Act.を拒否された時:生活歴聴取

 

 
個別でのアプローチをしている場合に
「私は不器用だから」
「私は何にもできないから」
「私はバカだから」などと
Act.を拒否された時には
「一緒にやるから大丈夫」などと言って
工程の一部分を手伝うこともなくはありませんが
あまり良いテではないと考えています。

「一緒にやる」=「誰かの指示に従ってその通りに遂行する」
ということを好んでいた方の場合には有効かもしれませんが
そうでないと、私の脳みそが認知症のある方の手足を動かしている
ということになってしまう恐れが高いからです。

そんなリスクを冒すよりも
よっぽど有意義なのが
「生活歴を尋ねる」ということです。

どこで生まれて
どんな風に暮らしてきたのか
小さな頃どんな風に遊んで
若い頃の趣味や仕事はなんなのか

ここでもポイントがあって
何をしていたのか尋ねるだけではなくて
どんな能力を要求されていたことなのか
を意識しながら聞いています。

そうすると
今の若い人は「鍛冶屋」なんて職業を知らなかったりします。
(私だって、おわんやという職業があることを知りませんでした)
どんな職業かわからないとどんな能力を要請されるのかわかりません。
わからなければその場で尋ねることになりますが
知っていればその場での会話がより弾むことになります。

目の前にいる方がどんな風に暮らしてきたのか
イメージできることがポイントになります。
もちろん、誰だって最初から明確に具体的にイメージできるわけではなくて
その人を全面的にイメージできるわけでもなくて
ただし、その時その場のその関係性において
ありありとイメージできたことは確かな事実となります。

そのためにも事前に
当時の時代背景や風物詩、ニュースや流行していたものを
知識として知っているかいないか、ということは大きな違いになります。
まずは、それらを事前に調べておく
その方の出身の名所・名産品などを調べておく
そんな努力は今すぐにできます。
その上で尋ねると、具体的に尋ねることが可能となります。

今はネットで知りたい情報にアクセスするのが容易です。
「認知症のある方でもできるレク」
なんて情報を知るために努力するのではなくて
(一時凌ぎ、時間稼ぎとしては、アリかもしれませんが)
根本的な情報収集にこそ努力する方が
短期的には手間かもしれませんが、長期的にはよっぽど有効です。
そうやって調べた情報が回り回って他の方にも適用できたりします。
そのような努力を蓄積していけば多面的に知識を増やせることになり
さまざまな方への対応に有効活用できます。

対話に際して、伝わり具合の実感の差となって滲み出るものです。

認知症のある方に
「昔はそういうものだったじゃない?」
「みんな、そうだったよね?」
「なぁ?」
などと同意が返ってくることを確信されたようなお言葉を頂戴するたびに
(えー私はその時まだ生まれていないんだけど)
と思いつつも、内心ちょっとは嬉しかったものです。

その方のバックボーンに触れながら話を聞く
時には視覚的に情報を提供しながら話を聞く
(例えば、当時のニュース場面や風物の写真などを見せながら)
そうすると、いきいきと話をしてくださったり
広がりと深みのあるお話を聞くことが可能となります。

そして得られた情報は
今、この時、私自身が活用できる根拠となると同時に
認知症のある方が次に移る施設のスタッフにとっても有効活用できる根拠となります。

もしも、
認知症のある方にActivityを提供して拒否された時に
折り紙とか塗り絵とか手当たり次第に
漫然と「何かしている風」を装って「何かをさせる」のではなくて

人間としては、拒否されたことによるショックは受け止めても
プロとしては、拒否を情報収集の機会と捉えて次の手を打つ
ということが大切だと考えています。

何かする、していることが良いわけじゃない

していることに充実感を感じられるような
そして、することそのものに
自分が自分であることを再体験・再認識できるような
そんなActivityが提供できると
「できることをやらせる」
「徘徊しないようにできることを探す」なんてことはできなくなります。

そして
Activityの意味をその都度、対象化・抽象化・概念化する努力を重ねていると
作業療法とは何ぞや
ということを実感を伴って理解することができるようになっていきます。

  作業療法とは何だろう?
  それは考えることではなくて実践することです。
  結果を出してから、固有のケースごとに具体的に考えることです。
  誰かと語り合うものではありません。

  パイロットがパイロットとは何だろう?
  なんて考えているでしょうか?
  同僚と語り合っているでしょうか?
  それぞれの考えは考えですけど
  まずは、自分の技量を高めることに日々努力しているのではないでしょうか?

Activityは本当に大きなパワーを持っています。
大きなパワーを持つものは、逆効果となった時のマイナスの作用も大きいものです。

認知症のある方に良かれと思って提供したけれど
結果的にであったとしても傷つけてしまったということはありませんか?

どうしたらそのようなマイナスとなることを回避できるか
「まず第一に患者を傷つけないこと」
ヒポクラテスの言葉の最初に書かれていると日野原重明は言っていました。
「患者は患者であるというだけで傷ついている」
そこから出発する。

認知症のある方に嫌がられたけど
この20分、どうしたらいいんだろう?
無理矢理させることはしたくない
でもどうしたらいいのか、わからない
先輩に聞いてもよくわからない
なんだか誤魔化されたような気がして納得できない

どこかでそんな悩みを抱えている人の力になれますように。。。
かつて一人でもがいていた過去の私が欲しかった答えです。

 


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