重度の認知症のある方に
遂行機能障害だけが単独で起こることは稀です。
標準化されたものではありませんが
上記のような場面設定*をすると遂行機能障害をクリアに観察することができますし
遂行機能障害に反映されている、その方の能力と特性も洞察することが容易となります。
* 考案した時に考えたこと
1)失敗やできないという不安や混乱をきたしにくいように
鉛筆を使わない
2)構成障害を除外して遂行機能障害を観察したい
例えば、こんなふうに現れます。
指示としては「この線の上にシールを3枚貼ってください」とします。
1枚目のシールはすぐに貼ることができます。
2枚目のシールを貼ろうとしますが…
じっとシールを見つめています。
シールを眺めて考えています。
シールを襟元へ持っていって首を傾げています。
遂行機能障害とは
意図・計画・立案 / 実行・評価・修正 / 目標保持
のいずれか、もしくは重複した障害のことです。
これらの場面にどんな風に反映されているのか、説明します。
「シールを3枚貼る」という指示の理解はできますから
1枚目のシールはすぐに貼ることができました。
意図・計画・立案 / 実行・評価・修正 / 目標保持の
までは可能ということを意味していますが
2枚目のシールをつまんだ後でシールを持ったまま考えています。
「これをどうするんだっけ?」
「これは何だろう?」
目標保持ができないことを意味していますし
この時に手にしたシールだけに注意が固着していますが
もしも、机の上にある台紙や他のシールを見直したら
何をするか思い出す(再認)ことができたかもしれません。
ところが、手にしたシールだけに着目して
襟元に持っていったということは「ボタンかな?」と考察したことを意味します。
つまり、評価・修正 / 目標保持が困難ということを示しています。
でも首を傾げているということはボタンに似ているけれどボタンでもないらしい
と感じてもいることを意味しています。
ここで、下の図をご参照ください。
この図は、認知症のある方は単に能力が低下しただけではなく
能力があるからこそ不合理な言動となって現れることの機序を私が提唱しています。
イマ、ココにある「丸くて薄いもの」を感受することはできる。
それが何なのか、参照するのがイマではなくカツテの記憶に依拠して
「丸くて薄い」→「ボタン」かな?と考えています。
でも、ボタンにしてはおかしいな?とも感じるので
首を傾げているというわけです。
この場面を見て
「シールを3枚貼ることもできない」
「認知症だから仕方ないよね」で終わってしまうのか
それとも、シールを3枚貼れずに襟元に持っていくこの場面から
その方の遂行機能の障害も残っている能力も洞察することができるのか
それは大きな違いです。
知識がなければ観察できない。
「見れども観えず」になってしまいます。
知識があれば
そして洞察力を磨けば
同じ場面から広く深く、
その方の障害も能力も特性も把握することができるようになります。
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