食べられるようになると疎通も良くなる

経口摂取困難だった方が
もう一度食べられるようになってくると
意思疎通も良くなってくるというケースを多数経験しています。

「食事介助は究極のノンバーバルコミュニケーション」
これは私の本のサブタイトルでもありますが
だからこそ、当然だと感じています。

その方がどんな困難と能力と特性があり
どんな風に状況認識をしているのかという状態像を
的確に把握し
適切な食形態を選択し
適切に食事介助をすることができるということは
単に「食事」という「行為」を援助しているだけではなくて
「食事」という「行為」に必要な、
「食事」という「行為」に反映されている、
ベースとなる能力をも理解し援助するという
二重の援助をしていることになります。

そして、その援助過程そのものが
認知症のある方を理解したということを
言葉ではなくて、私の行動を通して伝えている、ノンバーバルコミュニケーションの過程でもあります。

だから、食べられるようになると同時に疎通も改善されるのだと感じています。

作業療法士は
Activityを通してActivityを練習しているわけではありません。
(編み物を提供した場合に、編み物を練習してほしいから提供しているわけではありません)

任意のActivityを遂行するに必要な様々な心身の能力
例えば、関節可動域であったり、筋力であったり、協調性や巧緻性であったり
遂行機能や構成能力や近時記憶を活用することを通してリハビリテーションするのと同じ意味です。

食事介助は単に口の中に食べ物を入れることではありません。

その人がどのように食事という場面を感受し認識し対応しようとしているのか
その一連の過程を理解し、援助するということが食事介助なのです。

ところが
現実には、真逆のことも起こっています。。。
介助者が認知症のある方の食べ方を忖度するのではなくて
認知症のある方が介助者の介助方法を忖度しなくてはいけない。。。
つまり、介助者の介助方法を認知症のある方が感受し認識し適応しなければならない。。。

でも
これらは私たち介助者側の問題なので
変わろうと思えば今すぐにでも変わることが可能です。

ところが
介助者の中には「自身が変わる」ことへ抵抗・防衛を示す人が少なからずいるものです。
残念だし、悲しいことですが
真実は弾圧を受けても必ず甦り正当性が後世の人々によって証明されます。

ごむてつさん曰く
「足を引っ張られたら喜ばなくちゃいけない」
相手は足を引っ張ることしかできないのだから。。。

気持ち的にはしんどいですけど (^^;
幸い、私は技術職なので、「やってみせる」ことが可能です。

やってみせる。。。この原点に立ち続け
志ある人たちに私の蓄積を伝えていきたい。

そして、さらに発展させていってもらえたら本望です。

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