多職種連携、チームワークは古くて新しい課題です。
研修会終了後の質疑応答でも必ずこの問題について質問があります。
「チームワークに困難を感じている」
「(この話を)ぜひ職場に持ち帰って実践したいが、どうしたら良いか」
私の答えは
「まずは、自分自身が常に実践し続けられるようになること」
私たちは技術職なので、やってみせることができます。
説明よりも納得
重度の認知症のある方でも変わる
という事実を共有化するところから始めます。
作業療法士は往々にして
この順番を誤認していると思います。
幾百の言葉を連ねても
目の前の対象者の方がよくならなければ説得力がありません。
自分がやってみせられるようになること
聞いてわかることと
自らが実践できることとは
雲泥の差があります。
結果を出す
次に説明するのであって
順序は逆ではないのです。
相手は作業療法を志しているわけではなく
任意の対象者の方に寄与したいと思って別の職種として関与しているのですから
作業療法士が何を考えて何をしているのかよりも
対象者の方がどのような状態であり、今後どのような状態を目指すのか
というところを志向すべきだと考えています。
ただ、ここにも落とし穴があって
観察力というのは人により職種により異なります。
つまり
同じ現実を見ているはずなのに
異なる状態を観ているということが起こっています。
一つには
観察力の違いが挙げられます。
人によって観察の広さも深みも異なります。
ここがズレてしまうと
お話にならないので
ビデオを活用するのが良いと思います。
実際の場面を見てもらうよりも
実際の場面をビデオに録画したものを使って
何が起こっているかを説明する。
ビデオという道具を通すことで
自分の眼(認識)から距離を置いて、客観的に見ることを促されます。
見ることに専念できるので
状態説明をしても、拒否や抵抗や先入観なく受け入れやすくなります。
もう一つは
人の認識というのは
過去の体験に基づいて作られていきます。
「認知症なんだから無理だってば」
という人は
かつて、その人なりの努力をしたけれども
プラスの行動変容が見られなかったという体験を積み重ねてきたのでしょう。
だとしたら、その人が上記のような認識を持つ必然性があったのだということがわかります。
問題は
その人なりの努力というところが
果たして本当に適切だったのかという振り返りが為されていないというところです。
関与が不適切であれば適切な行動変容がみられるはずがないのです。
このような場合に
認識だけを変えるように促しても
効果がないどころか、逆効果になってしまいます。
認識を変えさせられるということは、認識の根拠となっている自身の過去の体験を否定させられる
ということを意味するからです。
ものすごい抵抗を示されるでしょう。
抵抗と防衛については、歴史も証明しています。
歴史的な発見をした人と周囲とのギャップが大きければ大きいほど
激しい抵抗と防衛が起こっています。
ガリレオ然り、ゼンメルワイス然り、小笠原登然り。
理解してもらえないどころか、当時は否定、弾圧の嵐。。。
でも、時代が変わってから、ようやく彼らの正当性が証明されました。
善いこと、正しいことがすぐに受け入れられるとは限らないのです。
むしろ善いことだからこそ、正しいことだからこそ、抵抗にあうこともあるのです。
「足を引っ張られたら喜ばなくちゃいけない」
ごむてつさんに、かつて諭されたものです。
「相手は足を引っ張るしかできないのだ」と。
ごむてつさんのブログ記事
「精神分析で言うところの無意識の『抵抗と防衛』と憑依・心霊現象」
もご参照ください。
話を戻します。
相手の認識を表面的に否定や修正をしようとするのではなく
異なる体験をしてもらうのです。
一番良いのは、
その人自身の関与によって異なる変化が生じたという体験ができればベストですが
それは、まず、ありえないことなので。。。
次善の策として、異なる事実を見るという体験を積み重ねてもらうのです。
見るというその人自身の行動によって
異なる事実に遭遇したという体験を自己否定することは難しいものです。
中にはそれでもイチャモンをつける人もいますが
そのような人は他の場面でも問題が現れているものです。
つまり、連携の問題よりもその人固有の問題の方が大きいということです。
いずれにしても
結果を出せる人がいる
ということが何よりもまず必要なのだ
ということがお分かりいただけると思います。
結果を出す
認知症のある方と一緒にプラスの行動変容を協働できる人がいる
周囲に誰もいなければ、その最初の一人にあなたがなるしかありません。
認知症のある方を
貶めることなく、崇め奉ることもなく
ありのままに、能力と障害を見出し
援助の視点を忘れずに関与する人に
多職種連携、チームワークという古くて新しい課題の根底には
同じ人を見ていながら異なる現実を観ているという前提の確認から
始めていくことだと考えています。
その上で
どのように説明するか、どのように役割分担するか
という技術的な課題が検討されるのであって
順序は逆にはならないのだと考えています。
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