答えは目の前の事実にある


リハやケアの分野で常識とされていても逆効果となっていることって
実はたくさんあります。

たとえば
立ち上がりの介助をするに際して
身体を前傾させ足で踏ん張って床反力を使って立ち上がる
というものですが
実は、事実を確認すれば、立ち上がれるはずがない
立ち上がるためには腰を痛めてしまう
ということが起こっています。

今回はテーマが異なりますので
詳細は記載しませんが、興味のある方は_立ち上がり_をご参照ください。

ここでは
なぜ、そのことに私が気がついたか、ということを記載していきます。

上記の立ち上がり方を研修で学んだ若き日の私はその通りに実践していました。
でもだんだん違和感が募ってきます。
立ち上がりに改善が見られないどころか、
だんだんと立ち上がれなくなる、介助量が増える方が続出したのです。
同時に、どうして片麻痺の方に腰痛のある方がこんなに多いのだろうとも疑問に思っていました。
  
もしかして立ち上がり方の練習方法がどこかおかしいのではないかと思い始めました。
でも当時私の周囲にいる人に相談してもまともな返事が返ってこないだろうなとも思っていたので
自分で考えることにしました。
そしてやはり上記の立ち上がり方を指導していては、効果がないどころか逆効果になる
ということがわかりました。


床半力を利用するために足底で踏ん張っても
写真を見ればおわかりいただけるように重心の位置は黄色い線よりも後方にありますから
臀部を浮かせて立ち上がることはできずに後にひっくり返ってしまいます。

臀部を浮かせて立ち上がるためには
腰背部を過剰に収縮させる必要があります。

頑張って強く踏ん張れば踏ん張るほど
大きな床半力が働き
臀部を浮かせるためにいっそう腰背部に過剰な収縮を生じさせる必要があります。
だから、頑張れば頑張るほど立ち上がりの練習をすればするほど
腰痛になるんじゃないかと思いました。

じゃあどうしたら腰痛を生じさせないように
立ち上がりやすくなる方法をどうしたら善いのか
対象者の方の立ち上がりが改善されるのかを考え始めました。
その結果、効果的な立ち上がり方を見出し、
実際に対象者の方に確実に効果を出せるようになりました。
その結果をまとめて、2009年に開催された第12回神奈川県作業療法学会のワークショップで発表しました。
(それ以前から県西地区の勉強会では発表していました)

現行の方法論で良しとされている対応で
理屈で考えてみればおかしなことってたくさんあります。
多くの人は、「良しとされていること」「やるべきとされていること」をしますが
「本当に良かったのか」という確認と
「どこがどう良かったのか」という一般化・抽象化
をしないのです。

だから、現実には不都合が生じていても気がつくことができないし
不都合が生じていることに気がついても
自身の対応の悪さではなく対象者の状態像のせいにしてしまうのです。

私は幼少期に算盤を習っていました。
現在のスイミングや英会話のように、当時は算盤を習うことが流行っていたのです。
そこで繰り返し言われたことが「検算をする」ことです。
自分の計算が正しかったかどうか、確認するということを
当時はその意味もわかっていませんでしたが、身体に覚え込まされました。
今では本当に良かったと思っています。

たとえ、100人のうち99人に有効な方法でも
目の前の1人に有効かどうかは、やってみなくてはわからない。
確認しなくてはいけないのです。

残念なことですが
そして、皮肉なことですが
リハやケアの知見が蓄積されてきたからこそ
目の前の対象者の状態像を把握せずに
単なるハウツーの当てはめをする考え方が蔓延しています。

目の前の対象者の状態像を把握するためには、知識が必要です。
概念の本質を理解しなければ、状態像を把握する
目の前の事実を観察し、対象者に何が起こっているのか洞察することが叶いません。

この過程は、一夕一丁にできることではありません。
個々の人が長いキャリアの中で蓄積していくものです。
でも、その努力をする人って少ないんですよね。。。
最新の論文や理論を読んだり学ぶ人はいても、地道な自己検証にエネルギーを注がない。。。

OTの世界で「科学的」であることを自他ともに要請された時に
道を誤ったのだと考えています。
観察は非科学的であるから他の機械や臓器と同様に科学的とされる数での検証に歩を進めた。
でも、OTの対象は「人」なんです。
人文科学の新たな地平を切り開くのは
「人」に対して新たな科学の可能性を提示することではないでしょうか。

人の視覚・聴覚・皮膚感覚や運動覚などの感覚は
磨くことが可能で習熟も可能なことは日本の伝統工芸の職人の技の凄さが証明しています。

観察や洞察が非科学的なのではなく
非科学的な観察や洞察しかできないことが問題なのです。
人文科学としてのOTは観察や洞察を科学的に高めることができるはずです。

「科学は嘘をつかない」  (服藤恵三)
「科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問」

今の常識が将来にわたって常識であるとは限りません。
これから先、人類の叡智でどんな地平が築かれるのか今は誰も知らないのです。

多くの先人によって
科学は幾多の分野で目覚ましい発展をしてきました。
歴史に名を残す天才の存在によるものだけでなく
市井の人々の地道な実践が人知れずその発展を支えてきたのだと思います。
日々目の前にいる人たちの健やかな日々のための実践がそれらを支えてきたのだと思います。

目の前の事実に答えはある。
答えを聴くためには正しく問うことが必要です。

「書かれた医学は過去の医学である。
 目前に悩む患者の中に
 明日の医学の教科書の中身がある」
   ( 沖中重雄 )

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