グループワークの功罪


昨今、どんな研修会でもグループワークが組み込まれることが増えてきました。

グループワークには、グループワークの良さがあります。
多様な考え方に触れたり、他者の考えや実践に触発されたり
あるいは、悩んでいるのは自分だけではないと実感できたり
他の人の解決策から学んだりすることもできます。

一方で、実はあまり認識されていないデメリットもあります。
認知症のある方への対応で、困った時には解決策を他人に聞く
どうしたら良いのかを考える
という、誤ったメタ認識を学んでしまう
ということです。

職種によらず、本当に多いと感じているのは
認知症のある方の言動を『きちんと』観察し、情報収集をせずに
「〇〇という時には△△する」というパターンを押し付けたり
表情や口調などの観察を怠り、「⬜︎⬜︎してみたら」という推測から
対応の工夫を考えようとするという在り方です。

本当に有効な対応は、考えるのではなく、自然に浮かび上がってくるものです。

自然に浮かび上がってこない時には
情報収集が足りないのです。
多くの場合に、ポイントほど見落としているものです。

基礎知識を習得していなかったり
学んだことはあっても忘れていたり
言葉を知っていても概念の本質を理解していないから
観察できない、ということは枚挙にいとまがありません。

グループワークが有効な学びになる場合と
然るべき人がきちんと知識と技術を提供した方が有効な学びになる場合があります。

とりわけ
初心者に対して
きちんと知識を提供することをせずに
「認知症の人の気持ちを話し合いましょう」
なんていうことは百害あって一利なしです。

救命救急の初心者向けの講習会で
道に倒れている人にどうするか、みんなで考えましょう
なんて講習会をするわけがありません。
知らないから、知りたくて講習を受けに来ているのですから
きちんと教えてもらわなければ困ります。

認知症のある方が何に困っているのか、どうしたいのか
認知症のある方の気持ちは尋ねてみないとわかりません。
ただし、尋ね方には工夫が必要です。
その工夫を知識として伝達すべき
であって
勝手に、憶測で、考えさせたり話し合わせることがどうして適切なのか、私には分かりません。

どの職種でも
ある程度の経験年数が経つと
自身の経験を振り返る人と自己検証なく経験を根拠に実践を展開してしまう人とに分かれます。
(体験を一般化抽象化することなく単なるハウツーとして蓄積してしまう人は本当に多い)
後者は疑問に思うことができなくなってしまい
自身の実践で改善の余地があるのに(無自覚的には、だからこそ)
その工夫を怠りがちです。

グループワークでは、仮り初めの達成感を得てしまうこともよくあります。
グループワーク本来の目的を忘れて参加者の達成感を優先してしまうと
本末転倒のことも起こり得ます。

さてさて、年末のご挨拶

みなさま、貴重なお時間を割いてこちらのサイトにお立ち寄りくださり
どうもありがとうございましたm(_ _)m

リハやケアの世界では
観察・洞察のチカラを磨くよりも
確からしさを証明できると信じられている検査やバッテリーを追い求めたり
ハウツーを求める風潮がどんどん大きくなってきています。
無意識的には、だからこそ、声高に抽象的な理念を語りたがる人も増えてきています。
唱えれば叶うわけではないのに。。。

でも、同時に
そのような現実の中にあって
何か違う、と感じつつも違いを明確化できないが故に
余計に大きな不全感を抱き、どうしたら良いのか困惑している人も
増えてきていると感じています。
かつての私もそうでした。

当時、まずは身近に相談できる人に相談し
同時に、相談しても仕方ないということがわかり
自身で、手探りで実践していくしかないと腹をくくり
手当たり次第に研修会に出席し
手当たり次第に論文や本を読み漁り
ずいぶんと遠回りをしてきました。
私個人にとっては、意味ある遠回りだったと思いますが
今の若い人たちが、当時の私と同じような遠回りをするのは
リハやケアの世界や対象者やご家族の立場に立てば
積み上げができないことを意味しています。

私が蓄積してきたことは
実際に現実的に具体的に、対象者とご家族の役に立つ、ということです。

同じ願いを希求する人たちの役に立つことを願って
これからも記事更新をしていきます。

来年がますます良い年でありますように。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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