私が他の人と違うところがあるとしたら観察の深度だと思う。
例えば
「ためこんで飲み込んでくれない」と質問する人は多いけれど
ためこみって、結果として起こっていることなんです。
食事をためこんでしまう方は
食べたくないからためこむ訳ではなくて
食べたくて食べようとして、でも食べられないケースが圧倒的に多いものです。
なぜ
ためこんでしまうのか、食べようとして食べられないのか
というと、圧倒的に多いのが舌の硬さです。
まるで、かまぼこ板のように舌がガチガチに硬くなっていることが多々あります。
舌が硬くなっているという状態の結果、
スムーズに送り込みができなくなり、ためこみという結果となって現れているのです。
じゃあ、なぜ、舌がそんなに硬くなってしまうのかというと
これは、十中八九、誤介助が理由です。
対象者の方に本質的な問題があるわけではないのです。
だとしたら、正の介助を行えば正の学習が生じます。
私たちが適正な介助を行えば良いだけなのです。
ところが、多くの人が「ためこみ」に困ると言いながら
「ためこみ」につながるようなスプーン操作、たとえば
スプーンを口の中に突っ込んだり、
上の歯でこそげ落としたり、
多すぎる1口量を口の中に「入れてあげる」等の誤介助をしているのです。
対象者の方は
食べにくさを感受しながらも必死になって食べようとした結果
過剰努力によって舌が硬くなり、
舌のしなやかな動きがなくなるので食塊再形成や送り込みができなくなる
食べたくても食べられず、結果としてためこんでいるのです。
ところが、多くの人は
「ためこみ」という「結果」は見ても
舌の硬さという「状態」には気がついていません。
だから、誤介助にすら適応しようとして
必死になって食べようとした誤学習として
舌内筋の過剰緊張が起こってしまったという「必然」を
洞察することができないのです。
そして結果だけ見て
「ためこんで飲み込んでくれない人がいるんです。どうしたら良いでしょうか?」
「口元までうまく運べない人がいるんです。どうしたら良いでしょうか?」
という質問をするのです。
状態を観ていないし、「イマ」「ナニが」起こっているのかを把握できていないから
どうしたら良いのかわかるはずがありません。。。
評価とは
「イマ」「ナニが」起こっているのかを洞察することです。
ここで、改訂水飲みテストをしても状態把握できるわけではないのです。
誤解が生じないように敢えて書きますが
私は改訂水飲みテストを否定しているわけではありません。
実際、必要であれば改訂水飲みテストを行なっています。
でも、改訂水飲みテストはあくまでも「食べ方の評価」を構成する1検査に過ぎません。
同じ意味で嚥下造影や嚥下内視鏡も「食べ方の評価」の下位項目としての1検査に過ぎません。
検査は必要で意義もありますが、すべてではないのです。
(MMTをしただけで歩行状態の評価ができるわけでないのと同じです)
その証拠に
上記の検査をしても、「どのように介助したら良いのか?」という問いが
解消されることはないのではありませんか?
どうしたら良いかと他人に尋ねるのではなくて
目の前にいる方の食べ方をもう一度きちんと観察すべきなのです。
そう言うと
「ためこんでることをちゃんと見てるよ」って言われるけど (^^;
いやいや、それは結果で状態じゃないから。
状態を観察しないと。
そう言っても知識がないから目の前に起こっていることを観られないので
わかってもらえないことも起こり得ます。。。
わかってもらえないならまだしも、
「いちゃもんつけてる」ってこっちが悪者にされることだってあります。。。(悲)
「どっちがいちゃもんだ!」って言いたいけど
そんなこと言ったって泥沼になるだけです。。。
「知は力なり」は真実だと思うけど
こと、人に対しては「無知は力なり」じゃないの?って
何度思わされてきたことか。。。
同じ時に同じ場所で同じ人を見ても
観る人によって得られる情報は全然違ってくるのです。
旅先で同じ景色を見ても
地学の知識がある人とない人でも違うし
歴史の知識がある人とない人でも違うように
(ブラタモリで証明されてます)
摂食・嚥下5相の知識がある人とない人
認知症の知識がある人とない人
運動学の知識がある人とない人
障害の知識がある人とない人では観察の深度が違います。
結果だけ見ているから、ハウツーを当てはめることしかできないし
結果を引き起こしている状態を観察できたとしても、知識がなければ
状態を引き起こす必然を洞察することはできないのです。
逆に言えば
状態を観察できるように知識を習得し
イマ、ナニが起こっているのかを洞察できるように観察すれば良いだけです。
食べようとして食べられずに困惑して
必死になって食べようとしているのに
その努力を不合理としか判断してもらえなかったり誤認されるだけで
的確に援助してもらえる人に出会えず苦しい思いをしている方が
今もまだたくさんいるだろうと思います。
そういう人が一人でも少なくなりますように。
そして、コトは食事介助に限らないのです。
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