経験年数を重ねて思うことは
能力を信頼しなければ、能力を見出すことは叶わない
ということです。
食べない人には食べないなりの必然がある。
「認知症だから」
嫌がって食べないんだろう
というような先入観を捨てて
目の前にいる方は
何をどこまで認識しているんだろう?
ということを確認しながら関与していると
ちゃんとその一端が観られるようになってきます。
無意識のコミュニケーションがあって
その一端をこちらが感受した
ということが伝わると
目の前にいる方の能力が一層明確に広がりを持って
観えるようになってくる。
私が他の人よりも少しは高い能力があるとすれば
この部分だと思う。
そのために
時間もエネルギーもお金も使って勉強しましたから。
若い時には、パンの耳や素ラーメンを食べていて当時付き合っていた彼に笑われたものです (^^;
そうやって時間をかけて培ってきたモノは、滲み出るのだと思う。
口先だけの人とは違って当たり前。
ごむてつさんの記事に
「いるだけで有害な人も居るだけで善い人もいますが、実際には前者は有害な行為を、後者は良い行いもするはずです。」
とありますが、まさに。
私たち自身にだって
この人の前では、本音は言わずに当たり障りのない演じた対応をしよう、
バリアを作って接しておこうと思うような人もいれば
この人の前では、リラックスできる、安心できるという人もいます。
患者さんやご家族に
「あんたと話してると頭の中がスッキリする」
「あれ?あなたと話してるとなぜか涙が出ちゃう」
「あなたといる時には本当に楽しそうにしてる」
などと言われたことが何回もあります。
別に私はスッキリさせよう、泣かせよう、楽しませよう
などと思いながら接しているわけではありません。
何が困ってるのだろう?
何があったのだろう?
何を思ってるのかな?
と思いながら接していて
心底そうしてるのが無意識に伝わっているんだと思う。
そこは一番大きな違いで
当たり前すぎることだけど
「心底そうしてる」のか
「そのふりをしてる」のかは、明確に確実に伝わる
一方でこういったことに対して
そうだよね。その通りだよねって思える人がいる一方で
表面的には同調しても心の中では
「認知症なんだからそんな違いなんてわかるわけないじゃん」って思う人もいる。
いっぱいいますものね (^^;
そしてこう言う。
「認知症だからダメだ」
ダメなのは、
他者を理解しようとしない、できない
観察しようとしない、できないあなたの態度じゃないのかな?
そんな態度の人に対して心開くわけがない。
そうやって自分のできなさから目を背けることで
一時の安寧を得て心の葛藤や学ぶことから逃れようとしているのかもしれませんが。
でも、それだと辛くなる一方だと思う。
対人援助職を選んだ以上
努力するしかないんだよね。
努力したからといってすべてが叶うなんてことはないけど
決して無駄にはならない。
ただ、努力の方向性の違いはあって
巷間言われているような「礼節の限りを尽くす」ような方向性ではなくて
脳の病気によって暮らしの困難が起こるのだから
そしておそらくは過去の体験の投影も重なるのだから
知識と技術が必要で
実践に際し、態度が肝要ということなんだと考えています。
私にできることは
何よりも日々の実践を深めること
そして
可能な限り言語化して
志ある人や後世に伝えていくこと
頑張ります (^^)
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