認知症のある方の食事介助にあたって
介助する人の悩みでダントツに多いのが
「口を開けて(食べてくれない)」
「ためこんで(飲み込んでくれない)」
「介助を拒否して(食べてくれない)」
つまり「食べて欲しいのに食べてくれない」という悩みです。
これは本当によくわかります。
普通に考えて、たとえば家庭でも
我が子のためにいろいろと工夫して作ったものを
「いらない!」「食べたくない!」って言われたりしたらショックですよね。
でも、同時に心配になりませんか?
具合が悪いのかな?って。
認知症のある方や生活期にある方もまったく同じで
具合が悪くて食べられないってことも相当数あるのです。
食べられない方は、まず、健康チェック!
どこか具合が悪いんじゃないか?
医師でなければわからないことも多数あります。
きちんと症状を観察して報告する必要があります。
その上で
本当は食べたいのに食べられない
食べようとしているのに食べられない
ということもまた、相当数あるのです。
コップを噛んでしまって水分摂取ができない
スプーンを噛んでしまって食べさせてあげられない
口を開けてくれない
ためこんで飲み込んでくれない
大声が続いて食べてもらえない
開口した時に舌が硬口蓋(上あご)に張り付いていて介助できない
介助しようとすると顔を背けてしまう etc.etc.。。。
そのような方が食べられるようになったケースをヤマほど体験しています。
先日のネスレ日本さんのオンラインセミナーで紹介した
3例の事例はごくごく一例に過ぎません。
「見立てを間違うととんでもないことになる」
「評価が大事、観察・洞察が重要」ということをお伝えするために
伝わりやすいと思った事例を選んで紹介しただけです。
どのケースでも、
食べてくれない、食べようとしない のではなくて
本当は食べたいのに食べられなかった のです。
認知症のある方や生活期にある方で
食べることに困難がある場合に
「食べようとするんだけど〇〇になってしまって食べられないんです」
「食べようとするんだけど△△という介助では食べにくいんで⬜︎⬜︎という介助をしてほしい」
と言ってくれることはありません。
そこをこちらが観察して洞察しなければ。
スティーブ・ジョブズは「意図こそが重要」と言いました。
本当にその通りだと思います。
意図によって観察から得られる結果は大きく変わります。
「食べてくれない」方に対して
「どうしたら食べさせることができるのか?」という意図のもとでは
いくら観察しても、その方が食べられるような洞察を得ることは叶いません。
その方には、食べたくても食べられない、食べようとしても食べられない必然があるからです。
問題設定の問題が起こっているのです。
逆に言えば、問題設定を変えれば良いだけです。
特別な研修を受けずとも、お金をかけずとも、今すぐにどんな人にでもできることです。
でも、多くの人が問題設定を変えようとしません。
変化への抵抗が起こるのです。
古くはガリレオに始まり、ゼンメルワイスや小笠原登
みんな当初は否定され、迫害と言っていいような抵抗を受けました。
でも、最終的には彼らの正当性・先見性を歴史が証明しています。
ここで2通りに分かれます。
変化への抵抗を乗り越えて自身の問題設定を変更する人と
変化への抵抗に向き合いたくないために問題設定の変更を要請した提案そのものを否定する人と
私たちは対象者の利益のために働いているのですから
対象者が食べられるようになるための方策を選択すれば良いだけです。
科学は過去の知見の修正の上に成り立つ学問です。
修正を恐れることはないのです。
新たな知見
常識化していて誰も疑問に思わないくらい定着していることに
異議申し立てをすることは大変なことです。
シュレディンガーの言葉に
「大事なのはまだだれも見ていないものを見ることではなく
だれもが見ていることについてだれも考えたことのないことを考えることだ」
という言葉があります。
納得できる、新たな視点を持った知見を提示することは大切です。
ただ、ゴリ押しはできません。
否定されたら、その時はいったん引き下がりましょう。
でも、大丈夫。状況は必ず変わります。
職場の潮目の変化を感受して、そのタイミングでもう一度提示してみましょう。
その時に、口先だけでなく、自身が効果を体現できるように
まずは、自身の観察・洞察力と実践力を磨いておくことが肝要です。
言うだけじゃ、説得力がありません。
変化を起こして見せられる人にならなければ。
認知症のある方、生活期にある方が
食べる困難を乗り越えて、もう一度食べられるようになる体験を積み重ねると
食べたくても食べられずにいる
食べようとして食べられずにいる
その努力を合理的な方向に変換してくれる
協働者の存在が欠かせないことが身に沁みてわかるようになります。
今もなお、たくさんの方があちこちで
協働してくれる人の存在を声にならない声で
一見不合理に見える言動で必死になって訴えているのです。
1 comment
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ガリレオやゼンメルワイス、小笠原登らの主張の正当性・先見性を歴史が証明するにあたって、彼らの周囲にいた歴史に名を残すこともなかった人たちの寄与を忘れてはいけないとも思っています。
彼らの主張の正当性・先見性を理解し、伝達し続けた市井の人々の言動があったからこそ、歴史が証明することが叶います。
そうでなければ、彼らの主張も歴史に埋もれてしまっていたはずです。
大谷藤郎は師である小笠原登の志を受け継ぎました。日本におけるリハの礎を作り支援してくださったということも聞きました。
種類の違い、大小の違いはあっても、私たちはみんな先人の列に並び、バトンを受け取り、そして渡し続けているのだと感じています。