疎通困難な方へのリハ:手遊び


疎通困難な方でも
まったく通じないという方に出会ったことはありません。
何かしらの方法で理解していただけます。

言葉でのやりとりが難しかったとしても
認知症のある方は、常に周囲の状況を感受し認識しているからです。
そして、私たちの関与が本当に援助なのか、援助という名の強制なのかを感受しているからです。

援助と強制のすり替えは
無意識にリハやケアの現場で起こっています。
このすり替えは、単に業務多忙が理由ではなく
そもそも対人援助職そのものが内包する課題でもあるからです。
このことは拙著でも記しましたが、別の記事できちんと書いていきたいと思っています。

言葉でのやりとりが困難な方に
言葉でやりとりするように促すのではなく
言葉でのやりとりが困難なままでも
対象に適切に対応することや他者との交流体験を提供することであり
その過程において、失敗しない・困惑しないという成功体験を蓄積することが大切です。

言葉でのやりとりが困難でも他者との交流を楽しまれる方には、手遊びをします。
例えば、認知症のある方と向き合い「茶摘み」を歌いながら手を合わせます。
🎵夏も近づく八十八夜と歌いながら自身の手と認知症のある方の手を合わせていきます。
この時に、お互いが相手とのタイミングを合わせようとすることができないと
手と手が途中でぶつかってしまったり重なってしまったりして動作が止まってしまいます。
また、一節歌って次の節を歌い始めるタイミングも合わせる必要があります。
このタイミングを手と歌声の両方で揃えなければなりません。
言葉ではない、非言語的な「相手の認識」と「相手と呼吸を合わせる」というコミュニケーションが求められます。

言葉でのやりとりが困難でも
タイミングを合わせようとする方、見事にタイミングを合わせられる方、調節しようとする方はたくさんいます。
ズレてしまった時に「あ、ごめんなさい。」と発言されることもあります。

ちゃんとわかっている!

今、何をすべきで、自分ができたかできないか

手遊びの速さを少しずつ早くしても
ちゃんと速さに合わせて手の動きと歌声を早くすることができる方もいます。

このような、非言語でのやりとりを繰り返すことで
疎通困難さが完全に解消されることはなくても
日々の暮らしのちょっとした場面で適切な言葉がスッと出てくることが増えてきます。
「どうぞ、おかけください。」
「はい、待ってます。」
別の職員が冗談で「尻隠して頭隠さず」と言ったら
「あら、それ違うわよ。頭隠して尻隠さずよ。」と即答されたこともあり感動しました。

ただし、誰もが他者との交流を楽しむわけではありません。
疎通困難でも良好でも、他者との交流を楽しまれる方もそうでない方もいます。
「何をするか」を選択する際に、私が重要視しているのは、その方の特性です。
自身で対象に向き合うことを楽しまれる方にぴったりなのが
ひも三つ編み です。
次の記事で、何がどんな風に良いのか、どんな風に行うのかをご説明します。

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