評価、アセスメント、状態把握
というと、検査をしたり、バッテリーをとったりすることだと誤解している人もいます。
検査やバッテリーを否定はしません。
検査しなければわからないこともたくさんありますが
対人援助職としては
日々のケアに活用できるように
検査やバッテリーよりも、まずは、観察・洞察できることが重要です。
観察・洞察 というと
主観的で根拠に欠ける、非科学的と言う人もいますが、ここに誤解があります。
批判されるべきは未熟な観察・洞察であって、
観察・洞察そのものではありません。
優れた観察・洞察こそ、対応の工夫に結びつくものです。
観察・洞察を批判する人は
優れた観察・洞察ができる人の存在を知らないのでしょう。
検査やバッテリーをとっても
どのように声かけをしたら興奮が落ち着くのか
どのように対応したら帰宅要求が落ち着くのか
などの生活障害やBPSDへの対応の工夫の答えは出てきません。
また
認知症のある方をよく観察している人ならご存知の通り
障害も能力も変動があります。
日によってできることが異なったり、疎通や認識の程度も変わります。
検査やバッテリーは
確かに共通の軸で、ある瞬間の困難を切り取ったものです。
でもその結果が常に認知症のある方の困難を反映しているものではありません。
そういう時があった。というのは事実ですが
毎日毎回そういう状態だとは言えないのです。
検査をした時と異なる状態の時では、対応の工夫は違うはずです。
その時その場で
認知症のある方が状況をどのように感受し判断し対応しようとしているのか
生活障害やBPSDの場面そのものに答えがあります。
困りごとへの対応を考える時には
困りごとが起こっている場面そのものに
反映されている能力と障害を観察・洞察できてこそ
本当に有効な対応の工夫が浮かび上がってくるのです。
だから、その場で即応できる。
評価、アセスメント、状態把握は
本来、対応に活用するために行うものです。
一見、表面的には同じように見える生活障害やBPSDに
反映されている能力や障害が異なることも多々あります。
その時その場で即応することができるためには
その時その場での観察・洞察ができなければ。
検査やバッテリーをとっても観察・洞察できなくて
困っている人がたくさんいると思います。
「どうしたらいいの?」と尋ねるよりも
「今、目の前の方に何が起こっているのか」を観察・洞察できるように
そのために正しく知識を習得することから始めるしかないのだと感じています。
関連して
「どうしたら良いのか考えてはいけない」
もご参照ください。
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