忘れられがちな1手間:帰宅要求


以前の記事で
ポイントほど見落としたり見間違える
と書きましたが
実際の対応についても
ポイントほど忘れられがち、実践され損なうものです。

認知症のある方が
「家に帰りたいんです。帰してください。」
と言った時に
私は基本的には復唱しています。

「家に帰りたいんですね」
復唱することで、あなたの気持ちを確かに受け止めました
と伝えることができます。

復唱するための所要時間は3秒ほどですが
復唱しないですぐに話を逸らそうとして
話題を切り替える人の方が圧倒的に多いと思います。

「家に帰りたいんです。帰してください。」
(でも外は雨が降りそうだし)
(もう遅いから明日にしませんか?)
(ちょっと待ってて。今お茶を入れますから。)

文字にされたものを見ると
話を逸らされた、誤魔化された
訴えたことを聞いてもらえない。。。
という印象を持ちませんか?

認知症のある方は
ただでさえ、不安になって困惑して必死になって帰宅要求をしています。
そこで話題を切り替えられたら
もっとちゃんと聞いてもらおうと思って
言語能力が高ければ、
あの手この手で帰らなければならない理由を訴えるでしょうし
言語能力が低下していれば、
もっと大きな声で繰り返し訴えるようになるでしょう。

つまり
帰宅要求のある方に対して
すぐに話題を切り替える対応は
火に油を注ぐようなものなのです。
そして
無自覚にしているから自身の対応が油を注いでいるとは考えられず
もっと上手に話をそらせようと必死になって油を注ぎ続けるのです。。。

その上
自身の対応の結果として起こっていることがわからない職員は
「帰宅要求がひどい」「執拗な帰宅要求」とレッテルを貼るのです。。。

悪循環になっています。。。
 
認知症のある方も職員も
どちらにとってもストレスにしかならず辛いだけで良いことがありません。

「家に帰りたいんです。帰してください。」と言われたら、
(家に帰りたいんですね?)
まず、復唱してみてください。

この一言で
「あ、自分の話を聞こうとしてくれてる」
ということが伝わります。

その方にとっての
帰りたいと思った必然を聴く入り口に立つことができます。

その方の障害や困難、能力と特性を踏まえて
その時のその方の感情を観察・洞察しながら
「何を」「どんな風に」尋ねようかその都度判断していきます。

  ハンス・オフトの言う「状況把握・判断・行動」の実践です。

気をそらせる対応というのは
帰りたい必然を聴く入り口から遠ざけているのです。
認知症のある方だけでなく、自分自身をも。

帰りたいと思った必然を聴く
中がどうなっているのかわからない入り口のドアを開けるのは
勇気がいることです。
心身のエネルギーも使います。
そして何よりも難しい。。。
だから、回避したり否定したりして
その代替としての気をそらせる対応が
ケアの常識のように継承されてしまったのでしょう。
前の記事で書いたように、気をそらせる対応が必要な場面はあるでしょう。
でも、本質的な対応ではあり得ません。

本質的な対応ができるようになるためには
時間がかかります。
技術ですから。
でも、技術であれば習得可能です。

まずは、復唱してみませんか?
そこから観察の道が始まります。

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