自分一人で重度の認知症のある方16名に対して
精神科作業療法として集団リハを実施しています。
2時間を課題集団と並行集団を組み合わせて実施していますが
円滑に、そして個々の方それぞれにより有意義な場となるように
頑張って運営・進行しています。
1分前のことも忘れてしまったり
帰宅要求のある方や
歩いたら転倒リスクがあるのに立ちあがろうとする方や
訴えの多い方や
飲食に特別の設定と見守りや介助が必要な方も対象です。
前半は音楽鑑賞と水分補給、体操という課題集団
後半は鑑賞とActivityを並行して実施
Activityも個々人によって、
毛糸モップ・指編み・塗り絵・書字・スクラッチアート・間違い探しなど
異なるActivityを提供しています。
つまり、二重の意味で並行集団を作っているわけです。
そこで
2時間円滑な進行と個々の参加者にとって意義ある場とを両立させる
ポイントとなるのは「段取り8割」の実践です。
上記のような方々が対象なので
何かコトが起こってから対応するとなると
集団の進行そのものが止まってしまうことになりかねません。
そうなると、集中できていた方もそわそわし出して収拾がつかなくなって
集団リハそのものが瓦解してしまいます。
ですので、そうならないように、予防的に対応するようにしています。
参加者お一人お一人の状態を見極めて
どのような状態の時にどのような言動が現れやすいのか
ということをきちんと把握できれば
生活障害や困惑させられる言動に反映されている能力を見出し
では、どうしたら良いのか
ということが明確化できます。
仕事はなんでもそうですけど
後手に回ったら良い仕事はできません。
先手を打たなければ。
座席配置にも工夫しています。
視覚的理解力の程度によって
正面が良いのか、多少外側の席でも理解できるのか
画面に近いほうが良いのか、遠くても大丈夫か
隣の他患との関係性はどうか等
より理解しやすい、集中しやすい、トラブルになりにくい座席配置を設定します。
よくある誤解が
体操や鑑賞などの最中に大声を出したり、落ち着かなくなる方がいると
集団から外に出ていただいたり
集団の後の席に移動していただいたりすると思います。
でも、そのような対応が
逆効果になる方って大勢います。
むしろ、進行をしている私の隣で大勢の方が体操しているのを
目で見られる席に移動していただいたり
私の真正面最前列に移動していただくと集中して体操を始めたりすることが多々あります。
大声や立ち上がりなどのBPSD=わからない人
という判断をしがちですが
実は、部分的にわかるけれど、全体像が明確にはわからないから
大声を出したり立ちあがろうとするケースもあるのです。
「体操の場面」を「なんだか、大勢集まってワイワイしている」
と認識するように。
この「大勢集まっている状況」を
「みんながどこかに行こうとしているから遅れないようにしなくちゃ」
と思って立ち上がる方もいれば
「みんなが出かける前に念の為トイレに行ってこよう」
と思う方もいます。
このような認識をしている方に集団から外れていただいたり
後方の席に移動していただくと
「なんで邪魔するのよ」と制止されたと受け止めたり
一層全体像がわからなくなってしまうのです。
はっきりと「体操の場面」なのだ
「みんな体操しているのだ」
ということを、その方自身の目で見えるところに移動していただけば
集中して体操できたりするのです。
多くの人は言葉での説明に重点を置きますが
説明するということは
認知症のある方が見ている現実を補足するということに過ぎません。
この時に言語理解力を踏まえた説明ができなければ
「何か言われたけれど何を言われたかわからない」となってしまい
効果がないどころか逆効果になってしまいます。
見ている現実をすっきりとわかりやすく提示する場面設定の方が
混乱なく理解しやすかったりするのです。
また、立ち上がりが頻回になる方の中には
単純にトイレに行きたいということもあり
ただ、「トイレに行きたい」と言えないので立ち上がる方や
(トイレに行きたいのですか?)という言葉の理解ができずに
「違う」と言うので尿意がないかと思いきや
(おしっこ、出る?)という言葉だと「出る」と言える方もいます。
その方それぞれに理解しやすい言葉がありますから
そこを把握しておきます。
個々のActivityも席に材料を一揃い用意しておきます。
人によっては、工程の理解となるように 下のイラストのように用意しておきます。
貸出用のメガネや手拭きタオルなどもあらかじめ濡らして絞って置いておきます。
今日の日付が必要な方には、こちらも用意しておきます。
実際に、集団リハが始まってから余分にバタバタ動くことのないように
あらかじめ机の上に必要な道具や材料一式を設置しているのです。
ご自身の席を覚えている方も忘れてしまう方もいろいろですが
作りかけの作品が置いてあると
説明する時も容易だし
座席を探す認知症のある方にも目印になるし
作りかけの作品を自分で探すという行動そのものが
再認を促し、Activityへの導入ともなります。
段取り8割が事前に的確に行えるためには
個々の方の状態把握・能力と障害の把握が肝要です。
そして把握した状態像の情報を日々の関与にきちんと活用することが大切です。
どれだけ、検査・バッテリーをおこなっても
その結果を日々の関与に活用できないのであれば
なんのために検査・バッテリーをとり、状態把握をするのでしょう?
より良い関与ができるために
評価をする
そのための1手段として、検査やバッテリーをする
ところが
現場では、検査のための検査 になっているんではないでしょうか?
HDS-RやMMSEはとったけれど
その結果や検査過程に滲み出ていた特性が
その後の関与に活用されることがない。。。現場あるあるです。
かつて
実習に来る学生、来る学生が
まるで、ハンで押したかのように胸を張って
「HDS-Rは認知症のある方を傷つけるから行いません」
って言ってたことがありましたっけ。。。
私はそういう学生には、こう言いました。
「わかりました。
あなたがHDS-Rをとらなくても、記憶の連続性について
きちんと状態把握ができて、根拠を明確に誰にでも説明できるというなら
とらなくてもいいです。
それができないなら、記憶の連続性を明確にするためにとりなさい。
そして、最も重要なことは、認知症のある方を傷つけるリスクを冒しても
とったんだから、その結果をきちんと日々の対応に活用しなさい」
誰かが言ってるんですよねぇ。。。学生に。
自身の中で、すり替えていることに無自覚なままに。
検査のための検査になっていることを表明している。
認知症で記憶の連続性を把握することはとても重要なことなのに。
HDS-Rをとることが全てではないけれど
とらないのであれば代替手段を教えてあげなければ。
(その代替手段を習得することは、学生では非常に困難なことです)
「HDS-Rは認知症のある方を傷つけるから行いません」
これは、一見、優しそうでいて
その実、現状把握をしないで接するということを体験させてしまう。
本末転倒な臨床態度を未来ある学生に伝えてしまっています。
先手を打った仕事ができるようになるために
認知症のある方の状態像を的確に把握する
把握した情報を日々の対応に活用する
だから、予防的対応ができるようになります。
評価と治療は車の両輪
状態像が把握できれば
何をすべきか
何を為さざるべきかが
浮かび上がってくる
だから
その方固有の望ましい声かけ
言わない方が良い言葉も
浮かび上がってくる
予防的対応を心がけることも可能となります。
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