認知症のある方に限らず、暮らしの支援に関して
誤解されていることは多々あります。
例えば
今までできていた歩行や移乗が困難になった方に対してよく聞く言葉が
「筋力低下」「廃用」という言葉ですが
私は大きな疑問を抱いています。
私は筋力低下が引き起こされる前に
環境(介助方法や使用する車椅子・テーブル・椅子など)への適応としての過剰代償による
筋の同時収縮、つまり「頑張りすぎ」による問題を以前より指摘し、多数の事例で実践し、改善を得ています。
身体の働き・使い方を高めることがまず肝要
協調した巧みな運動ができない結果として、
頑張りすぎとその後の希望喪失、運動回避、
結果として筋力低下や廃用が起こる
と考えています。
急性期ではなく生活期にある方やとりわけ認知症のある方が
だんだんと日常生活能力が低下していく際に起こるのは
周囲の誤解・誤介助とそれらに対してすら
必死に適応しようとした結果の
過剰代償・誤学習の占める割合がとても多いこと、
にもかかわらず現状に対して無自覚であるどころか
検証もせずに否認するという対人援助職の意識が問題だと考えています。
筋力低下による廃用という問題が設定されがちですが
では、筋力はMMTでいうどのレベルがあれば廃用を回避できるのでしょうか?
MMT5レベルに到達してもなお動作改善がみられないという現実をどう解釈したら良いのでしょうか?
歩行や移乗や食事といった
日常生活を送る上で必須の動作遂行にあたり
自力遂行が可能な心身機能が何なのかという吟味検討が為されずに
「頑張って」
「歩かないと歩けなくなっちゃうよ」
「甘えている」
「意欲低下」
などというレッテルを貼って、表面的に動作遂行を求める状況は随分以前から散見されていました。
古くは「寝たきりゼロへの10カ条」というキャンペーンが為され
確かに過度の安静は心身ともに逆効果となりますが
かといって達成すべき過程について吟味・検討・明確化が為されないままに
善意から結果を達成すべく離床を促した結果、
確かに寝たきり老人はいなくなったけれど
かわりに「座らされきり老人」が多発したというのは
当時の心あるリハ職や看護介護職員の共通した認識でもありました。
結果の目的化、結果と手段の混同という、今もあちこちの分野で散見される問題がここでも起こっていました。
現状改善への提案として
日常生活場面に即して
身体の働きを高める工夫とその考え方について記載していきます。
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