「何もしないと認知症が進行するから何かやらせないと」
こんな風に言う人って案外多いものです。
曰く、「歩かせないと歩けなくなる」「食べ方を忘れないように食べさせる」etc.etc.
こういう言葉を言える人の考え方の根底にあるのは
1)やることのデメリットを考えたことがない
2)認知症のある方の能力発揮を実感したことがない
のではないかと感じています。
私は、現場の最前線で働く人の善意を疑うものではありませんが
「善意で仕事はできない」という当たり前のことになぜ思い至らないのだろうと、常々疑問に思っています。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」
「地獄は善意が満ちているが、天国には善行が満ちている」
というヨーロッパの諺があるそうですが、まさしくその通りだと思います。
Activityは暮らしに必須のものではありませんから
日々、暮らしていくだけで失敗体験や喪失体験を重ねている認知症のある方に
なぜ、わざわざ難しい、困るような場面を提供しなければならないのかは、とても疑問に思います。
今から20年近く前に
神奈川県作業療法士会公式ウェブサイトに掲載された
「私たち自身の在りようを見つめる」という記事があります。
そこで書いたように
対象者の方が活動的だと「良い方」と判断され
そのような施設だと「良い施設」と判断されるような傾向があります。
何かやっていることが是とされるわけです。
誤解のないように書き添えますが、私は何も「何もさせるな」と言っているわけではありません。
作業療法士を生業としてきているわけですから、当然「やることのメリット」は
他の職種よりもわかっているわけです。
そして、私は作業のプロですから、他の職種よりも「やることのデメリット」もわかっています。
つまり、なんでも良いからやれば良いとは、決して思っていないのです。
まして、認知症のある方の辛さや苦しみ、困難を聞き続けてきた者としては余計に。
ところが
20年近く経った今でも
「やらせること=是」として、結果として認知症のある方に対して
やったことによってやらないでいたよりも、もっと大きなデメリットを提供している人は
介護保険の事業所が増え、従事する職員が増えた分
当時よりももっと増えていて
しかも善意からの提供なので、デメリットに対して無自覚だったりするわけです。
人間だから失敗は仕方ないけれど、無自覚だと反省や自己修正が効かないのです。
そして、「認知症だから仕方ない」と言ったりするわけです。。。
「何もしないと認知症がひどくなる」から
「なんでも良いから何かやらせる」ことでメリットを感じるのは
いったい、誰なのでしょうか?
「何もしないと認知症がひどくなる」のではなくて
「適切な環境が提供できないと認知症がひどくなる」のです。
「認知症の人におすすめのレク」などの本もたくさん販売されていますが
それらを目の前にいる方に合わせて上手に活用するのなら良いと思いますが
十把一絡げにして、
「塗り絵は認知機能維持に効果があるので塗り絵をしてもらっています」などと言った
ある事業所の職員もいましたが、とんでもないことだと思います。
やんわりと意見しましたが
「説明しなくちゃわからないということは、説明したってわからない」
まさしく村上春樹状態でしたね。
「その人に寄り添ったケア」と口で言うなら
その人に塗り絵が、しかも提供したその下絵が、適切なのかどうか言語化できるはずと思うのですが
大抵の人は、「その人に寄り添ったケア」と言いながらも
大勢に対して一斉に塗り絵を提供したりしているわけです。
2−3種類の下絵を用意して選ばせる程度の配慮はあるにしても。
その上、提供した下絵そのものが幼稚な下絵だったりするわけです。。。
認知症のある方それぞれの障害像の把握ができずに
構成障害のある方に紙箱作りをさせたり、輪ぐさりを作らせたり
ピック病でHDS-R3点の方に折り紙をさせたり
若い頃の趣味活動をそのまま提供したりしているのです。
もちろん、善意からですが
善意が出発点でも知識のない人が疑問を抱くことなく「やって」しまうことほど
恐ろしいことはありません。。。
これは、養成の問題なんです。
Activity提供をどのように考えたら良いのか
という基本的な考え方、指針を明確に教えてもらったことのある人は
一体どれだけいるのでしょうか?
そういえば教わったことがない
と思った方はぜひ、5月24日の研修会にご参加ください。
詳細は ー こちら ー をご参照ください。
「やりたいことをやる」のが
認知症のある方には通用しないというのは
既に実際の現場では多くの人が体験しているはずなんです。
次回は
「やりたいことはない」と言われて困ってしまった
「やりたい」と言ったことを提供したが、全然できなかった
をテーマに書いていきます。
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