
「褒めてあげることが大事」って、とてもよく聞く言葉のひとつですが
よくよく考えると、これもとても変な言葉です。
そもそも、褒めるって目上の人が目下の人に対して行う行動です。
社長が社員を褒めることはあっても社員が社長を褒めることはありません。
仮に、私が所属する施設の施設長から褒められることがあったとしても
私が施設長を褒めるなんてことはあり得ません。
皆さんが所属する病院なり施設なりのトップから褒められることはあったとしても
皆さんが病院長や施設長や理事長を褒めるなんてことはあり得ません。
認知症のある方は多くの場合、関わる人よりも実際の年齢は上の方がほとんどだと思います。
長く生きてこられたということは、それだけでもう十分すぎるくらいに
幾多の困難をその人なりに、乗り越え、対処し、くぐり抜けて来られたということです。
若い人たちがこれから直面することを既に経験しているわけです。
そのような人たちに対して、どうして「褒める」なんてことができるのでしょうか?
しかも
「褒めることが大事」ではなくて、たいてい「褒めてあげることが大事」と
「あげる」という文言がついています。
なぜ、わざわざ「あげる」と言うのでしょうか?
言外のニュアンスとして「褒める必要がなくても褒めた方が良い」
といった操作的なニュアンスを感じてしまいます。
たぶん、認知症のある方がどんなに大変でどんなに頑張っているか
能力と特性を知らないんじゃないかな?と思います。
表面的な「問題行動」を「解決してあげる」側の立場に立っているんじゃないかな?
と思います。
でも、それだと本質的な改善は難しいんですよね。。。
短期的に改善したように見えても、長期的に逆効果になったりするんですよね。。。
徹頭徹尾、助けるという視点に立って
不合理な発揮をしている能力を合理的に発揮できるような環境調整をする
(この環境調整には人的環境という意味で声かけの工夫も含みます)
ということを繰り返していれば、埋もれていて見えなかっただけの能力が
たくさんあることに気がつくことができるようになるし
認知症のある方の行動変容の凄さ、人間の脳の働きの可塑性の凄さを実感できるようになるし
そのたびに、こちらにも行動変容が起こってきます。
今まで見落としていたことに気がついたり
もう一段深く理解することができたり。。。
褒めてあげる なんて操作性のある言葉ではなくて
ともに喜ぶ 体験が起こると思うんですけど。
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