「OTジャーナル仕事論Q&A」の補足という記事の続きです。
作業療法を説明するのが難しいには、宿命的な理由があります。
「作業」を人の行為全般と設定している以上
常に、他の職種との比較をされる宿命にあります。
機能訓練をすれば、PTとどう違うの?
ADL訓練をすれば、看護介護職員とどう違うの?
革細工をすれば、革細工の先生とどう違うの?
むしろ、個々の事柄に関しては、比較対照される他職種の方が詳しいこともあるわけで
表面的な「やること」「手段」を説明には使えないのです。
「中身」がわからないとちゃんと説明できない
というわけです。
じゃあ、中身がわかるためにはどうしたら良いか?
それは実践を積み重ねるしかありません。
「作業療法の専門性とは何か?」
「作業療法とは何か?」
考えたり、語り合ったりする人は多いけれど
そんなことをしても答えは出てきません。
答えは、自分の頭の中にも、誰かの頭の中にもありません。
答えは、自分の実践の結果として生まれるものだからです。
対象者に有益なことができたという結果を積み重ね
その過程において、何がどんな風によかったのか
何がどんな風にイマイチだったのかということを
人知れず自分自身の中で地道に抽象化・一般化して蓄積を経て
初めて答えが出てくるものだからです。
だから、経験の浅いOTが
自分の仕事なのに人に説明できないことに
もどかしい気持ちを抱いても
それは当然なんです。
焦ったり、落ち込んだりすることなく
「理想とするOT像に到達するために勉強中」とでも言っておけばいいんです。
それまでは一時的に仮として誰かの言葉を使わせてもらっても良いんです。
例えば、こちらの記事には私の考えを記載してあります。
その間
担当した対象者の方を通して
自分の関与・観察、評価・治療実践を磨くことです。
だから、ある程度の経験は必要です。
ここでいう経験は年数のことではありません。
漫然と経験年数を重ねれば、自動的に中身がついてくるというわけではありません (^^;
努力せねば。
実践の蓄積という経験が必須なんです。
もっと言うと
専門性云々よりも、まずは目の前にいる対象者の方に
少なくとも悪いことをしない
できれば良いことができるように
そのために必死になって努力する方が
作業療法の専門性を考えるよりも、よっぽど大事なことだと
私は思うんだけど。。。
私が就職して間もない頃は
本当に必死だったから、専門性なんて考える暇がなかったけどなー。
それに
対象者の立場になってみたら
誰だって、腕の良い人、優秀な人に担当してもらいたい
って思うんじゃないかな?
どんな職種だってピンキリなのは、わかりきってることだし。
誰かと抽象的総論的に語り合うことで得られるのは
「悩んでいるのは自分だけじゃない」という安心感や
気持ちの高揚などがあるでしょう。
でも、それは直接的に作業療法の専門性を考えることとは結びつかないばかりか
人によっては逆に遠回りさせることにすらなりかねません。
人は弱いものですから、時には誰かに気持ちを支えてもらうことだって必要でしょう。
語り合いたい人にはそれなりのニーズがあるのでしょう。
ただ、本当に自分が達成したいことは何なのか
そこを忘れてはいけないのだと思っています。
最近のコメント