HDS-RとMMSEの扱い方


HDS-Rを施行すると、怒り出してしまう方がたくさんいます。

検査は大事ですが
検査しなくても観察から検査と同等の洞察ができれば
認知症のある方の心身の負担を減らすことができるとずっと思っていました。

そのため
HDS-Rやかなひろいテストをする一方で
日常生活や会話の質的内容や行動との照合をずっと行なってきました。

HDS-Rの項目の意義や生活場面への反映について
それなりに洞察ができるようになり
ある時から、観察だけでもかなりHDS-Rの予測がつくようになり
生活場面への反映がわかってきたので
HDS-Rの検査場面でちょっと1工夫することも始めました。
詳細は 「対応に役立つHDS-Rの工夫」 をご参照ください。

ところが、これだけ認知症の普及啓発がなされている現状でも
実際に働いている職員の中には
「リハに支障がない」「従命可=認知症じゃない」「会話が弾む」「気遣いができる」
という程度の根拠で
「認知症じゃない」「年相応の物忘れ」
などと、安易に無責任な判断をする人がまだまだ多いという現実にびっくりしています。

年相応の物忘れと判断された方のHDS-R10点でしたし
認知機能低下に言及もされなかった方のHDS-Rは5点ということもありました。

その場の会話が成り立って、礼節表現が多かったり冗談を言えたりすると
明らかに生活に影響が生じているはずなのに、認知機能低下が見落とされてしまう。。。
ご家族や生活の支援をする介護職は困っているのに
一部のリハ職はまったく気づいていないという。。。

ひとつには
認知症、認知機能低下という概念の理解ができていない職員側の問題がありますし
他方
他者に合わせようとして生きてきた方、他者に合わせるタイプの方は
生活場面で認知機能低下が目立ちにくいという傾向があります。
たとえば、困った時わからない時には誰かに尋ねて返ってきた答えの通りに対応する方や
自分から何かしようとはせず指示があるまではじっと待っている方は
生活場面では「穏やかな方」「良い方」といった判断がなされがちで
近時記憶低下があったとしても生活場面で表面化しにくいので見落とされてしまいます。
また、俗に言う地頭の良い方、元来認知機能が高かった方は
記憶が低下してもその場限りのことはできる部分が多いのでこれまた見落とされがちです。
  
職員がMMSEをとった場合に
(HDS-Rは標準化されていないので検査するならMMSEが良いと主張する人もいます)
MMSEはHDS-Rとは違って、検査項目が記憶だけでありません。
得点結果だけで判断してしまうと状態を見誤ります。
同じ30点満点でも、その意義、どの項目で失点してどの項目で得点したかは全く異なります。

実際に
他院でMMSEが10点代後半、疎通も良好で礼節も保持されていた方で
他院からのリハサマリーに認知機能低下への言及がまったくなかった方とお話をしていたら
1分前にした説明を忘れてしまうくらい近時記憶が低下していたので
HDS-Rをとったら10/30点だったということがありました。
遅延再生も見当識も0点でした。
そのかわり計算や語想起は満点でした。

得点結果だけで判断してはいけないのです。

HDS-RとMMSEの違いを認識した上で使い分ける
そして、失点項目と得点項目に着目し
わからない時はどんな風に対応するのか
ということを観察しておくと
日常生活で困難に遭遇した時の行動パターンが予測できて
対応方法を明確化することに役立ちます。

嬉しかったこと


ある理由があって
Amazonの私の本を検索してみたところ
直近で__レビューを投稿__ してくださった方がいて
びっくりして読んでみたら
私がこの本で届けたかったことが
真正面から受け止められたことを知って、とても嬉しく思いました。

「認知症だから」という言葉でくくられてしまい
介助者側の不適切な関与を見直されることが少ない現状や
一見すると不合理な言動は、認知症による能力低下によって引き起こされるのではなくて
むしろ、介助者側の不適切な関与にすら適応しようとした結果
認知症のある方の能力低下を引き起こすことすらあるという現状にまず向き合ってほしい。
 
そして、介助者側の善意であったとしても知識と技術の不足や誤った判断は
教えてもらっていない、知らないことによってもたらされているのだから
まず、知ってほしい、学んでほしい、
その上でもう一度目の前で起こっていることをありのままに見つめてほしいと強く願っています。

ポジショニングあるある:座位で体幹前傾

上図のように
車椅子上で体幹が前傾してしまう
背もたれに寄りかかるように動作介助しても
身体が硬くてすぐに前傾してしまう方っていますよね?
ティルト型車椅子に変更してもやっぱり前傾してしまう
食事も自力摂取できるけど
摂取しているとどんどん前傾が強くなってしまう
そのような場合、どうしていますか?

カットアウトテーブルでお食事していただいても
前傾を防ぐことは難しいですよね?

車椅子上での姿勢について
車椅子上で対処しても
臥床時の姿勢、ポジショニングの見直しはされにくいのではないでしょうか?

人によりますが
実は、上述のような方の場合
骨盤と体幹の分離が不十分というケースが圧倒的に多いものです。

臥床介助の時に
立ち上がり時の動作を確認すると
腰背部を伸張した前傾ではなくて
骨盤も一緒に浮き上がってしまう。
なんなら、下肢も屈曲位のまま、浮き上がってしまい
足底接地が難しい。。。ということもあります。

臥床時は
体軸内回旋が乏しく
骨盤を動かすと下肢も体幹も一緒にゴロンと転がってしまいます。
運動麻痺があるわけでもないのに(運動麻痺があることも多々ありますが)
全身がガチガチに硬くなってしまっているのです。
そして、このガチガチの硬さに対応せずに
座位でのポジショニングしかしていない人がとても多いのです。。。

こんなにガチガチだと寝ても寝た気がしないと思いますし
おむつ交換も大変です。
臥床はしていても、臥床本来の目的である身体をゆっくり休めることができないのではないでしょうか。

こんなにガチガチに硬くなってしまうのには理由があって
1)ポジショニングをまったくされてこなかった
2)不適切なポジショニングをされてきた
どちらでも起こり得ます。

筋緊張緩和目的のポジショニングは
過剰な筋緊張をせずとも臥床できるように環境調整することが肝要です。

まず、個々人のキーポイントを見つけられるように観察します。

臨床上、最も多いのは、
骨盤の傾きや肩甲帯の不安定さを見落とされているケースです。
そこを対応するだけで身体柔軟性が発揮されるようになります。
また、下肢の伸展パターンに対しては
骨盤後傾と股関節の屈曲位を引き出すような設定をすると
伸展パターンの抑制が可能となることも多々ありますし
側臥位設定することで伸展パターンの抑制が可能となることもあります。

どうしたら良いか、途方に暮れてしまう、という人は
まず、全身のアライメントを観察してください。
ベッドの足元側から観察し、
次にベッドの右側から、左側からも観察してください。
観察が難しければ、許可を得た上で臥床時の姿勢を写真に撮り、
各関節がどうなっているのか、一つひとつ確認してください。

全身の一つひとつの関節の状態がどうなっているのかがわかり
筋緊張も把握できれば
どうしてそうなっているのかが自然と一本道のように浮かび上がってきます。
この繰り返しでアライメントを即座に観察することができるようになります。

どうポジショニングしたら良いかわからない
と言う人に限ってこの過程をすっ飛ばしていますが
「自分がわからない」という事実にきちんと向き合って
どうしたら自分自身でわかるようになるのかを考え対処しない限り
永遠にわからないままです。
だから、安易にハウツーに頼るしかなくなってしまうのです。
その方にとって、ハウツーが適切だったかどうかの確認もできなくなってしまうのです。

次に設定の基本を記載します。

側臥位の基本
1)肩甲帯と骨盤帯をクッションできちんとサポートする
2)下側の上下肢はきちんと引き出す
3)頭部のアライメントが適正に保持できているか、枕の高さを確認する

仰臥位の基本
1)骨盤の傾きの確認と対応
2)肩甲帯の安定性の確認と対応
3)股関節は過剰に(安静時の最大可動域以上に)外転・伸展させない
4)膝関節は過剰に(安静時の最大可動域以上に)伸展させない
5)下肢の重さを面できちんと支える
6)上記1)から5)が担保できていれば基本的には
  足部は挙上位設定(褥瘡予防のための設定)しなくても大丈夫です。
  そのかわり、足底全体がベッドに接地するように設定します。

   変形拘縮があるけれど褥瘡ができていない方に対して
   褥瘡予防という名のもとに
   変形拘縮を増悪させるようなポジショニングをしていると

   本当に褥瘡が発生してしまいます。
   そこだけを切り取って「やっぱり褥瘡予防が必要」と判断するのは本末転倒です。
   変形拘縮のある方に対しては
   筋緊張緩和を目的としたポジショニングをすべきです。
   問われるべきは、その適切さなのです。
   適切にポジショニングできれば、結果として褥瘡も発生しにくくなります。
   問題は筋緊張を緩和させるようなポジショニングを
   適切に設定できる人が少ないことなのです。   

そして、最も重要なのに、多くの人がしていないことは
ポジショニング設定後の確認です。

ポジショニングを設定したら
肘や膝を動かして、筋緊張が緩和していることを必ず確認してください。

適切に設定できていれば
設定直後から筋緊張は緩和しますから、その変化を実感できるはずです。
ガチガチだった膝を他動的に抵抗感なく左右に動かせるようになったり
体幹にピッタリくっついて動かせなかった腕を抵抗感なく体幹から離して動かせるようになります。
   
設定後に筋緊張の緩和がみられない、抵抗感を感じる場合は
設定が不適切であることの証左ですから
もう一度、全身のアライメントを確認し、設定し損ねている部分を見つけます。
設定を忘れているのか、過剰なのか、不十分なのか
見つけた部分を修正して、再設定すれば良いだけです。

臥床時に筋緊張緩和の変化を確認できれば
離床介助時の抵抗感の減少や車椅子座位時の姿勢の変化が目で見てはっきりとわかるようになります。
車椅子上で体幹が前傾して背もたれに寄りかかることができなかった方が
背もたれに身体をストンと預けて座れるようになります。
そうなればカットアウトテーブルも不要になります。
本来の上肢機能を発揮できるようになるので
適切なスプーンの選択・提供(ここがまた問題ですが)によって、
スムーズに食事を自力摂取できるようになってきます。

車椅子座位姿勢の問題は、座位だけで対処を考えるのではなくて
車椅子座位姿勢には、その方の困難も能力も反映されているので
本来の能力発揮を阻んでいる環境を変更することによって
本来の能力を発揮した状態で過ごせるようになる。
その環境調整の手段の一つが臥位でのポジショニングであり

臥位で能力が発揮できるようになった結果の現れが
車椅子座位姿勢の変化ということになります。

ポジショニングあるある:座位で頸部後屈

頸部後屈したまま、食事介助するのは危険です。
ここまでは、よく知られています。

ところが、じゃあどうしたら良いのか?ここは、あまり知られていません。
たいていの人は、後頭部にクッションを当てたり、頸部を中間位方向に動かします。
その結果、どうなったかというと、クッションを当てても頸部は後屈したままだし
他動的に頸部を中間位方向に動かしても「作用ー反作用の法則」でかえって後屈がひどくなってしまいます。

実は、下の図1のように、頭部を支えれば良いのです。

<図1>

支える場所は、通称「盆の窪」と呼ばれる場所です。
頭頂部に手を当ててそのまま後方へずっと手をさすりおろしていくとひっこんでいる場所があります。そこを支えるととても安定します。
試しに少し上や少し下に手を当ててみてください。
違和感を感じると思いますが、盆の窪では違和感を感じることはないと思います。

そこに手を当てるだけです。
この時点ではまだ頸部を前に向かって、前屈方向に(見た目としては中間位に)動かしてはいけません。

手を当ててしばらくすると頭の重さを軽く感じる瞬間があります。
軽く感じるということはつまり、頸部中間位方向への動きをご本人が行なえたということを意味します。
拘縮はあってもガチガチに固まっているわけではないのです。
頭の重さを支えつつ動かすことは大変でも重さを支えてもらえたので動かせるようになるのです。

<図2>

そこで、ご本人が動かせる範囲まで頭の重さを支えながら頸部中間位まで動かすと、またガチっと動かないことを感じます。
そうしたらそこで頭を支えたまま待つのです。
するとしばらくするとまた頭の重さを軽く感じるようになるので再び可能なところまで動かします。

   このエピソードは実はとても重要な意味を持っています。

  「修正するのではなく助けるという視点に立つことがポイント」なのです。
   どの職種も見た目の表面だけを見て、
   あるべき理想から差し引きマイナスで現状を捉えて
   理想に近づけるように修正しようとします。

   私が提案しているのは、
   現状という見た目から埋もれている能力を見出すということです。
   埋もれている能力を発揮しやすいように助けるということです。
   修正するか助けるか、外からは同じように見えるかもしれませんが、

   関与者の意図は真逆であり、この意図こそが対象者に伝わるのです。

話を元に戻します。
対象者の頭部の重さを支えながら食事介助をするのは大変なことです。
そんな時には支えている側の手で対象者の肩に触れることで腕の負担を軽くすることができます。(図3)

<図3>


そして忘れてはいけないことは、
座位で頸部後屈してしまうような方は臥床時の姿勢にも問題を抱えているということです。
たいていの人はどの職種であれ、
臥床時のポジショニングと座位時のポジショニングの関連性と
その意味を観察・洞察できていません。
本論のようなケースでは頸部後屈が改善できてよかったで終わりにしてしまいがちです。
そうではなくて、頸部後屈を引き起こすような身体の状態がある。
座位では頸部後屈という見た目で現れるが、
臥位ではどのように現れているのかを把握し対処すべきなのです。

図1〜3は「認知症のある方でも食べられるようになるスプーンテクニック」(日総研出版)より

と同時に
臥位でのポジショニングも見直します。



ポジショニングあるある:仰臥位で頸部前屈

高齢者施設での
現場あるあるのよくある誤解と適切な対応策についてご説明します。

臥床介助をすると
頭が持ち上がっていて枕につけることができない、頸部前屈してしまう
というケースによく遭遇します。

このような時にどのような対応がなされるかというと
そのひとつが
こんな風に頭を下に押すようにして
「頭を枕につけてくださいね」という方法です。
ところが、実際には頭を枕につけてくれるどころか
もっと頭を持ち上げられてしまって諦めた。。。という場面に遭遇したことのある人は多いはずです。
なぜなら表面的に頭を枕につけてもらおうとして頭を押すと
「作用ー反作用の法則」によって逆向きの力、頭を持ち上げようとする力が働くからです。

そこで、諦めた人が次にするのが、
下の図のように枕を高くしたり、枕の上にクッションを重ねたりして
持ち上がっている頭部に合わせた対応をしてしまうことです。

ここで、ちょっと思考実験をしていただきたいと思います。
もしよかったら、実際に体験していただくことをオススメします。

仰向けに寝ます。
頭を空中にもちあげるように、頭部挙上します。
そのままの姿勢を保ってみてください。

いかがですか?
腹筋がプルプルしてきませんか?
全身に余分な力が入ってしまっています。
そして、この状態が慢性的に続くと全身がより一層固くなってしまいます。
このような状態を放置されると
離床しても、「臥位で頭部挙上」と同じ状態つまり頸部前屈してしまいます。
そうすると食事介助も大変になってしまうんですよね。。。

じゃあ、どうしたら良いのか?
下の図のように
挙上している頭部に、介助者が枕を持って押し当てるようにします。

そして、枕を頭部に押し当てて少しだけ上に持ち上げるようにしてから
「頭を下げます」と声をかけ
ごく弱い力で少しだけ頭を下に向かって押しながら枕を持った手も下げていきます。
ここで、もしも頭を持ち上げてしまうようなら
下げるのはいったん止めて
「大丈夫ですよ」と言いながら枕をしっかりと頭部に押し当てます。
3秒くらいそのまま待ってから、もう一度
いったん頭部に押し当てた枕を手にしたままで少しだけ上に持ち上げた後で
軽く頭を下に向かって押してから枕を持った手も下げていくと
頭を枕につけて臥床することが可能となります。

つまり、一見、頸部前屈という拘縮を示しているように見えても
実は可動域制限ではなくて、筋緊張の問題、勝手に力が入ってしまっている問題
というケースの方が圧倒的に多いのです。

(もちろん、中には本当に頸部前屈位に拘縮してしまっているケースもあります。
 そんな時には、頭部とベッドの隙間を埋めるように枕を重ねる対応が適切となります。)

問題は臥床介助時に頭が持ち上がってしまうということは、常時、頸部前屈方向に力が入ってしまっているということです。
頸部前屈するように力が入り続けているから臥床させても同じ状態になってしまうのです。
そこで、そんなに力を入れなくても大丈夫なのだと伝える、どうしたら力を抜くことができるのかを伝えることが求められているのです。

ところが、見た目の頸部前屈を拘縮と誤認して
単に頭部と枕のスペースを埋めるようにクッションを当てているだけでは、
筋緊張を緩和させることができないどころか、
離床時に頸部前屈するように力を入れて座っているという不自然なあり方を増悪させてしまうことになりかねません。

そもそも、なぜ離床時にそんなに力を入れて座らざるを得ないのか、そこをきちんと評価・アセスメント・状態把握することが必要です。

よくあるのは、安楽に座れていないから頸部前屈するしかないので、
安楽に座れるように座位のポジショニングを見直すべきです。

まず股関節に着目します。
股関節の90度屈曲位を取ることが難しく臀部が前ズレしてしまうので、
滑り落ちないようにバランスを取ろうとして頸部前屈させているということが多々あります。

このようなケースでは
ティルト型車椅子を用いて、背部でも体重を支えられるようにすることで
臀部への負担を減らし、股関節を屈曲しやすい状態を作ることが可能となります。
また、クッションの前方の下に
タオルを巻いたものを滑り止めネットでくるんでから設置すると
前座高を少し上げることができますから前ズレしにくい状態を作ることができます。
この時のクッションは、少し柔らかめの素材を選ぶと
沈み込みが生じて股関節の屈曲を促しやすくなります。

  私が推奨するのは_ジェルトロン_で、いろいろな商品があります。
  デモ機器として2週間ほどのお試し使用も可能ですし
  在宅生活している方向けに、福祉用具としてレンタルも可能な商品もありますので
  ぜひ一度ご検討いただきたいと思います。
  褥瘡予防効果も高く、尿便失禁しても丸洗いできるのでとても使い勝手が良い商品です。

前ズレしなくなれば、
頭部の余分な前屈をしなくて済むようになり、
結果として臥床介助時に頭部挙上することが見られなくなるのです。

同時に臥床時のポジショニングももう一度見直します。
頭部挙上せずに寝られるようになったのですから、その状態で全身のアライメントを確認します。

ポイントは2つ

1つは
骨盤が傾いていないかどうか

2つ目は
股関節の屈曲を引き出せるかどうか
です。

仰臥位で股関節屈曲位が難しい場合は、側臥位を設定します。
そのほうが下肢の筋緊張が緩和しやすいからです。
設定後には下肢を他動的に動かして
筋緊張が緩和していることを確認します。
もし、力が抜けずに下肢を動かしづらいのであれば、
設定のどこかに無理がある証拠ですから、もう一度設定し直しましょう。

介助とは何か?

そもそも、介助とは何か
食事介助を例にとって説明します。

食事介助とは
食べさせてあげることでも、口の中に入れてあげることでもなく
目の前にいる方が食べることを援助することです。

「食べる」という行為には
その方の能力も障害も特性も反映されています。
一見障害に見える能力の不合理な発揮である代償も反映されています。

「食べる」という行為は
ある任意の環境に対する働きかけです。
その環境には、
そこがどのような場所なのか
どのような姿勢にあるのか
どのような食具(箸、スプーン、食器)で
どのような形態(常食、刻み食、ソフト食、ゼリー食)で
どのような介助方法で
どのような言葉かけで
どのような口調や態度で
提供されているのかということが含まれています。

「食べる」ことは上記環境への働きかけなので
環境が変われば発揮される能力も変わりますから
 成長とは、能力が高いとは、どのような環境でも対応できる能力があるということ
 逆に言えば、能力低下とは限定した環境でなら発揮できる能力があるということなので
 その限定した環境を見出せるかどうかが問われるということでもあります。
目の前にいる方の「食べる」ことを援助しようとすれば
その方の能力と障害と特性を把握するということは
任意の環境も明確に把握するということを意味しています。
「〇〇という環境でこの方はこんな風に食べることができる」という風に。

   だからこそ、目標を目標として設定できる
   良い目標(行動、条件、基準)を設定できる意味があるのですが
   目標設定の能力と臨床能力の相関性について認識している人は本当に少ないのです。。。

ところが、現実には
上の歯でこそげ落とすようなスプーン操作をしているのに
自身の操作がどうよくないのか認識できず修正もできないので
問題を相互関係の中にあると認識できずに
一方的に認知症のある方だけの問題として認識してしまう。。。
食環境を明確に把握しないままに
結果として起こっている目にみえる困難(代償を困難と誤認する)だけを切り取って
問題として設定し、どうしたらよいかと考える。。。という職員の行動パターンもよくあります。

代表的なものは、すすり食べです。
「すすって食べるのは誤嚥の恐れがるから、すすらないように食べてもらうにはどうしたらよいか?」という風に問題として設定し、どうしたらよいか検討会を開いたりします。

多くの場合に、すすり食べをするのは
うまく上唇で食塊をとりこめない、その代償として、頑張って食べようとしてすするのです。
うまく上唇で食塊をとりこめないのは
往々にして職員が上の歯でこそげ落とすような介助方法をしているというケースが多々あります。
上唇を丸めて取り込めるようになれば
代償としてのすすり食べをする必要がなくなるので
結果として、すすり食べが見られなくなる、改善されるのです。
だとしたら、まず為すべきは、職員の側がきちんとしたスプーン操作で提供できるようになることです。


ところが、現実にはご説明したように
結果として起こっている代償を含めた障害について問題として設定してしまい
その他諸々の把握しておくべき事柄について適切な把握が為されず
障害をきたしている環境因子の明確化という過程をすっ飛ばしてしまいがちです。
すすらないで食べて欲しいという善意での関与であっても
結果として、すすり食べをなくすことができない、
その時に、自らの関与の不適切さを疑うことなく
認知症が重度だから仕方ない。。。となってしまうのです。
そして、このような在り方は、食事介助に限ったことではなく
認知症のある方のBPSDや生活障害についても起こっていることです。

なぜ、そのような思考過程で対応してしまうのか、
その理由は下記のことを知らない、教えてもらっていないからだと思います。
・人は誰でも生きている限り、現行の環境において能力発揮しながら生きている
・人は誰でも環境適応しようとして生きている
・「異常な環境には異常な反応が正常だ」(クリスティーン・ブライデンの言葉)
・能力は状況と程度によって発揮される
・認知症のある方の目に見える困りごとは能力の不合理な発揮であることが多い

   新しい認知症観として
「認知症があってもできることはある」
と提示されていて、確かにそうだと思いますが、一方で
単に、Canのレベルで「できない→できる」という見方はあまりに表層的だとも思います。
なぜなら、疾患の定義上、認知症という状態像は慢性・進行性に低下していくので
今できていることでも、いつかはできなくなる時を迎えるからです。
「認知症でもできることがある」として為されている事業で
ある程度の年月が経ったところでは「以前にできていたことができなくなった」「ここでは難しくなってきた」というケースに遭遇しているはずなんです。
「できなくなったらダメなのか?」と問い返されている事態に直面しているはずなんです。
  
その答えを私は提示しています。
たくさんの認知症のある方から教えてもらってきたことです。
一見不合理に見える言動は能力の不合理な発揮でもあると。
より合理的に能力を発揮できるように環境調整が必須なのだと。
そのために、環境を明確に把握することと認知症のある方の能力も障害も特性も把握するのだと。

的確に把握できるためには、知識が必要で、知識をもとにした観察・洞察が必須なのだと。

  また、身体はつながっています。
  解剖学的にも生理学的にも連続性があります。
  私の父が胃の摘出手術を受けるにあたって主治医から
  「胃を摘出しても下部食道が胃の代わりをするし、十二指腸が胃液の働きもする」
  と説明を受けた時に、人体の凄さを感じいったものです。

どのような食塊の取り込み方をするのかが
その後の咀嚼・送り込みに影響を与えないはずがありません。
事実、スプーン操作を変えることで
ガチガチだった舌が柔らかさを取り戻し、送り込みも円滑になり、喉頭が完全挙上できるようになったケースを多数経験しています。
でも、多くの人は、喉頭の不完全居城を見て「老化による喉の筋力の低下」と判断しているのです。。。

「食べる」ことが環境への働きかけであるならば
「食べる」ことに関係している身体の個々の器官も協調しあい連携しあって機能しているはずです。
身体はつながっているのですから
個々の器官が相互に影響を与え合っている、その影響をより合理的なものになるように
援助するのであって
個々の器官の影響、関係性に対して
侵害的な働きかけをしてしまってはいけないのだと感じています。

身体は外的環境に対しても内的環境に対しても適応しようとしている

だから、
その場の、環境との相互作用や身体の個々の器官との相互作用に
目には見えないものだけれど、発しているサインに鋭敏になろうとすれば
感受することができる。。。
感受した事柄の適正さを確認し続ける。。。
そのような過程の必要性を切実に実感しています。

  

   


第8回DCゼミ「臨床に役立つ認知症の基礎知識」


2025年9月27日(土)19:00~20:30に
小田原市民交流センターumeco第7会議室において
第8回DCゼミ主催勉強会「臨床で役立つ認知症の知識」を開催します。

認知症の普及啓発は進んでいると思いますが
一方で、いまだに
HDS-Rは9点なのに「お話ができるから認知症じゃない」
HDS-Rは5点なのに「リハ時に支障がないから認知症は問題なし」のように
「お話ができるからしっかりした人」
「自分には支障がないから認知機能OK」
など、とんでもない判断が為されているケースはまだまだあるのです。

   このような判断ができてしまう本質的な問題は非常に根深く
   対象者Aさんの状態が職員Bとの関係性の中では、Cという現れをしている
   という評価ではなくて
   職員Bとの関係性においてCという現れが対象者Aさんの状態
   という評価になってしまっているのです。
     (このような臨床態度は評価の本質が認識できていないということを示していますので
      認知症のことがわからないだけでなく、他の面でも問題があることをも示唆します)

   このような判断ができるということは、医学的知識の乏しさを示唆するものです。
   だからこそ、「お話ができる」ということのみを判断基準にできるわけです。
   つまり、裏を返せばこのような判断をする職員は
  「認知症=お話ができない」と思っているということです。。。
   その場の会話がきちんと成立しても忘れてしまう方はたくさんいます。。。
   上述したように、HDS-Rがこれだけ低ければ当然近時記憶障害も著明に低下しているので
   安全な環境調整をし損ねることによって転倒や異食など
   生活上のリスク管理が後手に回る恐れがあります。。。
   いやー、このご時世でこれですか?と思いましたが、現実を否定しても始まりません。。。
   だからこそ、きちんとした医学的知識を提供し、生活障害との関連性と対応の考え方を
   きちんと提供しなければ。と思いを新たにした次第です。

これらは職種を問わず、PTやOTでも看護師や介護職でも
認知症の普及啓発がこれだけ進んでいるこのご時世で
今もなお本当に起こっていることです。。。
その場の会話が成り立つのは確かに能力の発揮ではあるけれど
だからといって認知機能が低下していないとは限らないと
30年前から私は指摘してきましたが。。。いやはや、なんともかんとも。。。

臨床的に圧倒的に多い、BPSDのないアルツハイマー型認知症を見落とさないように
そして、認知機能は記憶障害だけではないので
生活障害を起こしやすい記憶障害以外の認知機能について評価できるように
臨床での現れ方→知識→対応という流れで、
実践と結びつけた知識の活用についてご説明いたします。

BPSDがないと、職員の側に実害がないので
認知機能低下による生活障害への対応が後手に回りやすいという現状があります。
そして、そのことを職員が自覚できていないということがより問題を把握しにくくしています。
BPSDがあってもなくても、
認知症のある方の困難と能力と特性を適切に把握できる人が一人でも多くなりますように。
その願いを抱いての勉強会開催です。

お申込はこちらから。
https://forms.gle/sPMXdHvyMj7bQiRz6
ご参加お待ちしております。

考えるのではなく教えてもらう


かつて
評価に際し
「あぁも考えられるし、こうも考えられる」と言ったOTが結構いましたが
その言葉に反映されている臨床姿勢は、評価とは真逆のものです。
「これは違う、あれも違う」と確実に除外できるものは除外していくことから始めるべきです。

また
知識のない人に限って
「いろいろなことを考えなくちゃいけない」と言ったりしますが
「下手な考え休むに似たり」
知識がない人が考えて逆効果になることは山ほどあります。
また、対象者のことを勝手にこちらが考えて良いものではありません。
こちらが考えるのではなく
相手に教えてもらうことが大切です。
ただし、
相手、認知症のある方は、今自身に起こっていることを説明してくれることはありませんし
どうしたら楽になるか、食べやすくなるか、座りやすくなるか、歩きやすくなるかを
言ってくれることもありません。

でも、
言葉にしてくれなかったとしても
身体は雄弁に物語っています。
身体の動き、行動というもう一つの言葉で明確に伝えてくれています。

私たちがすべきことは
身体の動き、行動という、もう一つの言葉にきちんと耳を傾けることです。
耳を傾けることができるようになるためには知識が必要です。
知識の多寡によって現実の見え方はまったく異なってきます。

杜撰な対応をしている人は
大雑把にしか現実を見ていないから
その人にしてみたら、その人が見えるレベルにおいてはちゃんと対応しているわけです。
表面的に杜撰な行動を修正するように指導しても有効ではありません。
対象者の困惑や能力を見落とし能力低下している部分しか見えていないから、杜撰な対応ができるのです。
見落としている部分があることを現実的に具体的に示すことで
見落としの自覚を促すような指導が必要です。
(最初はものすごい抵抗を示されることを覚悟していた方が良いです。
 的確な指導ほど強い抵抗が返ってきます。
 まぁ、これは指導者の職務ですから、そのような役割でなければそんなことは回避して
 上には上がいるのだと、自身の能力向上に時間とエネルギーを注いだほうが絶対良いです。)

知識があるから目の前で起こっていることを見落とさずに観察できる
行動というもう一つの言葉に耳を傾けることができ
何が起こっているのかを洞察することができる
そして、一本道のように浮かび上がってくる「どうしたら良いのか」をつかむことができる
あとは、つかんだ「どうしたら良いのか」を具現化する技術がありさえすれば
ピンポイントで対象者の困りごとを解消し、
埋もれていた能力をより合理的に発揮する援助が可能となります。

就職した場所がどんな場所であっても
学ぶことは可能です。
たったひとり、自分だけでも、可能です。
周りは関係ありません。
選択するのは、自分です。

自分が知らない、わからない、できないことと
対象者の能力が限定していることを混同しているセラピストは少なくありません。
そんな風になりたくないと願っている人は
OJT、その時々でわからないことに出会った時に調べることから始めましょう。
そして今すぐにでも、目標を目標というカタチで設定することから始めましょう。

え?と思うかもしれませんが
目標設定の能力は臨床姿勢と密接に関連しています。
対象者の目標を目標というカタチで設定できるからこそ
方法論を現実的に検討することができるようになります。
ケースごとに概念を明確化していく過程を吟味することになるので
表面的な作業としては目標設定をしているのですが
同時にメタ認識として概念の明確化のトレーニングを蓄積していくことになるのです。

目標を目標というカタチで設定できさえすれば
必ずや的確な目標、目標の内容の質の担保が可能となります。
目標を方針や目的や治療内容と混同していれば
いつまで経っても的確な目標、目標としての質の担保には決して辿り着けないのです。
そして、臨床場面でも事実を事実として観察することができないままなのです。

はっきり言って
目標を目標として設定できていない人で優秀な人に会った試しがありません。
いくら地位があったとしても、いくら名前が知れ渡っている人でも臨床能力に秀でていない人は山ほどいます。
自身の目標設定に疑問を抱いたり自信のなさを自覚できていない人の実践はいい加減なものです。
逆に
地位も名声もない人でも、本当に優秀な人だってちゃんといるのです。
優秀な人は、仮に目標を目標として設定できていなかったとしても
目標設定の難しさを自覚しているものです。
目標設定なんてカンタン!って言ってる人に限って
「目標とは何ぞや?」と尋ねられる時に答えられないものです。

目標は内容ではなく、まずは形、記述の仕方が重要なのです。

このことは、教育工学の第一人者の沼野一男氏が
「情報化社会と教師の仕事」という本のp.55で
「何を目標にしなければならないかということではなく、教授目標の記述の仕方を問題にする。」
と記載しています。
この本は1986年が初版ですから、
既に40年以上前に教育分野で言われていること、達成してきたことに
リハやケアの世界では、まだまだ全然追いつけていないことを示しています。

目標設定の問題については、重要なことなので
また別の記事で書いていきますが
目標とは何か、良い目標を設定できるようになるための練習方法など
このサイトで既に記載していることもありますので
興味のある方は _こちら_をご参照ください。

ちょっと話がズレてしまいましたが
セラピストの能力はいろいろなことが関連しています。
だから、なんでもいいから、何か一つ、とことん向き合うことができさえすれば
それは、自身の成長に向けてのブレークスルーの道を開くことになります。

ところが、忙しい臨床を抱えて、とことん向き合うというのは
なかなかできるものではありません。
下手をすると、あまりの辛さに無自覚のうちに安易なハウツーものに流されてしまうこともあるでしょう。
安易なハウツーに流されず、臨床上に直接的にも間接的にも有益なものが目標設定だと考えています。
目標設定でメタ認識をトレーニングすることで
臨床観察の眼を自分一人でも涵養することが叶うのだと感じています。

行動というもう一つの言葉を
ありのままに聴けるように

科学的な観察ができるように

観察が非科学的なのではなく
非科学的な観察しかできないことが問題なのです。

立ち上がり誤学習からの卒業:下部体幹の再学習を


現場あるあるなのが
立ち上がりの際に、身体を前傾して足に力を入れて踏ん張って
という指導です。
足底に力を入れて踏ん張り、床半力を利用するという方法です。

ところが、現実にはこれでは立ち上がれないんです。

なぜなら
どんなに身体を深く前傾しても
重心の位置は上写真の黄色い線よりも後方にあります。
足底に力を入れて踏ん張るほど床半力は真上に働くので
立ち上がりたくても重心の位置が後方にあるので立ち上がれない。
無理やり立ちあがろうとすると真後ろにのけぞるようにしてしか立ち上がれません。
そこで、のけぞるようにした立ち上がり方を誤学習してしまうか
腰背部を過剰に収縮させて臀部を持ち上げる立ち上がり方を誤学習してしまうかの
いずれかとなります。

その場では立ち上がれたように見えて
離臀の仕方に無理があるので
その時は良くても長続きしません。
遅かれ早かれ腰を痛めてしまいます。
あるいは、股関節の屈曲拘縮を起こしてしまいます。
  
移乗動作を介助するときに
腰部の過剰収縮によって離臀させ
股関節屈曲位のまま、つまり腰部を過剰収縮させたままで移乗させているから
移乗動作をするたびに、股関節を屈曲させた状態で力をいれる誤学習もさせられるので
余分な屈曲拘縮を作ってしまうのではないかと考えています。

生活期にある方で
なぜこんなにも股関節の屈曲拘縮を起こす方が多いのか。。。
疑問に感じたことはありませんか?

善かれと思って逆効果になることをしているかもしれない
だとしたら、逆効果にならない方法を試してみないといけないのではないでしょうか?

じゃあ、どうしたら良いのか

私が提案しているのは
1)慣性の法則を使って離臀させる
  この時に下部体幹と骨盤が分離した状態でしっかり伸展する働きを経験させる
2)座る練習で重心の移動方向を正しく再学習させる
というものです。

認知症があってもなくても
生活期の方で移乗動作の介助量がどんどん増えていく
という現実に遭遇している人は多いはずなんです。
なぜ、ちゃんと介助しているのにどんどん悪くなるのか疑問を抱いたことはありませんか?

ちゃんと介助していたのなら
良くなるか、現状維持できるはずなんです。
もしも、現状維持ができないとしたら
どこかやり方がまずいはずなんです。

科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問です。

リハやケアの分野では
常識とされていることでも、よくよく理屈で考えるととてもおかしな方法論が罷り通っています。
新しい、科学的なリハやケアを目指して、今一度目の前に起こっていることを見つめ直してみませんか?

私が提案している方法論で
立ち上がりができなかった方でもできるようになった方はたくさんいます。
重度の認知症のある方でも改善しました。
座る時に使う筋肉は、立ち上がりの時に使う筋肉と同じで働く向きが逆方向なだけです。
静かにそっと座ることができるということは、正しい重心の移動方向を再現できているということを意味します。
重心の移動方向の再学習が目的なので、
再学習が定着するまでは無理に自立させるのではなく
むしろちゃんと介助した方が良いのです。
単なる介助ではなく、対象者の重心の移動方向を再学習できるような適切な介助が求められます。
再学習できていないのに、頑張らせてはいけないのです。

関連記事をこちらのサイトでも記載していますので
もしよければご参照ください。

「理屈で考える:立ち上がりは前傾して踏ん張る」
「立ち上がり時に下肢屈曲位の人の背部の筋を触ってみて!」
「立ち上がりではなく座る練習を」
「立ち上がり」
「答えは目の前の事実にある」

≠下肢の筋力低下,=体幹の使い方の問題


以前は、つかまり立ちができていたのに
だんだんと、つかまり立ちができなくなってきた方に対して
ちゃんと評価しているでしょうか?
案外「下肢の筋力低下」と思い込んでいる人は多いものです。
 
実際に立ち上がり方を評価すれば
下肢の筋力はMMTで4はある。
でも、体幹と骨盤が分離した動きができないために
立ち上がる時に重心が後方へ変位してしまう方もいます。
そうすると本人も介助者も大変ですし
立位での抗重力伸展活動が行いにくくなってしまい
下部体幹から崩れてしまいます。
下肢の筋力低下のように膝から崩れるのではなく
下部体幹から崩れて次に膝が崩れていくのです。
結果だけを見て、下肢の筋力低下というのは事実とは異なります。

このようなケースは
生活期において、とても多いのに
あまり気が付かれずに見過ごされている現状があります。

立ち上がれない、立位保持が困難 → 下肢の筋力低下 → 筋力強化
というふうに、評価もせずにパターンだけ当てはめる人は少なくありませんが
評価していないので、的外れの見立ての元に行った対応になっていますから、当然結果も出ません。

本当であれば、そこで自身の見立ての適否について心配になって確認しても良さそうですが
多くの人はなぜか、評価もしていないのに自身の見立てには自信を持っていて
見直しをしようとしないんですよね。。。

下部体幹の使い方の再学習をすると
ちゃんと軽介助で立ち上がれるようになり、立位保持も可能となります。

骨盤と体幹を分離させた状態で体幹の伸展ができることが重要です。
そして、この体幹の働きは
立ち上がりや立位保持だけでなく移乗動作や座位姿勢、臥位姿勢にも関連しています。

今までのリハやケアの常識に縛られることなく
まず、今、目の前で起こっていることをありのままに観察することから始めましょう!