方は
「私が食べにくいのは
私がダメになってしまったせいじゃない
私にはまだ食べるチカラがある」
ということを実感できます。
無理なのは誰?
できないのは誰?
もちろん、残された能力や体力が乏しくなってしまえば
どんなに食べる意思があったとしても難しいという現実はあります。
ALB2.1の方は食べられるようになったけれど
ALB1.7の方を救うことはできませんでした。
最後は体力勝負になってしまいます。
できるだけ早く
どうしようもなくなってから
関与を始めるのではなく
「手を抜いて介助してもムセないから大丈夫」だなんてとんでもありません。
何も問題がないと感じるような時期から的確に関与していく。
予防に勝るものはありません。
目の前にいる対象者の方が
より安全により円滑により美味しく食べられるようになるか否かは
対象者の方と私たち介助者との協働作業の結果です。
まず
私たち介助する立場の者が
1)適切に介助できていること
2)的確に観察・洞察・評価できていること
これらが担保されて初めて対象者の本当の食べるチカラが現れるのです。
現場あるあるで
しかも、不適切な関与であると自覚されにくい介助を下記にあげておきます。
1)職員同士で私語をしながら介助する
2)ムセの有無しか、確認していない
3)喉頭の動きをきちんと目で見て確認しながら介助していない
4)スプーンに山盛り食塊をすくう
5)スプーンを口の中央付近まで入れている
6)スプーンを引き抜く時に斜め上に引き抜いている
7)嚥下を確認せず、次から次へと介助を進める
8)「覚醒不良」なのに「開口してくれない」「飲み込んでくれない」と誤認する
9)口唇傾向や視覚的被影響性亢進の症状で開口しているだけなのに
「開口が良い」「食べようとしている」と誤認し介助してしまう
これらを今すぐに止めるだけでも
今と異なるもう一つの現実を目にすることができるようになるでしょう。
「見れども観えず」
食事介助のみならず、他の場面でも起こっていることです。
食事介助を適切にできるようになることで
私たち介助する側のメタ認識が変わり、行動変容が促され
他の場面にも汎化されるようになっていくことを確信しています。
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