「精神看護9月号」今月の5冊で紹介されました!


医学書院さんの「精神看護9月号」今月の5冊というページで
拙著「認知症のある方の能力を活かす」が紹介されました!

もう少ししたら、「医書.jp」でも見られるかもしれません。

結果を引き起こしている必然を把握する 2

認知症のある方や高齢者のせん妄予防対応として
日中過ごすお部屋を明るくすることは常識となっていますが
実際の現場では、なかなか実現が難しいこともあるようです。

例えば
現場あるあるなのが
日中お部屋の明かりをつけてと言っていっても
「明かりを消して」って言われる。
お部屋の明かりをつけるのは嫌なんだと思う。
というケースです。

このケースの問題はいくつもあります。
1)近時記憶障害がどんな風に現れるのかわかっていない
2)「明かりをつける」メリットがその方の認識に沿って説明されていない
3)障害を好き嫌いとすり替えて判断される

つまり
1)については
仮に「日中は明かりをつけておく」ことをその場は了承してもらえても
近時記憶障害があると、時間が経つと忘れてしまいます。
現場あるあるなのは、「その場のお話がちゃんとできる方=認知症じゃない」と思っている職員が
まだまだ多いということです。

当然、相手に認知症がないと判断(誤認ですが)していれば
訪室するたびに「明かりを消してほしい」と言われれば
「あぁ、この方は明かりをつけておくのが嫌なんだな。」
「この方の意向を尊重して明かりを消してあげよう。」
と、善意からであったとしても、誤った認識に基づいた誤った対応をした結果
過活動型せん妄を起こしてしまった。というケースもありました。

過活動型せん妄に対しても
その場の表面的な対処しか為されないと本質的な改善には至らないものです。
ここで、その方の認識に即して説明することが求められます。
2)に関する対応です。

日中部屋の明かりをつけておくことに対して
人によっていろいろな理由があります。
Aさんは、「まぶしいから」
Bさんは、「お金がもったいないから」
Cさんは、「ずっと昼間は明かりをつけずに過ごしてきたから」
明かりを消してほしい理由は三者三様なので
その方の理由に即して対応します。

Aさんは、ベッドを真っ平らにして過ごしていました。
ベッドの真上にある電灯を点灯すれば、お顔に明かりが当たってまぶしいのもわかります。
そこで、ベッドをギャッジアップしてお顔の真上から明かりが当たらないようにしました。
Bさんには、「電気料金は施設持ちであること、
      施設の考え方としてお部屋を明るくして足元が危なくないように過ごしてほしい」
ということを伝えると「あぁそうなの。悪いねぇ。どうもありがとう。」と了承してもらえました。
Cさんには、「そうなんですね。日当たりの良いお部屋だったら明かりをつけなくて済みますものね。
      でも、このお部屋はきっとCさんのお家ほどには日当たりが良くないので
      健康のためにも明かりをつけさせてくださいな。
      日中明るいところで過ごすと健康に良いんですって。」
と伝えると「あら、そうなの。知らなかったわ。どうもありがとう。」と了承してもらえました。

その方が「明かりを消してほしい」と思う必然に沿った説明が必要なのです。

そして、近時記憶障害は障害なので解消されることはありません。
その場で了承してもらえても忘れてしまいます。
忘れてしまうことを問題視するのではなくて
忘れてしまったら繰り返し説明をするしかないのです。

ところが、現実には
「明かりをつけさせてくださいね。」と言うだけだったり
元気よく明るく言ったり、下手に出てお願いしたりという風に
工夫はされていても、認知症のある方の立場に立った説明とは少しズレた対応が為されがちです。
だから、うまくいかない。
そして、近時記憶障害があるから時間干渉によって忘れてしまうという認識もないと
好き嫌い、意思表示と誤認してしまいます。
その結果、せん妄を起こしてしまい、的確な対処もできないということが起こりがちです。

善意から一生懸命関わっていたとしても知識をもとにした観察ができないと
自身の見立てや対応について自省が生じにくい
という問題が起こります。

本当にもったいない。

知識がなければ、今、認知症のある方に目の前で起こっていることを理解することができません。
見れども観えず、で見落としてしまいます。
自身の言葉や非言語的表現も的確に選択することができません。

まず、視点を変換させて
イマ、ココで、認知症のある方が環境をどのように感受し、認識しているのかを
きちんと観察・洞察することから始めましょう。

表面的に慣習的に行われていることを卒業しましょう。


結果を引き起こしている必然を把握する 1


認知症のある方へのリハやケアの根本的な問題は
どうしたら介助できるようになるかという視点でいろいろな方法論が展開されていることと
そのことに無自覚なことの2点
だと考えています。
  
認知症のある方は
イマ・ココでどのように状況を感受・認識・対応しようとしているのかを
まず把握するという視点へ自覚的に変換すべき
なのです。

わかりやすい例えをすれば
食事に時間がかかる方に対して
「どうしたらスムーズに食べられるようになるか」考えることや
「時間をかけてもその方のペースで食べていただこう」と考えることと
なぜそんなに食事に時間がかかっているのか、その必然を把握しようとすることとの違いです。

一見すると
焦らせずにゆっくり食べていただくという対応は
その人を尊重しているように見えるかもしれませんが
食事に時間がかかるのは結果であって、
食事に時間がかかる必然を観ようとせずに
表面的な結果として起こっている事象に表面的に対応しているだけ
というのはどうなんだろう?と思いますし
対応が後手に回っています。

私の体験では
1)義歯がゆるゆるで常食を食べていた というケース
2)舌の動きが非常に悪くて咽頭へ食塊を送りこめず口腔内に食塊が貯留している というケース
3)覚醒が悪くて食べられない というケース
がありました。

結果として、食事に時間がかかるという見た目は同じですけれど
食事に時間がかかる必然はまったく別の問題によって引き起こされています。

1)のケースでは、義歯再作成はしないということでしたから
  ポリグリップなどの入れ歯安定剤の購入を打診しました。
2)のケースでは、舌の動きが悪くても食べられるように食形態を変更するとともに
  そのような状態を引き起こしている状態について把握・対応しました。
3)のケースでは、まず覚醒を上げるために
  ・日中の居室を明るくする
  ・日中は生活歴にあるだろう音楽を聴いていただく
  ・朝食後の日光浴を導入
という対応を取りました。
その結果、いずれのケースでも食事摂取時間は結果として短縮されました。

食事に時間がかかるという方に対して
 1)その方のペースだから2時間かけても食べていただく
 2)どうしたら食事時間の短縮ができるか考える
と表面的に考えるのではなくて
食事摂取に時間がかかる必然をきちんと把握することから始めます。
摂食・嚥下5相のどの部分で時間がかかっているのか
そもそも覚醒良好なのか
低活動型せん妄ではないのか
姿勢保持ができているのか
注意散漫ではないのか
体力低下しているのではないか

時間がかかる必然によって対処はまったく異なります

このことは、食事場面以外でも同様に起こっています。
まったく同じコトが違うカタチで起こっている例を次の記事でも。

困ることから始まる


仕事をしていれば困ることにたくさん遭遇します。
でも、困ることができるのは良いことなんです。
辛いけど。
自分の成長・成熟へのチャンスです。

学ぶということは変わること

学ぶということは、自己変容
もう一段深く物事を深く理解することです。
深く理解するということは、関連する事象の関係性に気づき
その関係性の意味を理解できることを意味します。

ところが、ここが誤解が多いところですが
学ぶ=知る、ハウツーを収集する と誤解している人がとても多いと感じています。
そうではなくて
より本質に迫るチカラを身につける ということです。

今は、情報がたくさんあるし
リハに関する知見の集積もあるから
養成校を卒業する=一人前 みたいな認識の人もいるかもしれない。
本当は養成校を卒業する=長い職業人生のスタートラインに立つ資格を得た に過ぎない。
これからどのような職業人生を選択し続けるかは、自分自身の中にある。

いろいろな職種のいろいろな人に出会ってきました。
中には、困ることすらできない人もいました。
無意識に自分が困らないように、事実を捻じ曲げてしまう。。。
そうすれば、確かに自分は困らないで済みます。
でも、それではいつまで経っても対象者の方に的確な対応ができないし
職業人としての成長を自分で止めることになってしまいます。
職業人としてだけでなく一個人としても、
困ったときに事実に向き合うことを拒否し、自身の困難を否認するという
問題解決のパターンしか身につけていないと
短期的にはラクであったとしても
長期的には、それ以外の問題解決が行えないことになり
老後に非常に辛い思いをすることになってしまいます。
人は生きてきたように年老いていくものです。
そういう職業人にも対象者の方にも何人も出会ってきました。

ある人に言われたものです。
市場は、ハウツーを求めるので、ハウツーでないと売れない現状にある。
確かに、研修会に受講者の立場で参加しても
ハウツーを提供する講師のなんと多いことか。。。
そして、受講者は提供されたハウツーだけでなく
講師の在り方としてのハウツーを当てはめるという姿勢をも無意識に受け取ってしまう。。。

どれだけ、ハウツーを増やしても
イマ、ココで困っている方の状態と
その環境因子としての自分と
困っている方と自分がいるイマ、ココでの状況は
100人いれば100通り、千差万別の状況ですから
「うまくいく」わけがありません。

こうすれば、ああなる を求めて
〇〇という時には、こうする というハウツーの当てはめを卒業しましょう!
ハウツーを当てはめたのにうまくいかなかった 
という事実を直視して困ることができる人になりましょう。

答えは、困りごとの場面そのものにあります。
自分が困った場面を構成する因子ひとつひとつをきちんと観察できるようになりましょう。
そこがスタートラインです。
スタートラインに立てるためには、医学的知識が必要です。
知識の内面化が為されていなければ、見れども観えずになって見落としてしまいます。

困ることができるのは、良いことなんです。
困ることすらできない人になっちゃいけない。
今は辛くても、その先があります。
自分の殻を破る痛みはあっても、その先に一段大きくなった自分がいるのです。

まさしく、Re Habilis
再び適する 自分になれます!

豆腐サラダ


夏によく作る栄養バッチリ、カンタンサラダのご紹介。

豆腐を水切りして冷ましてから、ジップロックに入れます。
A キュウリを輪切りにして塩揉みして水気を切ります。
B ミョウがを千切りにして冷水にさらしてから水気を切ります。
AとBを豆腐の入ったジップロックに入れて
塩昆布を1〜2つまみ
ごま油をさっと回しかけて、あとは冷蔵庫で冷やすだけ。

朝作っておけば夜には冷えひえの豆腐サラダをすぐに食べることができます!

私は、塩揉みしたきゅうりと塩昆布の塩気とごま油の味わいが好きですが
お好みによって、麺つゆを少し足しても良いかも。

ちなみにご参考までに
私が作るときは
・スーパーで売ってる真四角の3個入り豆腐を1パック
・キュウリ1本
・ミョウガ2個
で作ってます。
豆腐の水切りは上記豆腐3個を600Wのレンジで3分チンするだけです。



「カットアウトテーブルに肘を固定する」食環境のデメリット


私は知らなかったのですが
食環境の調整の一つとして
カットアウトテーブルに肘を固定して自力摂取を促す
という対応が多用されているそうです。

私の経験では上記のような食環境を設定されていた場合でも
他の食環境の設定で自力摂取を無理なく行えるようになったケースばかりですから
まず、他の食環境の設定をお勧めします。

どうしても上記の方法を用いたいのであれば
「慎重に対象者を選んだ方が良い」
「他の方法でどうしても困難な時に適用した方が良い」
「適用した場合には、骨盤周囲筋の過緊張をチェックした方が良い」
というのが私の意見です。

自分で試しにやってみたら、わかると思うのですが
1)肘を固定すると口元までのリーチが困難 → 体幹を前傾させる代償が必発
2)食塊を取り込む時に前腕の回外と手関節の尺側偏位が要求 → 抹消の過剰操作 → 中枢の同時収縮
というふうに
カットアウトテーブルで肘を固定させる、なおかつ、食事自力摂取できるためには
上記の前提が必要となり
ところが現実には、上記の前提をクリアできる人は少ないために
上述したような代償を引き起こしてしまいます。
そして、上述したような代償の結果
体幹を前傾して胃部を圧迫していまい食欲がなくなってしまった方の
食環境を変更してから摂取量も増えました。

認知症のある方へのリハやケアでは
きちんと評価・アセスメント・状態把握をする前に
ハウツーを当てはめて
しかもPDCAを回していないために
自身の対応のまずさを自覚も修正もできないというケースが散見されます。

もうひとつ、問題があります。
カットアウトテーブルは車椅子に固定して使いますから
対象者の方が動きたいと思った時に自分では動くことができない状況を作ってしまいます。
身体拘束と判断されかねない環境設定だと思います。
他の食環境設定の可能性が多いので、まずそちらを取り入れた方が良いと考えます。



評価を根拠にした対応:身体リハ

もともと認知症がある方が
骨折などで入院し身体的なリハを受けることになる
というのも現場あるあるです。

近時記憶障害があれば
骨折し入院し手術したことを忘れてしまうことも起こります。
座ってじっとしていれば痛くなくても
リハで立ち上がった時に痛みを感じるということはよくあります。
ここで、骨折し入院し手術をしたことを忘れていれば
「立つと痛い→立つから痛い→立ちたくない」
という判断をしても不思議はありません。

リハスタッフは多くの場合
MMSEやHDS-Rを施行し「近時記憶障害あり」と判断しています。
ですが、検査は検査で終わってしまい
検査結果を対応に活かすことは何故かあまりされていないのではありませんか?

私は立ち上がりの練習をする前に必ず声をかけます。
「〇〇さん、今から立つ練習をします。
 立つ時に足が痛くなるかもしれませんが
 骨折して手術したからです。
 だんだん痛みも軽くなりますから
 心配せずに立つ練習をしましょう。」

そして、この声かけの頻度も認知症のある方の近時記憶の状態に応じて変えています。
HDS-R18/30点くらいの方であればリハ開始時に一度声をかける程度で大丈夫なことも多いけれど
HDS-Rが3/30点の方には、立ち上がるたびに同じ説明を繰り返すようにしています。

実際、3/30点の方でも身体的なリハを提供し改善し
すべき声かけと回避すべき場面を明確化し情報提供した上で
もっとリハの充実した老健へ移行していきました。

ところが
現場では「HDS-Rが3/30点」と認識していても
実際のリハの現場で事前に痛みが生じる恐れについて声をかけておく人は少ないものです。
そして、その結果、立ち上がり時の痛みと痛みが喚起する不安について認識できず
「立ち上がりを嫌がる」「リハ拒否」「認知症のためにリハ実施困難」
とレッテルを貼っているのではありませんか?

認知症のある方の身体リハがうまく進められない。。。という理由の1つに
私たちの側の問題もあるのではないでしょうか。

私たちは評論家ではなくて援助職です。
認知症のある方の困難を減らすような関与ができるからプロなのです。
HDS-Rが18/30点であれば、どのような支障が生じるか予測できる
HDS-Rが3/30点であれば、どのような支障が生じるか予測できる
近時記憶障害の程度に応じて
イマ・ココでどのような関与をすべきか判断できる。

ほんのちょっとした工夫のように見えるかもしれませんが
認知症のある方がどのように環境を感受・認識しているのかを
意識化することができているかどうか
この違いはとても大きな違いです。

書評をご覧いただけます


拙著「認知症のある方の能力を活かす 事例から読み解く対応の工夫」の書評が
OTジャーナル7月号 に掲載されました!

医書.jpのサイトからも書評の内容をご覧いただけます。

https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.091513540600070668

「ここをこうしてこうやって」を卒業しよう!


かつて、私も言っていましたが
ある時、ふと気づきました。
「ここをこうしてこうやって」って何の説明にもなってないじゃん!

Activityや手作業をしてもらう時に
たいていの人は、隣に座って作業工程を同時に行いながら
「ここをこうしてこうやって」と言っています。
かつての私もそうしていました。。。

でも、それでできる方もいますが
できない方も少なくありません。

構成障害があれば
見比べる・見比べて行動修正する
ということが難しくなります。

「ここをこうしてこうやって」
という声かけが理解できるのは
「ここ」がどこで「こうやって」がどうすることなのかを
見て理解することができる方です。

もっと言うと
「ここ」を言葉で説明しなくても「ここ」を探して注意を焦点化できる
「こうやって」を言葉で説明しなくても「どうするか」を汲み取ることができる
つまり、相手の「汲み取る能力」に依存した説明ということです。

構成障害があれば
私が示した「ここ」が自身の「どこ」か
私が示した「こうやる」が自身の「どうする」か
対照させることが困難です。

構成障害とは
全体と部分、部分と部分の位置関係を認識し再現する障害
なのですから。

構成障害のある方に
どんなに詳しく親切に隣で言葉による声かけを繰り返しても
できるようにはならないどころか
認知症のある方に余計に
「困った」「わからない」「できない」ことの反復体験をさせるだけです。
もうそんな関わりは卒業しましょう!

卒業できるためには
どんな障害や困難があって
どんな能力があるのかを
私たちが把握できていることが必須です。

ところが、多くの現場では
自身の知識の確認や関与の振り返りをするのではなくて
表面的に「どうしたら困りごとがなくなるのか」を考えて
言葉だけで繰り返し説明をする
というパターンがいまだに圧倒的に多いものです。
そして、最も問題なのがその自覚がないことです。。。

現場あるあるのマズイ対応は
せっかく検査をしてもその結果を対応に活かせていない点にあります。
評価に基づいた対応ではなく
表面的な困りごとを解決しようとしてハウツーを当てはめている
「引き出しを増やす」と言って
ハウツーを増やすことが学ぶことだと勘違いしている人が多いのです。
それらのどこが寄り添った対応なのでしょうか?

その時・その場の・その関係性において
目の前にいる方に何が起こっているのかを
的確に観察・洞察できるように知識を学ぶ
学んだ知識をもとに観察できるように努力する
そういう人は少数派です。

私たちが自覚して自らの関与を修正しようとしさえすれば
今すぐにでも改善可能なことは多々あります。

その時に
認知症のある方がどれだけ自身の困難に対して
なんとかしようと必死になっている姿を見出すことができて
目を見開かされるような思いをするはずです。


「ちゃんと話ができるしっかりした方」?


「ちゃんとお話ができるしっかりした方」
「年相応の物忘れ」
といった発言をする人は30年以上前から今に至るまで後をたちません。。。

ところが実際には
近時記憶障害が著明でHDS-Rが9点、10点、11点というケースは多々あります。
中には、HDS-R5点なのに「しっかりした方」と言われていたケースもありました。。。
SDATの方でHDS-Rがこれだけ低いと
近時記憶障害はもちろん、構成障害や遂行機能障害があって
日常生活に大きな支障が生じていたはずです。
それなのに、なぜ認知機能低下に気づかれないか
問題は私たちの側にあります。

「ちゃんとお話ができるしっかりした方」といった発言をする方には
「ちゃんとお話ができない=認知症」という思い込みがあって
その思い込みで判断しているだけなのです。。。
つまり、認知症とは何か、ということを理解していないのです。
これだけ認知症への普及啓発事業が進められているのに
30年前と変わらずいまだにこのような人たちがいることにびっくりしてしまいますが
職種を問わず、このような発言をする人は少なくありません。
(もちろん、職種を問わずきちんと認識している人も大勢います)
  
このような思い込みは二重の意味で危険です。
1)お話ができても近時記憶障害があることによって起こる生活障害を見落としてしまう。
2)お話ができなくても近時記憶障害がないか軽度なので、可能な生活能力を見落としてしまう。
   
つまり、目の前にいる方の状態像を的確に把握することができないという問題が起こります。
その結果、目の前にいる方の暮らしの困難も潜在している能力も見落としてしまい、対応が後手にまわってしまいます。
しかも、そのような事態に無自覚なのです。
近時記憶と会話の可否や言語表現力は別の能力なのだということを知らないと、このようなことが起こってしまいます。

私は、ICD11で示されている7つの認知領域を参照することをオススメしています。
下記にICD11の認知症の定義をお示しします。

(一般社団法人京都府薬剤師会 参照)

Aで示されている7つの認知領域つまり
記憶・実行機能(遂行機能)・注意・言語・社会的認知及び判断・精神運動速度・視覚認知又は視空間認知
これらを念頭に置いて会話したり対応することを常に心がけています。

数分前のことを忘れてしまっても
その場の会話がスムーズに成り立つ方は大勢いらっしゃいます。
逆にその場で会話が成り立たなくても
少し前にした体験を覚えている方も大勢いらっしゃいます。
近時記憶と疎通の可否や言語表現力は別の能力です。
混同してはいけません。

「ちゃんと話ができるしっかりした方」はもう卒業しましょう。