科学的ケアの新たな地平をめざして


認知症のある方への対応について科学的なケアをめざしています。
常に実践できているわけではなく、まだまだ途上ではありますが
だいぶ言語化もできるようになってきました。

「科学的」という言葉から、ずいぶん誤解もあったのだということもわかるようになってきました。

人の人体構造という面に着目すれば
物質的な側面からの検討が行いやすく
データに基づいて確認もしやすいと言えると思います。

一方、人の存在としての全体性という面に着目すると
物質的な側面からの検討やデータに基づいて確認することは非常に困難となります。
そんなことは当たり前なのですが、
「科学的ではない」という批判を恐れ
かつての(今も?)作業療法士たちは
EBMや論文や理論によって科学的武装という戦略をとろうとしたのだと思います。

でも、それって「うまく」いったのかな?

一番重要なことは、結果を出すこと
結果を出してからモノ申せるのに結果を出さずに何をか言わんや

科学的な武装をするよりも、まず目の前にいる対象者の方をよくすること
そして、自身の実践のどこが有効でどこが有効でなかったのかを
明確化できていることが大切だと考えています。
ところが、多くの場合「良くなった!」で終わり。ではないですか?
実践が有効ではなかった時にも
どこが有効でどこが有効でなかったのか、どうしたら良かったのかを
明確化して次に活かすようにすることが大切だと考えています。
でもそうしない人って多いんですね。
  ある人からは「良くなった時に検討していなかった」
  別の人からは「失敗したケースは忘れる」
  と聞いたことがあります。

 
それらを怠って、単に表面的に
「〇〇というケースに△△をしたら良くなりました」みたいな論文を書いても
それらを Good Practice として集めても知見の集積にはならない。
いくら作業理論を声高に叫んでも
目の前にいる方の困りごとを改善するのに活用できなければ
本質とは言えないのでは?

そういった現状を超えて
人文科学としての作業療法の実践者として
その時その場のその関係性において
今、何が起こっているのかを感受し、認識し、判断し、関与を修正しつつ寄与する。

言語化、明確化ができるから、
わかろうとする人には伝えることができるし
その人が再現することを援助できる。

新たな科学的ケアを実践し、提案しています。

今はちょっと忙しいので
オンラインセミナーを開催することができなくて申し訳なく思いますが
もう少しお時間をください。
ぜひ、意欲のある人には伝えていきたいと考えています。

 

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