ループの完結@食事介助

認知症のある方の中には
元来「しっかりしていた」方が少なくありません。

ご家族の情報から確認することもできますし
仮に、ご家族の情報が得られなかったとしても
対応の過程を通して
「この方はしっかりしていた方だろうな」
と感じることも多々あります。

そのような方が
溜め込んでしまう
というような表面的な現れをしている時には
誤介助誤学習のパターンが少なくありません。

 その背景には
 誤介助を引き起こしやすい身体的な問題(例えばオーラルジスキネジア)がある場合もあり
 その身体的な問題を的確に把握できないというケースも多いように感じています。

そのような時には
その方のその時点での「食べる能力」を最大限に活かして
余分な介助をしないことが効果的な場合が多々あります。

インプット〜アウトプットまでの一連の過程
刺激や環境の感受〜認識・判断〜食べるという行動という一連の過程
「食べる」ことに関するループを完結させる
という方法論です。

誤介助誤学習に起因するものであれば
「自分自身で食べる」という体験を通して
刺激の正しいインプットにより、
認識・判断の正しさと
食べるというアウトプットが修正されて
適切に行えるようになってきます。

元来、しっかりした方であればあるほど

お年寄り、認知症のある方に対して
能力低下してしまった、できなくなってしまった
という視点からだけ見ていると
認知症のある方の本当の能力を見誤ってしまいます。

たとえ
「苦労しながら食べるなんて可哀想」という善意からであったとしても
食事介助というのは実は奥深く難しいものなのですが
誰でもできるものという根本的な誤解があり
どんな風に食べさせても関係ないという思い込んでいる人も少なくありません。

知識に基づいた観察と
観察から導き出される的確な洞察と
洞察に基づいた適切な対応ができるだけの技術があって
初めて目の前にいる方へ適切な食事介助ができるのです。

食事介助をしない方が
その方の本来の能力発揮が叶う場合があります。
食形態も1回の摂取量も上がっていきます。

問題は
適切な「見立て」に基づく、適切な「食形態の選択」ができるかどうか
ということが問われているわけで
実は、その場で介助するよりも観察力・洞察力が求められます。

的確な自主トレの設定ができるということとも通じる側面があります。
「自主トレ作成=評価の確認」

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