
仕事で困ることは良いことなんです。
仕事そのものが自己研鑽の場にもなり得ます。
自身のブラッシュアップに必要な知識と技術には
対象者との出会いというカタチを通して遭遇します。
今の知識ではわからない、あるいは整合性のある説明が困難なケースや
仮説をもとにアプローチしてみたが、思ったほどの効果が現れなかったり
そんな時に、今一度、最初に戻って情報収集を行います。
観察場面を増やしたり
関連知識を調べたり
そうすると、見落としていたことに気がついたり
新たな展開に気がつくことができたりします。
ピンチはチャンス
成長へのステップアップへのチャンスなんです。
ところが
ピンチをピンチとして受け止めることを回避する人たちもいるんです。
自分が困らないように
事実を捻じ曲げて事実と異なる解釈に基づいた対応を行い
しかも、PDCAを回さないから永遠に知らんぷりをすることができる、という。。。
それもまたその人たちの、まさしく自己責任ですけれど。。。
(そういう人たちの上司であれば話は別ですが)
そのようなあり方しかしてこなかった人たちが
中堅やベテランと呼ばれる年齢になった時の姿をよく知っています。
ずっと学ぶことから逃げていたので学ぶことがもうできなくなっているんです。
今更研修にも行けなくなります。
論文や図書や職能団体からの情報収集もしていないので
一般的な潮流を知ることすらない。。。
外の世界に触れることがないので自己防衛に徹することが可能なんだと思います。
困ることは辛いけれど、困ることができるというのは良いことなんです。
困ることすらできないような人になっちゃいけません。
今のリハの報酬体系では
対象者の方は、セラピストを選ぶことができません。
自分や自分の大切な人は、知識と技術がある信頼できるセラピストに担当してもらいたいじゃないですか。
もしかしたら、
臨床1年目の人は
職場に慣れることで精一杯、担当したケースのリハで精一杯で
生活の場も変わっていたりしたら
社会人1年目として初体験のことばかりで
毎日が必死で勉強するなんて余裕もなく
帰宅したらバタンキューの毎日かもしれません。
今が大変で辛いかもしれませんが
そういった日々に鍛えられてる最中なのだと思って頑張ってほしい。
かくいう私も1年目は大変でした。
ToDoリストを作ると、項目ばっかり増える一方で
なかなか項目を減らすことができずリストを確認することすら苦痛だったことを覚えています。
そんな私でもいつしか「よっしーさんは仕事が早い」と言われるようになりました。
 
私が初めて老健に勤務した時には
老年期なんて分野がなくて、成書も文献もなくて、まったくの手探りで仕事をしていました。
目の前の方だけが頼りでした。
でも、それが良かったのでしょうね。
目の前の方から学ぶという臨床姿勢を鍛え直されたのだと思います。
良いと言われていることはまずやってみる。
やり方がマズくて効果が出ないのでは失礼だし申し訳ないから
的確に実践できるように準備をする。
そこまでしてやってみたのに効果が出ない時には
目の前の方には適切ではないと判断する。
何がどうよくなかったのか考える。
効果が出た時にも何がどう良かったのか考える。
そうするしかなかったとはいえ、今思えば最も適切な実践でした。
自分のできなさを自覚できていれば
必要な時に必要な出会いがあります。
本や文献だったり情報だったり研修会だったり人だったり。
それらのきっかけを作ってくれるのは、目の前にいる対象者の方です。
対象者の方に善き実践ができる過程を通して自身の成長にもつながるのです。
リハビリテーションというのは、徹頭徹尾、対象者の方との協働作業なので
対象者の方に善き結果が出る、行動変容が起こる時には必ず自身にも行動変容が起こります。
そうやって、対人援助職として鍛えられていきます。
だから、困ることは良いことなのです。
困ることがないのは、精神的にはラクなのかもしれませんが
そこから、もう成長できないということを意味しています。
私は、OTとして40年働いてきましたが
今だに困り考え情報収集を蓄積しながら働いています。
そして日々発見を重ねています。
対象者の能力の素晴らしさ、人間の脳を含めた身体の働きの可塑性の素晴らしさに目を見張る日々です。
                
                                                                
 
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