「簡潔さとは複雑さを研ぎ澄ましたものである」
ルーマニアの彫刻家コンスタンチン・ブランクーシの言葉だそうです。
スティーブ・ジョブズもシンプルなデザインにこだわっていました。
私の実践は
対象者の能力を見出し能力を活用する
というものです。
答えは対象者の中にあるということを確信しています。
どんな対象者のどんな状態像であっても適用可能な考え方です。
食事介助しかり、ポジショニングしかり、移動能力しかり、
生活障害しかり、BPSDしかり、Activityしかり。
シンプル過ぎて理論とは言えないかもしれませんが
私はそうやって結果を出してきました。
巷間言われているような理論を使ったことは一度もありません。
だって、手間ばかりかかる割に結果が出せないし
重度の認知症のある方に適用できないからです。
本当に有用なもの、本質的であればあるほど
除外要件が少ないはずです。
除外要件が多いものは本質ではないと考えています。
「認知症だから無理」「認知症だから適用困難」
と言って認知症のある方を除外しないでほしい。
認知症のある方はリハ対象者の中に相当数います。
急性期であれ、回復期であれ、生活期であれ
認知症のある方に出会わないセラピストはいないと言っていいと思います。
任意の理論が本当に認知症のある方に役立つかどうか
みんな心の中では本当のことをわかっていると思います。
忖度して言わないだけで。
でも、それで本当に認知症のある方への対応が発展していくのでしょうか?
「理論が大事」という人は少なくありませんが
私に言わせれば、根拠こそが大事で
実践において、その根拠とは対象者自身です。
もちろん、過去からの知見の集積は活用はしていますが。
このサイトの_トップページ_に先人の金言を掲載してあります。
「書かれた医学は過去の医学である。
目前に悩む患者の中に
明日の医学の教科書の中身がある」 ( 沖中重雄 )
「事実の子たれよ。
理論の奴隷たるなかれ。
事実はことごとくこれを信ぜよ。
その時には相衝突するがごとくに見ゆることあるとも、
あえて心を痛ましむるなかれ。
事実はついに相調和すべし。
その宗教的なると科学的なると、
哲学的なると事実的なるとにかかわらず、
すべての事実はついに一大事実となりてあらわるべし。」 ( 内村鑑三 )
どうして結果を出す、対象者が良くなることにフォーカスしないで
「OTは素晴らしい」とOT教に走ったり
「理論、理論」と理論教に走ったりするのか理解できません。
OTは素晴らしいかもだけれど
肝心なのは、自分が素晴らしい実践ができること
素晴らしい実践をしているOTは
OTだから素晴らしいんじゃなくて、その人が素晴らしいんだし
素晴らしい実践をしているOT以外の人はたくさんいます。
理論はツールに過ぎませんから
対象者の利益のために理論を活用するのであって
対象者に理論を当てはめるのは本末転倒です。
原点に立ち戻って
目の前にいる方に真摯に向き合うことから始めることが
真贋を見極める眼を磨くことにもつながると感じています。
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