4月10日発売予定!「認知症のある方の能力を活かす 事例から読み解く対応の工夫」


三輪書店さんのHPでいよいよ告知されました!
https://shop.miwapubl.com/products/detail/2919

「認知症のある方の能力を活かす 事例から読み解く対応の工夫」が
4月10日発売予定とのことです (^^)/

目次をご覧いただければ
ありそうでなかった盛りだくさんの項目が並んでいることがおわかりいただけると思います。

基本的な構成としては
事例の言動を提示して、そこに反映されている症状や障害を読み解き
対応の工夫の考え方と具体例を説明するという構成になっています。

たぶん
専門的知識のある人でもそうでない人にとっても
どの職種の人にとっても
きっと読みやすくてわかりやすくて腑に落ちる内容になっていると自負しています。


ぜひ、お手に取ってご確認くださいm(_ _)m

足こぎ車いすの工夫

車いすを足でこいで移動する方の中には
浅く座ってしまい足こぎすると前方へ転落しそうになってしまうとか
足が疲れて前に踏み出せないというケースもあるかと思います。

そんな時に考えた工夫がこちらです。

車いすの足元に伸縮性のあるベルトをつけて
マジックテープで足を傷つけないようにフェルトで覆いました。


膝が過剰に屈曲するのを防ぐこともできますし
素材として伸縮性のあるベルトを使っているので
前に踏み出す動作を助けてもらえます。

こちらの場合、上の伸縮ベルトを2本くっつけたのを2組使用しています。
フェルトも100円ショップで購入しました。

ポイントは、伸縮性のある素材を使用したことです。

脱:ハウツーのススメ「PDCAを回す」

認知症のある方への対応でも
食事場面への工夫でも
身体的なリハでも
単にハウツーを当てはめてるだけの人って案外多いものです。

もうひとつ
そういう人たちの思考傾向として
PDCAを回さない。ということが挙げられます。
確認をしない。ということが挙げられます。


「座位で傾いてしまう方には座面を整える」
「食事が自力摂取できない方にはカットアウトテーブルに両肘をつかせる」
「かきこみ食べをする方には食器を小分けにして小さなスプーンで提供する」
「認知症のある方は帰宅要求をしなければ良しとする」
「生活期の方のポジショニングで過剰に膝を伸展させたり股関節を外転させる」
「帰宅要求があったら高齢女性ならタオルたたみをしてもらう」

実際に私が遭遇したハウツー展開の一端です。

そして、実際には上記のようなハウツーを展開しても良い結果にはなっていないのに
CHECKをせずに、
漫然とその対応が続けられてしまい
逆効果が誰の目にも明らかとなった頃にようやく「問題視」され
あるいは「状態への興味関心」を失われ放置される。。。

自身が困ることを回避しているだけです。
そして、困ることすらできない人になっていくだけです。

ピンチはチャンス

困ることによって
今まで自身が見落としていた事象に気がつくことができるようになったり
自身が知らなかった知識に触れることができるようになったりします。

一部のOTの中で「理論が大事」と喧伝している人もいますが
私は「理論よりも結果を出すことが大事」だと常々感じています。
現に、ある理論を推奨している人が
推奨する理論紹介の後で重度の認知症の事例紹介という2段構成の話をした時に
事例に対して推奨してる理論を使っていなかったし。
(推奨するなら理論を使った対応をすればいいじゃん?)
全然重度の認知症じゃなかったし。ということもありました。

自身が困らないように
自身が困る「事実」に対して見て見ぬふりをしたり
「事実」を歪めたりする。

リハビリテーションスタッフというのは
対象者の方の行動変容を援助する職種ですが
自身の行動変容を拒否している人がどうやって
心身ともに苦悩している方の行動変容を促すことができるというのでしょう?

だから
行動変容を援助する のではなくて 行動変化したように「させる」 のではないでしょうか?
歩くことの援助 ではなくて 歩かせる
食べることの援助 ではなくて 食べさせる
帰宅要求という言動に反映されている困りごとの援助 ではなくて 帰宅要求しないようにさせる

刷り込まれた思考形態というのは強固なものです。
学校で、実習で、就職先で
ハウツーの当てはめが横行していれば染まってしまいかねません。
学校や実習や就職先だけでなく
研修会に参加して知識や技術を学ぼうとする時にも
私たちは教える側が伝える表面的な知識や技術だけではなく
教える側のメタ認識、ありよう、と言った無意識レベルの視点や思考回路まで受け取ってしまいます。
最近は猫も杓子も、と言ったら言い過ぎかもしれませんが
こんな内容で講師ができるんだ!というような人も少なくありませんし
間違った内容を伝えている人だっています。
講師だから正しい、というわけではないので
その人が何を言っているのか、ということをきちんと聞き分けられる耳を持つ必要があります。
承認欲求を満たすために教えたがる人もいますから要注意です。

今、モヤモヤした違和感を抱いている人は、
まず、事実確認、PDCAのCHECKを意識するようにしてほしいと思います。
「そうすべきと教えられたことをしても良くなっていない」
という事実にきちんと向き合い
きちんと困ることができる対人援助職になりましょう。
そこがスタートラインです。

そして
どんなに遠い道のりのように見えたとしても
対象者にとって悪いことはしない
と心がけるようにしましょう。

すべてはそこから始まります。
辛い日々も増えるかもしれませんが
こちらのサイトが参考になるはずです。
来月になれば 本 も刊行されます。
読んでいただければ、「そうだったのか」「そう考えたら良いのか」
というヒントがたくさんあります!

まさしく、まさしく、この通りなんです!


「悪いことはしないように」


自分にとって当たり前になってしまった言葉(考え方や臨床姿勢)って
忘れてしまったりするものですけれど
DCゼミの勉強会で
かつて私が「悪いことはしないように」って言っていたことをずっと心に留めて実践してくれている
ということを聞いてすごく嬉しくなりました。

自分が対象者の方に対して
良いことをしよう、とするのではなくて
悪いことはしない、ように向き合う。

それが
ポジショニングでも食事介助でも
Activityでも身体的なリハでも
BPSDへの対応でもなんでも。

確かに一時期よく言っていました。

当時はたぶん老健で働いていて
内科的な状態に指示をもらえる医師がいなくて
認知機能が低下している方はたくさんいるし
どの程度運動負荷をかけることが適正なのか
本当に怖かったことを覚えています。

ないものねだりをするわけにはいかないし
かといって、何もしないわけにはいかないから
絶対安全な範囲をバイタル測定しながら
歩容や表情を確認しながら関与していたことを覚えています。

認知症のある方への対応も
今ほど自分の中で明確化できていなかったから
本当に困っていました。
何をどう考えて対応したら良いのか
まったくわかりませんでした。
だから、自己検証するしかなかった。

「良いことをしよう」という意識は
善意であることは疑いませんが
「地獄への道のりは善意で敷き詰められている」
「地獄には善意が満ちているが、天国には善行が満ちている」
というヨーロッパの諺の通り
独善に陥ったり、自身のスローガンの実践にとどまったり
PDCAを回すことを怠ったりしがちです。
 
一方で
「悪いことをしないように」という意識は
対象者本意の視点から始まります。
対象者にとっての悪いことというのは対象者一人一人によって異なるからです。
こちらの独りよがりや強制を予防することができます。

いろいろな人の実践を見聞きし
いろいろな経験を積むにつれ
「悪いことはしない」ように心がける実践から始めることができて
本当に良かったと思う今日この頃ですが
当時は、その意味が今ほどはわかっていなかったと思うのです。
出発点を間違えずに本当に良かった、ラッキーだったと思っています。
その選択をしたのは紛れもなく私自身ではありますが
何かの出会いのタイミングのちょっとしたズレの蓄積で
そのような選択ができなかった可能性だってあったかもしれず
そう思うと怖さで身震いするほどです。

いろいろなところで言っていますが
スティーブ・ジョブズの「意図こそが重要」という言葉は真実です。
認知症のある方への対応についても言えることです。

認知症のある方へどう対応したら良いのかわからない
と困っている人は、困ることができる人でもあります。
困ることすらできない人になってはいけない。
ピンチはチャンス。
今までとは違う実践、認知症のある方に対して悪いことはしないように
心がける実践に切り替えるチャンスです。


OTジャーナル「あなたにとって作業療法とは何ですか?」掲載されました


OTジャーナル60巻3号 に
「あなたにとって作業療法とは何ですか?」第135回に掲載されました。

私が実践を通して実感している言葉を書きました。

「医学と暮らしの橋渡し」

多くの人が唱えていても納得できないものは納得できません。
私がそうであるように
私の言葉も他の誰かにとっては理解できないものかもしれません。
けれど言葉は残ります。
この先、100年後に残っているのはどんな言葉なのか。
どんな実践なのか。

私は私の職業人生を賭けて
できることはしたと思えます。
 
本質は美しい。
論理的整合性があります。

その一端に触れることができただけでも幸せです。

「認知症のある方の能力を活かす」刊行決定!


ここ数年、なんだかんだと苦闘していた、
認知症のある方への対応の工夫についての本
「認知症のある方の能力を活かす 事例から読み解く対応の工夫」が
4月中旬〜下旬頃に_三輪書店_さんから刊行される予定となりました!

かつて、本当に困っていた若き日の自分が
あったらいいなと思う内容をまとめてあります。

メインの読者としては
私は作業療法士として仕事をしていますので
やはり、作業療法士の人には読んでほしいなと思いますが
作業療法士でなくても、理学療法士や言語聴覚士の人
ケアマネージャーや介護職の人や看護師や相談業務に従事している人
もちろんご家族の方にもきっとお役に立てるんじゃないかなと思います。

国は「新しい認知症観を」と普及啓発事業を進めています。
確かに、認知症だから何もできないわけじゃないし
認知症になってもできることはたくさんあるけれど
私はさらにもう一歩推し進めて
たとえできなくなったり困ったりしたとしても
その中にも「できる」要素があるのだと
困りごとの中にこそ改善・解決のヒントがあるのだと
だからこそ、対応の工夫・声掛けなどの人的環境も含めた環境調整の意義があるのだと伝えたい。

個々の実践の集積はあったとしても
理念の具現化とは違う側面で為されていることもあったり
理念と個々の実践を結びつける考え方は示されていないことが多いのが実情ではないでしょうか。

事実に向き合い、事実から学ぶ
わからないこと、できないことを受け入れつつも諦めないで向き合い続ける

当たり前の臨床姿勢こそ、常に在り続けることは難しいものですが
その大切さを日々実感しています。

この本の表紙の画像を見せていただいた時に
「これこそ私が願っていた本だ!」と感じました。
私がよく引き合いに出す言葉に
スティーブ・ジョブズの
「人は形にして見せてもらうまで何がほしいのかわからないものだ」
という言葉がありますが、まさしくその言葉を体験した瞬間でした。
暖かくて優しい雰囲気で
多様性を感じさせつつ、
混沌とした現実の中に能力があり、能力が合理的に発揮されるイメージ
バトンの受け渡しのイラストからも私の必死さが滲み出ているようで大好きです。

私の作業療法士としての集大成がこの本であり
認知症のある方とご家族の困難が少しでも少なくなるように
そのために対人援助職の人たちに本当に必要な内容が詰まっていると自負しています。
これから先の未来に若い人たちの手によってその内容を再構築してもらえるようにと願っています。

本という形になって結実したのは
私の意図を表紙に具現化してくださったデザイナーの方や
的確な文章表現のためにご尽力くださった校正担当の方
そして何よりもいつも丁寧に明確に橋渡しをしてくださった編集室のMさんとTさんのおかげです。
心から感謝申し上げます。

若き日の自分は本当に何もわかっていませんでした。
今だって学ぶべきことは多々あるし
わかっていないことやできないことがどれだけあるのだろうか見当もつきません。
そんな中でも明確にできた部分もあると思います。
それは、今まで私が出会ってきたたくさんの認知症のある方のおかげです。
深く感謝申し上げます。

発売開始まで、今しばらくお待ちください。



「変化に弱い?こだわりがある?」


認知症のある方の中には
「変化に弱い」「こだわりが強い」
という理由で、こちらの提案を受け入れていただけないケースもあると思います。

転倒・転落予防策を実行したいと思っても
「でも変化に弱いから」
「こだわりがあるから環境を変えることを了承してもらえない」
という意見が出て結局有効な手立てが打てないこともあるのではないでしょうか。

でも、本当に?

「変化に弱い」「こだわりが強い」方も確かにいるでしょう。
ただし、そう言われている方の中に
何を提案されたのか、理解できなくて「嫌」「そんなことしなくていい」と
言っている方も確実に含まれていることはお伝えしたいと思います。

たいていの人は
言葉だけで提案しようとします。
提案する職員は、イメージを持って言葉で伝えているのですが
認知症があると、その言葉が意味しているイメージを抱けない
ということもよくあります。

再生と再認を説明する時によく事例として紹介していますが
「あなたの好きな岡晴夫の歌を聴くために、リハビリ室に行きましょう」
と声をかけると「嫌よ、私、そんなところに行かないわ」と拒否されますが
リハビリ室までご案内すると「あぁ、ここね、ここなら昨日来たわ」と言って
ノリノリで岡晴夫の歌を視聴され口ずさんだりします。
この場合は、聴覚情報(リハビリ室という言葉)では
実際のリハビリ室をイメージすることができないけれど
リハビリ室のドアを開けて実際の場所を見るという視覚情報によって
昨日来たことがある、という体験を思い出せるということを意味しています。
「嫌よ」と言って拒否したけれど
岡晴夫の歌を聞くのが嫌だったのではなく
よくわからない場所に連れて行かれるのが嫌だったということなのです。
ところが、職員は、リハビリ室という言葉から実際のリハビリ室をイメージすることが
当然のようにできるので、認知症のある方がイメージできないということを推測できにくく
配慮ができない、あるいは、「岡晴夫が好きって言ってたけど私が聞いたら嫌がったわよ」
と事実誤認をしてしまったりするのです。

また、今使っているスプーン以外に変更することをすごく嫌がる
と言われている場合もありますが
「そのスプーンだと使いにくそうだから、スプーンを変えても良い?」
と言われても、どんなスプーンになるのか想像もできなければ
躊躇したり拒否しても当然だと思います。
ましてや、今までにスプーンのために食べたくてもうまく食べられない経験をしてきたとしたら
余計にそうなると思います。

ポイントは
理解しやすいように、声かけの内容を「見える化」する
ところにあります。

先のスプーンの場合だと
実際に変更したいスプーンの実物を見ていただく
その時に
「お試しで1回だけ使ってみて」
「使いにくかったら今まで通りの元のスプーンに戻すから」
という言葉も添えるようにしています。

   ただ、この場合も気をつけないといけないケースもあって
   神経症的な傾向のある認知症の方の場合に
   明らかに食べこぼしが減って操作も楽になっているのに
   「使いにくい」と言明する人もいたりします。
   そういう時には、「食べこぼしが〇〇くらいだったのが、△△になった」という
   事実を明確に伝えるか
   変更の前後でビデオを撮って見比べてもらったりしてから説明したりします。

どんなに優しく親切に丁寧に説明しても
説明手段が言葉である限り、認知症のある方は実は理解できていないこともある。
「言葉」を下支えしている「イメージ」の共有ができていないことを
職員が気がつかないこともあるのです。
(が、職員は自身が良かれと思ってやっていることなので方法論に問題があると認識しにくい)
理解できない結果として「拒否⇨変化に弱い」「拒否⇨こだわりがある」という表れになり
その結果としての表れだけにとらわれて、現実的な改善案を提案できずにいる。。。

本当の困難は
「聴覚情報で提示されても理解しにくい」ということなのに
そこだけを切り取って「理解力低下」とされがちですが、そうではなくて
「視覚情報(文字、実物)で提示されれば理解できる」のです。
そういう方は本当に多いものです。
そして、そのことを自覚できていない職員も本当に多いものです。。。

さらには
こちらの提案を全て却下していたわけではなくて
提案した対応が不適切だったから却下していた、(これは当然のことです)
その提案の不適切さを自覚できないというケースも少なくなくて
適切な提案であれば、ちゃんと受け入れてくださる
新たな環境や突発的な予定でも対応できるのだ
ということも多々あります。。。

つまり
「変化に弱い」「こだわりが強い」
と言われている方たちのすべてが対応困難というわけではない
「変化に弱い」「こだわりが強い」という結果に反映されている本当の困難を見出し
今よりも良い結果を生み出せるような適切な提案をできること
この2点は実は私たちの側の問題なのだと自覚することが大切です。
今までは、このような視点を持つことができなかったから認識できなかった
でも、認識することができれば問題を的確に把握することができるようになり
改善していく可能性が高い
それは、認知症のある方にとっても、私たち職員の側にとっても
伸びしろであり、希望でもあるのだと考えています。

昔の手遊び


意味性認知症のある方など疎通困難な方に対して
表面的に疎通を改善しようとするのではなくて
その方が可能な言語的理解と非言語的理解を組み合わせた関与を心がけています。

言葉は端的に

表情は大袈裟なくらいに
今はマスクをして勤務しているので
笑う時には敢えて眼までくしゃっとさせて笑うようにしています。

もっと気をつけているのは口調です。

その方の声のトーンに合わせながらも
ベースは耳に心地良いように
穏やかで温もりのある声を心がけています。

Activityとしてよく使うのが
1)ひも三つ編み
2)昔の手遊び
です。

いずれも認知症のある方の手続記憶として保たれています。
ひも三つ編みは、言語を介さずとも日言語での「やりとり」が可能です。
ひも三つ編みの詳細は、_ こちら _ のページをご参照ください。

今日、ご紹介するのは、昔の手遊びです。
小さい頃、歌いながら近所の子と一緒に「かごめかごめ」「はないちもんめ」で遊んだ方は多いし
「♪ 夏も近づく八十八夜」と歌いながら手合わせできる方も多くいます。
ご自分だけでは歌えない方も隣で一緒に歌ってもらえたら思い出して歌える方はたくさんいます。
手合わせができるためには、
「相手」をしっかり感受し
「相手のタイミング」を見計らって自身のタイミングを合わせ合う
という、非言語ながらコミュニケーションの基本が含まれています。

  この時に、本当に、
  認知症のある方とタイミングを合わせようとする職員であれば
  コミュニケーションが成り立ちますし
  こちら(職員側)に合わせさせようとする人であれば、
  コミュニケーションが成立せず
  認知症のある方は怒って手遊びをやめてしまうかもしれません。

  時々、「認知症だから無理」「やったってダメ」などと言う人もいますが
  本当に難しい方もいますけれど、たいていの場合には
  関与する人の在り方の方が「問題」で
  そんな対応だから無理でダメなんだよ、
  無理でダメなのは認知症のある方じゃなくて、あなたでしょうって
  言いたくなる時もあります。。。

  こちらの関与が治療的だからこそ
  認知症のある方にも行動変容が起こるのです。

手遊びという非言語的な要素を繰り返し行うことで
いつの間にか言語的疎通が驚くくらい改善されていくということも多々あります。

疎通困難な方でも特性に応じて使い分けています。
他者との交流を楽しむことを好む方には手遊びを
お仕事好きな方にはひも三つ編みを行っています。

言語的には疎通困難でも
非言語的には他者との交流が可能な方は大勢います。
そして非言語的な交流を積み重ねていくと
言語的な交流も行えるようになってくることも多々あります。


簡易ヘッドレスト


普通型車椅子に座れるけど
頸部後屈してしまう方に対する工夫です。
ティルト方車椅子を使うほどではないけど
何もしないとしんどそう。。。という場合に
すぐに作れる簡易ヘッドレストです。

必要なのは
プラスチック製の棒(写真では突っ張り棒:45〜60㎝)を2本
伸縮するベルトを3本
結束バンドを数本
滑り止め 2枚
(材料はすべて100円ショップで購入しました)

<作り方>

1)棒を車椅子のバックレストの隙間に突っ込む
  この時棒の長さが短いと後を振り向いた時に棒が目に当たってしまう恐れがあるので 
  棒の長さは頭よりも高くなるように気をつけています。

2)棒を車椅子の手押しハンドルのポールに結束バンドで固定します。
  この時、伸縮ベルトの上端〜下端の間に滑り止め(写真では青紫色)を固定しておくと
  ベルトのズレを予防できます。
  写真では伸縮ベルト3本使用していますが
  (頭部後屈が著明であれば、支持性を高めるために伸縮ベルトの本数を増やします)
  この段階ではまだ結束バンドのはみ出た部分は切り落とさず調整できるようにしています。

3)左右の棒に伸縮ベルトを固定します。
  この時に後頭部がきちんと支えられているかどうかを確認します。
  大丈夫であれば、結束バンドを引き絞って、はみ出た部分をハサミでカットします。


4)伸縮ベルトにタオルを巻き付けます。
  簡単に縫い止めても良いでしょう。
  写真では後側で3ヶ所軽く縫い止めています。


簡易ヘッドレストは
材料の入手も簡単、安価で、すぐに作れます。
何よりも一番良いところは、伸縮ベルトの伸縮性が
対象者の方の頸部後屈の度合いに応じて、その都度対応してくれるところです。

自身で頸部中間位を保持できている時には
ベルトはあまり伸長しないけれど
頸部後屈方向に力が入ってしまった時でも
ベルトはしっかり伸長して頭部を支えてくれます。
頭部のもたれかけ具合に応じて、ベルトが伸縮して対応してくれるのが良いところだと思っています。

通常の布製のヘッドレストだと
頭部は支えられても頸部は後屈したまま。。。という時もあると思います。
伸縮ベルトだと、頭部の重さを支えつつ、頸部中間位へとアライメントも整えてくれます。


第10回DCゼミ対面研修会「現場あるあるの対応のウソホント」


リハやケアの現場で
常識のように行われている対応でも
よくよく考えると実はおかしなことがたくさんあります。

それらは
必死になって先人たちが為したことだと思いますし
部分的に整合性があり、一見すると効果があったように見えたので
継承されてきたのだと考えています。

科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問です。

常識とされている対応を行なっても
日々の対応での困りごとは無くなっていないのではありませんか?
研修会のアンケートで最も多いのが「対応の工夫」です。
それって、現行の対応での限界を実は誰もが無意識に感じているからではありませんか?

科学的ケアの実践が求められている今
もう一度、現場あるあるのそれらの意味と本質について
考え直すことが求められていると思います。

そこで
2026年2月28日(土)19:00〜20:30
小田原市民交流センターumeco の第7会議室にて
DCゼミ第10回勉強会を開催いたします。

具体的には
・「否定しない」って、じゃあどうしたら良いの?
・「褒めてあげる」って、おかしくない?
・「認知」「認知の人」「認知のある方」って、おかしくない?
・「ケアの統一」
・手段と目的のすり替え
・ 踏ん張って頑張らせる立ち上がり訓練はやめるべき理由
・ 手引き歩行するから歩けなくなる
などなど。。。

実は、日々小さな違和感を感じている
たとえ、その場は「うまくいった」ように見えても
実は内心のモヤモヤが消えない
という人はきっとたくさんいるんじゃないかと感じています。
その違和感やモヤモヤは正しいのだと伝えたい。
そして、どうしたら、本当に「認知症のある方に寄り添ったケア」を
「唱える」のではなくて「実践」できるようになるのかを伝えたい。

「科学は嘘をつかない。
 科学は多数決じゃない。」
日本の科学捜査の礎を築いた人の言葉です。
詳細は _過去の記事_ をご参照ください。

今、困っている人は、どうぞご参加ください。

お問い合わせは、_ こちら _

参加のお申し込みは、_ こちら _から どうぞ